星の雨

 ユンユンとリンリンから聞いていた話とは違う、優しい星の雨だった。


 きらきらと流星の尾を引きながら、慈雨じうのように天上山脈へと降る。

 だけど、星屑ほしくずの雨は、想像を絶する威力だった。


 降ってきた星の最初のひと欠片かけらに触れた黒鬼衆のひとりが、断末魔をあげる間もなく、一瞬で消滅した。

 ぎょっと天をあおぎ見る、残りの鬼たち。そして、慌てて自らの影に溶けて逃げる。

 でも、その僅かな時間にさえ間に合わず、影に逃げ込む前に、さらに二人の黒鬼が消滅した。


 呆然ぼうぜんと空を見上げる、スラットンたち。

 彼らの頭上にも、星屑の雨は優しく降り注ぐ。

 だけど、星の雨は敵となる対象と加護すべき者を見定めているのか、僕やスラットンたち、それにリステアや東の魔術師には無害でしかない。


『くああぁぁっ! おのれ、おのれ!』


 日中の天上に輝く、満天の星空。そこから降り注ぐ、無限の流星の雨。

 立ち尽くして見つめる僕たちとは違い、雨に打たれて、クシャリラが悶絶もんぜつしていた。

 悲鳴をあげ、苦悶くもんに存在をゆがませる。

 対抗しようとしたのか、クシャリラが立体術式を展開させ、魔法を発動させようとした。だけど、星の雨はいとも容易たやすく立体術式を破壊し、容赦なくクシャリラへ降り注ぐ。


 クシャリラの悲鳴が、頭のなかに直接響いてくる。

 それだけじゃない。

 大気を激しく震わせ、衝撃波となって周囲へと無差別に放たれる。

 だけど、星の雨は衝撃波さえ砕き、無力化してしまう。

 側に立つ僕のところにも、悲鳴の衝撃波は到達しなかった。


 巨人の魔王の雷撃を前にしても平然としていたクシャリラが、これほどまでに苦悶し、悲鳴をあげている。

 星の雨は、術が一切通用しないと言われたクシャリラに、だけど確かに威力を示していた。


 とはいえ、黒鬼衆の三人をひと欠片の雨粒で消滅させた星の雨でさえ、クシャリラを消滅させることはできない。

 クシャリラは悶絶してはいるけど、耐え抜いていた。


 これが、妖精魔王クシャリラ。

 並み居る魔族とは一線を画す、始祖族しそぞくの悪魔だ。


 僕は、霊樹の木刀と精霊剣を握り直す。


 やっぱりさ。助力は得ても、最後の締めは自分の手でやらなきゃね。


 竜剣舞でさえ、通用しない。どれだけ舞おうとも、防がれてしまう。そんな弱気なんて、星の雨を前にすれば、けっして口にはできない。

 星の雨を降らせてくれた人も、幕引きくらいは自分で負え、と間違いなく言うだろうしね。


 僕は改めて、竜剣舞を舞い始めた。

 星屑のしずくを受けて、霊樹の木刀と精霊剣が元気よくきらめく。


 不思議だね。魔族には恐ろしい威力を示した星の雨だけど、なぜか霊樹に関わる者には恵みとなっているみたい。

 そして、恵みを受けているのは、僕自身も含まれていた。


 僕も、霊樹に関わる者だから?


 それは、きっと術者にしかわからない。

 だけど、確かに僕も星の雨の恩恵を受けていた。


 消耗しきっていた竜気が、雨を受けて回復していく。

 体力と精神力も、竜気の回復に合わせてみなぎってきた。


 力強く、それでいて、優雅さと鮮麗さも兼ね備えた竜剣舞を舞う。


 悶絶し続けるクシャリラを追い詰めるように、精霊剣を振るう。

 剣戟けんげきを防ごうと、クシャリラが動く。だけど、それさえも星の雨によって打ち砕かれる。

 精霊剣がクシャリラを斬り裂く。


 霊樹の木刀の動きに合わせ、星の雨が軌道を変える。


 もしかして、操れる?

 ううん。正確には、操ってみせろ、ということなのかな?

 厳しい人だね。手助けはしても、無償ではない。

 きっと、僕が全力で頑張らないと、星の雨は容赦なく僕たちも攻撃しちゃうかも。それくらい、手助けしてくれた人は厳格げんかくなんだ。


 意識を集中させる。

 僕だって、できるはずだ。

 魔力を持たないセフィーナさんが、魔法をたくみに受け流したように。ユフィーリアとニーナが操ってみせたように。

 僕にだって、違う系統の術を操ることはできるはずなんだ。


 深く、深く、意識を落としていく。

 星の雨は、視えている世界だけでなく、精霊たちの世界にも降り注いでいた。

 精霊たちによって万色に塗られていた世界が、眩しく輝く。

 何色なにいろ、と表現できないような煌めきが、流星のように天から無限に落ちてくる。


 星の雨は、霊樹と同じように、幾重いくえにも折り重なった世界の全てに影響を与えていた。


 僕は、星の雨を導く。

 霊樹の力を借りて、流れ星に方向性を与える。

 世界の流れを示すように、星の雨を霊樹の木刀を通して先導していく。


 霊樹の木刀を薙ぐ。剣先が綺麗なえがく。

 霊樹の力と僕の意思に導かれ、星屑が軌跡をなぞるように収束する。

 星の雨は星の刃となって、別の空間に存在するクシャリラの本体を斬り裂いた。


 剣先が届かない流星にも、意識を向ける。

 竜術の嵐を呼び込む感覚で、星の雨の全てに意識を浸透しんとうさせていく。


 次第に、星の雨が軌道を変化させ始めた。

 真っ直ぐ下に降り注いでいた流星が、徐々に円運動を見せ始める。

 そして、流星の尾で螺旋らせんの軌道を描きながら、天上から地上へと落ちる。


 きらきらと瞬く流星は渦を巻き、収束していく。

 天と地を繋ぐひとつの大きな川となった星々の輝きは、霊樹の木刀に導かれてクシャリラへと流れ落ちた。

 視界が流れ星の光に支配されて、眩しさのあまり、目をつむる。


 クシャリラの悲鳴が世界を揺らす。

 空気が震え、天上山脈が揺れる。

 だけど、負の力を相殺するかのように、星の雨は優しく降り注いだ。

 そして、何事もなかったかのように、世界を優しくいやす。


『おの……れ……』


 星々の煌めきと雨が過ぎ去ったあとには、微かな意思と、瀕死に陥った気配が残っていた。


『人族ごときに……』


 僕は目を開くと、霊樹の精霊剣を、見えるようで視えない気配へと突きつける。


『妾が、其方ごときに……』


 あれだけの術を受けても存在しているなんて、と恐れざるをえない。

 だけど、もう終わりだ。

 クシャリラが言った幕引きではなく、僕たちが切望した終幕が目前に迫っていた。


 あとひと太刀たち

 右手に握った精霊剣を振るえば、クシャリラを倒せる。


 クシャリラも絶命を悟っているのか、憎々しげに突きつけられた精霊剣を睨む。

 だけど、抵抗するだけの力もないのか、呪怨じゅおんを口にするだけで、動く気配がない。


 やっちまえ、と遠くでスラットンが叫ぶ。

 トリス君やルーヴェントも、クシャリラを倒せと騒ぐ。


 僕は、じっとクシャリラを見つめた。

 圧倒的な気配は薄れ、弱々しくなった存在感だけを感じる。


 精霊の世界を通してクシャリラを認識しようとすると、見たい存在に見えてくる。

 戦っている最中は、美女に見えた。そう見えるように意識していた。

 だけど今のクシャリラは、意識しなくとも、年老いた弱々しいおばあちゃんに見えた。


 僕は、大きく深呼吸をする。


 次の一撃で、終わりだ。


 だけど、僕はあえて、霊樹の剣を振り下ろさなかった。


 意識を落ち着かせると、僕の右手から霊樹の精霊剣が消失する。

 突きつけられていた宣告せんこく唐突とうとつに消えたことに、クシャリラから戸惑う気配が伝わってきた。

 僕はクシャリラの気配を慎重に探りながら、僕の望む終幕に向けた言葉を口にした。


「さあ、妖精魔王クシャリラ、僕と協定きょうていを結ぼうか」

『な、何を言うや……?』


 誰もが、クシャリラの敗北を確信していた。

 当人さえ、間違いなく死を覚悟していた。

 そこへ僕の言葉を受けて、クシャリラだけでなく、スラットンやみんなは呆然としてしまう。


「お、おい! 何を甘っちょろいことを言ってやがる。さっさと殺しちまえ!」


 それでも、真っ先に立ち直ったスラットンが、僕を叱責しっせきする。

 だけど、僕はスラットンの言葉を黙殺し、眼前に弱々しく存在するクシャリラにもう一度声をかけた。


「クシャリラ、貴女の負けだ。だから、そちらに選択肢はない。僕と協定を結ぼうか」


 意味がわからない、といぶかしむクシャリラ。


 勝ったのは僕たちで、クシャリラや魔族たちにはもうあらがう力は残されていない。それなのに、僕は協定を結ぼうと言う。


 協定って、普通は対等な立場同士で結ぶものだからね。それなのに、圧倒的な優位性を持つ僕の方から申し出ているのだから、意味がわからないのも頷けます。

 なので、僕は補足を入れる。


「僕は、魔王が減ることを望んではいないんだよ。魔王位が空位になることがどれだけ悲惨な状況になるのか、身を以って知っているからね」


 かつて、クシャリラが支配していた東の領国。今では巨人の魔王の支配領地になったけど、それまでの混沌こんとんとした無秩序な社会は、目に余る悲惨なものだった。


 クシャリラにここでとどめを刺すのは容易たやすい。

 だけど、その後に訪れる混乱した世界を望んでいるわけじゃない。

 魔族だって、平和が一番なはずだ。

 奴隷にされている他の種族の者たちにとっても、社会が混沌に包まれれば、今以上の苦境が訪れるのは間違いない。

 なにせ、困った時に真っ先に切り捨てられるのは、家畜以下の存在としか思われていない奴隷の人たちだからね。


 東の土地では、魔族以上に奴隷の人たちが犠牲になった。

 僕は、クシャリラを倒すという目先の手柄てがらよりも、その後に訪れる混沌をうれいている。


 だから、協定を結ぶんだ。


「クシャリラ、貴女やその支配下にある魔族たちは、今後一切において、天上山脈を侵略しない。また、天上山脈の西に広がる人族の文化圏へ手出しをしない。それが、僕の望む協定の最低条件だ」

『命を取らぬ代わりに、その屈辱的くつじょくてきな条件を妾にめやと?』

「屈辱的と捉えるかどうかは、貴女次第だよ。それに、読み替えれば、それ以外のことを縛っているわけじゃないから、命の代償としては破格の安さじゃない?」


 そもそも、天上山脈とその先の人族の文化圏を狙わなければ、これまで通りってことだからね。

 他の魔王と喧嘩けんかをしようが、南に支配権を持つ神族と争おうが、協定の条件には抵触しない。

 それで命が助かり、魔王位を奪われないというのであれば、負けた側にしては破格の申し出だよね。


 まあ、人族に負けたクシャリラが、これから魔王としての影響力をどれだけ保てるのかは、僕は知らないけれど。

 きっと、少なからず苦労するはずだけど、それはクシャリラや魔族の問題です。


「もちろん、協定を結ぶのなら、こちらも条件を受けるよ。もしも貴女が困ったとき、具体的には、世界の敵であるという邪族じゃぞくおびやかされたときとか、天災てんさいなどで国難に見舞われたときは、僕が手助けをするっていうのはどうかな?」


 絶対的に有利な立場だからこそ、自分が呑む条件を自分で言える。

 なんて、ずる賢いんでしょうか、僕ってば!


 悔しそうに、憎々しそうに、僕を睨むクシャリラ。

 だけど、異論はできない。

 なにせ、今のクシャリラには、こちらが出した条件を変更するだけの力も、自分から条件を出せる立場でもないからね。


 とはいえ、これは本当に破格な内容だ。

 むしろ、困った時には手を貸すよ、と条件に盛り込んだ僕の方が重しを受けているよね。


 でも、これで良いんだ。

 どんな形であれ、魔族と縁を結んでおけば、きっと今後に役立つと思う。

 出会うたびに喧嘩するよりも、手を繋いで仲良くしていた方が絶対に良いからね。


「ああ、ただし! 協定を破った場合は、覚悟してもらうよ? これは、竜王の僕と魔王のクシャリラが正式に結ぶ協定だ。だから、もしもそちらが協定を破った場合は、今度こそ本気で、貴女の命を狙いに行く。言っておくけど、僕は竜峰同盟りゅうほうどうめい盟主めいしゅだからね。僕が動くということは、竜峰のみんなが動くと捉えてほしい。それに、僕と巨人の魔王は仲が良いんだよ? あの、大魔族軍を率いたという大元帥だいげんすいのシャルロットともね! それが、どういう意味を持つのか。わからない貴女じゃないはずだ」


 僕はともかく、竜峰同盟が遠路はるばる遠征してくる可能性は低い。

 なにせ、ここに来るまでには魔族の国々を横断しなきゃいけないからね。

 だから、これはでまかせに近い。

 だけど、僕が本気を示せば、巨人の魔王は通過を認めてくれるんじゃないかな?

 賢老魔王けんろうまおうだって、こちらが事前準備をしっかり整えていれば、通してくれる可能性はある。


 それと、巨人の魔王は、積極的には関与してくれないかもしれない。なにせ、同じ魔王であるクシャリラと争っても、国益に見合わないからね。

 だけど、どうだろう?

 あのシャルロットのことだ。個人的に、嬉々ききとして協力してくれるに違いない。それも、事態を面白おかしく引っ掻き回す方向で。


 クシャリラも、僕のでまかせくらいは看破かんぱできるはずだ。でも、それと同時に、シャルロットの恐ろしさを理解しているはずだよね。


 ぐぬぬ、と身悶みもだえるクシャリラ。


『其方と屈辱的な協定を結ぶくらいであれば……』

「駄目です! 僕は、貴女の命を奪わない。他のみんなにも、手出しはさせない。それに、まさか魔王ともあろうものが自殺なんてしないよね?」

『人族らしからぬ、ずる賢さよ……』

「ははは。なにせ、これまでに巨人の魔王やシャルロットから散々にもてあそばれてきたからね」


 それに、お師匠様であるスレイグスタ老が、そもそも悪戯好きで僕たちを困らせてきた。そんな環境で育った弟子が、ずる賢く成長するのは当然です!


「さあ、どうするの? この条件で協定を結ぶ? それとも、まだ条件が足らない? それじゃあね……」


 協定を結ばない、という選択肢はない。

 どの段階で妥協して協定を結ぶかだけが、クシャリラに与えられた権利だ。

 もしも、まだ拒絶するというのなら、さらにいろんな条件をつけちゃう!

 もちろん、クシャリラが嫌がる条件が増えていくのは間違いないよね。


 クシャリラは、僕の悪者っぷりに折れたのか、渋々しぶしぶと頷いた。


『憎しや、人族。いいや、竜王エルネア。しかし、妾は野望を捨てぬ』

「まだ諦めてないのか!?」

『妾は、野望を捨てられぬ。だが、今回は其方の条件を呑もう。金輪際こんりんざい、野望のために天上山脈へと侵略は試みぬ。人族の文化圏にも手は出さぬ』

「野望のためじゃなくても、手出しは禁止です!」


 ちっ、と舌打ちをするクシャリラ。

 危うく、クシャリラの罠に嵌まるところでした。

 野望のためじゃない侵略です、なんて屁理屈へりくつで再侵攻されたら、困りものだからね。

 条件に関する追加の明記や簡略的な捉え方は、一切において禁止だ。


 僕の忠告を受けて、クシャリラはもう一度渋々ながら、頷いた。


『協定を受け入れる。だが、困っても妾は其方を呼んだりはせぬ』

「遠慮しなくて良いのに!」

『ええい、うるさしや!』


 仲良くなろうよ、とにこやかに微笑む僕へ憎々しそうに悪態を吐いて、クシャリラは姿を消した。

 慎重に気配を探ってみだけど、視認できる世界にも精霊の世界にも、クシャリラの存在を確認することはできなかった。

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