桃の樹の下で

 魔王クシャリラや魔族の気配が天上山脈から消えたことを確認すると、僕は断崖の上を目指して駆け出した。


 スラットンたちも戦いの終焉しゅうえんを感じ取ったのか、僕と同じように、断崖にある洞穴へと続く細い岩道を走る。


「おい、なんでとどめを刺さなかったんだよ?」


 走りながら、スラットンが不満を漏らす。

 僕は、答える。


「魔王を倒しても、根本的な問題の解決には繋がらないからだよ」

「どういう意味だ?」


 スラットンたちの抱く疑念を払拭ふっしょくさせようと、彼らに歩調を合わせて走りながら補足を入れる。


「魔王を倒しても、魔族が天上山脈やその先にある人族の文化圏を諦めるってことにはならないんだよ。それなら、クシャリラにはこのまま魔王でいてもらって、野望を抱く魔族たちを押さえつけてもらっていた方が良いんじゃないかな。だから、協定を結んだんだよ」


 協定の内容を伝える僕。

 スラットンたちは、急勾配きゅうこうばいの岩道を走りながら、僕の話に耳を傾けていた。


「協定を守るかどうかはクシャリラ次第だけど、たぶん今後は、積極的な干渉はなくなると思うよ?」

「なんで言い切れる? 相手は信用ならない魔族の、しかも魔王なんだぞ?」

「魔王だから、かな?」


 僕は走りながら、間近に迫った目的地を見る。そして、空へと視線を移した。


「クシャリラは、この戦いで思い知ったはずだよ。天上山脈を越えることがどれだけ大変かということをね」


 僕の曖昧あいまいな返答に、首を傾げるスラットンたち。だけど、詳しい話しをする前に、僕たちは洞穴の前にたどり着いた。


「リステア!」


 まず最初に、スラットンが相棒であるリステアに声をかける。

 リステアは、駆けつけた僕たちに無言で頷く。だけど、リステアは聖剣の復活を喜ぶどころか、静かに視線を落とした。

 僕たちは、リステアの視線を追う。そして、リステアの膝に頭を乗せて力なく横たわる東の魔術師へと、意識を向けた。


「くそっ。せっかく魔王や魔族を追い払ったっていうのに……。こんな結末なんて、ありなのかよ!」


 トリス君が膝から崩れ、悔しそうに地面を叩く。

 あれほど降り積もっていた雪は炎によって溶かされ、岩肌が剥き出しになっていた。


「エルネア、もうあまり時間はないようだ……」

「うん」


 リステアの言葉を受けて、僕はニーミアにお願いする。


「東の魔術師を、連れて行こう」


 どこへ、とは誰も口にしない。

 もう、わかっているはずだ。

 僕たちが洞穴から逃げ出したあと。集合場所に選んだのは、不思議なもも老木ろうぼくだった。

 そして、桃の老木が待ちがれていた「あの子」こそ、東の魔術師だった。


 数奇すうきな運命を辿り、天上山脈で成長した「あの子」は、短い期間だったけど呪術師に育てられた。だから、呪術が使えるようになったんだね。

 そして、類稀たぐいまれなる呪術の才能で、いつしか東の魔術師と語られるまでの存在になった。

 人族でありながら寿命を超越し、何百年にも渡って魔族に恐れられ、人族を守り続けてきた。


 その、東の魔術師は、今や虫の息だ。

 リステアの膝の上で、弱々しく息を漏らす。

 胸元を染め上げた大量の血は乾き、赤黒く変色していた。

 リステアの呼びかけに、東の魔術師は僅かに手を動かす。

 リステアは、東の魔術師の細い手を握り締めた。


「んにゃん。時間がないにゃん。急ぐにゃん!」


 物陰に隠れていたニーミアとオズが飛び出してきた。

 僕たちは、巨大化したニーミアの背中へと急いで移動する。


「遅れて申し訳ない」

「アレクス様!」


 そこに、遠くの渓谷で戦っていたアレクスさんが、遅れて到着した。

 見るからに満身創痍のアレクスさん。

 ルーヴェントが心配するように駆け寄る。

 アレクスさんは刃の欠けた神剣をさやに納めながら、つらそうに息を吐く。


「鬼将バルビア。恐ろしく強い相手であった。しかも、あの者……。いや、そのようなことは、今はどうでも良いことだ。それよりも、急ぐのだろう?」


 うん、と頷く僕。

 ニーミアは、僕たちと東の魔術師を乗せると、大きく翼を羽ばたかせた。

 ふわりと飛翔し、風景が線状に流れるほどの速度で飛行する。

 すると、あっという間に僕たちは目的地へとたどり着いた。


 天上山脈を燃え上がらせた呪術の業火ごうか。だけど、東の魔術師は魔族だけを狙い、僕たちや自然はしっかりと守り通してくれたんだね。

 雪が溶けて、とがった葉を覗かせる針葉樹の森が見える。

 そして、ニーミアが着地した場所には、弱々しくも生命をたたえた桃の老木がしっかりと生えていた。


「お待たせしました。だけど……」


 僕が桃の老木へと声をかける。その傍で、リステアに抱きかかえられて、東の魔術師が冬でも温厚な日向ひなたに移された。


『ああ、よく頑張ったね。見ていたよ。感じていたよ。立派だったね』


 桃の老木は、枯れかけた枝葉を揺らして東の魔術師を迎えた。


『どうか、最後に私の実をもう一度だけ食べておくれ』


 そして、東の魔術師の手もとにそっと、じゅくした桃の果実を落とす。

 東の魔術師が、微かに手を動かす。だけど、もう指先さえ動かす力は残っていないのか、桃を取り損ねた。

 リステアが代わりに拾うと、優しく東の魔術師の口もとへと運ぶ。


 血の気が引いて、青紫になった震える唇に、桃の果汁が溢れる。

 僅かに開いた口腔こうくうへ、リステアが桃を小さく千切って食べさせた。


「甘、イ。オイ、シイ……」


 僕たちが静かに見つめる先で、東の魔術師は小さく、だけど、たしかに満面の笑みを浮かべた。


『ああ、ああ……。良かった。嬉しいよ』


 ふさり、と揺れた桃の老木の枝葉には青々とした葉が芽吹き、桃の花を満開に広げていた。

 東の魔術師だけじゃなく、僕たち全員が幻想的な景色に見とれてしまう。


 だけど、それも長くは続かなかった。


 くたり、と東の魔術師がリステアの腕のなかで力を失う。

 最後に、懐かしい桃を味わえて、満足したのだろうか。

 瞳を閉じた東の魔術師の表情は、どこまでも幸せそうだった。


「くそっ! やっぱり、こんな結末はありえねえっすよ!」


 そこで、またもやトリス君が悔しそうにいきどおる。

 地団駄じだんだを踏み、自分はなんて無力なんだとなげく。

 トリス君の瞳には、大粒の涙が溜まっていた。


 アレクスさんとルーヴェントも、悲しそうに視線を落とす。


 僕とリステアとスラットンは、ただ静かに東の魔術師を見つめていた。

 すると、トリス君が声を荒げた。


「悔しくないんすか!? 聖剣が復活したら、それでもう終わりってことっすか!? 東の魔術師の敵討かたきうちで魔王を倒しても良かったんだ!」


 トリス君は、僕が下ろした幕引きに納得していないようだ。

 魔族が支配する世界で生まれ育ち、魔族を憎むトリス君の心情の全てを、魔族の脅威が薄い世界で暮らす僕たちが正しく理解することはできない。


 だけど、なにか間違っているような……?


「おい、トリス。お前は何を言ってやがるんだ?」


 そこへ、スラットンの突っ込みが入った。


「まあ、魔王を倒せなかったのは悔しいがよ。配下の魔族にも手も足も出なかった俺たちがエルネアに言えることなんてないぜ? それによ……」


 言って、スラットンは静かに横たわる東の魔術師へと視線を落とした。


「お前ら、なんか勘違いしてねえか? 東の魔術師は死んじゃいねえぜ?」

「は? えっ……?」


 きょとん、とした表情で、東の魔術師を見るトリス君と、アレクスさんとルーヴェント。


「ええっと、東の魔術師は、魔術の使いすぎで衰弱すいじゃくしちゃっているだけで、死んでないよ? っていうか、この僕がいて、犠牲者を出すわけがないじゃないか。はははっ!」


 僕の発言を受けて、そんな馬鹿な、と東の魔術師の傷を確認するアレクスさん。

 こらこら。東の魔術師は、一応は女性なんだから、もう少し配慮しなさい。という僕の突っ込みは黙殺されて、クシャリラに貫かれた胸の傷を調べる。


「馬鹿な、傷が塞がっている?」

「はっはっはっ。瀕死の重傷でも回復しちゃう神秘の秘薬を、僕は持っているのです!」

「な、なんだってーっ!」


 驚きのあまり、仰け反るトリス君とアレクスさんとルーヴェント。


 まあ、種を明かせば、こうだ。

 洞穴の奥で、クシャリラに不意を突かれて胸を貫かれた東の魔術師。

 僕は、咄嗟に駆け寄った。そのときに、懐からスレイグスタ老謹製の秘薬が入った小壺こつぼを取り出して、中身をありったけ東の魔術師に使ったんだ。

 傷口から噴き出した大量の血はともかくとして、万能薬のおかげで傷は塞がった。

 とはいえ、その後の無理がたたって、こうして死んだかのように強い衰弱に陥ってしまったわけです。


 リステアやニーミアが言っていた「時間がない」という台詞せりふ趣旨しゅしは、東の魔術師が衰弱で意識を失う寸前だという意味だったんだよ?


「思い返せば、ルイセイネの時にも似たようなことがあったよな……」

「ああ、だから俺たちは知っていたぜ? エルネアは、こういう奴だってな!」


 ため息を吐きながら、僕を恨めしく睨むリステアとスラットン。


「僕は、褒められているのかな?」

「「呆れているんだよ!」」

「ぐぅ……」


 そして、声を揃えて罵倒ばとうされて、僕は力なく落ち込んでしまった。


「ともかくよ。東の魔術師は死んでねえし、死ぬ気配なんてこれっぽっちもねえんだ。だから、お前の怒りは見当違いだぜ?」


 スラットンの指摘に、怒りを露わにしていたトリス君が急に顔を赤らめて視線を逸らす。

 それを見たスラットンが、無遠慮ぶえんりょに笑う。


「しかし、驚いた。それで、戦いはどのような結末に?」


 僕とクシャリラの戦いを間近で見ていないアレクスさんに、ルーヴェントが説明を入れる。

 そして、僕の口から改めて、魔王と結んだ協定の話を出した。


「魔王に選択肢を与えない状態で協定を結ぶとは。恐れ入った。だが、まだ疑問が残る」


 たぶん、アレクスさんだけじゃないはずだ。

 みんなの疑問に、僕はひとつずつ丁寧ていねいに回答しなきゃいけない。


「なぜ、魔王を追い詰めることができた? あの星の雨が貴殿の術でも東の魔術師の魔術でもないのだとするならば、何者の干渉だったのだ?」


 星の雨は、僕たちの戦場だけじゃなく、天上山脈の広い範囲に降り注いだ。もちろん、遠くの渓谷で戦っていたアレクスさんとバルビアの頭上にも降ってきたらしい。


 僕は、最初の疑問に答える。


「あれは、きた魔女まじょさんの干渉だよ。僕は、北の魔女さんが干渉してくると確信していたんだ。他力本願たりきほんがんと言われちゃったら言い返せないくらい、なさけない話んだけどさ。まあ、北の魔女さんが干渉するまでもなく、僕たちが完勝できていれば良かったんだけどね」


 僕の言い訳はともかくとして。


 天上山脈を守護し、魔族の侵攻を何百年もの長きに渡って阻止し続けたのは、東の魔術師だ。

 その圧倒的な魔術は、たしかに魔族さえも脅かす恐るべき威力があり、さすがは東の魔術師だ、と僕たちだけじゃなく、魔族たち自身も肌で強く感じたはずだ。

 だけど、僕は途中から疑問を抱いていた。


 たしかに、東の魔術師の魔術は凄い。

 だけど、それだけで、はたして魔族の侵略を防ぎきれるだろうか、とね。


「ねえ、疑問には思わなかった? 僕たちを容易く捕らえた東の魔術師だけどさ。逃げるときは簡単だったよね?」

「言われてみれば……?」


 まさか鉄格子てつごうしを破るなんて、東の魔術師は思わなかったのかも。だけど、それ以前に大きな疑問があったんだよね。


「僕たちが洞穴にやってきて、あまつさえ魔族たちが天上山脈に侵攻してきている。それなのに、あの無防備な寝姿はなんだろうね?」


 普通なら、絶対に警戒するよね。

 僕なら、眠りは浅くなるし、見張りを立てることも忘れない。

 それなのに、東の魔術師は満腹になると普通に寝ちゃった。

 あれは、いくらなんでも、無防備すぎです!


「それで、気づいたんだ。天上山脈は、たしかに東の魔術師が守っている。だけど、北の魔女さんも密かに関与しているんだってね」


 東の魔術師は、遠く離れた永久雪原えいきゅうせつげんにいる北の魔女さんに遠隔魔術を使ってみせた。


「でもね、僕は知っているよ。東の魔術師は凄いけど、北の魔女さんはもっと凄いんだ。だとしたらさ。東の魔術師が使える遠隔術を、北の魔女さんが使えて当然だよね?」

「つまり……。東の魔術師が無防備に寝ていたり、感知していない場合は、北の魔女によって、魔族たちは撃退されていたと?」

「そういうこと!」


 僕は、リステアに向かって大きく頷く。

 そして、断崖を駆け上がっている最中に言いたかったことは、まさにこのことだった。


 クシャリラは、思い知ったはずだ。天上山脈越えを狙えば、東の魔術師だけじゃなくて、北の魔女さんをも相手にしなきゃいけないということを。

 さすがのクシャリラでも、自分にあれだけの致命傷を与えた難敵と、改めて戦いたいとは思わないはずだよね。しかも、その時は、東の魔術師との両面対決は必至だ。


 そうなると、野望はあっても簡単には天上山脈に手を出せなくなる。

 クシャリラは魔王であるからこそ、星の雨を降らせた人がどれだけの強さなのかを知っている。だから、これからは無謀な侵略なんてしないはずだ。


 ところで、話は戻るけど。


 東の魔術師は、良く言えば純粋であり、悪く言えば世間知らずなんだと、僕は思う。

 だから、魔族の恐ろしさは知っていても、卑劣ひれつさにまでは考えが及ばない。

 夜は寝る時間であり、自分が休んでいる間は、魔族も休んでいる、なんて思い込んでいるんじゃないかな?

 だから、疲れたら敵が迫っていても、寝ちゃうんじゃないかな?


「だが、俺たちが側にいて、それでも無防備に寝るものかよ?」

「ああ、それはね……」


 スラットンの指摘に、ははは、と笑いがこみ上げてきた。


「東の魔術師は、僕たちを敵だとは認識していなかったんじゃないかな?」

「はぁああ?」


 呆れたように、スラットンが溜息を吐く。


「こいつは、リステアのことを盗人ぬすっととぬかして、俺たちを問答無用で束縛したんだぜ? それなのに、敵と認識していなかったなんざ、意味がわからねえぜ?」


 スラットンの指摘は間違ってはいない。

 だけど、正しくはなかった。


「違うよ。それじゃあ、考えてみて。天上山脈に入ってきた魔族たちは、どうなったかな?」

「……こいつの魔術の餌食えじきになったな?」

「うん、そうだね。問答無用で攻撃されて、弁明の余地もなく殺されちゃったよね?」

「そ、そうだな」

「それじゃあさ。本当に僕たちのことを敵だと思っていたのなら、問答無用で殺しているはずじゃない? 現に、最初の襲撃では僕たちの目的も聞かずに攻撃してきたし」


 東の魔術師は最初に、幻惑げんわくの魔術でにせの魔族を生み出し、攻撃してきた。だけど、その時にリステアの折れた聖剣を見て、会う気になってくれたんだよね。


「僕は思うんだけどさ。初代のアームアードとヨルテニトスは、東の魔術師と友好な関係だったんだと思うんだよね。だから、僕たちの国に伝わる物語でも、東の魔術師は聖剣を授けてくれた素晴らしい人だと称えられていて、けっして獣じみた人だとか、いびつな話し方の女性だなんて悪いふうには書かれていなかったんだ」

「だが、聖剣を盗んだって……」

「それは、ほら。桃の老木の依頼だったわけだし? それに、初代の双子だって、東の魔術師が炎の宝玉に魅入みいられていることを心配していたからこそ、盗人と汚名を受ける覚悟で奪ったんじゃないかな?」


 東の魔術師だって、本気で憎んでいたわけじゃないと思う。

 たぶん、炎の宝玉に魅入られてはいたんだろうけど。だけど、本気でアームアードとヨルテニトスを恨んでいたのなら、得意の遠隔魔術で二人を追ったはずだしね。


 言われてみれば、と頷くみんな。


「だから、リステアが聖剣を持って天上山脈に現れたときに、東の魔術師はこう思ったんじゃないかな? 返しにきてくれたのかなってさ?」


 確認するように、僕は東の魔術師を見つめる。

 だけど、反応は返ってこなかった。

 もしかして、もう意識を失ってしまったのかな?


「でもよ、それならあの対応はなくねえかよ?」

「スラットンの言葉には、一理ある。俺もあまりに理不尽だと思うが?」

「ああ、それはですね……」


 ははは、とまた笑いがこみ上げてきた。

 いや、これはもう愉快に笑うしかない。

 だって、東の魔術師に悪意があったわけじゃないんだからさ!


「さっきも言ったけどね。東の魔術師は世間知らずなんだよ。だから、人との友好な接し方も知らないんだ」


 何百年も、ひとりで天上山脈の奥深くにこもって暮らしてきた東の魔術師。

 とはいえ、桃の老木が伝えてくれた話では、僅かな期間ではあるけど、呪術師の男性と生活を共にしていたんだよね。

 そのときに呪術を教わったり、肉食を知った。

 だけど、そこからまた独りだけの時間が長く続くと、どうなるだろうね?


 幼かった東の魔術師が、料理なんて覚えるだろうか。覚えないまま肉食だけを知っちゃうと、ああして獣じみた食事になるのかも。

 そして、長い歳月の間に誰とも言葉を交わさなかったら、交流の仕方も忘れちゃうよね。


 交流どころか、人の言葉さえおぼろげになっちゃうかも!


「それで、あの邪族じゃぞくっぽい、歪な話し方なのか……」

「つまりよ。正しい接し方がわからないから、俺たちを捕らえたってことか?」

「スラットンの馬鹿騒ぎに、可笑しそうに笑っていたよね!」


 お腹を空かせたスラットンを弄ぶように、東の魔術師は食事をしていた。

 あれは間違った人との接し方だけど、東の魔術師が取れる精一杯の処世術しょせいじゅつだったんだね。

 そうと理解できると、東の魔術師が見せた稚拙ちせつな対人対応が途端に可愛く思えてきちゃう。


「俺たちは、自分たちの価値観が世界のことわりだと信じて疑わずに、東の魔術師の本当の姿を捉えていなかったんだな……」


 深々と項垂うなだれるリステア。

 こういうときにも正しく反省できて、自分をかえりみることができるのが、リステアの強みだよね。


 僕はみんなの疑問に答えていき、終わりにこう付け加えた。


「だからさ。東の魔術師は、本当はいい人なんだよ。だから、魔女さんも貴女を無視しているわけじゃないよ?」


 僕の最後の応答は、東の魔術師に向けたものだった。


「あの炎の乱舞は、本当に綺麗だったね。きっと、魔女さんも気に入ってくれたと思うよ。だから、ああして星の雨で返事を返してくれたんだ」


 まだ、みんなは勘違いをしたままだったかもしれない。

 東の魔術師は、なぜか北の魔女さんを遠隔魔術で攻撃した。

 でも、それは大間違いだったんだ。


 東の魔術師は、北の魔女さんに自分へ興味を持ってもらいたかった。

 だから、遠隔魔術で魔女さんを探し出し、炎の宝玉の力を借りて、乱舞を見せた。


 あのとき、なぜ僕は恐ろしい術だとは思わずに、綺麗だと純粋に思えたのか。

 それは、炎に敵意や憎しみといった負の感情が宿っていなかったからだ。

 東の魔術師は、炎の乱舞を通して、魔女さんに自分の存在を伝えたかったんだよね。


 私は、ここにいるよ。ってさ。

 貴女と同じように、魔族と戦っているよ。ってね。


 僕の話は、どうやら東の魔術師に届いていたようだ。

 力なく閉じられた瞳から、涙がとめどなく零れ落ちる。


 どうやら、体を動かすだけの力はないようだけど、まだ意識はあったみたいだね。

 自分の想いが北の魔女さんに伝わっていたのだと知り、東の魔術師は嬉しそうに涙を流す。


「そうだ。いつまでも東の魔術師って言うのも何だし、名前を教えてほしいな? 貴女の、本当の名前はなに?」


 これから友好を結ぶ相手だ。

 やっぱり、名前は知っておかないとね。


 だけど、東の魔術師は答えてくれなかった。

 というか、力尽きちゃってて、話すだけの力も残っていないくらいの強い衰弱なんだよね。

 まだ意識を保っていられたということが奇跡で、東の魔術師の精神力の強さを物語っていた。

 僕だったら、あっさりと意識を失っているはずなのにね。


 すると、話すだけの力もない東の魔術師の代わりに、桃の老木が反応した。


『この子が最後に人と接したのは、もう遠い昔のことだ。この子には、もう固有を示す名前はないのだよ』

「そんな……」


 幼少の頃に捨てられ、人と接する機会がほとんどないまま育ってきた東の魔術師には、呼ばれるための名前がない。

 でも、だからといって、これからも「東の魔術師」と呼び続けるのには抵抗がある。

 老木の意思を通訳すると、みんなも僕と同じ想いを持ったようだった。


「ならよ、お前が名前をつけてやったらどうだ?」

「えええっ、僕が!?」


 スラットンは、本当に唐突なことを言い出す天才だよね。

 だけど、今回ばかりは、みんながスラットンの意見に同意を示した。


「彼女の命の恩人は、お前なんだ。だから、お前になら名前をつける資格があると思う。それに、あの精霊の幼女に名前を与えたのも、お前なんだろう?」

「そ、それはそうだけどさ……」


 アレスちゃんは、創造の女神アレスティーナ様の名前の一部を貰って、命名した。

 とはいえ、東の魔術師の名前を僕が勝手に付けてもいいものだろうか。

 本人の了解もなく……


『伝わっておるよ。この子も、名前を欲している。君がこの子に名前を与えておくれ』


 さわさわと、桃の老木が優しく枝葉を揺らす。

 気のせいか、横たわる東の魔術師も、スラットンの意見を肯定こうていするように、穏やかな気配を見せていた。


「ええい、こうなったら!」


 僕は、深く思案する。

 東の魔術師の生き様。

 世界にどんな影響を与え、世界とどう関わってきたのか。

 これから先の、彼女の人生に相応しい名前は何なのか。


 じっくりと考えた結果を、僕は深呼吸のあとに口にした。


「東の魔術師の名前は……」


 ごくり、とみんなが見守る。

 僕は意を決して、命名した。


もものモモちゃん!」


 はああぁぁぁああ!? と、みんなからは盛大にため息を吐かれた。


 だって、仕方がないじゃないか!


 桃の老木の深い慈愛じあいに育てられた東の魔術師。ううん、モモちゃん。

 これからの人生は、桃のように甘く、誰からも愛される存在になってほしい、と僕は名前に込めたんだよ?

 これ以上の名前なんて、僕には思いつきません!


 みんなが呆れるなか、モモちゃんと桃の老木だけは、嬉しそうに微笑んでくれていた。

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