業火の地獄

 霊樹の木刀を左手に持ち。

 右手には、霊樹の精霊剣を握り。


 身も心も新たにし、竜剣舞を舞う。


 一度散った竜気の嵐が、天上山脈を燃え上がらせる猛烈な熱波に乗って戻ってくる。

 業火ごうかの炎を巻き取り、天と地のあらゆるものが嵐によって荒ぶっていく。


 まるで、猩猩しょうじょうが生み出す煉獄の縄張りのように。


 炎はうねり、とどろき、猛烈な勢いでうずを巻く。


 影から跳躍してきた黒装束の鬼たちはことごとくが炎に焼かれ、断末魔さえも残せずに、荒れ狂う炎に巻かれて消し炭になる。

 さらに、捨て身で仲間を襲っていた呪われた魔剣使いが、炎の嵐に呑み込まれて灰も残さず焼失した。

 仲間の無残な最期に、黒鬼衆は戦慄せんりつする。


 上級魔族だろうと、炎の嵐のなかでは一瞬の気の緩みが死に繋がる。

 全力の魔法で炎を退け続けないと、あっという間に魔剣使いや黒装束の鬼たちと同じ運命を辿たどってしまう。


 だけど、荒れ狂う炎の嵐は一過性いっかせいの術などという生半可なものではない。

 東の魔術師の呪力が続く限り、僕が竜剣舞を舞い続ける限り、延々と燃えさかる。

 さらに、東の魔術師が生み出した炎は、燃やしたいものを燃やし、護りたいものを護る。


 炎に加護されたトリス君が動いた。

 神剣を振りかぶり、大戦斧を握る巨躯の黒鬼へと斬りかかる。


「ふははっ。人族ごときが、調子に乗りよって!」


 巨躯の黒鬼は、炎の嵐ごと吹き飛ばす勢いで、大戦斧を振り回す。


「ぐわぁっ!!」


 悲鳴をあげたのは、トリス君の方だった。


「たとえ神剣とて、振るう者が未熟であれば、恐るるに足らぬ!」


 あろうことか、巨躯の黒鬼が振り抜いた大戦斧は、神剣を握り締めたトリス君の右腕ごと粉砕してしまった。

 陶器とうきのように砕け散る、トリス君の黒い腕。

 とどめだとばかりに、巨躯の黒鬼は大戦斧を大きく振りかぶる。


 にやり、と笑みを浮かべたのは……トリス君だった!


鹿! そもそも、俺は腕無しなんだよ!」


 スラットンに負けず劣らずの、悪者の笑みを浮かべるトリス君。

 逆に、驚愕に目を見開いて動きを止めたのは、巨躯の黒鬼の方だった。


「なん……だと?」


 ありえない、と自分の下腹部を見下ろす巨躯の黒鬼。

 下げた視線の先には、つい今しがた粉砕したはずの、トリス君の黒い右腕があった。

 しかも黒い手には、分厚い刃の両手剣が握られていて、剣の先は巨躯の黒鬼の下腹部に深く突き刺さっていた。


「知らねえのかよ? 俺のご主人様は、物質創造の能力を持った猫公爵ねここうしゃく様だぜ? あの人が面白みもない義手ぎしゅなんて創るもんかよっ!」


 叫び、トリス君は力一杯両手剣を振り抜く。

 下腹部から胸部にかけて斬り裂かれた巨躯の黒鬼が、絶叫ぜっきょうを上げる。

 血を吐きながら、憎しみと殺意を込めてトリス君を睨む、巨躯の黒鬼。道連れとばかりに、特大の魔法を放とうと、最後の力を振り絞る。


「おおっと、この私を忘れておいでではありませんでしょうか」


 そこへ、上空からルーヴェントが急降下で襲いかかってきた。

 降下の速度を乗せて、槍を突き出すルーヴェント。


「ぐがっ……!」


 槍は巨躯の黒鬼の喉から突き刺さり、後頭部を貫通して、その巨体を地面に縫い付けた。


 もはや、確認するまでもない。

 巨躯の黒鬼は、大戦斧を大きく振りかぶったまま、絶命していた。


 炎の嵐は、魔法の結界を失った巨躯の黒鬼を瞬時に呑み込み、焼き尽くす。


 さらに仲間を失った黒鬼衆。


 復讐だとばかりに、大杖おおつえを持った黒鬼がトリス君へ向けて魔法を放つ。

 だけど、ここでも太々ふてぶてしく笑みを浮かべたのは、トリス君の方だった。


「ば、馬鹿な!? その大盾おおたては……」


 絶句ぜっくする、大杖を持った黒鬼。

 先ほどまで、盾など所持していなかったはずのトリス君だけど。いつの間にか、黒腕には全身を覆い隠せるほど巨大な盾が装備されていた。

 しかも、大盾は着弾した魔法をそのまま大杖を持った黒鬼へと弾き返す。


「魔族相手なんだ、魔法反射の防具ぐらい持っているに決まってんだろう!」


 罵声ばせいを浴びせながら、もう片方に握った大剣を大杖を持った黒鬼へと投げつけるトリス君。


 な、なんて無茶苦茶な!

 僕だって、驚きのあまり突っ込みを入れたくなっちゃう。


「おらよっ! 神剣、神槍、神矢、好きなだけ食らいやがれっ」


 トリス君は大盾の影に隠れて、次から次に神造武器をどこからともなく取り出すと、生き残っている黒鬼衆へと投げつける。

 見るからに出鱈目でたらめな戦い方だ。

 だけど、それがあまりにも突飛とっぴな戦い方で、逆に歴戦の魔族たちを戸惑わせる。


 トリス君の戦法もさることながら、いったい、あの無数の武器はどこから出てきているのか。

 でも、それはすぐに推察すいさつできた。

 あれは、ルーヴェントのような武器の召喚術ではない。

 トリス君が自らの意思で武器を創り出しているんだ。


 なるほど、これがトリス君の戦い方なんだね。

 魔族を相手にすると、どうしても実力では劣ってしまう。だけど、強敵との力の差を、あの特殊な力で補っているんだ。


 そう。トリス君の力のみなもとは、あの黒い腕で間違いない。

 トリス君が言ったように、あの腕を創り出したのはアステルさんだ。

 そして、アステルさんの能力といえば、物質創造だよね。


 アステルさんは、トリス君の黒い腕を創り出す際に、自らの能力を付与させたんだ。

 黒い腕は、トリス君の日常を支えるだけでなく、戦いにおいては最も重要な武器になる。


 それにしても、その腕を吹き飛ばされても平気で笑えるトリス君の精神力は大したものだね。

 しかも、片腕が吹き飛んだ際も、残った片方の腕の能力で再生すれば良い、という咄嗟とっさの判断も優れていた。


「くそっ。トリスにばっかり、いい顔はさせねえぜ!」


 そこへ、スラットンが飛び出す。

 呪力剣を握り締め、果敢かかんに黒鬼へと肉薄する。

 スラットンを援護するように、トリス君も次から次へと神族の武器を投げる。


 周囲を燃やし尽くす炎の嵐だけでなく、出鱈目な戦い方をするトリス君や巧みな剣術で肉薄するスラットン、それに奇襲をかけるルーヴェントに、生き残った黒鬼衆はじりじりと追いやられ始めた。


 よし、あちらの戦場は、大丈夫だ!


 吹き荒れる嵐に乗って、僕の意識は天上山脈へと広がっていく。


 離れた渓谷では、アレクスさんと鬼将きしょうバルビアが一進一退の苛烈な攻防を繰り広げていた。

 こちらは、僕が不用意に手を出すと、逆に邪魔をすることになっちゃいそう。

 アレクスさんの勝利を信じ、僕はさらに遠くへと意識を広げていく。


 天上山脈は、どこまでも燃え上がっていた。

 そして、僕の竜気を受けて、嵐へと変貌していく。

 今や、天上山脈は炎の渦巻きに呑み込まれ、魔族たちにとっての地獄と化していた。


『憎しや、人族ごときに』


 クシャリラが苛立ちを露わに、僕へ襲いかかる。

 だけど、僕はクシャリラの動きの全てを捉えていた。


 クシャリラの存在も、放たれた凶刃も。


『あっちだよ』

『こっちからだよ』


 集った精霊さんたちが、教えてくれる。

 見えない魔法を僕が認識できるように、精霊の世界から干渉してくれる。

 クシャリラの放った魔法の軌跡きせき沿って、精霊の世界が色を変える。それだけじゃない。

 どうやら、精霊さんたちにはクシャリラの魔法がはっきりと見えているみたい。それで、放たれた魔法を追いかけるように、精霊さんたちが飛び回る。

 僕は精霊さんたちの動きを追うことによって、クシャリラの動きを完全に把握することができた。


 そして、クシャリラの動きさえ捉えてしまえば、あとはいつも通り、冷静に竜剣舞を舞うだけだ。


 霊樹の木刀で魔法を絡めとり、優雅に受け流す。

 お返しに、霊樹の精霊剣を放つ。


 幾つもの空間が重なり合った世界を貫いて存在する霊樹の木刀が、クシャリラの本体が存在する世界との縁を結ぶ。

 そして、僕たちの存在する世界を貫き、クシャリラの存在する世界へ干渉する霊樹の精霊剣。


 初めて、クシャリラが防御の動きを見せた。

 魔法なのか、武器なのか、それはわからない。

 ただし、何かの力で、霊樹の精霊剣を弾くクシャリラ。


 やはり、クシャリラといえども、霊樹の精霊剣を前にすれば、脅威を感じるようだ。

 普通であれば、攻撃に対して防御をとるのは当たり前だけど。クシャリラに限っていえば、防御をさせたということが、なによりも意味を持つ。


 僕はさらに意識を深く落としていきながら、竜剣舞を舞う。

 華麗に、優雅に、そして苛烈に。


 苛立ちが高まっているのか、クシャリラが放つ殺気と瘴気が膨れ上がっていく。

 だけど、瘴気は炎のかてとなり、嵐を勢いづかせるだけだ。

 そして殺気も、嵐の渦に乗って流される。


 しかも、それだけじゃない。


『怒ったぞー』

『もっと怒れ』

『きゃっきゃっ』


 竜剣舞にき寄せられた精霊たちが、陽気に踊る。

 天上山脈に集った精霊たちにとっては、魔族の殺気だろうと荒れ狂う炎の嵐だろうと、賑やかな舞台演出にしか過ぎない。

 そして、火に油を注ぐのが、陽気な精霊たちのやることだ。


『右手に花を咲かせましょう』

『左手に雨を降らせましょう』

『炎だけじゃ寂しいわ』

『嵐だけじゃ、不公平だわ』


 光の精霊さんと闇の精霊さんが手を取り合って踊る。

 水の精霊さんが跳ね回る。

 土の精霊さんが足踏みをし、風の精霊さんが旋律せんりつかなでる。


「くううっ。精霊さんたちに引っ張られる……!」

『こっちへおいで』

『こちらへどうぞ』

『そちらへ行こうかしら?』

『世界が重なったら、きっともっと楽しいわ』

「だめだめっ。それは禁止!」


 世界に深く心を沈めていくと、僕の意識を通して、何重にも折り重なった世界が交わろうとする。

 でも、それは禁術に触れる行為だ。

 超えてはいけない境界線で、僕は踏みとどまる。


 それでも、東の魔術師の大魔術と、僕の大規模な嵐の竜術、そして竜剣舞によって、精霊たちが奇跡を起こす。


 ずずんっ、と足もとが激しく揺れた。

 霊樹の精霊剣を横薙ぎに振りながら、上半身をひねる。ぐるりと流れる視線で、周囲を確認した僕は、驚いた。


 天上山脈が、色とりどりに噴火ふんかしていた。

 ある山は、雪を天高く噴き上げて。

 ある峰は、万色の花びらを撒き散らせて。

 ある山嶺は黄金色の光を爆発させ、ある谷は闇色の火花を放つ。

 水が爆発し、土砂が舞い、炎が乱舞する。


 まさに、天変地異だ!


 この世の終わりか、始まりか。

 天上山脈に充満する呪力と竜気と魔力、そして霊樹の力によって、集い、賑やかに騒ぐ精霊たちが見たことも聞いたこともないような噴火を演出する。


 遠くで、炎の嵐から逃げ回っていた魔族たちが絶望していた。

 世界の大異変に悲鳴をあげ、恐怖に震える。

 そして、気を抜いた者から炎の嵐に呑み込まれ、焼かれていく。


 黒鬼衆だけでなく、妖精魔王クシャリラも、この天変地異に愕然がくぜんとして動きを止める。


『おのれ……。恐ろしげな天変地異を引き起こす程とは。だが!』


 精霊たちの世界を視認できない者にとっては、この天変地異は世界の怒りに見えたかもしれない。

 それだけの驚天動地きょうてんどうちが天上山脈を支配していた。

 だけど、それでも屈しないのが魔王であり、クシャリラだった。


 世界を拒絶するかのように、存在を震わせるクシャリラ。

 見えるようで視えない存在が、激しく揺れる気配を感じる。

 それと同時に、爆発的に魔力が膨れ上がっていく。


「くっ。まさか、まだこれだけの魔力を持っているなんて……!」

『…………!!』


 叫びなのか、魂の咆哮なのか。

 声ではない、音ではない、でも確かな振動が激しい衝撃波となり、僕たちを心の底から震わせた。


 僕は、激しい目眩めまいに襲われ、がくりとひざを突く。

 ま、まさか、今の振動だけで、竜剣舞が止められた?


 ううん、それだけではなかった。


 かすむ視界で周囲を確認する。

 すると、天変地異のごとく噴火していた天上山脈が、元の姿を取り戻していた。

 燃え盛っていた魔術の炎が消え去り、渦を巻いていた嵐も消失していた。


『憎しや。人族ごときが』


 これまでとは違い、不愉快に心を掻き乱すクシャリラの意思が流れ込んでくる。

 クシャリラに睨まれ、殺気を露骨にぶつけられる。それだけで、僕は意識が飛びそうになる。


『人族ごときが、妾の野望を阻止するかえ? ありえぬ。不愉快な抵抗ではあるが、妾を止めることはできぬ。それに……』


 ころころ、と僕へ向けた殺気とは裏腹に、愉快そうに笑うクシャリラは、断崖の上へと意識を向ける。

 僕も、朦朧もうろうとする意識でクシャリラの意識を追う。

 そして、息を呑む。


 東の魔術師が、力なく倒れていた。


『其方らの頼みの綱であった、東の魔術師の魂は燃え尽きた。もう、其方らに抵抗するすべは残されてはおるまいや?』


 リステアがふらつきながら、必死に東の魔術師へ声をかけていた。だけど、東の魔術師は反応しない。


『炎は消えた。其方の嵐も消失した。精霊どもは驚いて逃げ去った。もう、其方らに勝ち目はない。損害は出たが、妾の勝ちよ』


 ころころ、と笑うクシャリラ。


 クシャリラの言葉通り、東の魔術師が倒れてしまえば、もう大魔術の炎は燃え上がらない。

 精霊たちにとっても恐ろしい衝撃波だったのか、惹き寄せられていた精霊たちは散り散りに逃げてしまった。


 そして、竜剣舞も止められてしまった。

 まさか、あの振動だけでこうも易々と竜剣舞を阻害するなんて。

 恐らく、改めて舞ったとしても、クシャリラに妨害されるに違いない。そして、竜剣舞が舞えないのであれば、精霊たちは再集結してくれない。


 攻勢から一転して、劣勢に立たされてしまった。

 クシャリラは勝利を確信したように笑いながら、僕を見下ろす。


『どうや、命乞いのちごいをせよ。さすれば、気まぐれで家臣へ取り立ててやっても良い』

「ははは、僕に命乞いをしろと? それに、僕を家臣にするだって?」


 この戦いで失った魔族の軍勢や、幹部の穴埋めにするつもりかな?

 僕の竜剣舞は大規模な威力で、軍隊並みの破壊力があるからね。

 それに、懐刀ふところがたな的な存在の黒鬼衆を、三人も失ったわけだし。


 僕の返答を待つクシャリラ。

 僕は、膝を突いたまま、天空を見上げた。


「……僕はさ。最初に言ったはずだよ。この戦いは、僕たちの勝ちだってね」

およんで、まだそのような戯言ざれごとを』

「ううん、戯言じゃないよ。ところでさ。真昼に輝く星を見たことはある?」

『何を?』


 命乞いをするどころか、空から視線を動かさない僕を不審ふしんに思ったクシャリラが、頭上に意識を向けた。


 太陽は、まだ中天ちゅうてんに達していない。

 そして、太陽の輝きを奪うように、空には満天の星々が輝いていた。


「妖精魔王クシャリラ。僕たちの勝ちだ!」

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