魔術

 それまでの銀世界が、一瞬にして煉獄色れんごくいろに染まる。

 雪も、大気も、空も。天上山脈の全てが燃え上がっていた。


 僕は竜剣舞を止めて、炎が支配する世界に立つ。

 竜気の嵐が止むと、横殴りに吹き荒れていた炎は真上へと火勢かせいの手を伸ばす。

 ちりちりと舞い上がる火の粉は雲を焼き払い、天空へと昇っていく。


妖精魔王ようせいまおうクシャリラ。この戦いは、僕たちの勝ちだ!」


 空を見上げて、僕は勝利宣言を口にした。

 だけど、クシャリラは炎に包まれながらも愉快ゆかいそうに、僕の言葉を否定する。


『何を戯言ざれごとを。炎程度でわらわが焼き死ぬとでも? それよりも、其方は自身のことを心配した方が良いのでは? このままでは、焼き死ぬのは其方であろう』


 うん、知っているよ。

 どれだけ高温だろうと、どんなに燃え盛ろうと、クシャリラを焼くことなんてできない。

 だけど、クシャリラの言葉には間違いが含まれている。

 乱れた呼吸を整えながら、今度は僕がクシャリラの言葉を否定した。


「いいや、僕は焼かれない。知らないの? 呪術の炎は、燃やしたいと思うものを燃やし、護りたいと思うものを護るんだ」


 振り返らなくてもわかる。

 意識しなくても、感じられる。


 天上山脈を燃やすこの呪術の炎は、ひがし魔術師まじゅつしによるものだ。


「もう一度、言うよ。この戦いは、僕たちの勝ちだ!」


 これまで、ころころと喉を鳴らすように笑っていたクシャリラの気配が変化する。

 僕の強気な言葉に苛立いらだちを覚えたのか、これまで以上に殺気を膨らませていく。

 クシャリラの殺気に呼応して、瘴気しょうきが沸き起こる。

 だけど、瘴気もまた、呪術の炎に焼かれて天へと昇っていく。


『妾が、其方に負けると?』

「違う。貴女が負けるんじゃない。魔族が負けるんだよ」


 クシャリラだって、気づいているはずだ。

 この炎は、天上山脈の全てを燃え上がらせている。

 そう、この場にいない、魔族たちも。


「たとえ貴女が奮戦しようとも、率いる臣下や軍隊がいなきゃこれ以上のことはできない。僕との勝負には勝つかもしれないけど、大局の戦いでは負けなんだ」


 まあ、僕だってそう易々やすやすと負けてあげたりはしないけどね、と左手の霊樹の木刀を握りしめた。


 クシャリラは僕の言葉を受けて、改めて戦場に意識を向ける。

 燃え上がる炎は視界の全てを紅蓮色に染め上げ、天上山脈を灼熱地獄へと変えていた。


 遠くでは、まだ戦いが繰り広げられていた。


 影を跳躍して現れた黒装束の魔族たちは、呪術の炎に焼かれて悲鳴をあげていた。

 阿鼻叫喚あびきょうかんの世界とは、まさにこのことだ。

 きっと、天上山脈の別の場所では、十万以上の魔族たちがこの炎に焼かれて逃げ惑っているに違いない。


 だけど、苛烈かれつを極める炎にも負けず、存在し続ける上位の魔族も確かにいる。

 黒鬼衆こっきしゅうと名乗った黒鬼たちは、燃え上がる炎をもろともせずにスラットンたちと激しく戦っていた。


 でも、さすがに動きが悪くなった。

 炎を拒絶するために、膨大な魔力を無駄に消費させられている。

 意識をスラットンたちだけに向けられず、連携が乱れて、手数が減少していた。


 逆に、炎に守護されたスラットンたちには、余裕が表れ始めていた。

 黒い大杖おおつえを持った魔族が、魔法を放つ。だけど、目標としたドゥラネルに到達することなく、魔法は炎に巻かれて消失してしまう。


 大戦斧だいせんぷを振りかざした鬼が、間合いを詰める。そこへ、空まで燃え上がった炎に身を隠しながらルーヴェントが迫り、不意を突く。

 轟々ごうごうと地響きのようにうなる炎で、ルーヴェントの神言しんごんが聞き取れない。

 くやしそうに顔を歪ませ、大戦斧を持つ鬼は防戦に回る。


 トリス君の罠にかかり、呪われた魔剣使いへとちた黒鬼は、全身を燃やしながら仲間へ斬りかかっていた。

 ただでさえ面倒な相手が、より一層迷惑な存在になった。

 極悪非道、弱肉強食の魔族のなかにも、仲間意識があったのかな?

 暴れる魔剣使いに、他の黒鬼たちは手をこまねいていた。


『憎らしや。また人族ごときに邪魔をされるとは』


 ふふんっ。

 そうやって、人族ごときと見下しているうちは、いつまでたっても足もとをすくわれ続けるよ。


 クシャリラは、黒鬼衆から断崖の上へと意識を移す。

 そこには、リステアに支えられた東の魔術師の姿があった。


 弱々しく、今にも消えてしまいそうな存在感しかない。

 きっと、リステアに支えてもらわなければ、立つことさえもままならないはずだ。

 その、瀕死ひんしの東の魔術師が、魔族たちを追い詰める。

 恐るべき呪術によって、天上山脈に侵入した十万以上の魔族たちを焼き払おうとしていた。


『出番の終えた脇役が、よもや再び舞台に顔を出すのかえ? 死に損ないの悪あがきなど、舞台に相応ふさわしくない』


 伝心術でんしんじゅつでも使ったのだろうか。

 黒鬼衆のひとりが、戦場を離れる。そして、断崖に伸びた細い岩道を駆け上がっていく。


「東の魔術師を狙うつもりだ!」


 僕の声は、東の魔術師やリステアに届いただろうか。

 炎に乗って、二人に届いてほしい。

 それでなくとも、ニーミア伝いに危機が伝われば……


 僕の想いが伝わったのか、洞穴の前で動きがあった。


 リステアが、折れて宝玉も取り外された聖剣を構える。

 まさか、その聖剣で迎え撃つ気なの!?


 助勢しようと、竜気を練り上げる。

 だけど、僕の手助けは必要なかった。


 天上山脈を燃やす紅蓮の炎よりもあかく、聖剣が輝いた。

 真夏の太陽よりも熱く輝く聖剣に、傍の東の魔術師から力が注ぎ込まれていく。

 遠く離れて見つめる僕の肌にも、その熱量は届く。


 クシャリラも、僕に攻撃を繰り出すことを忘れて、断崖の上へと意識を向けていた。

 それだけ、超常的な力が発動していた。


 太陽の輝きを放つ聖剣が、徐々に輪郭りんかくを取り戻し始める。


 片手で振るうには少し大振りな肉厚な刃は、勇者の力に耐えるだけの強靭きょうじんさと、鉄をも斬り裂く鋭利さを兼ね備える。


 太陽の輝きの奥で、聖剣の刃が復活していく。

 どこから折れていたかなど、もう見てもわからない。

 刃の半ばで折れていたはずなのに、僕の瞳ははっきりと、剣先まで聖剣を映し出していた。


 ああ、そうか。と今更だけど、東の魔術師の名前の由来を理解する。


 あれはもう、呪術じゅじゅつなんかじゃない。

 呪術の領域を超え、世界のことわりに到達した新たな術なんだ。


 世界に干渉する呪術。

 思い描いた想像を再現する竜術。

 自然現象を破壊へと変える魔法。

 言葉を現実にさせる神術。


 東の魔術師の術は、そうした術を凌駕りょうがする領域に達している。


 炎を思い描きながら、うたうように口ずさんだ呪文によって、雪さえ燃やす破滅を、現実へと再現させる。


 これはもう、呪術などではない。

 呪術とは、もはや言えない。

 そして、女神様の力の欠片かけらである法術が「聖」であるのなら、女神様の創った世界を書き換える彼女の術は「魔」だ。


 すなわち、魔術まじゅつ


 魔術とは、種族ごとに異なる固有の術の枠を超えた、新たなる術。

 ううん、少し違う。

 種族特有の術を全て内包した、高次元の術だ。


 でも、これって禁術の領域に踏み入っているんじゃないの!?


 なにせ、魔術の恐ろしさはこんなものじゃない。

 ああして、聖剣を復活させたように、望むものを魔術によって具現化ぐげんかさせる。


 僕たちを運んできた大鷲おおわしのように。

 逃亡しないようにと作り出した鉄牢てつろうのように。


 聖剣は今、復活をげた。


 リステアは、復活した聖剣を躊躇ためらいなく振り抜く。

 ごうっ、と炎が乱舞した。


 細い岩道を駆け上がっていた魔族が、驚愕きょうがくに目を見開く。

 まだ、間合いには程遠いというのに。

 復活したとはいえ、聖剣の剣先が届くはずはないのに。


 黒鬼は、驚愕の表情のまま、太陽の炎に焼かれて消滅してしまった。


 魔族を一刀にしたリステアは、改めて右手に収まる聖剣を見つめる。

 聖剣の刃は、途中で欠けることなく剣先まで存在していた。


「良かったね、リステア」


 僕は微笑ほほえむ。

 そして、心配事がひとつ解決した僕は、改めて自分の舞台へ意識を戻した。


「さあ、この舞台を終幕に導こうか。もちろん、僕たちの勝利という幕引きでね」


 僕の言葉に、クシャリラも意識をこちらへ移す。

 クシャリラにとって、聖剣の復活は予想外だったはずだ。ううん、それだけじゃない。配下の上級魔族が、ああも簡単に倒されるとは思っていなかったはず。

 魔術の十全じゅうぜんな助力を得た今のリステアは、上級魔族とだって戦える。

 断崖の上で、勇者は太陽のようにまぶしく輝いていた。


 だけど、クシャリラにとって、聖剣の復活は興味のないこと。

 ただし、天上山脈を燃やす東の魔術師を排除できなければ、このままでは本当に、魔族軍は魔術の前に敗北してしまう。


 ようやく戦況の悪さを実感したクシャリラは、魔力を解放させた。

 魔力の放出だけで、世界を染め上げる炎を蹴散らす。


「くっ。まだこれだけの力を秘めていたなんて!」


 魔法をも超える魔術。それをさらに凌駕しようとするクシャリラの魔力に、心底恐れを抱く。

 だけど、僕だってこのまま押されっぱなしというわけにはいかない!


 ここでクシャリラや魔族が勢力を取り戻せば、これまでの努力や苦労の意味がなくなっちゃうからね。


 それに、僕は対抗手段を見出していた。

 いいえ、ごめんなさい。

 思い出した。


 失念していたわけじゃない。

 だけど、今の自分にはない選択肢だと思い込んでいて、考えが及んでいなかった。


「お待たせ」

『まったまった』

『それじゃあ、いくよ!』


 僕の呟きに、アレスちゃんが内側でうんうんと頷く。

 霊樹の木刀がつばの葉っぱを元気よく揺らして、掛け声をあげた。


「さあ、本当の竜剣舞を見せてやるよ!」


 左手に握った霊樹の木刀へと、ありったけの竜気を送る。

 同時に、右手へと深く意識を落としていく。


 既に、東の魔術師が答えを示してくれていた。

 同じような現象を、実は竜峰の騒乱の際に僕は見ていた。

 特別なことではあるけど、けっして特例の事象ではないのだと、竜の森の奥で知ったはずだった。

 そして、僕は無意識にではあるけど、過去に何度か再現したことがある。


 握りしめた右手。

 閉じられた掌を押し開くように「それ」は存在感をあらわしていく。


 白剣と同じ質量で、ずっしりと右手に荷重がかかる。


『よもや、人族が精霊剣せいれいけんを呼び起こすのかえ?』


 クシャリラが驚くのも無理はない。


 僕の右手には、緑色に眩しく輝く、霊樹の精霊剣が握られていた。


 白剣は、ない。

 魂霊の座は、抜けない。

 だけど、僕にはもうひと振りだけ、剣があった。


 霊樹の力を借りて具現化させた、精霊剣。

 精霊王が手にしていた、精霊の力を解き放つ宝剣だ。


「みんな、お待たせ! さあ、踊ろうか!」


 僕は竜剣舞を舞う。


 これまでだって、無為に竜剣舞を舞っていたわけじゃない。


 ここは、天上山脈。

 真冬前だというのに、北西から吹き付ける寒波に乗って雪が運ばれ、銀世界に染まった極寒の地。

 そのせいか、精霊があまり住んでいなかった。


 精霊も、寒さを感じるのかな?

 それとも、雪や氷の精霊たちの影響力が強すぎて、他の精霊たちが近づけない?


 それなら、呼び寄せるまでです!


 まずは、先住民である雪と氷の精霊さんたちへ竜剣舞を奉納ほうのうし、他の属性の精霊さんたちを呼び寄せる許可を得る。

 許しをもらったら、楽しく舞って精霊さんたちを引き寄せれば良い。


 盛大に竜剣舞を披露し、遠くの精霊さんたちに気づいてもらう。

 僕たちがどんなに必死に戦っていようとも、精霊たちの目には楽しく映る。

 僕の竜剣舞に誘われて集まってきた精霊たちによって、今や精霊の世界は大賑わいになっていた。


 特に、炎の精霊さんたちが。


 東の魔術師の炎にあおられ、炎の精霊さんたちが元気よく走り回っている。

 先住の雪や氷の精霊さんたちも、燃やせ冷やせとはやす。


 でも、ちょっぴり不満顔。

 せっかく集まったというのに、主催者の僕の動きがかんばしくなかったから。

 霊樹の木刀だけで舞う竜剣舞は、中途半端だったからね。


 でも、これからは違う。

 右手に精霊剣を握った僕は、万全の動きで竜剣舞を舞う。

 霊樹の精霊剣は、精霊たちを活気付かせる。


『憎らしや、人族の小僧!』


 クシャリラは殺気をはらんで、僕に襲いかかった。

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