雪舞台

 一瞬でも気を抜くと、間違いなく死んでしまう。

 クシャリラの動きを見極め、全方位から迫る死の刃を寸分すんぶんたがわず受け流さなければいけない。

 でも、それは竜剣舞を舞う最初の大前提であり、最低限の条件でしかない。


 僕に課せられた役目は、クシャリラの注意、というか興味きょうみを、僕自身に集中させ続けること。

 もしもクシャリラが他の戦場に意識を向けてしまうと、途端に戦線は崩壊してしまう。

 それくらい、クシャリラという魔王は圧倒的な力を持っていた。


 白剣を握っていない右手が心許こころもとない。

 それで、左手の霊樹の木刀に余計な力が入ってしまう。

 りきんだ斬撃が、クシャリラの見えない刃を綺麗に受け流しきれずに、はじかれた。

 体勢が崩れる。

 クシャリラはころころと笑いながら、僕の隙を突く。


 でも、それは僕のまどわし。

 右足をじくにくるりと身をひるがえしながら、双子王女様のように竜槍りゅうそうを周囲に生み出す。そして、全方位から迫るクシャリラの攻撃を吹き飛ばす。


 さらに、竜槍を無差別に放つ。

 クシャリラは、竜槍をかわそうともしない。

 竜術を放つ前からわかってはいたことだけど、竜槍の直撃を受けてもクシャリラは平然と存在していた。


 だけどね。

 僕の狙いは他にあるのさ!


 苦戦が続くスラットンたち。

 見るからに強そうな上級魔族の黒い鬼が十人も現れて、防戦一方に追いやられている。

 僕は悪手を挽回ばんかいしようと、思わず無計画で無差別な竜術で対応してしまった。という風をよそおい、スラットンたちの戦場へと竜槍を飛ばした。

 別の戦場から放たれた攻撃に、鬼たちの動きが乱れる。

 これで少しは、スラットンたちに余裕が生まれると良いんだけど。


 あまり露骨ろこつに干渉しすぎると、クシャリラにさとられてしまう。

 それに、他所よそに気を回すだけの余裕なんて、本当であれば僕にもない。


 意識を研ぎ澄ませる。

 視えないクシャリラの存在を見定めるためには、全力を出すしかない。


 竜剣舞が嵐を呼び寄せる。

 竜気の渦は降り積もった雪を舞い上げ、地吹雪を巻き起こす。

 僕とクシャリラの戦場を覆うように、嵐は激しさを増していく。

 横殴りに舞う雪は、僕の竜気をはらんで鋭利な刃と化し、触れるもの全てを微塵に切り刻む。

 だけど、嵐の中心でクシャリラは平然と存在し続けた。


 これが、魔王。

 妖精魔王と呼称される、絶対の君臨者。

 あの巨人の魔王の雷撃さえ受けきった、恐るべき存在。


 僕の瞳は、この世界を越えて精霊の世界を捉えていた。

 色鮮やかな、不思議な世界。精霊たちが暮らす、幻想郷。

 僕の竜剣舞に合わせて、雪や氷の精霊たちが元気よく舞っている様子が視える。

 だけど、他の精霊たちが極めて少ない。

 竜の森や竜王の森の半分以下しか、この天上山脈には精霊が住んでいないみたいだ。

 雪山ということもあり、炎の精霊は特に見かけなかった。


 そして、精霊たちの世界で、僕の瞳は異様な存在を捉えていた。


 男なのか、女なのか。

 人なのか、獣なのか。

 形容しがたい存在が、現実の世界を貫いて、精霊の世界を侵食するようにただよっていた。


 ううん、違う。

 何重にも折り重なった世界。そのどこかから、精霊の世界や現実の世界を侵食して存在している、と表現する方が正しい。


 僕が人だと思えば、それは人の形をとる。

 男だと思えば、男に見えてくる。

 老人だと意識すれば、老人になる。

 本当の姿は、きっと別物なんだと思う。だけど、幾つもの世界を侵食することにより、自らの存在を隠し、本来の形状を悟らせない。


 なぜ、見えないのか。

 なぜ、気配を感知できないのか。

 それもそのはず。

 謎の生命体、つまり妖精魔王クシャリラは、僕たちの世界とは違う場所に本体が存在しているからなんだ。

 クシャリラがこの世界への侵食を止めれば、見ることも感じることもできなくなってしまう。

 普段、普通の人たちが精霊の存在を認識できないように、クシャリラの存在を捉えることはできなくなってしまう。


 現実の世界でどれだけ攻撃しようとも、別の世界に存在する本体には影響を及ぼさない。

 攻撃を通そうと思ったら、それこそ折り重なった世界を貫通させるだけの破壊力が必要になる。


 道理で、物理攻撃が一切通用しないはずだ、と今更ながらにクシャリラの特性に納得してしまう。

 だけど、感心している場合ではない。

 どうにかしてクシャリラに攻撃を与えないと、いつまで経っても勝てない。


 いや、勝つ必要は、本当はない。

 時間さえ稼げれば……


 ころころと喉を鳴らすように笑うクシャリラ。

 僕の必死の抵抗も、クシャリラにとっては愉快ゆかい遊戯ゆうぎにしか見えないのかも。


『いつまで抵抗するつもりや? 其方らの敗北は決まっている。いさぎよあきらめよ』


 その気になれば、僕なんて簡単に殺せる。ただ、僕が抵抗を見せるから、余興よきょうに付き合っているだけ。そんな気配がひしひしと伝わってくる。

 でも、だからといって、抵抗を止めるわけにはいかない。


 僕には、護りたいものがあるんだ。

 誓った約束があるんだ。

 それに、待ってくれている人たちがいる。

 だから、諦めるわけにはいかない。

 絶対に、負けるわけにはいかない!


「貴女の方こそ、そんなに余裕をかましていても良いの?」


 クシャリラは、見たい存在に見える。

 それなら、美女の方が良いよね!

 むさ苦しい男と竜剣舞を共演するよりかは、美女と踊った方がやる気も湧いてくるし!


「この戦いは、僕たちの勝ちだ。貴女がどれだけ強かろうと、大軍を差し向けようと、魔族は天上山脈を越えることはできない!」

稚拙ちせつ戯言ざれごとを。東の魔術師は死を間際にし、其方らの抵抗も意味をなしておらぬ。それで、どうやって勝つや?』


 言葉を交わしている最中にも、クシャリラの攻撃は止むことがない。

 僕だって、竜剣舞を舞い続けていた。


執念しゅうねんだけでは勝てぬ。希望だけでは望みはかなわぬ』

「はははっ、それは自分自身のことを言っているのかな?」


 魔族の支配者の手を離れ、自らの国をおこそうと陰謀いんぼうくわだてたクシャリラ。

 だけど、クシャリラの野望は僕たちによってはばまれた。

 クシャリラがどれだけの願望がんぼうを持っているのか。それは、国替くにがえをさせられた今でも他種族への侵略を諦めていないところからも、察することができる。


 でも、やはりその望みは叶わない。

 クシャリラや魔族の大軍勢は、けっして天上山脈を越えることはできない!

 僕は希望的観測ではなく、確信を持ってクシャリラに言い返した。


『愉快、愉快。妾の野望を知り、実力を知りながら豪語するや? ならば、見せてみよ。其方の力を。抜いてみせよ、魂霊こんれいを』

「……やっぱり、知っていたんだね」


 予想はしていた。

 クシャリラの支配する国に入ってすぐに、襲撃を受けた。そのときに、ふと疑問が湧いたんだ。

 なぜ、他所の魔族が僕たちの動きを正確に捉えていたんだろう?

 最初は、広く索敵していて、その網に僕たちがかかってしまっただけ、と思っていたけど。よく考えると、そもそも僕たちの動きを知っていなきゃ、索敵もされなかったんだよね。


 それに、天上山脈の麓では、鬼将バルビアに出くわした。

 バルビアは、僕やリステアを見てすぐに正体を言い当てた。

 栗色くりいろの髪の人族が竜王。金髪碧眼きんぱつへきがんが勇者。人族を見たら全てそう見えるなんて、そんな話は馬鹿げている。

 つまり、バルビアは事前に、どこかから僕やリステアの情報を得ていたということを意味している。


 だとするのなら。


 僕が魔族の支配者から魂霊の座をたまわったことをクシャリラ側が知っていても、なんの不思議もない。

 ううん、むしろ知っていて当然なんだ。

 だから、クシャリラは言う。魂霊の座を抜いて戦ったらどうだ、と。


 だけど、僕はその挑発だけには絶対に乗らないからね!


 魂霊の座だけは、絶対に抜いてはいけない。

 僕も、クシャリラも。

 クシャリラ自身もそれを理解しているからこそ、東の魔術師の胸を貫いた不意打ちの際も、魂霊の座を使わなかった。

 それに、この戦いにおいても、魂霊の座を抜こうとはしていない。


 魂霊の座を先に抜いた方が、この戦いの敗者になる。


 絶対的な威力を持つ魔剣、魂霊の座。

 触れるもの全ての魂を奪う、恐るべき魔剣。

 認められた者だけが魔族の支配者から下賜かしされる、最高位の武器だ。


 さすがのクシャリラといえども、魂霊の座で斬られれば無事では済まない。

 それをわかっていて、クシャリラは挑発してきた。


 でも、絶対に抜くことはできない。


 なぜなら。


 自分の力ではどうにもならない。絶対に勝てない。だから、魂霊の座に頼る。

 普通であれば、所持する武器に頼ることは何の問題もない。むしろ、どんな武器を持つか、ということを含めて本人の実力なんだ。

 だけど、この戦いにおいては、意味が違ってくる。


 魂霊の座に頼るということは、すなわち、魔族の支配者に助けをう、ということ。


 お互いに、魂霊の座を所有している。

 抜けば、一瞬で勝負は決まる。

 そんな戦いにおいて、先に魂霊の座に頼った者は、自らの力不足を認め、自分から負けを宣言したことと同意になってしまうんだ。


 とはいえ、魂霊の座を抜けば、一発逆転があるかもしれない。

 でも、一瞬で殺される可能性だって出てくる。

 ほんの少し斬られただけで、魂が砕け散ってしまう。


 僕はそんな運試しのような戦いなんて望んではいないし、魔族の支配者に助けを乞おうとも思っていない。

 それよりも、いま僕たちに必要なのは、負けない戦いなんだ。

 負けなければ、必ず勝てる!

 なぜか、そんな確信が僕のなかにはあった。


 だから、どれだけ挑発されようとも、魂霊の座だけは抜かない。

 そして、僕が魂霊の座を先に抜かない以上、クシャリラも魔剣を手にすることはない。


『何を企むや?』

「それは、こっちの台詞せりふだね。天上山脈を越えて、何をするつもりかな?」

『わかりきったこと。人の住まう国を蹂躙じゅうりんし、妾の国を興す』

「自分の国を作りたいなら、魔族の支配領域で禁領にでも手を出しておけばいいんだ!」


 禁領とは、魔王の支配が及ばず、魔族の支配者が直接支配する土地のこと。

 禁領に手を出すということは、つまり魔族の支配者に喧嘩けんかを売るということを意味している。


 魔族の支配者に喧嘩を売る度胸がない。だから、他種族の支配地域を侵略する。

 魔族の支配者に叛旗はんきひるがえすような動きを見せるくせに、本人からは逃げるなんて、魔王の名が聞いてあきれるね!


 僕の挑発に、だけどクシャリラはころころと笑うだけで受け流す。


『妾を前に、よくも景気良く吠える。愉快、愉快。どうや、妙な少年よ。妾の軍門に入らぬか?』

「お断り! 魔王にも推薦すいせんされたことがあるのに、今さら魔王の配下になんてならないよ!」


 まあ、魔王にだってなる気はないんだけどね。


 僕の拒絶に、ならば仕方なし、とあっさり勧誘を諦めるクシャリラ。

 だけど、手に入らないものは壊す。それが魔族であり、魔王だった。


 ぞわり、とこれまで以上にクシャリラの魔力が膨れ上がる。

 あまりの気配に、竜剣舞を舞いながら後退あとじさってしまう。それだけ、クシャリラの放つ魔力は桁違いに強かった。


『余興は終わりや。幕を下ろす頃合いであろう? さあ、其方らの死をもって、天上山脈での愉快な舞台は幕引きとなる』


 其方「ら」とクシャリラは言った。

 つまり、僕だけじゃなく、戦場に立つみんなを含めた言い回し。


 とうとう、クシャリラの意識が僕を越えて戦場の全てに広がってしまった。

 後のない状況に陥ってしまった!

 どうすれば、この状況を打開できる?

 もう少し。もう少しだけ、時間が稼げれば……


 竜剣舞も竜術も、クシャリラには通用しない。

 とはいえ、魂霊の座を抜くことはできない。

 そんな状況で、僕にはあとどれだけ打つ手が残されているんだろう。


 焦燥感を通り越し、絶望が心を侵食し始めた。


『がんばれがんばれ』

『負けないで!』


 僕の弱気を察したアレスちゃんが、内側から応援してくれる。

 闘志を奮い立たせようと、霊樹の木刀が元気付けてくれる。


 ああ、そうだよね。

 僕は、ひとりじゃない。

 アレスちゃんがいてくれる。

 霊樹がいてくれる。

 そして、みんなが支えてくれる。


 そう、僕にはいつだって、多くの仲間や頼れる味方がいるんだ。

 それなら、どんなに苦しい戦いだって、後がない絶体絶命の戦局だって、くつがえせる。


「幕引きは、魔族の敗北によってのみ訪れる!」


 僕は、宣言した。


 そして、僕の宣言に合わせるかのように、天上山脈は燃え上がった。

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