苦悩と希望

 俺の腕のなかで、弱々しく息を漏らす東の魔術師。真っ赤に染まった胸が、そのたびに僅かな動きを見せる。

 先ほどまで苦しそうに血を吐きながら苦悶くもんを漏らしていたが、もう苦痛に抗うだけの力も果てたのか、俺の腕にその軽い体重を預け、ぐったりとしていた。


 俺は、何をしているのだろう?

 みんなが必死になって戦っているというのに、ただこうして東の魔術師が果てる姿を無力に見届けるだけしかできないのだろうか。


 遠隔呪術を行使しようと東の魔術師が取り出した水晶玉は、だが彼女の手を離れて地面に転がっている。

 水晶玉は、術者の意思を未だに反映させているのか、幾つもの風景を切り替えながら映し続けていた。


 スラットンたちが、苦戦していた。

 地竜のドゥラネルを中心に、影から出現してきた魔族たちと激しく交戦している。


 洞穴の外の様子を映し出す水晶は、残念ながら音声までは伝えない。なので、どういう経緯があったのかは判然としないが、どうやら上級魔族がひとり、裏切りを見せたらしい。

 魔剣を振り回し、先ほどまで仲間だったはずの魔族たちを混乱させている。


 だが、戦況はかんばしくない。

 黒装束に統一された魔族たちとは違い、十名近い黒い鬼は全員が手練れであり、ドゥラネルといえども苦戦を強いられていた。

 スラットンやトリス、それにルーヴェントは、戦力の中心であるドゥラネルを上手く補佐して戦っているが、徐々に追い詰められ始めていた。


「くそっ! 俺にも聖剣があれば……」


 上級魔族相手に俺が加わっても、どれだけの力になれるのか。

 だが、こうして水晶玉に映る風景を無力に見つめるしかない現状よりかはましだ。


 エルネアは、適材適所だと言った。

 しかしそれは、戦うすべを持たない無力な俺は、後方で指をくわえて戦いが終わるのを待っていろ、という意味ではない。それくらいは趣旨しゅしを間違うことなく理解している。

 だが、今の俺にはいったい、何ができるというのだろう?


 聖剣は、結局のところ復活させられなかった。

 頼みの綱であった東の魔術師は、俺の腕のなかで瀕死ひんしの状態だ。

 それ以前に、俺たちへの誤解さえ解くことができなかった。

 せっかく、エルネアが問題を解決する糸口を見つけてくれたというのに……


 俺の苦悶を知ってか知らずか、水晶玉は次から次に場所を切り替えて景色を映し出す。


 黒く燃え上がる渓谷の奥では、激戦が繰り広げられていた。


 アレクス殿と鬼将バルビアが、互角の戦いを見せる。

 互いに一歩も引かない剣戟の応酬。剣術においては、アレクス殿が一段上の技量を持っているのか、バルビアを苦しめる。だが、負傷していくのはなぜか、アレクス殿の方だ。

 刃が触れもしないのに、アレクス殿に裂傷が増えていく。


 しかし、バルビアも傷を負う。

 水晶玉越しでもわかるほど、鋭利に放たれたはずの魔剣の軌道が大きく外れる。

 アレクス殿は、軌道が逸れることを事前に知っていたかのように魔剣の存在を無視し、バルビアの懐に飛び込む。そして、神剣を一閃させた。


 苛立ちの表情で、バルビアは神剣を回避する。だが、懐に飛び込まれてからの斬撃を完全に回避することはできない。

 顎から頬にかけて斬られたバルビアは、鮮血を飛ばす。

 たまらず、後方に大きく跳躍して距離を取るバルビア。


 アレクス殿が、何かを口ずさむ。

 間違いなく、神言だろう。


 神術が発動し、逃げるバルビアを攻め立てる。

 しかし、戦場には似つかわしくないみやび羽衣はごろもをはためかせ、ひらりと宙を舞って神術をかわすバルビア。お返しとばかりに、魔法を放つ。


 目まぐるしく変化する攻防に、水晶玉越しに見ているだけの俺の拳に力が入ってしまう。


 水晶は、次の風景を映しだした。


 妖精魔王と呼ばれる、魔王クシャリラ。

 俺たちと同じ人族でありながら、竜人族の称号である竜王を授けられたエルネア。

 戦場において最も苛烈に、そして大規模に戦いを繰り広げているのは、この二者だ。


 物理的に視認することのできないクシャリラだが、空間が揺れている気配でその存在を確認することができる。

 まるで陽炎かげろうのように、ゆらゆらと空間をゆがませるクシャリラ。

 人の姿なのか、それとも獣やそれ以外の生物のような姿なのか、それさえも見ただけでは判別できない。

 しかし、確実にそこに存在している。


 いや、この思い込みの時点で、俺は魔王の力量を計り間違えているのかもしれない。

 奴は、その気になれば眼前に存在していてさえ、その存在を認識させない。

 そして、だからこそ、何百年もの長きにわたって天上山脈とその西に広がる人族の文化圏を守り続けてきた東の魔術師でさえ不意を突かれ、胸を貫かれてしまったのだ。


 そこに存在しているようで、実は存在していない。

 見えているようで、視えていない。

 空間が揺らめいている事象でさえ、クシャリラの思惑であり、罠なのかもしれない。


 俺には、魔王の存在定義さえ見定めることができない。

 そんな恐るべき魔王を相手に、エルネアはよく戦えている。

 だが、決して善戦しているわけではなかった。


 無理もない。

 エルネアは、本来であれば二剣や体術、竜術を駆使して、舞うように美しく戦う。

 だが、エルネアの右手には現在、頼るべき白い剣は握られていなかった。

 エルネアも、俺と同じように苦難の道に立たされている。

 白剣を失い、不思議な力を秘めているとはいえ、木刀のみで剣舞を舞わなければいけない。

 それだけでも苦しい戦いになるというのに、

 相対する魔王の属性が最悪だ。


 事前にエルネアから聞いていた話によれば、妖精魔王クシャリラには物理的な攻撃が効かないのだとか。

 どれだけ鋭利な刃だろうと、どれだけ強烈な体術だろうと、クシャリラには通用しない。

 そうなると、残る手だては術に頼った戦術しかない。


 だが、どうなのだろう、と俺は首を傾げざるをえない。

 なぜならば。

 過去にも、俺は妖精魔王が戦う姿を見たことがある。


 アームアード王国の王都で、妖精魔王と巨人の魔王がぶつかった時のことだ。

 あの、巨人の魔王が放った恐るべき雷撃の嵐は、いま思い出しても魂から震えがくる。

 だがクシャリラは、同じ地位に君臨する巨人の魔王の雷撃の嵐に耐えてみせた。

 それは詰まる所、術に対しても強い耐性を持っている、ということを意味していた。


 巨人の魔王の魔法にも耐えた、妖精魔王クシャリラの耐久力。

 では、竜王であるエルネアの竜術にどれほど対抗できるのか。

 それは、水晶玉を見るまでもなく、俺にもわかっていた。


 クシャリラを中心にして、猛烈な吹雪ふぶきが起こっていた。

 激しく渦を巻き、雪を横殴りに舞わせる。

 雪は鋭利な刃と化し、触れるもの全てを微塵に切り刻む。

 だが、吹雪の中心で、クシャリラは平然と存在していた。

 雪の刃を避けることもなく、防ぐこともなく。

 雪刃せつじんは、エルネアの剣舞に合わせてクシャリラに襲いかかる。だが、揺らぐ空間に呑み込まれると、存在を否定されたかのように消えていく。


 力の消費が激しいのか、エルネアには疲弊ひへいの色が見え始めていた。

 冬だというのに大粒の汗を額から流しながら、全力で剣舞を舞っている。

 しかし、クシャリラにはまったく通用していないように見えた。


 逆に、クシャリラは余裕の気配で動く。

 不可視の攻撃を繰り出す。

 いったい、それが何なのか、俺にはまるでわからない。

 むちのような形状なのか、剣や槍のような形なのか。そもそも、特定の形を持っているのかさえ、わからない。

 そんな攻撃が、エルネアに襲いかかる。

 エルネアは、剣舞を舞いながら攻撃を受け流していく。


 流石だ、と言わざるをえない。

 美しい舞は、あらゆる方角から迫った無数の攻撃を綺麗に受け流す。

 全方位に意識が向いているのか、エルネアに死角は存在しない。

 だが、そんなエルネアでさえ、クシャリラには手も足も出ない。


 このままでは、エルネアは消耗しきってしまい、いずれはクシャリラの前にひざを折ってしまうかもしれない。

 いや、エルネアのことだ。どのような状況に陥ろうとも、最後まで諦めないはずだ。

 だが、俺の思いつく限り、これ以上は打つ手がない。


 たとえ、エルネアが戦い続け、クシャリラの意識を自分だけに向けさせ続けようとも、今のままだと、俺たちには敗北の未来しか待っていない。


 水晶玉が、新たな景色を映しだした。


 洞穴の外で続く激戦。

 だが、天上山脈には次の火種が既に投下されていた。

 南や北の各所から進軍してくる、十万を超える魔族軍。

 黒装束の鬼のように、影を伝って長距離を一気に進んでくるようなことはない。だが、着実に、この場所を目指して前進してきていた。


 どれだけの距離が残されているのかはわからないが。

 だが、確実に、魔族軍は迫ってきている。

 俺たちには、時間が残されてはいない。


 黒装束の魔族たちを相手に、スラットンたちが苦戦しながらも戦っている。

 鬼将バルビアに対し、アレクス殿が互角の戦いを繰り広げている。

 魔王の脅威が仲間に向けられないようにと、エルネアが必死に剣舞を舞っている。

 だが、十万を超える魔族軍が到達してしまえば、全てが水泡すいほうす。


 たとえ、どれほどの力を持っていようとも。

 結局のところ、圧倒的な数の暴力には勝てないのだ。

 数十や数百であれば、それでも何とかできるかもしれない。

 だが、数千、数万規模の波状攻撃など受けようものなら、たとえ最強の戦闘力を持つ竜族であっても、力尽きてしまうだろう。

 だというのに、迫り来る脅威は十万を超えている。


 魔族の大軍勢が到達してしまえば、魔王が自ら手を下さずとも、俺たちは敗北してしまうだろう。


 これほど逼迫ひっぱくした状況に、俺は何をしている?

 何ができる?

 自問自答をしてみても、答えを見出すことができない。


 あせるばかりで、空回りし続ける想い。

 膨れ上がっていく俺の焦燥感しょうそうかんとは逆に、腕のなかの東の魔術師は息を弱めていき、力を失っていく。

 このまま、東の魔術師の最期さいごを見届けることが、俺に与えられた役目だとでもいうのだろうか。


「くそっ。俺に与えられた舞台はどこにある……」


 無力な自分のくやしさに、視線が落ちる。

 すると、小さな命が視界に映った。


「エルネアお兄ちゃんが準備してくれるにゃん。それまで、英気をたくわえておくにゃん」


 それは、俺たちをこの天上山脈まで連れてきてくれた、おさない竜だった。


 ニーミアという名の、古代種の竜族。

 スラットンの相棒であるドゥラネルや、竜峰に生息する竜族たちは、魔族や神族さえもが恐れる存在だ。

 だが、古代種の竜族は、その竜族たちさえをも上回る英知と戦闘力を持っているという。


 その、古代種の竜族である、ニーミア。

 まだ子竜であるというが、その実力はあのエルネアや炎帝えんていと呼ばれる恐ろしい飛竜でさえも足もとに及ばないという。

 圧倒的な、戦闘力。

 間違いなく、この場において俺たちに味方してくれる者のなかで、最強なのはニーミアだ。

 だが、最大戦力であるはずのニーミアは、戦場におもむくことなく、小さな姿で俺の傍に座っていた。

 見れば、ニーミアだけでなく、二本の尾が珍しいきつねの魔獣であるオズも残っていた。


 なぜ、と不思議に思ってしまう。

 魔獣であれば、魔族を相手にしても十分に戦えるはずだ。

 ニーミアが戦いに加われば、戦況はこれほどまで切迫していなかったかもしれない。

 だというのに、なぜエルネアはニーミアとオズを残した?


「エルネアお兄ちゃんは、優しいにゃん」


 俺の心でも読んだのだろうか。

 俺が思い浮かべた疑問に対し、ニーミアが的確な答えを口にした。


「にゃんは、戦いが怖いのにゃん。だから、エルネアお兄ちゃんは絶対に、にゃんに戦えとは言わないにゃん」


 そういえば、と旅を振り返る。

 エルネアは、ニーミアに移動の手助けをお願いすることはあっても、けっして戦うように命じたことはない。

 黒装束の魔族たちに襲撃された際にニーミアは反撃したが、あれは殲滅せんめつを目的としたものではなく、自衛のための攻撃だった。

 エルネアの家族が戦う姿をこれまでにも見てきたが、言われてみると、ニーミアが進んで戦っているような場面は見たことがないかもしれない。

 いつも、戦いが終わると、エルネアの懐や耳長族の少女の腕のなかから姿を現していたような気がする。


「にゃん」


 可愛く返事をするニーミア。


「あいつは、こんな状況でも、お前に優しいのだな」

「そうにゃん。エルネアお兄ちゃんは、すっごく優しいのにゃん。だから、助けたいと思った人には無償で手を差し伸べるし、絶対に助けてくれるのにゃん」


 ニーミアは、俺と東の魔術師を見た。

 エルネアは、俺だけではなく東の魔術師も助けようとしているんだな。


「エルネアお兄ちゃんは、約束は守るにゃん。だから、信じて待つのにゃん」


 ニーミアとオズは、信じているのだ。

 エルネアが必ず、この苦境を打開してくれるのだと。

 だから、安心して後方にひかえ、戦いが終わるのを静かに待っている。


 ならば、俺も信じよう。

 エルネアが言ったように、俺には俺の役目がある。きっと、俺が果たすべき役がこの先に残っているのだろう。


 すると、俺とニーミアの会話を弱々しい息を吐きながら聞いていた東の魔術師が動いた。


「魔、族……。必ズ、倒、ス……。ソ、ウ……スレ、バ、魔女……」


 東の魔術師は、俺の腕を払い除ける。そして、胸を苦しそうに掴む。

 ごふりっ、と血の塊を吐く東の魔術師。

 真っ赤に染まった自分の胸を見下ろし、顔をしかめた。


「おい、よせ。無理をするなっ」


 俺は、慌てて東の魔術師を止める。

 だが、瀕死であるはずの東の魔術師は、思いのほか強い力で俺の制止を振り切った。

 そして、地面に転がった水晶玉を手に取ると、苦しそうにしながらも起き上がった。


「今の貴女には、もう何もできない。大人しくしているんだ。そうすれば、エルネアたちがきっと魔族を退けてくれる」


 俺が、と言えなかったのが心苦しい。

 だが、今は自責の念に駆られている場合ではない。

 東の魔術師は、懐から炎の宝玉を取り出すと、いながら洞穴の外へと向かい出した。

 いったい、何をしようしているのかわからないが、このまま放っておくわけにはいかない。

 俺は東の魔術師のあとを追う。

 その途中で、折れてしまい、更には宝玉を外されて無残に放置された聖剣を見つけ、手に取った。


「何をしようとしているのです!?」


 倒れ込みそうになった東の魔術師の胴に腕を回し、姿勢を保たせる。


オンヲ……返ス。魔族……追イ……払……ウ」


 恩とは何のことか。

 先ほど口にした魔女と繋がりがある?

 いや、だが、東の魔術師は魔女に対して遠隔呪術で攻撃したではないか。

 東の魔術師は、他にも取り留めのない言葉の断片を口にしながら、洞穴の外へ向かい、這う。

 朦朧もうろうとする意識で、思考が纏まっていないのかもしれない。


 どうやら、強い決意に突き動かされる東の魔術師の動きを、俺は止められないようだ。

 仕方なく、東の魔術師を支えるように、俺も外へと出た。


 エルネアの竜術の影響は、洞穴のすぐ側にまで及んでいた。

 吹き荒れる吹雪に飛ばされないように、俺は東の魔術師を支える。

 東の魔術師は、俺の支えを振り払うことなく、呪文を口にし始めた。


「呪術を使うつもりか!?」


 東の魔術師が右手に持つ水晶玉には、天上山脈で繰り広げられる激戦や、魔族軍の侵攻が刻々と映し出されていた。

 左手に握りしめた炎の宝玉が、紅蓮色に輝く。

 めらめらと、宝玉内で炎が踊り狂う。


 東の魔術師は、先ほどまでの苦悶に満ちた片言の言葉や、息も絶え絶えだった弱い呼吸からは想像もつかないほど滑らかに、呪文をうたい始めた。

 東の魔術師の呪文に呼応するように、光の術式が空間に展開されていく。


 すぐ傍で見守る俺は、その圧倒的な呪力に言葉も出ない。

 だが、絶句するのは早かったようだ。


 東の魔術師が放った呪術に、俺は文字通り言葉を失った。


 エルネアの竜術によって荒れ狂っていた吹雪は炎の竜巻と化し、煉獄の地獄を生み出す。

 しかし、それは序の口に過ぎなかった。


 天上山脈の全てが、燃え上がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る