竜の森の精霊たち

 普通に考えれば、簡単に思いいたれる事実だった。


 霊樹を道標に、女の子が来訪する。

 すると、妖魔の王や下々の妖魔や魔物たちが女の子を狙って出現する可能性が高い。しかも、出現範囲は限定的とは言えず、下手をすると広範囲に被害が及ぶかもしれない。

 だから、僕はユフィーリアとニーナに頼んでアームアード王国に緊急事態への対応を図ってもらったり、家族総出で協力者を得ようとしているんだよね。


 でも、妖魔や魔物が各地で活発化する可能性がある、ということは……

 つまり、竜の森にも不測の事態が起きかねない、ということを意味していた。

 そして、スレイグスタ老は現役で、竜の森の守護者を務めている。


 何よりも、己に課せられた使命を重んじる。

 スレイグスタ老が、この状況で竜の森を離れるわけがないよね。


 僕は、なんて自分勝手なんだろうね。

 スレイグスタ老の立場を軽んじて、自分たちの騒動に気安く巻き込もうとしていただなんて。


「そうなげくでない。汝はよくやっておる。ただ、我が融通ゆうずうの利かぬ性分しょうぶんなだけである」


 苔の上に力なく座り込む僕に、スレイグスタ老が大きな顔を近づける。

 静かな、それでいてとても深いスレイグスタ老の息遣いを間近に感じる。


 どうやら、僕はスレイグスタ老に余計な心配をかけちゃったみたいだね。


「ぶえぇっっっくしょんっっっっっ!!」

「ぎゃーっ!」

「にゃーっ」


 突然のくしゃみと大量の鼻水に、僕とニーミアは苔の広場の端っこまで吹き飛ばされた!


「おじいちゃん!」

「かかかっ。やはり、これがなくては汝との再会にはならぬな」

「いやいや、毎回鼻水まみれになる僕たちのことも考えてくださいよねっ」

「ミストお姉ちゃんがいたら、鉄拳制裁てっけんせいさいだったにゃん」

「ここにらぬ者のことを口に出しても、せんなきことである」


 言い換えると、妖魔の王を迎え撃つ際にいないスレイグスタ老のことをいつまで考えていても仕方がない、ということだね。


「うん、前向きに行こう! おじいちゃん、見守っていてくださいね。僕たちの力で、妖魔の王を撃退してみせますから! 次に苔の広場を訪れたときには、僕たちの武勇伝を聞かせてあげますからね」

「ふむ、それは楽しみであるな。ここで暇を持て余しながら、汝らの帰りを待つとしよう」


 鼻水の泉を抜け出して、僕とニーミアはスレイグスタ老の側まで戻る。

 傷に効く万能の鼻水は、どうやら心まで癒してくれるみたい。

 軽くなった心のせいか、足取りも軽い。


「そうそう、おじいちゃん。カルナー様って知ってます?」

「ほほう。初代の竜神様の御遣みつかいの名であるな?」


 そして僕は、北の地で出会ったカルナー様のお話や、これまでに溜め込んだ冒険の話を、スレイグスタ老に語る。

 スレイグスタ老は、いつになく楽しそうに、僕のお話を聞いてくれた。






 その日は、苔の広場に泊まった。

 冬だというのに、苔の広場は凍えるような寒さにはならない。

 不思議だよね。

 まあ、夜は大きくなったニーミアのふわふわの体毛に包まれて寝たからでもあるんだけどね。


 翌朝。僕とニーミアは、ミストラルのお母さんであるコーネリアさんに揺すられて眼を覚ます。


「おはようございます」

「にゃん」

「ふふふ、気持ち良さそうね?」

「はい、最高ですよ」

「高級竜毛布団にゃん」


 巨大化したニーミアの、ふわふわの体毛に包まれた僕を見て、コーネリアさんが微笑む。

 僕は超高級竜毛布団から抜け出すと、苔の広場の近くを流れる小川で顔を洗う。

 小川の水は、冬の寒さを実感するほどの冷たさだった。


「さあ、今日も忙しいのでしょう? 朝ご飯を作ってきたから、これを食べて頑張りなさい」


 苔の広場に戻ってくると、コーネリアさんが風呂敷いっぱいにご飯を並べてくれていた。


「リリィ、よだれれているよ!」

「美味しそうですよねー」

「んにゃんっ。大おじいちゃんも涎を垂らしているにゃんっ」

「コーネリアさん、危険です!」

「スレイグスタ様?」

「ふぅむ、残念である。唾をつけて独占しようと思っておったのだがな」


 危うく、朝ご飯が涎まみれになるところでした!


 危機を回避した僕とニーミアは、朝から美味しいご飯にありつく。

 こういう時は、小さな身体になれるニーミアが役得やくとくだよね。

 お口いっぱいにお肉を頬張れるのは、小さな身体を持つ者の特権です。


「リリィも頬張りたいですよー」


 と言いつつ、スレイグスタ老の前脚にかぶりつくリリィ。

 だけど、アシェルさんのようにはいかない。

 リリィの牙を跳ね除けたスレイグスタ老は「まだまだ未熟であるな」と笑っていた。


「ところで、コーネリアさん。僕たちが来ていることを知っていたんですか?」

「ふふふ、スレイグスタ様から伝心でんしんが届いたから」

「ああ、そうか。うらやましいなぁ」

「我は、離れておっても汝を感じ取れる。後は、汝が心の修行を積み重ねるだけであるな」

「頑張ります!」

「まずは、一方的に心を読まれないようにする修行からかしら?」

「コーネリアさん、それは言わない約束ですよ!」


 ミストラルも、スレイグスタ老と心を通じ合わせて、遠くからでも意思疎通ができるんだよね。

 コーネリアさんは凄いね。さすがは、先代のお世話役であり、ミストラルのお母さんだ。


 食べきれなかったご飯を、スレイグスタ老とリリィの巨大なお口に放り込む。

 むぐむぐ、と口を閉じてじっくりと味わう二体の巨竜。


 僕たちがご飯を食べている最中、コーネリアさんはスレイグスタ老の手脚の先に生えた漆黒の体毛を毛繕けづくろいしたり、うろこみがいたりと忙しそうに働いていた。

 しかも、スレイグスタ老のお世話が終わったと思ったら、今度はリリィまで!


「リリィも次の守護竜様ですからねー」

「自分で『様』を付けているうちは、まだまだだね」


 満腹にお腹をさすりながら、少しだけ寛ぐ。

 でも、今日も予定がいっぱいです。


「ニーミアは、この後は故郷に戻るんだよね?」

「お母さんを呼んでくるにゃん」

「あれは、昨夏さっかに戻ったばかりであろう。やれやれ、忙しいことだ」


 また、苔の広場がうるさくなる。とため息を吐くスレイグスタ老。

 だけど、全然嫌そうに見えませんからね!


「それじゃあ、僕も気を取り直して元気に活動を始めようかな」


 帰郷ききょうするニーミア。

 スレイグスタ老には大切なお役目があって、リリィは修行中。

 コーネリアさんも、ミストラルの代理でお世話をしに来ているけど、お務めが終われば村に帰る。

 そして僕にも、大切な使命があった。


 そう。苔の広場に来たら、必ず行かなきゃいけない場所がある。

 そうしないと、アームアード王国の王都が森に沈んじゃう!


「おじいちゃん、僕は霊樹のところに行ってきますね」

「行ってくるがよい。首を長くして、汝の帰りを待つとしよう」


 言ってるそばから、霊樹の枝の傘を目掛けて首をうんと伸ばし、背伸びをするスレイグスタ老。

 リリィは、最後にコーネリアさんからお腹を撫でてもらい、気持ち良さそうにしていた。


「それじゃあ、ニーミア。アシェルさんをお願いするね?」

「お任せにゃん」


 食事が終わると、また巨大化するニーミア。

 大きくなったり小さくなったり、変幻自在へんげんじざいだね。


 そういえば、雪竜ゆきりゅうであるニーミアとアシェルさん以外の竜が身体の大きさを変化させる姿を見たことがないけど、固有の能力なのかな?


「お母さんとにゃんだけが使える術にゃん」

「実は、ニーミアは天才だった!?」

「汝の空間跳躍を他の竜人族が真似できぬように、その者だけが持つ特殊な竜術であるな」

「おじいちゃんが白い身体に変色したり、万能の鼻水を出せるのと同じですね?」

「左様である」


 ちなみに、リリィが持つ特殊な能力は、厚く硬い鱗越しにお腹を撫でられても気持ち良く感じる、という身も蓋もないものでした!


 朝からいっぱい笑った僕たちは、いよいよ動き出す。


 ニーミアは、僕たちに見送られながら苔の広場を後にした。

 僕も、スレイグスタ老とリリィ、それにコーネリアさんへ挨拶をすると、霊樹の巨木のもとへと向かう。


 目的は、霊樹の根元にいる霊樹の精霊王さまに会うため。

 それと、協力を得られないか、交渉するためだ。


 まあ、十中八九、断られるだろうね。

 スレイグスタ老が守護のお役目から離れられないように、霊樹の精霊王さまも霊樹の側を離れられないと思う。

 それでも、わずかな希望があるのなら、かけてみる努力はすべきだよね!






「良い心掛けだ。よろしい、協力しよう」

「な、なな、なんだってーっ!」


 そして。


 巨大な霊樹の根元に辿り着いた僕は、予想外の返答にって驚く。

 ただし、協力を取り付けられたのは、霊樹の精霊王さまではなかった。


「其方がはなから諦めてしまい、願いを口に出すことを放棄していたのなら、聞く耳はなかった」

「しかし、汝は素直に我らの協力を求めた」

ぬしとは、あさからぬえんだ。求められれば、手を指し伸ばそう」

「なぁに、礼などは後からでも良い。なんなら、謝礼の先払いで、これよりわらわの支配する炎の中で永遠に過ごすかえ?」

「きゃーっ。それって本末転倒ですからーっ!」


 霊樹の根元には、なぜか他の精霊王さまたちが揃っていた。

 そして、僕が事情を説明して協力を要請したら、あっさりと受け入れてくれちゃいました。

 まあ、危うく炎の精霊王さまに誘拐されそうになったけどね!


「でも、本当に良いんですか? 竜の森を護らないといけないのでは?」


 竜の森に住む精霊たちの取り纏め役が、各属性の精霊王さまだ。

 その精霊王さまが、僕のお願いを聞いて竜の森を離れても良いのかな?


 僕の質問に笑い返したのは、土の精霊王さまだった。


「子らは、喜んで其方の協力に参列するであろう。ならば、父であり母である我らが同伴どうはんせねば、示しが付かぬであろう?」

「なるほど! でも、そうなるとやっぱり、竜の森は大丈夫なんでしょうか?」


 僕がここで話したことは、既に竜の森中の精霊たちに伝わっているんだろうね。

 精霊さんたちは、こぞって参加してくれるみたい。そして、精霊王さまたちも協力的だ。

 とはいえ、本当に大丈夫なのかな?


 困惑する僕に、霊樹の精霊王さまが微笑ほほえむ。


「守護竜様もられる。それに、全ての精霊たちが出向くというわけでもないのだから、問題はない。もしもこちらに危機が迫ったとしても、子らはすぐに戻ることができる。それは、其方も知っていよう?」


 精霊たちが世界を自由に駆け回る時。

 しばしば、飛竜も真っ青なくらいの移動速度を見せるよね。

 北の地からヨルテニトス王国へと飛んできた風の精霊さんしかり。僕が遠出している時に伝言役を務めてくれるアレスちゃん然り。

 物理的な法則にとらわれない精霊さんは、あっという間に世界を駆ける。


 霊樹の精霊王さまの協力だけは、残念ながら得られなかった。

 だけど、霊樹の精霊王さまが竜の森に残って、もしも精霊たちの力が必要だと判断した場合は、精霊さんたちはすぐにでも自分たちの場所に戻れるんだね。


「それでは、お言葉に甘えてお願いします!」


 僕は、居並ぶ精霊王さまたちに深く頭を下げる。


 見も知らない女の子のため。

 ううん、違う。

 僕のために協力を惜しまない精霊たちに、心より感謝を。


「少数で竜の森の留守番をする子らに、ほどこしが必要であろうな。エルネアよ、子と霊樹のために舞え」

「はい、喜んで!」


 僕は、白剣と霊樹の木刀を抜き放つ。

 そして、霊樹の巨木と精霊たち、それに竜の森へ捧げる竜剣舞を舞う。

 すると、霊樹の巨木が枝葉を揺らして音楽をかなで、精霊王さまたちがうたう。集まった精霊さんたちが踊り、竜の森がはやし立てた。


 賑やかな神楽かぐらは、夜遅くまで続いた。

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