順風満帆?

 今年最初の竜王会議は、挨拶をねた顔出し程度。

 具体的な話し合いはミストラルにお任せして、僕は次の目的地である竜の森へと急ぐ。

 その予定を狂わせたのは、痩躯そうくの槍使い、竜王ヘオロナがもたらした情報だった。


「新年早々、吉報きっぽうだぜ? ここに来る途中に、猩猩しょうじょうの巣の様子を見てきたんだがよ。監視している地竜たちの話によれば、年が明けた頃から、徐々に火勢が弱まり始めているらしい」


 ヘオロナの報告に、ちょっとやそっとのことでは動揺なんて見せないはずの竜王たちの間から、どよめきが起きた。


 かつて。

 竜峰全域を巻き込んだ、未曾有みぞううの大騒動が起きた。

 竜人族と人族の間に生まれたひとりの男が、己の運命を呪い、竜峰に住む者たちを混沌こんとんへとおとしいれようとした。

 だけど、彼の野望は、ついに達成されることはなかった。


 僕やミストラル。それに、竜人族の戦士や竜王、そして竜族が一致団結して、彼の深く暗い闇を退けた。


 その、激闘の終局間際。

 致命打を与えられない僕たちは、苦肉の策を用いた。

 竜峰の一画を地獄の炎と変えて、全てを焼き尽くそうとしていた猩猩の巣に、僕たちは彼を叩き落とした。


 魔獣の中の魔獣。

 二千年もの長きにわたって竜の森と霊樹を守護してきたスレイグスタ老でさえも舌を巻く、伝説の魔獣。それが、猩猩だ。


 猩猩が創り出した炎の地獄は、縄張り内の全てを焼き尽くすし、喰らい尽くすまで燃え続けるという。

 数年、下手をすると、もっと長い歳月。

 生命どころか、竜脈さえ燃やし尽くす。

 そうして全てを根こそぎ喰らい尽くすと、猩猩は次の土地へと去っていく。


 竜王ヘオロナは、猩猩の縄張りを監視し続けていた地竜たちからの報告として、縄張りの炎獄えんごくが弱まりつつある、と伝えた。


 僕は咄嗟とっさに、ミストラルを見る。


 猩猩の炎に飲み込まれた男の名前は、オルタ。

 オルタは、ミストラルとザンの幼馴染でもあるんだよね。


 そして、縄張りの火勢が弱まり始めたという事実が意味するところは、もう縄張りの内側に燃やすものがなくなった、つまり、オルタという存在も喰い尽くされてしまった、ということを意味していた。


 これまで。誰も絶対に口にはしなかったけど。

 もしかしたら、オルタはまだ猩猩の縄張りの中で抵抗を続けていて、生きているのかもしれない。という考えを持った者もいたかもしれない。

 だけど、その可能性は、とうとうついえたんだ。


 たとえ敵だった者でも。

 竜峰に災いしかもたらさなかったとしても。

 それでも、オルタの生い立ちや境遇に同情した者はいたはずだよね。


 幼馴染であり、自らもオルタを倒す有志の一員として戦ったミストラルにとって、ヘオロナの報告は本当に吉報だったのかな?

 それとも、悲しい事実を突きつけられたとこになるのかな?


 気になって、ミストラルを見つめる。


 すると、僕の視線に気づいたのか、振り返るミストラル。

 そして、いつものように優しい笑みを浮かべた。


「私は、大丈夫よ。竜峰のうれいが解消されそうという話は、嬉しいことだと思うわ。それに、猩猩が竜峰から去ってくれれば、監視を請け負ってくれていた地竜たちにも、今回の件で協力をもらえるかもしれないでしょう?」

「うん、そうだね」


 はたして、炎が完全に消え去り、猩猩の気配がなくなるまでに、後どれくらいの期間が必要になるのか。

 こればかりは、誰にも確定的なことは言えない。

 とはいえ、猩猩の監視にいていた戦力を呼び寄せられるかも、というのは確かに朗報だね。


「おう、エルネア。お前さんはこれから、竜の森の守護竜様のもとへと向かうんだろう? なら、途中で猩猩の様子も見ていくといい」


 竜王ベリーグにうながされて、僕は竜王会議を後にする。


 みんなに見送られながら、ニーミアに騎乗する僕。

 ニーミアは翼を広げると、雪雲が流れる竜峰の空へと舞い上がった。


「行ってきます!」


 地上で手を振るミストラルや竜王、それに村の人たち。

 次にみんなと再会するのは、妖魔ようまおうを迎え撃つ戦場だ。


 ニーミアは、ぐんぐんと高度を上げていく。

 灰色の雲を突っ切り、太陽が眩しい高高度へ達する。


「不思議だよね。曇って、一定の高さから上にはできないんだね?」


 もくもくと、雲が縦に伸びている。それが無数に寄り集まり、重なり合って、分厚い雪雲を形成していた。

 地上から見上げる雲とは違う風景に、いつものことながら、息を呑む。


「空からの景色は、何度見ても飽きないよね」

「絶景にゃん」

「ニーミアのように、雲の上を飛ぶことができる者だけが見られる特権だね!」

「にゃん」


 長い尻尾を揺らして、ニーミアは空を飛ぶ。


 雪雲は竜峰を埋め尽くすかのようにどこまでも広がり、上空からは渓谷や針葉樹の森は伺えない。

 なかには、灰色の雲海を突き破って鋭い峰の先を見せる山脈もあるけど、どれも真っ白で寒々しい。


 だけど、進んでいくうちに、冬の竜峰の景色とは違う、異質な区域が見えてきた。


「猩猩の縄張りにゃん。怖いにゃん」

「無理に近づかなくて良いからね?」


 全てを焼き尽くす、猩猩の炎。

 それは、上空も例外ではなかった。


 地上で不気味にとぐろを巻く地獄の炎。とはいえ、雲の高さまで火柱が上がっているわけではない。

 でも、猩猩の縄張りの上空に位置する空域には、一片の雲さえ存在しなかった。


 雲よりも、うんと高い空を飛んでいるニーミア。

 だけど、油断は禁物だ。

 猩猩の縄張りの上空には近づかないように注意しながら、ニーミアは翼を羽ばたかせる。

 僕は、遠目に猩猩の縄張りを確認した。


「ううーん、僕にはいまいちわからないなぁ?」

「にゃんもわからないにゃん」


 相変わらず、轟々ごうごうと大気をうならせながら、炎は燃え上がっていた。

 離れているはずなのに、熱波で肌が焼けそうな気がする。


 いったい、あの地獄のどこが弱まっているんだろうね?

 今でも、近づいただけで炎に取り込まれて、灰も残さず消し炭にされそうな気がするよ。


 オルタが猩猩の巣に落ちていく最中さなか

 僕も、危うく猩猩に捕まるところだった。

 当時の恐怖を思い出して、魂の底から震える。


「ずっと監視を続けてくれていた地竜たちなら、違いがわかるのかもね」

「会いにいくにゃん?」

「ううん、今回は竜の森へ急ぐ方が先決だよ。竜族たちとの交渉は、フィオと合流してからだね」


 僕は竜峰同盟の盟主だけど。

 竜峰に住む竜族たちの盟主は、黄金色の翼竜のフィオリーナだ。

 そのフィオリーナの立場をおろそかにして、勝手に竜族たちと話を進めるわけにはいかない。

 簡単なお願いなら個人的に頼むけど、今回は竜峰中の竜族たちに協力してもらいたいからね。


 ニーミアは一周だけ猩猩の縄張りの周囲をぐるりと旋回すると、進路を変える。

 目指すのは、竜の森の苔の広場だ。






「おじいちゃん、こんにちは!」

「はいはーい。リリィの住処すみかへようこそー」

「ええい、小童こわっぱめ。我とエルネアの久方振ひさかたぶりの再会を邪魔するでない」

「なんて言いつつ、やることはいつも同じですよねー。くしゃみと同時に、エルネア君とニーミアちゃんを鼻水まみれにしようとしてましたよねー」


 苔の広場に着いて早々に、僕とニーミアは大笑いをしてしまう。

 スレイグスタ老の、いつもの悪戯に身構えようとしたんだけど。

 次期、竜の森の守護竜であるリリィによって、スレイグスタ老のたくらみは呆気あっけなく潰れてしまいました。


 残念でしたね、おじいちゃん。


「やれやれ。汝に同情されてしまっては、お終いであるな」

「おじいちゃん、うかうかしていたら、リリィにお役目を奪われちゃいますよ?」

「ふふん。それくらいの気概きがいを見せてほしいものであるな。それに、元気なうちに引退というのも、悪くはない。その時は、汝らと共に世界中を見聞して回るとしよう」

「わおっ! それは楽しみですよ! リリィ、頑張れっ」

「エルネア君は残酷ざんこくですねー。スレイグスタ様が引退するということは、リリィがお役目でここから動けなくなるということですよー。リリィも一緒に旅行がしたいですー」

「あらら、そうなっちゃうね……」


 それは、盲点もうてんだったね。


 何か、良い方法はないかなぁ。

 みんなで一緒に、お出かけしたいよね。


 巨人の魔王に頼む?

 いやいや、あの魔王は嬉々ききとして旅行についてくるよね。

 それじゃあ、アシェルさん?

 ニーミアが悲しむか。


 むむむ。

 これは難しい課題ですね!


「かかかっ。平和な悩みであるな。しかし、汝はそれとは別に、問題を抱えているのであろう?」

「そうでした!」


 久々にスレイグスタ老と会えて、思考が愉快に跳ね回っていました。

 僕は身を正すと、ミシェイラちゃんから受けた依頼をスレイグスタ老に話す。

 スレイグスタ老には、産まれたばかりだという女の子のことについても、隠さずに話して良いよね。


「……ふむ、竜神様やあの方々が誕生に立ち会った娘か」

「おじいちゃん、女の子の正体を知っていたりする?」


 実は、僕たちも女の子の正体を知りません。

 ミシェイラちゃんたちが大切に護り、霊樹を道標みちしるべに世界中を旅する予定の女の子の正体って、何者なんだろうね?

 本当はミシェイラちゃんに聞けば良かったんだろうけど。なぜか、聞きそびれちゃった。

 今にして思えば、聞かれないようにされていた?

 雰囲気ふんいきで、というよりも、もしかしたら何らかの術で「女の子のことを聞く」という思考を外されていたのかもね。


 スレイグスタ老は僕の話を聞いて、瞳を静かに閉じる。

 僕とニーミア、それにリリィは、黙ってスレイグスタ老の答えを待つ。


 しばしの時間が、静かに過ぎた。


 スレイグスタ老は閉じた時と同じように、静かに瞳を開く。

 そして、黄金色の瞳で僕たちを見下ろした。


「世界の真理を知るには、あまりにも無知であるな」

「僕たちが?」

「いいや。我が、だ」

「おじいちゃんでも、知らないことがあるの?」

「左様。この歳になっても、知らぬことばかりであるな。恐らくは、魔女あたりに質問すれば答えを知っているだろうが。残念ながら、我にもわからぬ」


 まさか、スレイグスタ老でさえ女の子の正体を知らないなんてね。

 驚きのあまり、僕とニーミアとリリィは目を真ん丸に見開く。


「……ええっと、おじいちゃん、それでね。妖魔の王を迎え撃つために、僕たちは今、多くの伝手つてを頼って協力を求めている最中なんです」


 女の子の正体を知ることはできなかった。

 でも、本題は別です。

 僕は改めて、スレイグスタ老に向き直る。

 そして、お願いを口にした。


「できれば、おじいちゃんとリリィにも協力してほしいんです!」


 僕の頼みに「はいはーい、喜んでー」と二つ返事をしてくれるリリィ。

 だけど、スレイグスタ老は黄金色の瞳の奥に思慮しりょを忍ばせながら僕を見下ろすばかりで、口を開いてはくれない。


 そしてまた、静かに時間が流れる。


 僕は、スレイグスタ老の瞳を見返し、返事を待つ。

 ニーミアとリリィも、ふざけあうとなく黙って、時の流れを読む。


 どれくらいの沈黙が流れただろう。

 息をすることさえも忘れていたのでは、という息苦しさに気づき、僕は深呼吸をする。

 でも、思うように息ができない。


 いつになく、緊張していた。


 時に優しく、時に厳しいスレイグスタ老。

 いつも僕を見守ってくれていて、道を間違えないように教えをいてくれる。

 どんな時にでも頼りになる、僕の大切なお師匠様だ。


 その尊敬するスレイグスタ老が、僕のお願いに無言を通す。

 只ならぬ雰囲気を、本能で察知していた。


 更に、何倍もの時間が過ぎる。


 それでも、僕はただ静かに、スレイグスタ老の返事を待った。


 スレイグスタ老は、いったい何を逡巡しゅんじゅんしているんだろう。

 僕の話を受けて、快諾かいだくしてもらえない理由は何だろう?


 ううん、違う。

 僕は知っている。

 気づいていない振りをしていただけだ。


 本当は、スレイグスタ老が出す答えに気付いている。


 でも。


 それでも。


 スレイグスタ老に甘えたい、僕がいる。


 僕が甘えていることを、スレイグスタ老は知っている。


 だから、おじいちゃんは答えを口に出せないでいるんですよね?


「おじいちゃん……」

「……すまぬ」


 僕とスレイグスタ老の声は重なった。

 そして、長い首を項垂うなだれるスレイグスタ老。


「汝の願いを聞き届けてやることは、できぬ」


 覚悟していた言葉が、スレイグスタ老の口からこぼれた。

 それだけで、僕はひざから崩れ落ちる。


 視界が真っ暗になった。

 ただ、スレイグスタ老の協力が得られなかった、ということだけで、僕は世界が終わったかのように絶望してしまった。

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