長湯は程々に

 ……筋、肉。

 分厚い胸板。太く、たくましい手足。引き締まった腹筋。


「ううぅ……」


 これは、悪い夢だ。

 最近、色々と立て込んだ忙しさが続いたから、うなされているだけなんだ。


「……ア? 大丈……、……ネア?」


 ヤクシオンが湯船を豪快にき分けながら、こちらに迫ってくる。

 あまりの迫力に気圧けおされて逃げ腰になる僕を、背後から羽交はがめにするのは、セステリニース。

 イドが、らしくない満面の笑みを浮かべながら、僕に手を伸ばした。


「わわわっ!」


 筋肉怪人きんにくかいじんたちの魔手を振り払おうと、僕は咄嗟とっさに両手を振る。


「んにゃっ!」

「……あれ?」


 だけど、僕の両手は筋肉の硬い塊ではなく、何やら柔らかいものを掴んだ。


「……ネア。エルネア?」


 ヤクシオンでも、セスタリニースでも、イドでもない、柔らかい声が耳に届く。


 そして、僕は唐突とうとつに意識を取り戻した。


「夢だった!」


 ぱちりっ、と瞳を開く。

 すると、そこに映るのは、むさ苦しい男たちではなく、見目麗みめうるわしいミストラルの姿だった。


「大丈夫? 随分とうなされているようだったけれど?」


 僕の顔の近くに、ミストラルの顔がある。というか、覆い被さるようにして、ミストラルは僕を見下ろしていた。

 どうやら、僕はミストラルの膝枕ひざまくらで横になっていたみたいだ。

 柔らかい感触が、後頭部から伝わってくる。


 それと、両手からも柔らかい感触が。


「んにゃん。苦しいにゃん」


 可愛い悲鳴に視線を移すと、僕の左手はニーミアを掴んでいた。


 おおっと!

 左手の柔らかい感触は、ニーミアだったみたい。


 では、右手の感触は?


 むにゅむにゅと、指を動かすごとに素敵な反発が返ってくる。

 でも、大きさ的に、ちょっとだけ物足りない。

 できれば、てのひらに収まりきれないくらいの……


「……はっ!」

「ふふ。夫婦なのだから、べつに構わないわよ?」


 苦笑を見せるミストラル。

 僕の視線は、伸ばされた右腕の先を追う。

 そして、柔らかい感触の正体を知る。

 僕の右手は、ミストラルの慎ましいお胸様をしっかりと包み込んでいた。


「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだよ?」


 慌てて右手を放す僕。

 ついでに、左手に掴んだニーミアも解放する。


 そうそう、ニーミア。

 さっきの思考は、ミストラルには秘密だからね?

 不可抗力だったんだからさ。


「にゃあ」


 自由になったニーミアは、ふるふると全身を震わせると、翼をはためかせてミストラルの頭の上に飛び移った。

 そして、掴まれたせいで乱れてしまった体毛を整えるように、毛繕けづくろいをしだす。

 だけど、僕の思考をミストラルに告げ口するようなことはなかった。


 どうやら、よこしまではない思考だったので、見逃してもらえたみたい。

 ふう、助かったよ。

 今度、お礼にお菓子をいっぱいあげなきゃね。


「プリシアの分と合わせて、いっぱいいっぱい欲しいにゃん」

「任せておいて!」

「あら、目覚めたと思ったら急に、何を交渉しているのかしら?」

「ええっと……。掴んじゃったお詫びをしたんだよ」

「あら、良いわね。それじゃあ、わたしも何か、ねだろうかしら?」

「何でも言ってね!」


 ミストラルは僕を膝枕したまま、他の妻たちに内緒で何をねだろうか、と楽しそうに微笑む。

 そんなミストラルを下から見つめながら、僕は改めて自分の状況を確認した。


 視線を下げる。

 すると、僕は上半身裸で横になり、ほくほくと湯気を上げていた。


 どうやら、筋肉熱湯風呂の悪夢は、現実だったみたいだ。


「僕、のぼせちゃったんだね?」


 身体が暑い。

 後頭部から伝わってくる心地よい感触とは逆に、顔はかっかと熱を帯びて、倍くらいにれているんじゃないかと感じる。

 そして、で上がった僕を冷やそうと、アレスちゃんが横でうちわをあおいでくれていた。


「ふふふ、到着早々に災難だったわね。馬鹿正直に、イドたちの長湯に付き合わなくても良かったのよ? それと、スレーニーが外に連れ出してくれたのだから、元気になったらお礼を言っておくと良いわ」


 冬の絶景が広がる、露天風呂。

 寒い外気と、しびれるくらいに熱い温泉。

 冬場は、これが至福の娯楽ごらくらしい。


 熱いお風呂に浸かり、肌が真っ赤になるまで我慢する。そうしたら、雪が積もる景色に肌を晒す。

 僕なんかは、ぬるま湯にゆっくり長時間入るのが好きなんだけど、それは屋内風呂の入り方だ、とヤクシオンは力説していた。

 冬の露天風呂は、お湯と外気の寒暖差を楽しむものなんだって。


 そして、竜王たちの長風呂に欠かせないのが、お酒です。

 普通だと、入浴中の飲酒は厳禁で、ユフィーリアやニーナもよく怒られるんだけど。どうやら、竜人族には通用しない常識みたい。

 イドなんて、たるごとお酒を持ち込んで、水分補給だ、なんて言いながら豪快に飲んでいたっけ。


 僕は、そんな常識はずれの男たちに巻き込まれて、のぼせるまで長湯をしちゃったみたい。

 それを、後から入ってきたスレーニーに救出されて、こうしてミストラルたちに介抱されていたわけですね。


「ありがとうね、ミストラル。それに、アレスちゃんとニーミアも」


 お礼を口にはしたものの、まだ全身が火照ほてっているのを感じる。

 なので、もう少しこのまま、ミストラルの膝枕で休ませてもらう。


「男たちみんなでのお風呂は楽しかった?」

「ううーん……」


 瞳を閉じれば、またあの筋肉地獄が鮮明によみがえる。

 だけど、嫌ではなかったよね。

 熱い、寒い、ときゃっきゃと騒いでいたし、何だかんだで、結局僕ものぼせるまでお風呂に入っていたわけだし。


 だから、やっぱり楽しかったんだと思う。


「あのね、お風呂に入りながら、いっぱい色んな話をしたんだよ」


 驚いたのは、竜王たちの貪欲どんよく向上心こうじょうしんだった。


 昨年末。

 竜人族の戦士だけでなく、イドたち竜王も邪族討伐作戦に参加してくれた。

 だけど、竜王の力を持ってしても、邪族に致命的な攻撃を与えることはできなかった。


 おのれが通用しない。

 みがき上げてきた力、技、術がことごとく意味をなさない。

 そんな、これまでの経験ではありえない現実をたりにした竜王たち。


 だけど、竜王たちは「格上の相手だから」とか「常軌じょうきした種族を相手にしたのだから」なんて言い訳は一切口にしなかった。

 それどころか、どうすれば邪族に攻撃を与えられるのかと互いに意見を出し合ったり、力の付け方や攻撃の方法、それに術の練度などを根本から見直そうとしていた。


 これって、凄いことだよね。

 これまでに積み上げてきたものを最初から見直すって、並大抵の覚悟じゃできないことだもん。

 だって、これまでの修行は無意味だったのかも、なんて普通は思いたくない。

 だから、現状からどう変化させれば新たな道がひらけるだろうか、とは考えるかもしれないけど、これまで辿たどってきた道を最初まで戻り、新たな道を模索もさくする、なんて考えないよね。


 でも、竜王たちはその覚悟と努力を惜しむことなく、さらなる高みを目指そうとしていた。


「イドたちにとって、竜王というほまれ高い称号は、目標の終着点じゃないんだね。話を聞いていて、感銘かんめいを受けちゃった」

「そうね。他の戦士たちも、彼らのようなくなき向上心を持ってもらいたいものね」


 竜王でさえ、貪欲に成長しようとしているんだ。

 なら、竜王を目指そうとしている竜人族の戦士たちは、竜王以上の努力を積み重ねないとね。

 もちろん、僕もうかうかとはしていられない。

 竜王のひとりとして、称号に恥じない道を歩まなきゃね。


「それで、次はおきなのところへ向かうのかしら? 最近の修行の成果も披露したいでしょう?」

「うん。久々に、おじいちゃんの指導を受けたいな。その後は、おじいちゃんに事情を説明するのと、竜の森の精霊さんたちにも協力してもらえるように、説得して回らなきゃね」


 もちろん、長風呂の間に、竜王たちにも話は通してある。

 妖魔の王にまつわる問題の解決をはかるために協力してもらいたい、とお願いし、イドたちから快諾かいだくを得ていた。

 具体的な話を進めてくれるのは、明日から開催される竜王会議に参加するミストラルだけどね。


 それで、僕はというと。

 まだまだ予定は詰まっている。


 竜の森でリリィと合流したら、次は巨人の魔王のもとへ。

 魔族の協力を取り付けることができたら、禁領へも向かわなきゃいけない。

 伝説の魔獣であるテルルちゃんの助力を得られれば百人力だし、ユーリィおばあちゃんやプリシアちゃんのご両親の手も借りたい。

 ユンユンとリンリンにも、お願いしなきゃね。


 ミシェイラちゃんは、女の子は春の吉日きちじつにやって来る、と言っていた。

 年も明けて随分な日数が経ち、立春はもう目と鼻の先だ。

 そうすると、霊樹を道標みちしるべに、僕たちのもとへ女の子がいつ来てもおかしくはない状況になる。

 それまでに、妖魔の王を迎え撃つ準備を終わらせておかなきゃいけない。


「ニーミアは、この後はまた天上山脈に戻って、ルイセイネたちを連れて帰ってきてくれるんだよね?」


 毛繕いをしていたニーミアが、くりくりの瞳を僕に向ける。

 でも、少しだけ小首を傾げると、何かを閃かせたように長い耳をぴくりと動かした。


「にゃんは、おうちに帰ってくるにゃん」

「なんですと!?」


 予定になかったニーミアの行動に、僕とミストラルは驚く。


「んにゃん。戦力はいっぱいあった方が良いにゃん。だから、お母さんを呼んでくるにゃん」

「なるほどね!」


 いや、普通に考えれば、アシェルさんもこの上なく頼もしい戦力になる。

 だけど、ニーミアが自分からいにしえみやこに戻るだなんて、僕たちは全く考えていなかった。だから、ニーミアに頼んでアシェルさんを呼んでくる、という考えにいたらなかったよ……


 そもそも、アシェルさんなら、何かの気配を察知して、呼ばなくてもきそうな気がしていたしね。

 でも、ニーミアが直接呼びに行ってくれるのなら、確実だ。


「それじゃあ、魔族の国を巡る途中で、僕がルイセイネたちを連れ帰ってくるね」


 プリシアちゃんとアリシアちゃんは、無事にモモちゃんを説得することはできたかな?

 遠隔魔術で、天上山脈から参戦してもらう。

 妖精魔王クシャリラをもうならせたモモちゃんの魔術に、僕たちは期待している。


 そして、東ではマドリーヌ様やイステリシアが頑張ってくれている。もちろん、ライラも一生懸命に奔走ほんそうしてくれているはずだ。

 アームアード王国では、ユフィーリアとニーナ、それにセフィーナさんが駆け回ってくれている。


 短期間にどれだけの戦力を揃えられるのか。

 集まってもらったみんなに、どんな連携をしてもらえるのか。

 まだまだ、問題は山積みだ。だというのに、時間は限られている。


「のぼせてなくても、頭に熱が溜まってふらふらしちゃいそうだよ」

「ふふふ。それなら、せめて今だけはゆっくりと横になって、頭を冷やしなさい」

「うん、お言葉に甘えちゃいます」

「みんなに報告にゃん」

「ほうこくほうこく」


 ミストラルの諜報役ちょうほうやくであるニーミアが、ふるふると尻尾を振る。

 アレスちゃんもにこにこと微笑む。

 すかさず、ミストラルはニーミアとアレスちゃんの可愛いお口に、お菓子を放り込んだ。


「にゃん」

「ひみつひみつ」

「そうやって、普段から餌付えづけされているんだね!」


 恐るべし、ミストラル。

 ニーミアとアレスちゃんを自在に操るだなんて。


 僕だったら、もうひとつ、もう二つ、と要求された挙句あげくに、結局はげ口されちゃうんだよね。

 そう愚痴ぐちると、ミストラルは可笑おかしそうに笑った。


「それは、ほら。貴方が優しいから、甘えているのよ」

「ええぇっ。そうなのかな?」


 甘えられるのは嬉しいんだけど、告げ口は程々にしてね?


「大丈夫にゃん。さっきのちっぱい感想は秘密にしていたにゃん」

「あっ!」


 いやいやいや、さっき秘密にしていても、いま暴露しちゃったら意味がないよね!?


 しまったにゃん、と舌をぺろりと出すニーミア。

 どうやら、うっかりだったらしい。

 でも、僕に迫る危機はうっかりでは済まされません!


「エルネア?」

「ち、違うんだ。あれは、不可抗力だったんだよーっ!」


 膝枕状態だった両太ももの隙間に、すとんと頭を落とされる。そして、太ももでがしりっ、と頭をはさまれる僕。


「……これはこれで、意外と素敵? 嘘うそ、痛いっ。ミストラル、ごめんなさいっ」


 竜姫の称号を持つ最強の竜人族の太ももばさみは、頭が割れそうなほど痛かった。

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