竜峰の異変
翌朝、ルイセイネに優しく揺らされて僕は目覚めた。
清々しく澄んだ空気が気持ちよく、僕はすぐに覚醒する。
ミストラルは「ううう、もう少し寝るの」とニーミアのふわふわで長い体毛の中に逃げ込もうとするプリシアちゃんを、引っ張り出して起こしていた。
ニーミアは、どうやらもう起きていたみたいで、自分の首元で行われるプリシアちゃんとミストラルの攻防にじっと耐えていた。
「おはようございます」
僕は、先ずは起こしてくれたルイセイネに挨拶をし、少し離れたところで優しく見守るスレイグスタ老に次いで挨拶をする。
そして眠たそうに目を擦るプリシアちゃんとミストラルに挨拶をした。
朝食は昨夜の残りを食べる。
食事をとるとプリシアちゃんも元気になり、食後は早速、自身の精霊たちと鬼ごっこを始めていた。
そういえば、ルイセイネはプリシアちゃんの精霊を初めて見るんだね。
成人の姿をした精霊二人と空間跳躍を駆使して鬼ごっこをするプリシアちゃんに、ルイセイネは驚いていた。
ルイセイネは精霊の知識もあるみたい。精霊が人の姿で、しかも成人だということに感動と驚きを合わせて、プリシアちゃんの動きを追っていた。
「とても速い動きですね」
「速いというよりも、瞬間移動だから目で追えるものじゃないわ」
「こんな動きで死角に回られたら、一瞬で負けそうです」
「耳長族の者ともし戦うことがあるようであれば、この空間跳躍を何よりも警戒しなければいけないわね」
「そういえば、エルネア君も偽リステア君との戦いで使ってましたよね?」
「あれは僕がプリシアちゃんの空間跳躍を真似して出来るようになった技だよ。でもあれって、竜気を大量に消費するから、今の僕では連続ではあんまり使えないんだ。今のプリシアちゃんのようにどこかに飛んだ瞬間、また別の場所に何度も飛ぶようなことはできないね」
「それでも、すごいと思いますよ」
「えへっ」
ルイセイネに褒められて、照れる僕。
技を発現させた当初もミストラルとスレイグスタ老には褒められたんだけど、やっぱり誰かに褒められるって嬉しい。
「プリシアにはあのまま少し遊んでもらっていて、わたしたちはこっちへ」
プリシアちゃんの鬼ごっこを遠巻きに見つめながら、僕たちはスレイグスタ老のもとへと移動する。
これから何をするのかは、僕とルイセイネは薄々感づいていた。
「あなた達にはあまり関係のない話にはなると思うけれど」
飲み物を配り、スレイグスタ老の鼻先に腰を下ろした僕たちに、ミストラルは話し出す。
「まずは、先日の森の魔獣のことから」
ミストラルは先日の魔獣大集合について、苔の広場に戻ったら話すと言っていたね。
昨夜は話す機会がなかったから、今になったんだと思う。
「大狼魔獣から、事情を聞いたのだけれど」
言葉は交わしてないから、正確には聞く、というか以心伝心したということだろうけど。
「最近、竜峰の南の方に
うっ、僕は息を呑む。
腐龍と言えば、アームアード王国とヨルテニトス王国の双子の建国王が倒したという腐龍の王が有名だね。
腐龍の王は、竜族と竜人族でも倒せなかったような、強力な化け物だよ。
その腐龍の王とまではいかないだろうけど、でも同じ腐龍。恐ろしさと強さは、僕たちには計り知れないような存在だ。
「腐龍とは、死の間際に呪われた竜族の、あの腐龍でしょうか」
「左様、死を受け入れることのできなかった、哀れな竜族の成れの果てなり」
「哀れ、なのですか」
「どのような理由があれ、己れの死を受け入れることのできなかった者は哀れなり。そして不名誉なことである」
スレイグスタ老は瞳を閉じ、悲しそうに言う。
竜族は誇り高い種族なんだね。だから死ぬときにも誇りを持っていないといけないんだと思う。
ルイセイネも巫女だから、死については思うところがあるのかな。
スレイグスタ老の静かな声に、瞳を伏せていた。
「ええっと、腐龍が出たってことはわかったんだけど。それが何で魔獣や動物たちの大移動に繋がるんだろう?」
僕は話を本線に戻す。
「それはね」
ミストラルはどう説明したらいいものか、と悩んでいる感じだ。
「ふむ、人族には動物の習性はわからぬか」
「ううん、悲しいけどわからないかも。ルイセイネはわかる?」
僕だけが知らないだけなのかも、と思ってルイセイネに確認したけど、彼女も首を横に振った。
「そうね。例えばあなた達は近くに怖い人が居たら、近づきたいと思うかしら?」
「近づきたくないよ。むしろ逃げ出したい」
「ふふふ、それと同じね。魔獣や動物たち、そして魔物も、近くに強力な者が居たら、捕食されたり殺されたりする可能性があるから逃げ出すのよ」
「なるほど、腐龍が現れたから、怖くて逃げ出したのか」
「それでしたら、腐龍になる前の竜族は魔獣や動物にとっては怖くないということでしょうか」
「ルイセイネの言う通りね。竜族は恐ろしい存在だけれど、それでもまだ自然の摂理の中で生きているし、何よりも彼らには高い知性があるわ。でも腐龍は理性を失い暴走した龍だから、近くにいることでさえ恐ろしいの」
「なるほど」
頷く僕とルイセイネ。
「補足しよう」
スレイグスタ老が言う。
「魔獣や動物には、活動範囲がある」
「縄張りのことかな?」
「左様。活動範囲とは獲物を狩るための支配地域と言っても良い。強力な魔獣などは独占欲が強いゆえ、自身の活動範囲に他の競合者が入り込むことを嫌う。故に、強力な魔獣の活動範囲になった場所からは、他の魔獣は排他される」
「無理に居残ろうとしたり自分の縄張りを主張すれば、争いになるんですね」
「そうなるな。そして、今回の腐龍にも活動範囲がある」
「そうか、だから活動範囲に入ってしまった魔獣や動物たちは逃げ出してきたんですね。腐龍になんて勝てないですもんね」
腐龍の暴れる場所から、魔獣や動物たちは逃げ出してきたのか。
「強力な力を持った者の活動範囲には他の者は居なくなる、ということですね」
ルイセイネはうんうんと深く頷きながら、今の話を飲み込んでいる。
「それでは、わたくしは凄いことに気づいてしまいました」
人差し指をぴんと立て、ルイセイネは僕を見た。
「この竜の森に魔物が現れないのは、もしかしてスレイグスタ様が居るからでしょうか」
「あっ!」
なるほど。ずっと疑問に思っていたことが解決できた。
つまり、竜の森はスレイグスタ老の活動範囲だから、魔物が出ないのか。
「あれ、でも大狼魔獣は結構前から居たし、今回の魔獣たちもそれなら竜の森には逃げてこないんじゃないかな?」
ひとつ疑問が解決したと思ったら、別の疑問が出てきたよ。
僕とルイセイネとのやり取りを見て、ミストラルはくすくすと笑う。
「理性なく暴れる恐ろしい腐龍と、計り知れない力を持つけれど温厚な古代種の竜、あなた達ならどちらで生活したいかしら?」
「むむむ、それは勿論おじいちゃんの方かな」
「そうですね、どう考えても後者だと思います」
「平時だと翁の縄張りにも居たいとは思わないでしょうけれど、今回は緊急事態だからね」
「そうか、なるほどね。でも大狼魔獣はどうなるのかな。あいつは今回の騒動前から居るよ?」
「あれは元々、間違えて迷い込んだお馬鹿さん。翁が見逃しているから勝手に居座ってしまっただけよ」
「はあぁ、あいつって危機感の乏しいやつだったのか」
たしかに人の僕を追い掛け回して遊んだり、ミストラルに一度叩きのめされたのにまた姿を現すなんてお馬鹿さんだよね。
僕は、実は頭が悪い、というか能天気らしい大狼魔獣がすこし可愛く思え初めて笑ってしまう。
「それで、入ってきた魔獣なのだけれど」
ミストラルはスレイグスタ老を見上げる。
「腐龍が居なくなるまでの間、竜の森での生活を黙認して欲しいみたいですよ。勿論、森や人に危害は加えないと確認してます」
「ふむ、今回は致し方あるまい。しかし少しでも森の掟を破るようなことがあれば、承知せぬ」
スレイグスタ老の黄金の瞳が鋭く光る。
いつもは好々爺的な優しい光を湛えているんだけど、森のことになると迫力を増すね。
しっかり森を守護しているんだね。
「腐龍が居なくなるとは、どういうことでしょう?」
首を傾げるルイセイネ。
「どこかに別の地域に移動するのを待つ、というのか現実的な話になるのかしら」
困ったように苦笑するミストラル。
「竜峰に現れたということは、近くの竜人族が既に監視しているとは思うけど。さすがに竜人族でも腐龍相手だと討伐は厳しいわ。災厄を別の場所に逃がすことは心苦しいけれど、今はどうすることもできないわね」
「ミストラルでも倒せない?」
「どうかしら、厳しいことに変わりはないと思うわよ。それに、わたしは他にもやらなきゃいけないことがあるわ」
「竜人族と魔族のことであるな」
ああ、そうか。僕は納得する。
ミストラルは竜人族の内通者を探し出さなければいけないんだね。
これを放置したりすると、大変な問題になっちゃうんだ。
腐龍の存在も問題だけど、こっちの方が重要度が高いよね。
「もしも腐龍が森へと足を向けるようであれば、我が対処しよう」
「来なくても倒してしまえば、腐龍の一件は落着な気もするけど」
「エルネア、物事には何でも限度があるのよ。翁が竜峰のことに干渉するのは、あまり良いことではないの」
困り顔のミストラル。
「あ、ごめんなさい。でしゃばった事を言ってしまったんだね」
「なに、気にするでない。我があまり干渉しすぎると、竜人族と竜族どもの小さな誇りが潰される、というだけである」
がははは、と豪快に笑うスレイグスタ老に、ミストラルはますます困った表情になっていた。
「とにかく。魔獣の件は今言った通りよ。エルネアは魔獣にも好かれるみたいだから、今後森を彷徨う時には、一応気をつけて」
「好かれているのかな? からかわれていただけのような気がするんだけど」
「嫌いな相手を毎回からかったりしないものですよ」
「そうなのかな」
「ふふふ、エルネアは色々と自覚が足らないわね」
なんの自覚だろう、と首を傾げて考える僕を見て、ミストラルとルイセイネは笑い合っていた。
「それで、わたしのこれからなのだけれど」
くすくすと笑いあった後、ミストラルは僕を真剣な眼差しで見る。
「わたしはこれから一度、竜峰に帰ります。もしかしたら、数日は戻ってこられないかも」
「村に戻って、みんなと話し合いをしないといけないんだね」
「そう。だから、もしわたしが明日も戻って来ないようであれば、プリシアのことはよろしくお願いするわ」
「うん、その時は僕が耳長族の村まで送り届けるよ」
村への行き方は、今でもしっかりと覚えている。
ミストラルが忙しいなら、僕もやれることをしなきゃね。
「頼りにしているわ」
僕はミストラルに頭をなでられてはにかんだ。
「ということで、翁。送ってください」
「やれやれ、人使いが荒い小娘だ」
「翁は人ではないでしょう」
「むむむ」
「ミストさんは忙しくなるんですね」
「ふふふ、ごめんなさい。また落ち着いたら一緒に色んなことをしましょう」
ミストラルとルイセイネは握手を交わす。
「それでは、さようなら」
「行ってらっしゃい」
「またお会いできることを楽しみにしてます」
僕たちが見送る中、黄金色に輝く立体術式に包まれたミストラルは、空間に消えていった。
超高等術式にルイセイネは目を丸くして驚き、術の発動に気づいたプリシアちゃんが遠くから手を振っていた。
ミストラルはプリシアちゃんに気づいたかな。
そして苔の広場には、僕とルイセイネ、プリシアちゃんとニーミアと主のスレイグスタ老が残った。
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