森の侵入者
ミストラルがいなくなって、僕たちは何をしよう、ということになった。
そしたらプリシアちゃんは鬼ごっこに疲れ果てて、ふらふらとルイセイネに抱きついてきた。
土と風の二人の精霊さんも帰ってしまった。
プリシアちゃん、朝から全力で遊びすぎです。
ルイセイネはそんなプリシアちゃんをあやす事になり、いよいよ僕は手持ち無沙汰になる。
でもまあ、苔の広場にいて時間があるのなら、僕のやることは決まっているよね。
僕は柔らかい苔の上に腰を下ろし、瞑想をすることにした。
ルイセイネたちと副都まで往復していた間、僕は瞑想修行を怠っていたんだよね。
スレイグスタ老に師事してからこれまで毎日欠かさず瞑想をやってきて、既に生活習慣の一部になっていたから、この期間は締まりの無い感じだった。
座禅を組んで目を閉じて、心を落ち着かせる。
そうすればすぐに、大地の下に流れる不思議な大河を感じ取ることができた。
竜脈は、遠くから認識すれば、海原のように意識に広がる。だけど意識を近づければ、それはうねりをあげる濁流のような強い流れだと気付く。なのに、もっと側までたどり着けば、流れる竜脈は優しく深い清流のようにも感じる。
全部が矛盾しているようでしていない、不思議な存在。
僕は竜脈をそっと汲み取る。今では慣れたことだけど、最初は本当に苦戦したよ。
汲み取る作業はとても繊細で、加減が難しい。手加減すれば必要な量さえ取れず、かといって思いっきり取ろうとすれば流れに飲み込まれて溺れてしまう。
上手くいったと思っても、体内に取り込む前に
苔の広場に来るようになってまだ半年足らずだけど、僕は随分といろんなことが出来るようになったもんだ。
春先には、冒険者になるどころか旅立った後の一年間をどうやり過ごすかさえ不安だったのに、今では冒険者も顔負けするくらいのことを色々と体験している。
そしてまさか、お嫁さんまで貰ってしまうとは。しかも美人さんを二人。これはきっと、同級生徒の中では勇者のリステアの次くらいに凄いことなんじゃないかな。
とは言っても、まだ正式にではなくて、まずは僕が二人を惚れ込ませなきゃいけないんだけどね。
僕は汲み取った竜脈を体内に取り込み、竜気へと錬成しながら今までのことを振り返っていた。
最初は、竜脈の流れも霊樹の生命力も僕には大きすぎて尻込みしていたんだけど、今では身近に感じる心強い存在だ。
竜脈は僕には力を与えてくれて、霊樹は優しく見守ってくれているように感じる。
特に、霊樹の木刀は僕の膝の上で強い生命力を発して、絶えず僕を守ってくれているように感じる。
そういえば、この霊樹の木刀。いや、霊樹の幼木か。これには精霊が宿っていると、耳長族の大長老であるユーリィおばあちゃんが言っていたね。
瞑想をしていたり、ふとした瞬間に、稀に僕の周りを柔らかい風のようなものが通り過ぎることがある。これが精霊さんの気配なのかな。
プリシアちゃんもたまに僕の方に視線を向けつつ、僕じゃないものを見ているような素振りをすることがあるんだよね。
もしかしたら、プリシアちゃんは僕よりももっと強く霊樹の精霊を感じ取っているのかも。というか、感じ取っているんだろうね。なんせ、霊樹の精霊がいることを真っ先に気づいたのは、プリシアちゃんなんだしね。
プリシアちゃんは今、何をしているのかな。
瞑想の最中だから視覚で捉えることはできないけど、竜脈を辿った気配でなんとなくわかる。
僕の近くにはルイセイネの優しい気配がある。巫女様らしい清い気配だね。ミストラルも澄んだ気配をしているけど、彼女はもっと力強さを感じる。
プリシアちゃんはルイセイネにくっついているのかな。きっと抱きついてあやしてもらっているに違いない。
プリシアちゃんは元気いっぱいの気配だね。眠たそうにしている時も、ミストラルに怒られてしょんぼりしている時も、気配だけはいつも元気いっぱい。
小さい子供が元気って、とても良いね。こっちまで元気になれちゃうよ。
そして、プリシアちゃんといつも一緒に居るのはニーミアの気配。身体は子猫のように小さいのに、感じる気配はミストラル以上。
子供とはいえ、さすがは古代種の竜族なのかな。
瞑想しながら気配を探れば、ニーミアからは計り知れない強さを感じることができた。
こうして竜脈を辿ってみんなの気配を感じられるようになったのも、ひとえにスレイグスタ老のおかげだよ。
スレイグスタ老が僕に竜脈の存在や使い方、その他にも色んなことを教えてくれていなきゃ、僕は今でも学校でリステアに憧れるだけの生活を送っていたに違いない。
そのスレイグスタ老は、僕たちから少し離れたところで優しく見守ってくれている。
ニーミアでさえ足元にも及ばないほどの圧倒的な存在感。それでいて威圧感はなく、自然に溶け込むような気配をしている。
霊樹なんかと似ている気がするよ。圧倒的すぎて、それがもう世界の一部であるかのように感じるんだ。
スレイグスタ老は、竜の森を護る伝説の老竜なんだよね。いつもは好々爺的な存在で、たまに悪さをしてミストラルに怒られる姿は、とても二千年以上生きた巨竜とは思えない。
だけど森の事になると、雰囲気は一変する。
普段は優しい光を湛えている黄金の瞳は鋭さを見せ、計り知れない迫力には今でも魂が縮み上がる思いだよ。
僕はみんなの気配を辿り、意識を広げていく。
そうすれば、今度は古木の森の動物たちの気配を感じる。
魔獣は入ってこられないけど、動物たちには迷いの森の結界は影響しないみたい。
鳥たちが飛び回り、獣が走る気配を感じる。
竜脈って凄いね。竜脈の扱いに慣れてくると、竜脈の恩恵を受けていない、それどころか存在も知らない様な生き物たちの気配まで感じ取ることができるなんて。
ミストラルやスレイグスタ老くらいになると、離れた相手の状況までわかるんだとか。これはさすがに相手も竜脈に精通していないと駄目らしいけど、僕もいつかそんな能力を身につけることが出来るのかな。
そのためには、精進あるのみか。
僕はより深く瞑想に入り込む。
雑念は追い出す。
竜脈を辿り、竜気を練り、竜力として身体の内側に溜める。
そうして瞑想していると、ふと森の先で強い気配を感じた。
なんだろう、と思って意識をそちらに向ける。
とても強い気配。計り知れないと言っていい。圧倒的な何者かの気配が、森に迷うことなく苔の広場へと向かって来るのがわかる。
強烈な闘気に、森の動物たちが一斉に逃げていく。
なんだろう、嫌な予感がする。
僕は瞑想を中断して、目を開けた。
視界に飛び込んでくるのは、深緑の苔の絨毯と古木が林立する幻想的な風景。
でも、森からは動物たちの鳴き声がなくなり、静まり返っていた。
僕はスレイグスタ老を見る。
スレイグスタ老は森の一点を睨み据えていた。
「んんっと、お兄ちゃん」
プリシアちゃんたちも、森の違和感に気づいたのかな。ルイセイネとプリシアちゃんは不安そうに僕のもとへとやって来る。
ニーミアは、プリシアちゃんに抱きかかえられて、不安そうに森の奥を見つめていた。
僕はみんなを抱き寄せ、錬成していた竜気で周りを包み込む。
何者かが苔の広場へと向かって来ているのは間違いない。
それが何なのかは全く見当もつかないけど、だからこそ警戒するに越したことはないよね。
スレイグスタ老の気配からも、相手が只者ではないことが窺い知れる。
僕たちは寄り添いあい、身体を固く緊張させ、スレイグスタ老とニーミアが注視する森の先を同じように見る。
すると、地響きを伴う重い足音が、次第に僕たちの耳に届きだした。
不気味な感じだ。
プリシアちゃんは恐怖を感じたのか、両耳を押さえて、僕の脚に埋もれてきた。
ルイセイネも不安そうに僕の服の裾を握っている。
スレイグスタ老が大きな頭をもたげ上げる。
ぴくん、とニーミアの耳が反応し、そしてニーミアはプリシアちゃんの頭の上から僕の腕の中へと逃げ込んできた。
「にゃあ、逃げるにゃあ」
前足で僕を叩いて暴れるニーミアを抱き止める。
ニーミアは子供とは言っても古代種の竜族で、スレイグスタ老を除けばミストラルよりも強いらしい。
そのニーミアが逃げろと言っている。
間近に危険が迫っているのを、僕だけではなくルイセイネも感じていた。
でも、だからこそ逃げないほうがいいと思った。
ニーミアさえもが逃げろという相手だ。逃げてもすぐに追い詰められるだろう。
それよりもスレイグスタ老の側にいて、守ってもらう方が安全だと思った。
不気味な足音は徐々に大きくなっていく。
スレイグスタ老はぐるる、と唸り声を上げる。
そして。
奴は深い森の奥から、姿を現した。
があぁぁっ、と古木の森を震わせる咆哮。
長い耳は立ち、額の二本の角は絡まり合い一本の雄々しい角になっている。
竜然とした躯体と顔立ち。
全身を覆う体毛は長く美しい。
翼は胴に折り畳まれているが、広げれば身体の倍はありそうに大きい。
尾は恐ろしく長く、先は森の奥まで続き先端は窺い知れない。
現れたのは、まさに竜だった。
ニーミアが僕の腕の中で暴れる。
現れた美しい竜は、苔の広場の中程まで悠然と進むと、全身を輝かせる。
何だ、と思う間もなく巨大化していく竜。
スレイグスタ老ほどではないけど、圧倒的な大きさになり、もう一度咆哮を轟かせた。
「はうっ」
あまりの迫力に、ルイセイネが気絶する。
「にゃうにゃぁぁっ」
ニーミアがさらに暴れ、僕の手から離れ飛ぶ。
そして翼を羽ばたかせて逃げようとした瞬間。
目にも留まらぬ速さで、ニーミアは現れた竜の手に捕まってしまった。
現れた竜は、角の形状こそ違うけど、ニーミアの大きくなった姿によく似ていた。
美しく長い体毛は、毛先が桃色に染まっている。
「久方ぶりに森へと来てみれば、探していたものを見つけることができたわ」
竜は捕まえたニーミアを眼前に持って行く。
ニーミアは暴れるけど、巨大な手で鷲掴みにされて逃げ出せそうになかった。
「ふむ、久しいな、アシェルよ」
「まだ生きていたのね、爺さん」
見つめ合う二頭の巨竜。
「うわぁぁん、お母さんに見つかったにゃん」
ニーミアの悲鳴が、苔の広場に響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます