ニーミアの憂鬱

「森に魔獣が多く彷徨うろついていたから、いよいよ爺さんが死んだと思って来てみれば、まさか探していた娘が見つかるとわね」


 ぎろり、と竜のアシェルさんは眼前のニーミアを睨んだ。

 一睨みで硬直してしまうニーミア。


「森の魔獣は訳ありである。汝とて手出し無用ぞ」

「ああ、爺さんの手伝いをしていた時期が懐かしいわ」


 くつくつと喉を震わせて笑うアシェルさん。


 アシェルさんは、家出した娘のニーミアを探していたんだね。

 そして竜の森を通りかかった時に、たまたま森の異変に気付いてスレイグスタ老のところへと赴いたんだろうね。

 話ぶりから、スレイグスタ老とアシェルさんは旧知の仲みたいだ。


「それにしても」


 と、ニーミアから僕たちに視線を向けるアシェルさん。


「人如きをこの場所に入れるなんて、生きてはいたけどけが始まっているみたいね」


 鋭い眼光で僕を威嚇するアシェルさん。

 ルイセイネは既に、僕の足もとで気絶しているし、プリシアちゃんは耳を塞いで目を閉じて、僕の脚の間に埋まっている。


「あはは、初めまして。エルネア・イースと言います」


 僕は愛想笑いを浮かべて挨拶をする。

 ニーミアのお母さんなら、ちゃんと挨拶をしなきゃね。

 殺気を向けられているだとか、人如きとさげすまされて見られているだとかは別問題だよ。


 というか。


 物凄い迫力と殺気なんだけど、僕にはそれはあまり通用しないみたい。

 スレイグスタ老の本当の迫力を最初に体験したからなのかな。

 苔の広場に迷い込んだ時のスレイグスタ老の圧倒的な存在感、寿命が縮んだんじゃないかと思うような恐ろしくも猛々しい咆哮は、僕の恐怖や絶望に対する敷居をぐんと上げたような気がする。


 ああ。それに、しょっちゅう魔獣に追われて命の危機を感じていたから、相手の殺気が本物かどうかなんかもわかっちゃう。

 アシェルさんの迫力は本物だけど、殺気は偽物かな。僕を威圧しているだけだと思う。


 アシェルさんがニーミアのお母さんなら、彼女も古代種の竜族なんだよね。

 なら、僕らのような人は羽虫程度にしか思っていないに違いない。

 羽虫に本気で殺気を向けるような生き物はいないもんね。


 だから、アシェルさんがどんなに僕を威圧しても、恐怖で自我を失うようなことはなかった。


「はぁん、面白くない人族の小僧だね」


 僕の思考を読んだんだろうね。アシェルさんは威嚇をやめ、視線をスレイグスタ老の方へと向ける。


「さあて、それではこの状況を教えてくださいな」

「ふむ、状況か」


 目を閉じ思案するスレイグスタ老。


「この者たちは……」


 なんだろう、こういう時のスレイグスタ老からは、嫌な予感がするよ。


「竜神様が遣わした使者なり」

「がぶり」

「あぎゃああぁぁっ」


 問答無用でスレイグスタ老の長い首に噛み付くアシェルさん。


「まてまてまて、我に何ということをするのだ」

「竜神様が大呆おおぼけじじいに遣いなんて寄越すものですか」


 スレイグスタ老の首から離れ、呆れ顔でため息を吐くアシェルさん。


 スレイグスタ老、ミストラル以外からも恐ろしい突っ込みをされるんですね。

 というか、竜神ってなんだろう。


「それで、何者なのです」

「ふむ、この者たちは其々それぞれに理由があり、我の元におる」


 僕はスレイグスタ老に師事して竜剣舞や竜脈の使い方を習っている。

 足下に倒れているルイセイネは僕の未来のお嫁さんで、スレイグスタ老への顔見せで連れてきたんだ。

 そして小さい女の子はプリシアちゃん。

 竜の森に住む耳長族の子供で、僕が持つ霊樹の木刀に宿る精霊と交信するために僕の側にいるんだよね。


 スレイグスタ老の言葉と僕の思考を読んで、アシェルさんはふぅん、と喉を鳴らした。

 相変わらずニーミアを鷲掴みにしたままね。


「随分と面白いことになっているわね。腐龍の王が居たときのような賑わいだわ」


 アシェルさんは腐龍の王を知っているのかな。ということは、スレイグスタ老と知り合ったのは、アームアード王国建国よりもずっと前ってことになるね。


「でも、そんなことよりも。何故に私の娘がこんな所に居るのかしらね」

「にぁあっ」


 アシェルさんに視線を戻され、怯えるニーミア。

 どんな理由で家出してきたのかは知らないけど、何だか怯えすぎじゃないかな。


「この小娘は、たまたま耳長族の村に迷い込んだだけのようである」

「本当かしら」

「ほ、本当にゃん」

「汝の若い頃そっくりであるな。お転婆で好奇心旺盛なり」

「だけど、私は臆病ではなかった」


 アシェルさんの言葉に、びくっと震えるニーミア。


「汝の娘はまだ幼いであろう。臆病くらいが身を守るのに丁度良いではないか」

「さりとて私どもは闘竜とうりゅう。子供とはいえ闘竜が戦いを恐れていては話にならないわ」

「にぁあ」


 ニーミアは、アシェルさんの手の中で瞳を潤ませて悲しそうだ。


「闘竜って何ですか」


 僕が質問すると、話に入ってくるなと言わんばかりにアシェルさんに睨まれた。


 スレイグスタ老は、自己紹介の時に自分を守護竜と言っていたよね。霊樹を守っているからなんだと思うけど、それじゃあ闘竜ってなんだろう。


 スレイグスタ老は、ニーミアのことを守護闘竜と言っていたのを覚えている。


 何かを守るのに闘竜?

 よくわからない。


「ふむ、よく覚えていた」


 スレイグスタ老は僕に頷く。


「我はその通り、霊樹を護っておるので守護竜である。アシェルもいにしえの都を護る竜ではあるが、本来は闘竜である。易く説明すれば、守備よりも攻撃が得意な竜族ということであるな」


 なんだ、そのまんまなのか。戦いを好むってことだよね。


 古の都という場所を守るのはお役目なんだと思う。でも本来は、飛竜のような凶暴な種族なのかな。

 そしてニーミアも闘竜だけど、臆病で、戦うことが怖くて家出してきたのかな?


「違うのにゃん。お母さんが怖いからにゃん」


 ふるふるとアシェルさんの手の中で震えるニーミア。


「母親が怖いだなんて、なんてことを言うの」


 ニーミアを睨むアシェルさん。


 いやいや、その迫力が子供には怖いんじゃないかな。


「人如きが竜族の家庭のことに首を突っ込むでない。あまりに出しゃばると、喰うてやるぞっ」


 アシェルさんは威嚇を込めて、僕に近づき咆哮をあげた。


 プリシアちゃんが驚いてしゃがみこみ、泣き出してしまう。

 いくら耳を塞いでいても、近くで咆哮をあげられたら、耳に届くよね。


 僕は驚いただけだったけど、プリシアちゃんはまだ小さな子供なんだ。

 無闇に怯えさせなくてもいいじゃないか。


 僕はプリシアちゃんを抱きしめて背中をさすってあげる。

 だけど、プリシアちゃんは僕に抱きつき返し、わんわんと大きな声を上げて泣き出してしまった。


「小さな女の子を怯えさせるなんて、それが古代種の竜族の母親がやることですか。可哀想じゃないですか」


 僕はつい、アシェルさんを睨んで言ってしまう。


「ぬぬぬ、人如きが私に説教か」


 ぐっと顔を近づけて威嚇してくるアシェルさん。


「人とか竜とか関係ないですよ。母親は子供を守るものです。怯えさせるなんて間違っています」


 実の娘であるニーミアでさえ、怖くて泣いてるじゃないか。

 いくら闘竜だからといっても、何でもかんでも相手を威嚇して怯えさせて、自分の都合のいいように話を持って行こうとするのは良くないよ。


「かかか、アシェルよ。エルネアの言う通りである。汝はもう少し母親らしくあれ」


 うん、僕は言葉には出してはいないよ。

 スレイグスタ老もアシェルさんも、僕の心を勝手に読まないでほしいよね。と思いつつも、読まれることを前提して思考していたりする。


「ふん、人のおすなど、私の守護層に一歩でも足を踏み入れれば、問答無用で殺しているのに」

「残念であるが、ここは我が守護する場所なり。いくら汝とて、ここでの無用な殺生は承知せぬ」


 アシェルさんよりもさらに高い位置から、スレイグスタ老は威厳に満ちた言葉を降り下ろす。

 それでもアシェルさんは一時僕を睨み据えていたけど、諦めたように首を引いた。


「ふん、こんなところで人如きと争っても何にもならない。探していた娘も見つかったことだし、私は帰りますわ」


 ふんっ、とそっぽを向いて僕から視線を外すアシェルさん。


「嫌にゃん、帰りたくないにゃん」


 ニーミアはアシェルさんの手の中で暴れる。

 よっぽど帰りたくないんだろうね。涙を流しながら、必死に抜け出そうとするニーミア。

 だけど、アシェルさんはがっしりとニーミアを掴んでいて、逃げれそうにない。

 巨大化、というか元の大きさにも戻ることができないのかな。

 アシェルさんの巨大な手の中で必死にもがくニーミアは、あまりにも小さく見えた。


「いやいやん。ニーミアを連れて行かないで」


 アシェルさんの言葉が聞こえたのか、プリシアちゃんが泣きながらアシェルさんの足下にすがる。

 アシェルさんの長い毛を力一杯引っ張って、必死に訴える。


 危ない、と思い僕はプリシアちゃんのもとへと駆け寄る。

 アシェルさんがその気になれば、プリシアちゃんなんて簡単に踏みつぶされちゃうよ。


 僕はプリシアちゃんを引き離そうとするけど、彼女はアシェルさんにしがみついて離れようとしない。


「いい子にするからニーミアを連れて行かないで!」


 まるで玩具を強請ねだる子供のように、プリシアちゃんは必死にニーミアを取り戻そうとしている。

 いや、強請る時以上だよ。

 副都で、ぬいぐるみを買ってとミストラルに駄々をこねていた時よりも、何倍も必死に懇願している。


 プリシアちゃんとニーミアは、とても仲が良かったからね。

 ニーミアが居なくなることがプリシアちゃんには耐えられないんだろう。


「僕からもお願いします。ニーミアを連れて行かないでください」


 僕はプリシアちゃんの味方だ。プリシアちゃんが切望していることのために、僕も頑張ってみよう。


 僕もアシェルさんの毛を掴み、お願いする。


「千年近くも生きる古代種の竜族にとって、百歳くらいの子供はまだ赤ちゃんみたいなものでしょう。なら少しは遊ばせてあげてください」


 子供は遊びながら色んなことを学んでいくんだよ。竜族も一緒かはわからないけど、いまプリシアちゃんと居ることが、ニーミアの将来に役立つかもしれないじゃないか。


「ええい、邪魔よ。人と居ても何も学ぶことなんてないわ。離れぬなら、踏み潰してしまうぞ」


 威嚇するようにアシェルさんは言うけど、効き目なし。聞く耳なんて持たない僕とプリシアちゃん。


「にゃんもプリシアと一緒に居たいにゃん。エルネアお兄ちゃんと居たいにゃん。ミストお姉ちゃんとルイセイネお姉ちゃんに毛繕いしてほしいにゃん」


 ニーミアも必死に訴える。


「この我儘わがまま娘め。家出だけじゃ飽き足らず、人と一緒にいたいと言うのか」

「居たいにゃん。みんな大好きにゃん。離れたくないにゃん」


 プリシアちゃんに続き、ニーミアまでにぁあにぁあと泣き叫び出した。


「んなっ!? 闘竜ともあろう者が、こんな情けない泣き姿っ」


 アシェルさんは、ニーミアの泣き姿に愕然とする。


「連れて行かないで」

「お願いします、プリシアちゃんとニーミアを離さないで下さい」

「帰りたくないにゃん」


 僕たちの必死な懇願に、困り顔になるアシェルさん。


 アシェルさんの本能的には、僕たちなんてさっさと踏み潰して立ち去りたいんだろうけど、スレイグスタ老に殺生は禁止されているから、無理に振り解くことができなくて困っているんじゃないかな。


「ふむ、アシェルよ」


 じっと事の成り行きを見守っていたスレイグスタ老が、頭を下ろしていつものどっしりと横たわった体勢に戻る。


「汝も小さい頃、よく職務を抜け出してこの森へとやって来た」

「あれは好敵手を求め、自分の力を上げるために放浪していただけです」

「ほう、好敵手を、とな。では何故、絶好の獲物であった腐龍の王とは対峙せなんだ」

「ぐぬぬ、それは……」


 スレイグスタ老は優しい瞳で僕たち、というかアシェルさんを見つめる。


「家出娘の娘が家出をする。我に言わせれば、母ありて子ありであるな」

「でも私は逃げ出したわけではない」

「我からすれば、守るべき場所から離れた時点で、どの様な理由であれ一緒のことであると思うがな」


 二千年間竜の森を守り続けきたスレイグスタ老の言葉には、重みがあった。

 アシェルさんも反論できないでいる。


「あるとき、汝と仲良くなった獣が森で老衰により亡くなったな」

「いつの話をしているのです」

「あの時、汝は目を腫らして泣いておった。別れが辛かったのであろう」

「昔のことです、覚えていない」

「いま、ニーミアとプリシアを引き裂けば、汝の娘は悲しみに溺れるであろう。汝と同じように、別れの辛さをこんな幼子に味あわせるのか」

「それは……」


 口ごもるアシェルさん。


「子供には遊ばせてやるが良い。汝が子供であった時のようにな」


 自分の子供時代を知っている年配者からそう言われては、言い返すことはできないよね。

 アシェルさんは不満そうに、仕方なくといった感じでニーミアを解放した。


 ニーミアは真っ直ぐにプリシアちゃんのところへと飛んでいき、ふたりはひっしと抱き合って、今度は喜び泣くのだった。

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