アシェルさんの憂鬱

 良かったね、と僕はプリシアちゃんとニーミアの頭を撫でてあげる。

 そしたらふたりは、今度は僕に抱きついて泣いた。

 ううぅむ、一件落着したなら、気絶して倒れているルイセイネのところに戻りたいんだけど。


「いいや、一件落着はしておらぬ」


 しかしスレイグスタ老は僕の心を読んで、神妙な顔になる。


 むむむ、何か問題が残っていたかな。

 ニーミアはプリシアちゃんと離れずに済んで、アシェルさんも思うところはあっても、無理に連れ帰ろうとする気配はなくなったのに。


「ニーミアの臆病を治さねば、アシェルも安心して帰れまい」


 ああ、そうか。

 ニーミアは臆病ちゃんで、闘争心むき出しのお母さんが怖くて家出してきたんだよね。

 アシェルさんはニーミアを見つけることはできたけど、この臆病さを治さないと安心して帰れないよね。

 だって、もし戻っても、また家出する可能性があるんだから。それどころか、戻ってこない可能性もあるのか。


「困ったね」


 どうやったらニーミアの臆病を治せるんだろう。

 というか、小さな子供が臆病なのは、普通じゃないのかな。

 小さいうちにいろんなことに興味を示し、挑戦していくことで心は鍛えられるんじゃないだろうか。

 ニーミアは臆病でも好奇心旺盛だし、ひとりで家出するくらい心は強いと思うんだよね。


「闘竜が戦うことを恐れていては話にならない」


 ああ、アシェルさんはさっきもそういうことを言っていたね。

 戦うことが怖いのか。

 ニーミアはまだ小さいし、女の子だもんね。戦いは苦手なのかもしれない。


「にゃんは痛いのは嫌にゃん」

「怪我なんてすぐに治るでしょう」


 それよりも、竜族を負傷させれるような相手は、なかなか居ないんじゃないのかな。

 鈍器でスレイグスタ老を負傷させるミストラルは、竜姫だから特別だと思うんだよね。


「相手が痛そうなのも嫌にゃん」


 そうか、ニーミアは優しいんだ。

 自分が負う傷の痛みも嫌だけど、戦って相手が傷つくのも嫌なんだね。


 僕も、誰かが痛がる姿や傷つく姿は、見るのが好きじゃないよ。

 自分や周りの人に危機が迫っている時は躊躇いなんて見せないけど、普通の時は嫌だ。

 ニーミアは僕以上に相手のことに敏感なのかもしれない。


「ふむ、自分も相手も傷つくのが嫌か」

「にゃん」


 スレイグスタ老の言葉に、強く頷くニーミア。


「なれば、力を付けよ」

「戦う力は欲しくないにゃん」

「そうではない。戦わずしても相手を屈服させれるだけの、圧倒的な力を付けよ」

「それは子供のニーミアには難しいですよ、おじいちゃん。実戦経験を積まなきゃ、どんな能力を持っていても強くなれないし。でもニーミアは実践が嫌なんですよ」


 嫌いなものを克服するために嫌いなことをしなさい、とは小さい子供にはあまりにも酷じゃないかな。


「闘竜ならば、戦うことを本能に持つ竜族であれば、見て上達せよ」


 スレイグスタ老は何を言っているんだろう。

 戦いを見て覚える?

 そんなんことが出来るのかな。


「雪竜であれば出来るであろう」


 言ってスレイグスタ老は、ニーミアとアシェルさんを交互に見つめる。


「よもや、見るのも嫌だと我儘は言うまい」


 これはスレイグスタ老の示した妥協案なのかも。これが嫌なら、もっと厳しいことを言いそうな雰囲気があった。

 ニーミアもその雰囲気に気づき、うぅと唸りながら弱く頷いた。


「とは言っても爺さん、戦いを見せる相手がいないわ」


 あああっ、それもそうだよ。

 古代種の竜族が戦いを見せられるような相手なんて、そう簡単にはいない。いや、いたら困るんだけど。


 スレイグスタ老とアシェルさんが模擬戦でもするのかな。


 巨大竜大戦だね。

 きっと森の結界なんて吹き飛んじゃうよ。

 突然、森の上空に現れた二頭の巨大竜に、アームアードの王都は大変なことになるんじゃないのかな。

 スレイグスタ老とアシェルさんは戦いになれば、きっと人なんて気にも留めないよね。

 ふたりの戦いの余波で、大災害になるのかな。

 ああ、王様ごめんなさい、王都のみんなごめんなさい。父さん母さん、うまく逃げてください。


 僕は絶望的な気持ちになる。


「やれやれ、汝はいつも突飛な方へと想像を膨らませるな」


 スレイグスタ老は呆れて、ため息を吐く。

 アシェルさんも阿呆の子を見るような目で僕を見ていた。


「そうは言っても、どうするのです。爺さんには良い案があるんですか」


 アシェルさんも困惑したようにスレイグスタ老に聞く。


「ふははは、我の叡智にかかれば、その程度は雑作もないこと」


 スレイグスタ老は喉を震わせて笑う。

 うん、なんだか嫌な予感がしてきたよ。


「近場に程よい好敵手がおる」


 まさか……


「竜峰に腐龍が現れて難儀しておったところだ。汝は娘を連れて退治してまいれ」

「は?」

「あああ、やっぱりか」


 自分は守備範囲外だから動けない代わりに、アシェルさんを行かせるわけだ。

 いい人材が現れた、とほくそ笑んでいるに違いない。


「腐龍って爺さん……」

「うにゃあ、腐龍は怖いにゃあ」


 ふるふるとニーミアはプリシアちゃんの腕の中で震える。


「私ら竜族にとって、腐龍は相対したくない相手の筆頭よ。なんで私がそれの退治に行かなきゃいけないの」


 アシェルさんは恨めしそうにスレイグスタ老を睨む。


「ふはははは。なに、腐龍の王よりかは弱い。大したことはなかろう」

「強さの問題ではなくて」


 はああ、とアシェルさんはため息を吐く。


 竜族は腐龍と戦うのは苦手なのかな。

 なんでだろう。

 呪われたとはいえ、元は同じ竜族だからかな。

 僕たち人だと、例えば魔剣に呪われた人にも慈悲を、という考えは聖職者の人以外は持ち合わせない。だから対峙しても同情心なんて湧かない。

 僕が遺跡で魔剣使いと対峙した時のようにね。

 だって、もとは人間だったんだなんて思って手元が鈍れば、自分の命が危険になるんだから。


 竜族の価値観は違うのかな。

 そう思って僕は、スレイグスタ老とアシェルさんを伺う。


「腐龍になると、竜への抵抗値が桁違いに上がる。元が雑魚の竜であっても、竜族には倒しにくい相手になってしまうのだな」


 僕の思考を相変わらず読んで、スレイグスタ老が教えてくれた。


「ふん、竜の攻撃への耐性が高くなっていなければ、腐龍になった時点で、その場に居合わせた他の竜に退治されておるわ」


 なるほど、それもそうだね。


 腐龍と竜族は相性が悪いのか。

 ああ、だから竜族と竜人族では腐龍の王を討伐することができなかったのに、アームアードとヨルテニトスの人族の双子には退治できたのか。

 歴史と事実の因果関係を知って、僕は学者になった気分だよ。


「ええっと、それなら腐龍討伐はアシェルさんには荷が重いんじゃないかな」

「がはは、アシェルよ、人に心配されておるぞ。さあ、汝の力を見せつけてやるのだ」

「爺さんの口車には乗りません。腐龍退治なんてごめんよ」


 ふんっ、そっぽを向くアシェルさん。


「なるほど、汝も臆病であるか。ならば己の娘が臆病でも仕方あるまい。のぉ、ニーミアよ」

「にゃんにゃん」


 そうだそうだ、と強く頷くニーミア。

 しかしアシェルさんに一睨みされると、一瞬で縮こまる。

 どんだけお母さんが怖いんだ。


「苦手な相手にも打ち勝つ強さを見せよ。さすれば小娘はそこから、自分なりに臆病さを克服する力を見出そう」

「爺さんが言ってることはわかるけど、なんか癪だわ」


 スレイグスタ老とアシェルさんは昔から仲良しだったんだろうね。

 棘のある言葉や指摘も軽く流し、不機嫌になるどころか楽しそうな雰囲気だ。


「いやいや、昔はこのお転婆娘に散々な目にあわされたわい」

「何を言うんです。爺さんのせいでどれだけの問題が起きたか。そのふざけた性格は六百年経っても変わらないわ」

「ふふん、何を久方振りに会ったような言い方をするか。汝はよく職務を放棄して我のところへ来るではないか。最近であれば、十年ほど前か」

「んなっ、なんでそういうことを言うのっ」

「あ、そういえば、お母さんはお父さんと喧嘩すると、たまに居なくなるにゃん」

「ニ、ニーミアっ」


 ニーミアの反撃にたじろぐアシェルさん。


「がははは、小娘に露見してしまったな。母としての名誉を取り戻したくば、腐龍を退治してくるがよい」

「くっ、爺さんの思惑にまんまと乗せられているようで悔しい」


 乗せられているよう、というか完全に乗せられているね。

 アシェルさんも長命な古代種の竜族なんだろうけど、二千年間竜の森を守り続けてきたスレイグスタ老には、軽く手のひらで弄ばれている。

 こういうところは、やっぱり凄いんだなと感心するよ。


 悔しがる母親を見るのが珍しいのかな。ニーミアは驚いたようにアシェルさんを見つめていた。


「んんっと、プリシアも行く」


 いつの間にか泣き止み、僕たちのやりとりを不思議そうに見つめていたプリシアちゃんが元気よく手を挙げた。


「いやいや、危ないからね。僕たちはお留守番だよ」

「ふむ、何を言う。汝も行って見学をするのだ」

「えええぇぇっっ」


 僕は悲鳴をあげた。

 なんで僕が闘竜と腐龍の戦いを見学しなきゃいけないんだ。

 怖くて、見学どころか、現場に近づきたいとさえも思わないよ。


「アシェルの背に乗って行けば良い」

「はあああぁぁぁっ」


 今度はアシェルさんが悲鳴をあげる。


「なぜ私が人如きの、それも雄を背中に乗せて飛ばないといけないの」


 うんうん、そうだよね。古代種の竜様が僕のような人なんかを背に乗せるなんて、許さないよね。


「なに、我が許す。乗って行ってこい」

「んんっと、プリシアも行きたいの」


 頬を膨らませて抗議するプリシアちゃん。


「汝は危ない。巫女と一緒に残っておれ」

「いやいやん」


 プリシアちゃんはスレイグスタ老のもとへと走っていき、抗議の拳を振り下ろす。

 ぽこぽことスレイグスタ老の顎を叩くプリシアちゃんに、僕たちは苦笑した。


「さあ、エルネアよ。巫女をそろそろ起こしてやってはどうだ」

「うう、そうだね」


 決して忘れていたわけじゃないよ。ルイセイネのことはずっと気にかけていたんだけど、目の前の状況に対応するのが精一杯だったんだ。


 僕はルイセイネのところへ行く。

 ルイセイネを優しく揺すって声をかけると、まつ毛が揺れた。


「あらあらまあまあ、朝でしょうか」

「うん、なんか寝ぼけているね。そうじゃないよ」


 僕はルイセイネの背中に手を回して起こしてあげる。

 そして今までの状況を説明し、これからの事を話す。

 ルイセイネは僕の話を聞きながら、周りを見渡していた。

 そして巨竜のアシェルさんを見て目を丸くし、僕の説明で両手を口に当てて絶句していた。


 僕とルイセイネがやりとりをしている間、プリシアちゃんはずっとスレイグスタ老に抗議していたよ。

 だけど聞き入れられなくて、不貞腐れてしまっている。


「みんながプリシアを仲間外れにするの」


 瞳に涙を溜めて、プリシアちゃんはルイセイネに抱きついてくる。


「あらあらまあまあ、それは困りましたね」


 ルイセイネはプリシアちゃんを抱きしめる。


「ええっと、僕も本当に行かなくちゃいけないのかな? 僕も残ればプリシアちゃんも納得してくれると思うんだけど」

「却下なり」

「ううう」


 僕の微かな望みは打ち砕かれた。


「雪竜の戦いを観るのだ。汝にとって、それはおそらく掛け替えのない体験になるであろう」


 たしかに、古代種の竜族の戦いを観れるというのは興味がある。

 飛竜が王都で暴れる姿は過去に何回か見たことあるけど、きっと比べ物にならないんだろうね。


 だけど、正直怖い。それにアシェルさんが僕なんかを背中に乗せてくれるのだろうか。


「やれやれ。腐龍をどうにかしないと、色々と安心して帰れないわ」


 アシェルさんは腐龍討伐を観念しているみたいだ。

 諦めたようにため息を吐いている。


「討伐をする事はわかったけど、近くまで送ってくれるのでしょうね」


 近く、とは腐龍の近くということかな。


「竜峰の南部と森が接する地域には送ってやろう。しかし我も正確な腐龍の位置は知らぬ。送った後は汝自身で探せ」

「はああ、やっぱり昔と変わらずね。面倒に巻き込んで、その後は丸投げ」

「全てをお膳立てするよりも刺激があってよかろう」


 スレイグスタ老は大笑いで古木の森を震わせた。


「仕方ない。それでは行きますよ」


 言ってアシェルさんはニーミアを捕まえる。


「振り落とされないように、ちゃんと毛を結んでおくのよ」

「にぁあ、怖いにゃん」


 お母さんが怖いのかな。これから起こることが怖いのかな。

 うん、きっと両方だね。


 ニーミアはアシェルさんの背中に飛んで移動すると、小さい姿のまま自分の尻尾の毛とアシェルさんの背中の毛を器用に結ぶ。


 遠目から見たら、ニーミアはアシェルさんの体毛に埋もれて見えないよ。

 それじゃあアシェルさんの戦いも見れないんじゃないかな。

 と他人事のように見ていたら、アシェルさんに小突かれた。


「何をしている。今回は特別よ。さっさと背中に乗りなさい」

「えええっ」


 やっぱり僕も行くのか。

 仕方ない、と行こうとしたら、服を引っ張られた。


「お土産」


 プリシアちゃんか。


「ええっと、見学に行くだけだから、お土産はないよ?」

「いやいやん。お土産がないとプリシアはお兄ちゃんを嫌いになるの」

「そ、そんなぁ」


 僕はすがるような瞳でアシェルさんを見る。

 何かお土産を準備してください。


「ふん、そこまで面倒は見きれない。自分のことは自分でどうにかすることね」


 しかしアシェルさんの冷たい言葉に、僕は撃沈する。


 ううう、スレイグスタ老のせいだ。

 いまならアシェルさんが迷惑がっていた気持ちがよくわかるよ。


「な、何かお土産を探してくるね」


 僕は引きつった笑顔を見せ、アシェルさんのもとへ。

 どうやって背中まで登ろうかと思ったら、アシェルさんが僕を掴んで背中に放り投げた。


 物扱いかっ。


 僕は受け身を取りつつ、アシェルさんの背中に降り立つ。

 落ちる衝撃はなかった。

 ニーミアと同じふわふわの毛で、優しく身体が包まれる。

 僕はニーミアの側に行き、手頃な長い毛を腰に巻きつけた。


「お土産なかったら、嫌いだよ?」


 念を押してくるプリシアちゃん。

 頬をぷっくりと膨らませて腰に手を当てて僕たちを見上げるプリシアちゃんは、とっても可愛い。

 僕はプリシアちゃんとルイセイネに手を振る。


「行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

「んんっと、お土産」


 プリシアちゃんの念押しに、僕たちは笑ってしまった。

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