遠くて近い場所

「どうやって渡るの?」


 それが率直な疑問だった。

 泉とはいっても、そこそこには大きい。だって、円形の村の南半分の広さなんだよ。

 そして水深は恐ろしく深いんだ。

 僕の空間跳躍では、流石にひと跳びで竜廟の建つ岩場にはたどり着けない。

 もしかして、ミストラルの跳躍なら届くのかな、と思って聞いてみたけど、無理だと言われた。


 じゃあ、どうやって渡るのか。


 僕が考え込んでいると、食器を片付けたルイセイネが追いついて来た。


「それじゃあ、渡りましょうか」


 言ってミストラルは、とんとんとんと一定の間隔で水面近くの大地で足を踏み鳴らし始めた。

 プリシアちゃんが水面下をじっと見つめているのにならって僕も凝視していると。


 出てきました!

 浮いてきました!


 青黒い闇の奥から、何やら大きな影が浮上してきた。

 透明度が恐ろしく高い泉の奥底から浮遊してくる何かを見て、僕は身震する。

 なんというか、そこはかとなく不気味な感じがしたよ。

 だけど、僕の悪寒を余所よそに、プリシアちゃんは浮いてくる何かに嬉しそうに手を叩いている。

 アレスちゃんも興味津々に水面下を覗き込んでいた。


 そして。


 ゆっくりと浮上してきた何かは、水面から顔を覗かせた。


 濃い水色の全身に、魚のような頭。でも頭頂には立派な角があり、胴体は竜のそれ。両手両足の指の間には水かきがあり、尻尾は縦に平らだった。


「もしかして、これって竜族?」

「そうよ。この子に乗せてもらって渡るの」

「竜さんこんにちは」


 プリシアちゃんが挨拶をすると、水竜はぶくぶくと口から泡を出して応えた。

 そして水竜はゆっくりとした動作で地上に上がってきた。


「うわっ、凄い。地上でも活動できるんだね」


 水竜だから、僕はてっきり水の中だけで生きる竜かと思ったよ。


「さあ、この子の背中に乗って。油断していると滑るから気をつけてね」


 水竜は僕たちが背中に乗る間、大人しくしていた。そしてミストラルが合図を送ると、またゆっくりな動作で泉に戻る。

 今度は沈むことなく水面に浮いたまま、僕たちを竜廟の岩場に連れて行ってくれた。


「ありがとう」


 到着してプリシアちゃんが水竜の頭を撫でてあげると、嬉しそうに目を細める。


 僕やルイセイネもお礼を言う。


 水竜は、人の言葉は喋れないけど、意味をきちんと理解できているみたい。平たい尻尾を嬉しそうに振りながら、泉の底へと帰っていった。


「泉に水竜が住んでいたんだね」


 まさか村のすぐ目と鼻の先に竜族がいるなんて、驚きだよ。


「大人しい種族なの。たまに機嫌がいいと、深い場所に住む魚を取ってきてくれることもあるわ」

「代わりに、たまに獣の肉をあげるんだよ」


 自慢そうにプリシアちゃんが教えてくれる。


「ですが、いのしし一頭丸ごと放り込むのはどうかと」


 ルイセイネの苦笑に僕は想像してしまって、ああ、やっぱり竜族だ、と笑ってしまう。


「さあ、話はまた後で。行きましょう」


 ミストラルに促されて、僕たちは目の前に建つ朱色の竜廟へと足を踏み入れた。


 竜廟は、受け継ぐ人が現れなかった竜宝玉が安置されている場所なんだとか。そんなところに簡単に入っても良いのかな、という疑問と、特別な場所に来ているんだという神妙な気持ちで中に入った僕は、呆気にとられた。


 竜廟の中には、何もなかった。


 中も朱色で染められているんだけど、ただそれだけ。

 八角の建物内には、竜宝玉どころか調度品も何もなかった。


「もしかして、今は竜宝玉は一個もない?」


 僕の疑問に、ミストラルは床の一画を指差した。


「そこに地下に降りる入り口があるの」

「ええっと、そんなことを簡単に教えちゃっていいのかな?」

「問題ないわ。今はきちんと封印してあるもの。それに、竜人族であれは誰でも知っていることなのよ」

「なるほど」


 なんで竜人族の人が誰でも知っている場所に大事なものを安置しているのかは不明だけど、ミストラルが大丈夫と言うなら大丈夫なんだろうね。


「わたしの近くに集まって」


 言われて僕たちは、何もない竜廟内の中心に立つミストラルの周りに集まる。

 すると程なくして、僕たちを見慣れた立体術式が取り囲んだ。


 スレイグスタ老の竜術だ。


 眩い光に目を閉じ、光が収まって辺りを見渡すと、そこはもう見慣れた苔の広場だった。


 なんて呆気ないんだろう、というのが正直な感想。


 僕は決死の思いで数日前に竜峰へ向けて王都を出たんだ。そして多難を乗り越え、今日の午前中にようやくミストラルの村にたどり着いた。

 だけど、そのミストラルの村からは何の苦労もすることなく、大した時間もかからずに苔の広場に到着してしまったよ。

 ここからもう一度スレイグスタ老に飛ばして貰えば、僕は実家の裏庭に帰れる。

 そして家から苔の広場までは、やっぱりあんまり時間はかからない。


 実家、ミストラルの村、そして苔の広場。本当は遠く離れた場所なはずなのに簡単に移動できてしまう現状に、僕は脱力してしまう。


「しかしそれは、我の力あってのことである」


 スレイグスタ老が優しく僕を見下ろしていた。


「あ、こんにちは。お久しぶりです」


 確かにそうか、と僕は頷きながらスレイグスタ老に挨拶をした。


「たった数日であるが、またたくましくなったように見える」


 スレイグスタ老に褒められて、僕ははにかむ。


「やはり我が見込んだ通り。汝であれば無事にミストラルの村までたどり着けると思っっておった」

「あらあらまあまあ、一番心配していたのはスレイグスタ様だったような気がしますけれど」

「翁は、エルネアの竜気が乱れる度に狼狽えていたでしょう」

「ぐぬぬ、小娘どもめ」


 ルイセイネとミストラルに暴露されて、スレイグスタ老は目を泳がせる。


「次はプリシアも旅がしたいよ?」

「貴女はもっと大きくなってからね」

「いやいやん」


 旅をするの、と言ってアレスちゃんと手をつないで古木の森へと駆けて行くプリシアちゃんを、ミストラルが慌てて追いかける。


 ほのぼのとしたいつものやり取りを見て、僕は笑う。


「いい笑顔だ。充実した旅になったのだろう。ならば我に語って聞かせよ」


 スレイグスタ老に催促されて、僕はもう一度、旅の始まりからを語った。







「そうであったか。汝らしい行程であるな」


 僕の話を聞き終わったスレイグスタ老は、静かにそれだけを呟いた。


 暴君の暴虐やオルタと思われる竜騎士のことをスレイグスタ老が知らないわけがないよね。

 でもあえて口に出さなかったのは、竜峰の事は竜峰に住む者が解決をしなさい、というスレイグスタ老の思惑なんだと思う。


「それにしても、小娘どもはどうした」


 そうなんだよね。僕がスレイグスタ老に旅の一部始終を語って、今はもう夕方も近い。

 なのに古木の森へと消えていったプリシアちゃんたちを追っていったミストラルが帰ってこない。ルイセイネも後を追っていったけど、やっぱり戻ってきてないんだよ。


 女性陣は今頃、古木の森でプリシアちゃんに振り回されているのかな。

 というか、プリシアちゃんのミストラルの村でのお泊まりは一日か二日じゃなかったの?


 ううむ、これは何かはいろいろあったに違いない。聞けば絶対に巻き込まれるから、聞いちゃ駄目だ。

 僕は女性陣がこの数日間に何をしていたのか、聞かないことを決め込んだ。


「それでも恐らく、汝は巻き込まれるであろうよ」


 嫌だ、聞きたくない。僕は両手で耳を塞いで現実から逃げる。


「くくく、苦労で人は成長する。諦めるのだな」


 諦めるって何さ。そこは頑張れとかじゃないの?


 僕とスレイグスタ老が談笑していると、ようやくミストラルたちが帰ってきた。


 はい。プリシアちゃんは泥だらけです。アレスちゃんは見ないけど、多分僕のそばに帰ってきてるね。

 そしてミストラルとルイセイネは、疲れた様子だった。


「お、おかえり」


 出迎えたのに、ぎろりと睨まれました。


「明日からは貴方がプリシアの面倒を見るのよ」

「おわおっ、よろしくねっ」

「うっ」


 無邪気なプリシアちゃんの言葉に、僕は息を詰まらせた。


「明日からは、午前中はここで過ごし、午後はミストラルたちと竜峰で生活し、汝は色々と学ぶのだ」


 スレイグスタ老の言葉には素直に頷けたんだけどね。

 僕は竜峰での生活を学ぶ前に、プリシアちゃんに振り回されて一年間が終わりそうで戦慄してしまう。


「そろそろ帰りましょうか」


 ミストラルが促す。


 そして思い出す。


 そうだ、村に戻ったら、僕はミストラルのご両親に挨拶をしないといけないんだった。

 今度は僕が古木の森に逃げ込みたかった。

 だけど、ミストラルにがっしりと襟首えりくびを捕まえられる。


「ちゃんと言葉は考えたかしら?」


 気のせいかな。ミストラルの笑顔が怖いです。


「エルネア君、あの、その……頑張ってくださいね?」


 意味ありげな言葉を発さないでください、ルイセイネさん。


 なんだかお腹が痛くなってきたよ。


「送ってください」


 ミストラルに言われ、スレイグスタ老が竜術を発動させる。


 あああ、心の準備が。という僕の心境なんてお構いなしで、全員が光に包まれた。


 そして僕たちは次の瞬間には、また竜廟の中に戻ってきていた。


 水竜を呼び出し、対岸の村へと渡る。


「頑張れ頑張れ」


 いや、プリシアちゃん。それは君の台詞じゃないでしょう。なぜ、アレスちゃんの真似をしているんだい?

 泥まみれでも陽気なプリシアちゃんに、ミストラルとルイセイネだけが笑っていた。


 長屋を通過する。


 僕は緊張で身体が硬くなり、鼓動が激しくなっていた。

 でも、長屋を抜けた先で見た光景に、僕は驚き目を丸くして立ち尽くした。


「ねえ、いつもこんな感じでお祭り気味に夕食をとるの?」


 広場では、竜人族の人たちが騒ぎながら飲食をしていた。


「あら、おかえりなさい」

「遅かったな」


 僕たちを見た人たちが手招きして迎えてくれる。


「どうやら、貴方の歓迎会みたいね」


 予想もしていなかった。だって最初は、歓迎されるどころかさげすまされるんだろうな、と思っていたんだから。


 僕の手を引っ張り、広場に連れて行こうとする人たち。


「行って来なさい。私たちはプリシアを綺麗にしてから来るわ」


 言ってミストラルとルイセイネは、プリシアちゃんと共に長屋の別の部屋に入っていく。


 村で共同で使う施設が、長屋に連なっているんだね。と考えている場合ではない。

 僕の周りから女性陣が消えると、ここぞとばかりに若い男性に取り囲まれた。


「貴様、よくもおれのミストラルを!」

「は? なんでミストラルがお前のものなんだよ」

「いやいや、お前たちより俺の方が仲が良かったから」


 僕を囲んだくせに、内輪揉めしていますよ。


「ふうん、ミストラルはこういう趣味だったんだぁ」

「あらかわいい」


 そこに女性が参戦してきた。


「おいおい、小僧が困っているじゃないか。こいつが主賓なんだぞ」

「お肉がいっぱいあるからね。たらふくお食べ」


 そしておじちゃんやおばちゃんまでもが。


 竜人族の人たちにもみくちゃにされながら、僕は歓迎会の輪の中に入れられる。


 猪かな。一頭丸々が火にかけられていた。見たことのない大きな魚が蒸し焼きにされている。まだ春先だというのに色とりどりの果実が並べられ、杯を持った大人はすでにほろ酔い状態だった。


 歓迎会というよりも、僕がやって来たことにかこつけてのお祭り騒ぎのような気がするよ。でも僕が歓迎され、村の人たちに受け入れられていることがとてもよく伝わってくるから、嬉しい気持ちで心が満たされる。


 猪鍋を器に入れてもらって食べていると、ひとりの男性が話しかけてきた。


「どうだ。俺の獲った猪はうまいだろう?」

「はい、臭みもなくてとても美味しいですよ!」

「そうかそうか。婿殿に喜ばれて俺も嬉しいよ」


 言われて、僕ははっとした。


 男性は、銀に近い金髪。

 日に焼けて小麦色になった肌。

 そして、切れ長の瞳はミストラルに似ていた。


「あのっ、えっと……」


 突然のことで動揺する僕。

 だけど男性、多分ミストラルのお父さんは僕の頭をくしゃくしゃと撫で。


「まあ今日は楽しみなさい。これから一年間、この村で生活するのだろう。なら時間はいくらでもあるよ」


 と言ってすぐに立ち去っていった。


「ふふふ、良かったわね。気に入られて」


 振り返ると、ミストラルたちが近くまで来ていた。


「ぐぬぬ、さては騙したね」


 今まで散々僕に発破をかけたり、意味深な言葉をかけていたのは、僕を緊張させてからかっていたんだね?

 大げさに地団駄じだんだを踏んで悔しがったら、広場で笑いが起きた。


 その後も僕の歓迎会は楽しく過ぎていく。

 僕たちはお腹いっぱいになるまでご飯を食べたり、いろんな人たちと話したり騒いだり。

 そうして僕は、ミストラルの村での楽しく騒がしい初日を終えた。


 宿泊は、長屋の一画。


 歓迎会の時に、村の規模に比べて人が多いような気がしたんだけど。実はこの村、竜峰中から竜宝玉を求めて竜人族が旅をしてくる場所なんだって。

 だから旅人の為に長屋に宿泊場所があるし、交友を深めるために食事が共同になっているらしい。


 寝る間際、一緒の部屋で寝ることになったルイセイネが村のことを少しだけ教えてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る