ザンとエルネア
翌朝、僕は外の微かな喧騒に目を覚ました。
何だろう、と興味を惹かれ、宿泊に
すると広場には、戦士風の男性や女性、それに壮年の人たちが集まっていた。
集まった人たちの中には、ミストラルとザンさんの姿もある。
ザンさんは先日僕の話を聞いて、八大竜王のひとりであるラーザ様の安否を確認しに出て行ったんだよね。
一日で戻ってくるなんて、ラーザ様の住む村は近くにあったのかな?
耳を澄ませると、早朝の澄んだ空気が広場の話し声を僕に届けた。
「それで、ラーザ様は無事だったのか」
「いや、不明らしい。ローダーの部族が異変に気付いて駆けつけた時には、村はもう……」
「しかし、ラーザ様の遺体はなかったと言っていた」
「ならば、逃げ切れている可能性があるな」
「有志を
「待て。あそこは魔族の国に近い。下手に集まって行動すれば、魔族を刺激する」
「だからといって、このまま見過ごすわけにもいかんだろう?」
「儂らだけで判断はできんだろう。部族長様が戻ってこられて……」
「それじゃあ間に合わないわ。一刻も早くラーザ様の安否を確認して、竜騎士の正体を掴まないと」
「ローダーの部族の者は、他に有力な情報を持っていなかったのか」
聞き耳を立てていると、僕に気付いたミストラルがこちらの方へとやって来た。
「おはよう、ミストラル」
「おはよう、エルネア。昨夜はちゃんと休めたかしら?」
「うん、疲れていたからかな。ぐっすり寝れたよ」
興味本位で話を聞いていたから怒られるかな、と思ったけど、ミストラルは気にした様子はない。
僕が興味ありげに広場に集まった人たちを見ていると、ミストラルが少しだけ説明してくれる。
「昨日、ザンがラーザ様の安否を確認しに村を出たのだけれど、一足遅かったみたい」
「ラーザ様の村が襲撃された?」
「ええ。でも手口が貴方に聞いたようなものじゃなかったから、オルタの可能性は低いみたい」
「えっ!?」
それってつまり、オルタだろう竜騎士以外にも、竜峰で暗躍する者がいるってことなんだよね?
「ラーザ様の暮らしていた村は竜峰の西部にあってここからは遠いのだけど。ラーザ様の村と深い交友関係のあるローダーの部族がこの村のもう少し西の方に住んでいて、遠く竜峰西部の異変を敏感に察知して、わたしたちが動くよりも前に、ローダーの村の有志がラーザ様の村に駆けつけたらしいの。でもその時にはもう、村人の多くは惨殺されていたらしいわ」
人族と同じような一般人も多いとはいえ、竜人族の村を襲撃し、惨殺するような相手。しかも、八大竜王のラーザ様は行方不明。
竜峰の西部では、いったい何が起きているんだろう。
「それで、ローダーの部族が竜峰の主要な村に警告を飛ばしているのにザンたちが出くわしたみたい」
「なるほど。それで一日足らずで戻ってきたのか」
「ええ。普通に行けば片道でも結構かかるから」
「それで、村を襲った者の目星は全くないの?」
手がかりはなかったのだろうか。
「手がかりは今の所ないわ。詳しい情報が不足しているから」
ローダーの部族の人は、取り敢えずラーザ様の村が襲撃された事実と安否不明なこと。それと、他の村も何者かの襲撃に警戒するようにという、注意を呼びかける伝言を飛ばしているらしい。
「魔族の国に近いから、もしかすると……」
考え込むミストラルの表情は暗かった。
「なんだ、朝が早いんだな」
僕とミストラルが話していると、いつの間にかザンさんが近づいてきていた。
「おはようございます」
「おはよう」
僕のちょっとした緊張とは対照的に、ザンさんは余裕な雰囲気だ。
「ミストラル。お前が考え込んでも何も解決しない。今は次の情報を待つだけだ」
「そうね」
ミストラルの肩に手をやり元気付けるザンさんの仕草は、同性から見ても格好良かった。
「取り敢えず部族長が帰ってくるまで様子見だ」
「部族長様は外出中?」
「ふふふ。昨日、貴方の旅の話に出てきたじゃない。コーア様がこの村の部族長よ。聞いていなかった?」
「えええっ、コーアさんはそんなこと一言も言ってなかったよ!?」
コーアさんがまさかミストラルの村の部族長だったは。
僕が驚いていると、ミストラルとザンさんは苦笑していた。
「さて、それじゃあ」
ザンさんは僕の頭をがしりと鷲掴みにする。
「えっ」
突然の事で、僕の身体は緊張で硬くなる。
ミストラルも一瞬顔が強張っていた。
「折角の早起きなんだ。俺と散歩に行こうか」
と言って、ザンさんは僕の同意もなく村から連れ出す。
頭を鷲掴みにされて村の外に出て行く僕を見た人たちが、複雑そうな表情をする。だけど、誰も引き止めてはくれなかった。ミストラルさえも。
ええっと、僕はこの後どうなっちゃうの!?
ザンさんは村を北の方から出る。北は小さな森になっていて、すぐに村は茂みに隠れて見えなくなった。
ずんずんと進んでいたザンさんはそこでようやく、僕の頭から手を離す。
「付いて来い」
それだけ言って、ザンさんはまた歩き出す。
僕はこの後の事が不安で仕方なかったけど、素直に従った。
正直、僕もザンさんとはじっくり話をしてみたかったんだよね。
ミストラルの幼馴染。僕の知らないミストラルの事を沢山知っている人。
この人は、僕がミストラルをお嫁さんにする時には避けては通れない人のような気がするんだ。
ザンさんは、森の中だというのに周囲を気にした様子もなく、どんどんと進んで行く。
僕は、竜峰での旅の教訓を忘れてはいなかった。
油断大敵。
ザンさんが側に居るから、村の近くだからといって油断はしないよ。
僕は竜気を張り巡らし、周囲を警戒しながらザンさんの後を追う。
ザンさんは、竜気を張り巡らせた僕を一瞬だけ見た後、また無言で歩く。
そして無言のまま
森を抜けると土に覆われた大地は徐々に無くなっていき、岩肌むき出しの険しい山岳になる。
ザンさんは大した苦労も見せず、鋭利な岩が切り立った急斜面の山を登っていく。
道なんてない。ザンさんは手頃な足場を踏み台に、身軽に山岳を駆け上がっていった。
うん。人族の僕にはあんな軽業は無理だね。竜気を練っても追いつく自信がないよ。ということで、僕は空間跳躍で一気に山岳を駆け上がる。
ザンさんに追いつこうと、必死に空間跳躍を連続する。
そして、少し大きめの足場に降り立った時。
空間跳躍後の、一瞬にして切り替わる視界の先に、突然大蛇が現れた!
「うわっ」
余りにも突然すぎて、僕は咄嗟に大蛇を竜術で吹き飛ばす。
大蛇は吹き飛び、岩壁に激突する。しかしそこまで広くない岩場。大蛇はとぐろを巻き、長い牙をむき出しにして僕を威嚇してきた。
僕も白剣と霊樹の木刀を抜き、臨戦態勢へ。
と次の瞬間。
炎を纏った拳が降ってきて、大蛇の頭を爆散させた。
僕は結界を張り、返り血を防ぐ。
大蛇を仕留めたのは、ザンさんだった。
さっきまで全く感じなかったザンさんの爆発的な竜気を目の当たりにして、僕は目を見開く。
でもザンさんは驚く僕を気にした様子もなく、竜気を収めた。
「なるほど。竜峰を旅する基本的な力はあるようだ」
言ってザンさんは、口の片方だけを上げて笑った。
「ええっと、助けてくれてありがとうございます」
お礼を言うと、ザンさんは白剣と霊樹の木刀を見ながら言う。
「俺が出しゃばらなくても、お前なら倒せていただろう」
「そんなことないですよ。突然現れて、動揺していましたし」
僕の言葉を鼻で流すザンさん。
でもまさか、大蛇が待ち伏せしているなんて。竜気を張り巡らせて周囲を警戒していたのに、存在に全く気づかなかったよ。
それに、なんで先に通過したはずのザンさんは素通りさせて、僕を襲ってきたのかな。
「何故自分だけ大蛇に襲われたのか、それが疑問なのだろう」
ザンさん、貴方は古代種の竜族のように僕の心が読めるんですか。
「くくくっ。なんでわかったんだ、と思っているのか」
「な、何でわかるんですか!?」
僕の驚く表情を見て、ザンさんはお腹を抱えて笑う。
「お前は表情が豊かすぎる。表情で内心が丸わかりだ」
「ぐぬぬ」
僕はそんなに内心が表情に現れているんだろうか。
意外なことを指摘されて唸る僕。そして笑うザンさん。
むう、笑う姿も格好良い。
「やれやれ。毒気を抜かれたな」
ひとしきり笑ったザンさんは、僕の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。
「ちょうど良い。朝飯も確保できたし、ここで少し話すか」
言ってザンさんは、仕留めた大蛇を手早く捌き始めた。
皮を剥ぎ、手刀で肉を切り分け、炎の竜術で焼き上げる。そして持参した調味料をまぶし、僕に肉片を手渡す。
僕は素直に、こんがりと焼けた大蛇の肉を受け取って、お礼を言って頬張った。
早朝の激しい散歩で空腹だったし、柔らかいお肉が美味しい。
「良い食べっぷりだ。なよなよと食っていたら殴っていたところだ」
「ザンさんに殴られたら、僕は死んじゃいます」
「ふっ。さん付けはいらんよ。俺もお前を呼び捨てにするからな。それに敬語も必要ない」
「はい」
それなら遠慮はしないよ。その方が腹を割って話せると思うしね。
と思いつつ、その後は無言で大蛇の肉を食べた。
「というか、自己紹介がまだだったよね。僕はエルネア。ミストラルの婚約者だよ」
「ふふん、俺はザンだ。ミストラルとは幼馴染だな」
僕とザンの間に、一瞬火花が散る。でもお互いに冗談だという認識があって、険悪な雰囲気にはならなかった。
「面白い奴だな」
ザンは口の片方だけを上げて、笑った。
「去年、ミストラルが竜の森の守護竜から縁談をもらったと言い出した時には、竜峰中が騒ぎになったもんだ」
「うっ」
ですよね。そうですよね。
「だがあいつは、どんな奴と婚約したのかは全く口にしなかった。口の硬い奴だからな」
それはきっと、僕を守るためだったんだろうね。
「そうしたらついこの間、婚約者が自力で村に来ると言い出してな。いったいどんな奴だと村の連中は興味津々だったよ」
「ザンは興味なかった?」
「さあな。ただ、あいつが了承した相手だ。只者じゃないとは思っていた。だがなぁ」
と言って、ザンはまた僕の頭を掻き回す。
「こんな可愛らしい坊やが相手だとはなあ」
「ぐぬぬ、坊やじゃないよっ」
僕の苦情は聞く耳を持たないのか、ザンは僕の頭を撫で掻き回し続ける。
「こんなひ弱そうな坊やがあいつの婚約者だなんて、誰が信じられる。暴君の背中に乗ってきても、竜の森の守護竜の仕業じゃないか、と疑ってしまったよ」
なるほど。ザンはそういう風に僕を見ていたのか。
「だがまあ。ここまで来てみて、お前が一応は竜峰を歩けるということがわかった」
言ってザンさんは立ち上がる。
「良い気の張り方だった。それに耳長族仕込みか、空間跳躍には驚かされた」
「あれって、竜術なんだよ」
「へええ。なら今度、教えてもらいたいものだ」
本当に感心しているのか、ザンは少し目を見開いて僕を見た。
「だがな。この大蛇には気づかなかったし、襲われただろう」
「うん。全く気づかなかったから、驚いちゃった」
「だろうな」
ザンは大蛇の残った死骸を見下ろす。
「この辺りは、こいつの縄張りだった」
ザンは僕に何かを教えてくれようとしている。そんな気がして、僕は真剣にザンの言葉に耳を傾ける。
「お前は竜気を張って、魔獣や獣を追い払うようにして旅をしたんだろう」
正確には、それに気付いて実践できたのは、たった一日だけだったけどね。
「だがな。闘争心の強い、縄張り意識の強い魔獣や、こういった気配を隠して獲物を待つ大蛇に出くわすとどうなるか」
「僕の張り巡らせた竜気が縄張りを犯したと思って、襲ってくる?」
「その通り。そして今回は大蛇程度だったから良かったが、相手が竜族だったらどうする?」
うっ、と僕は言葉を詰まらせた。
「勝てる相手なら問題ない。だが敵わない奴だったら、そこで死だ」
ザンの言う通りだった。僕はもしもを想像してみて、全身に嫌な汗をかいた。
「まあ、お前なら空間跳躍もあるし逃げ切れるかもな。だが気を張り続ける、というのは竜峰の歩き方では正解であって、間違いだ」
そしてそこに、竜人族でも竜峰が危険な場所だという現実がある。と教えてくれる。
「俺ら竜人族は、まずはお前のように気を張り巡らせて歩くことを覚える。だがさっき言った問題にすぐぶち当たる」
じゃあどうするのか、と続けるザン。
「答えのひとつは、俺だ。極限まで気配を消す。気を張るから攻撃的な奴に襲われる。こそこそとするから弱者と思われて襲われる。ならば完全に気配を消し、相手に察知されなければ良い」
おお、と僕は感心する。まさにその通り。相手に気づかれなければ、そもそも何も問題は起きないんだよね。
「だけど、それは一朝一夕では身につかないだろうし、できない人もいると思うけど?」
「ああ、その通りだ。ならば、気配の消せない者はどうするか」
にやり、とザンは笑った。
「覚えるんだよ。魔獣の縄張り、竜族の巣、獣の徘徊する場所、全てをな」
「ええっ」
覚えるって、それは厳しくないですか。魔獣も竜族も、定住しているわけじゃないよね。定期的に移動するはずだよ。
鶏竜の巣も元々なかった場所に出来たから、コーアさんが注意を促してくれたんだと思う。
「ふっ、今お前が考えている通り、覚えるってのは厳しいな。だが、それしか方法はない。竜気を張り村の外でも歩けるようになったら、少しづつ覚えていくんだ。村に近い場所から順番にな。そして覚え、油断しない奴が竜峰で自由に活動できるようになる」
ミストラルが、昨日に言っていた。僕くらいの年齢になってようやく村の外に出始め、成人する頃にやっと隣村くらいまでならひとり旅ができるのだと。それはつまり、竜峰に棲息する様々な脅威や存在の事を知らないといけないからなのか。
僕の納得した様子に、ザンは続ける。
「だから、お前もどちらかを覚えろ」
「うっ」
僕は顔を引きつらせた。
厳しい。とても厳しい。
今から、ひとつずつ村の周囲の状況を覚える時間は、僕にはないように思える。かといってザンのように完全に気配を消すような技術は欠片も持っていない。
「助言はした。あとはお前次第だ。油断していれば、ミストラルは奪われるぞ。お前の存在は竜人族に露見した。
油断し、弱さを見せれば、ミストラルに手を出す者は幾らでも居る。とザンは言っているんだね。
「寝首をかく相手に、ザンも入っているのかな?」
僕の言葉には答えず、ザンはにやりと笑うと、大蛇の残りの死骸を抱えて下山していった。
ザンは、敵なのか味方なのか不明。でも親切な人で、僕に悪意を持っていないことはわかったよ。
僕は少しだけ、ほっと胸を撫で下ろす。
ザンは怖い人だと思っていた。容姿も仕草も何もかもが格好良いんだけど、それがかえって彼を怖そうに見せていたんだよね。
でも会話をしてみて、それは気苦労だったのだとわる。
どうやら僕は、ミストラルの村で上手くやっていけそうだ。
意気揚々と、僕はザンを追って下山した。
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