旅は始まったばかりです

 目前に迫った休憩場所の長椅子には、母娘が一組。


 母親かな。美しい女の人は銀に近い金髪でとても美しく、切れ長の目には深い碧色の瞳。

 設けられた長椅子に姿勢正しく座り、僕たちの方を見ている。

 その女の人の横には、愛らしい娘さん。

 歳は見た目、五歳くらいかな。ふっくらとした帽子で頭半分を覆っているけど、僕と同じ栗色のふわふわな髪の毛が背中の方に流れている。

 目は猫のように丸くて大きな瞳。

 ぶらぶらと、長椅子から伸ばした脚を振って無邪気に楽しんでいた。

 そして女の子の膝上には、子猫が一匹。

 女の子とお揃いのふっくらとした帽子を被せられ、胴にも可愛い仮装の衣装を着ているよ。羽根つきなんて、まるで竜の仮装だね。

 見える長い体毛は白なんだけど、毛先が桃色。尻尾も驚くほど長くて、珍しい子猫ちゃんだ。


「ははははは」


 僕の喉からは、乾いた笑いが漏れる。


「どうかしましたか」


 ルイセイネが心配そうに僕を見る。


 僕の視線の先では、美しい女の人が立ち上がり。

 次いで女の子も立ち上がって。


「お父さぁぁんっ」


 突然、女の子が僕に走り寄ってきた。


「「えええぇぇぇっっ」」


 僕とルイセイネの叫びが重なった。


 女の子……いやいや、違う違う!

 どう見てもプリシアちゃんが、とんでもないことを口走りながら僕に抱きついてきた。


 な、なんで僕がお父さんなの!?


 ルイセイネは大きく目を見開き、固まってしまっている。


「お母さぁぁんっ」


 プリシアちゃんは、今度は美しい女の人……どう見てもミストラルに走り寄って抱きついた。


「えええぇぇぇっ」


 悲鳴をあげるルイセイネ。


「な、何が起きてるのっ」


 僕は訳が分からず混乱する。


「エ、エルネア君。これはどういうことでしょうか」


 僕の服の襟をつかんで、がくがくと揺さぶってくるルイセイネ。


「ぼ、僕にも何が何だか」


 どうしてこうなった。


「お父さぁぁん」


 プリシアちゃんは再度、僕に抱きついてきた。

 それを見て、ルイセイネはあわあわと唇を震わせて僕を非難の目で見る。


「ち、違うんだ。誤解だよ、ルイセイネ。プ、プリシアちゃんも変な誤解を与えるようなことは止めるんだよ」


 僕は必死に弁解する。

 慌てふためく僕と、顔色を赤くしたり青くしたりするルイセイネ。


「ミ、ミストラル、助けてっ」


 僕にはこの状況を打破するだけの力がなかった。仕方なく、少し離れて僕たちを見つめるミストラルに助けを求めてしまったよ。


「やれやれ。さぁ、プリシア。遊びはここまでよ」

「んんっと、面白かった」

「にゃあ」


 ミストラルに言われると、プリシアちゃんは満面の笑みで僕から離れてミストラルの所へと戻った。


「ええっと、これは……」

「お、お二人はエルネア君の奥さんと子供なのですか……?」


 いまいち状況がつかめていない僕と、完全に勘違いをしているルイセイネ。


「ち、違うよ。プリシアちゃんは……ええっと、その小さな女の子が僕の子供だなんて、年齢が釣り合わないでしょ」

「それはそうですが……」


 疑い深く僕を見つめるルイセイネの瞳には、未だに非難の色があった。


「ええっと、プリシアちゃん、それとミストラル。これはどういうことなのか、僕にも教えてよ。ルイセイネが凄い勘違いをしちゃっているじゃないか」


 きっとスレイグスタ老の悪知恵か何かじゃないのかな。

 それと、ミストラル主導でこんなことをするとは思えないから、きっとスレイグスタ老がプリシアちゃんにこっそりと吹き込んだんだろうね。


「ごめんなさい。まさかプリシアがこんな悪戯をするとは思っていなかったから」

「でも止めなかったよね」


 僕の突っ込みに、苦笑するミストラル。

 半分黙認だったのかな。


「ええっと、それでは、今のは悪戯ということでしょうか」


 未だに困惑気味のルイセイネは、申し訳なさそうに僕に聞いてきた。


「う、うん、そうなるかな」


 ルイセイネには混乱させるようなことをしてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだよ。

 これはちゃんと説明したほうがいいよね。

 そう思って僕が口を開こうとしたら。


「初めまして、貴女がルイセイネですね。よくエルネアから話を聞かされています。わたしはミストラルと言います。彼の婚約者です」

「ええっと……」


 これも冗談の続きですか、と不安そうに僕を見るルイセイネに、僕は真実だと伝えてあげた。


「はうあっ」

「ああっ」


 ルイセイネが突然、白目をむいて気絶しちゃったよ。

 僕は慌てて、ルイセイネを抱きとめた。


「ど、どうしよう、ミストラル」


 僕は気を失ったルイセイネを見つめて、顔をしかめる。もう本当に、泣きたい気分だよ。


「ごめんなさい、まさかこうなるとは」


 ミストラルも反省したように肩を落とし、僕と一緒にルイセイネを長椅子まで連れて行って寝かせてあげた。


 プリシアちゃんとニーミアだけは、悪戯がうまくいってきゃっきゃと嬉しそうに跳ね回っていた。


 ルイセイネを長椅子に横たえてすぐに、彼女は意識を戻した。


 僕はルイセイネにお水を渡してあげながら、謝罪する。


「ごめんね。悪ふざけがすぎたね」

「ごめんなさい。悪戯心が過ぎました。わたしもプリシアも反省してますので許してください」


 頭を下げる僕とミストラル。

 プリシアちゃんは反省なんてしてないよ。だって、そばでニーミアと楽しく遊んでいるもの。


「ええっと、はい。驚いてしまいましたけど、わたくしは大丈夫です。それで、お二人の本当の関係は何でしょうか」


 お水を飲んで落ち着いた風のルイセイネは、交互に僕とミストラルを見た。


「それは先ほど言った通り。わたしはエルネアの婚約者よ」

「ええっと、いろいろあって、そうなってるんだ」

「はうっっ」


 僕とミストラルが説明すると、ルイセイネはまたもや気を失ってしまったのだった。







「つ、つまり、お二人は家庭の事情で婚約をされたのですね」


 またすぐに意識を取り戻したルイセイネに、とりあえず歩きながら説明をした。


 竜人族のことや竜の森のことはミストラルが今後きちんと話す、とルイセイネが意識を失っている間に打ち合わせをしていた。

 だから今は、重要なことは濁しつつ説明をしたんだけど、ルイセイネは納得してくれたようだ。


「そうね。それで頼り甲斐のないエルネアがちゃんと巫女の護衛なんて務まるか不安だったから、来てみたの」

「僕って頼りないのか……」

「ふふふ、貴方はまだまだよ」


 そりゃあミストラルに比べればまだまだひ弱だろうけど、これでも前よりかはずっと強くなっているはずだよ。

 竜力も最近はけっこう上がってきていると、スレイグスタ老も言ってくれているんだ。


 僕は不満に頬を膨らませる。


「お二人はとても仲がよろしいのですね」

「んんっと、プリシアの方がいいよ」

「にゃん」

「あらあらまあまあ。そうなのですね」


 冷静さを取り戻したルイセイネは、優しい笑みでプリシアちゃんを撫でてあげる。


 プリシアちゃんはふっくらとした帽子で長い垂れ耳を隠していて、耳長族だとは気付かれていない。

 ニーミアも同じふかふかの帽子で角を隠し、翼は仮装衣装で誤魔化している。


 なるほど、この服装は変装用なんだね。


 巫女のルイセイネをはかっていることには抵抗があるけど、いま全てのことを話してしまったら、きっと気絶だけじゃあすまないような気がするよ。


 仕方ないので、一緒に副都まで行くと言い張るミストラルに、話す機会は任せることにした。

 本当は僕が話した方が良いんだろうけど、ミストラルが頑なに自分から話すと言って聞かなかったんだよね。


 プリシアちゃんは今までずっと竜の森で暮らしてきたので、外の世界は初めてだ。最近は耳長族の村から出て苔の広場に来るようになったけど、やっぱり森の中と外では全然違うからね。

 はしゃぎすぎて早くもお疲れ気味。


 まだお昼前だというのに、すでにミストラルにおんぶされていた。

 そしてニーミアも飛翔禁止で歩き疲れ、今ではプリシアちゃんの頭の上で舌を出して伸びているよ。


 とても可愛い光景に、ルイセイネも微笑みが絶えなかった。


 そして行き交う人々の注目の眼差し。

 薙刀を持った巫女のルイセイネ。彼女ももちろん美人なんだけど、それ以上に美しいミストラルが、可愛らしい女の子をおんぶして歩いているんだ。

 そして男は僕だけ。

 多くの男性に嫉妬の視線を向けられて痛かったよ。


 でもさすがに、巫女様のいる一行に軽口をかけてくるような無粋な男性はいなかったから、助かった。

 ルイセイネ様様だね。


 僕たちは、朝の騒動以降は順調に進んだ。

 魔物も出なかったし、ミストラルとルイセイネも仲は悪くない。


 性格のいいルイセイネだし、ミストラルもお姉さん気質で面倒見がいいからすぐに打ち解けていたよ。良かった良かった。

 これでなんぞ火花でも散るような関係になっていたら、僕は怖くてこの場には居れなかったね。


 それにしても、僕が心配で来てくれるなんて、ミストラルも優しいね。

 あれ、違うのか。

 僕が頼りないから来たんだったね。

 それとも、何か他に思うところがあって来たんだろうか。


 この先の道中、波乱がありそうで怖いです。


 すっかり仲良くなって世間話をしているミストラルとルイセイネを見て、なぜか悪寒が走ったのは気のせいかな。


 そうしているとお昼になり、僕たちはどこか食堂に入ることを決めて辺りを物色した。

 徒歩での旅の速度を把握してなのかな。丁度よく食堂や休憩所がぽつぽつと街道の脇に点在する場所にたどり着いていた。


 どこが評判の店かなんてわからないし、僕たちは適当に選んだ店の中へと入ることにする。


 僕たちが選んだのは、三階建ての建物だ。よく見かける、一階が食堂で上階が宿屋になっているやつだね。

 大きくて目立つ建物だったので、無難に選んだんだ。


 丁度お昼時で、一階の食堂には多くのお客さんが居た。


 まだ王都から半日の距離だし、大きな街道も一本だけだから、行き交う人は多い。すると自然に、同じような場所で同じようなところに入って食事をすることになる人が多いんだね。


 僕たちは看板娘だろう元気の良い女性に、ごった返す食堂の奥へと案内された。

 食事をすることが出来れば良いから、席にこだわりはないんだよね。

 だから案内された場所に素直に座ることにする。


 僕の横にはプリシアちゃん。机を挟んで正面にはルイセイネで、その横にミストラルが腰かけた。

 ニーミアは飼い猫という扱いなので、プリシアちゃんの膝の上で大人しくしている。


 プリシアちゃんは子供用の定食、他の僕たちは日替わり定食を頼んだ。

 看板娘が手早く注文を取り、厨房へと戻っていく。


 さて、どんな料理が来るのかな。じつは日替わりの中身を確認しないで頼んじゃったんだ。安かったからね。


 で、僕には今、ひとつの不安材料があるのです。

 それはお金。


 僕の家は裕福じゃないんだ。だから今回のお使いでも、旅費をどうしようかと母さんと悩んだんだ。

 でもそれは神殿のお使いということで、旅費の全額はルイセイネが負担してくれるとのこと。

 助かった、と思ったらミストラルとプリシアちゃんが加わったんだよ。

 つまり人数倍です。


 ルイセイネの負担は大丈夫なのかな。神殿持ちといっても、経費がかさんだら怒られちゃうんじゃないのかな。

 そんなことを心配しながら定食が来るのを待っていたら、なにやら入口が騒がしくなった。


「おい、ふざけるな。俺たちが狭い席だと!」


 食堂の入り口で叫んだのは、巨漢の男だった。赤銅色しゃくどういろの肌に、上半身だけを守る半鎧。

 髪は鉄錆色で無精髭、見るからに薄汚いけど、背負った大剣は立派で大きかった。

 そしてもうひとり。

 同じく赤銅色の肌に使い古された皮鎧を着ている。

 丸坊主で眉毛までない男は、巨漢の男よりさらに一回り大きな偉丈夫いじょうぶだった。

 左手には丸盾、背中には巨大な斧を背負っていた。


「おら、お前ら、さっさと場所を開けろ」

「お客さん、やめてください」


 案内しようとしていた看板娘が引きとめようとしたけど、偉丈夫に一睨みされて怯えてしまう。

 無精髭の巨漢が近くの席を蹴り飛ばし、強引に場所を作る。


 悲鳴と怒号が食堂内に鳴り響く。


 うわっ、変なのに出くわした。僕は食堂の奥で、入り口付近で起きた騒ぎを嫌な感じで見ていた。

 ミストラルは興味なさそうに知らん振り。プリシアちゃんは興味津々に入口の方を見ていた。

 そして巫女のルイセイネ。

 彼女は何を思ったのか立ち上がろうとして、ミストラルに制止される。


「ここは巫女として、仲裁に……」

「いくら巫女だからといっても、危険よ」

「で、ですが……」


 ミストラルとルイセイネのやり取りを余所に、入口付近の喧騒は大きくなっていく。

 騒ぎを収めようと立ち上がった冒険者風の男が、丸坊主の偉丈夫に殴り飛ばされて壁まで吹き飛ぶ。


「おいおい、俺たちが誰だかわかっていないようだな。俺たちは竜人族だ!」


 偉丈夫の言葉に、食堂中に戦慄が走った。

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