ミストラルは竜姫です
無精髭の巨漢は空いた場所に勝手に大きな机を運び、そこに椅子を設ける。
次いで怯える看板娘の襟首をつかんで強引に立ち上がらせ、酒を持ってくるように命令していた。
丸坊主の偉丈夫は巨漢に対応を任せ、自分はどっかりと席に着く。
偉丈夫の方が偉いみたいで、巨漢が全てをやりくりしていた。
そして食堂内の人たちは、何も出来ずに怯えて成り行きを見守るだけだった。
仕方ないよ、相手は竜人族と名乗ったんだ。
人族が何をしても敵う相手じゃない。
食堂内には凄腕そうな冒険者が何人かいたけど、彼らでさえ赤銅色の肌をした二人の竜人族とは視線さえ合わせようとしなかった。
看板娘が恐る恐るお酒の入った壺を持ってくる。それを強引に奪い取って、偉丈夫の杯に注いだ。
そして自分にも注ぎ、二人して酒盛りを始める。
巨漢は近場の席から美味しそうな食べ物を奪い取り、僕たちが萎縮して成り行きを見守る中、傍若無人に飲食を始めた。
ちらり、と僕はミストラルを見る。
彼女も竜人族だ。しかも竜姫。何か思うところはないのかな、と思ったけど、彼女は何事もないかのようにプリシアちゃんとじゃれあっていた。
良いのかな。同じ竜人族の人が暴れているんだよ。仲裁に入るなり何かした方が良いような気がするんだけど。
僕の視線に気づいたのか、ミストラルは視線を合わせる。
あ、実は不機嫌だ。
言葉は交わさなくても、ミストラルの瞳の奥の鋭さに僕は気づいた。
プリシアちゃんと遊んで、気を紛らわせていたんだね。
「ここはやはり、わたくしが……」
ルイセイネが堪りかねて席を立とうとする動きを、再度ミストラルが静止した。
「やめなさい。相手は竜人族と名乗ったのよ。竜人族は人族の宗教なんて信仰していない。貴女がいくら巫女だといっても、あの二人には通用しないわ。今は大人しくしていなさい」
小声でのやり取りだったけど、ミストラルは有無を言わさずルイセイネを席に座らせた。
プリシアちゃんだけが食堂内の騒動に感づいていなくて、ニーミアと遊んだりミストラルにあやしてもらっていた。
食堂奥での僕たちのやり取りなんて知らない竜人族の男二人は、看板娘に更に高い酒を持って来させ、我が物顔で酒盛りをしている。
入り口付近に陣取った二人に阻まれ、中の人たちは食堂から出て行くこともできない。
そして、食堂内の騒ぎを知らない旅人が何組か入ってきて、中の異様な状況に逃げていく。
正義感あふれる何人かの冒険者が騒動の元凶である二人に言いよったけど、竜人族だと名乗られ、見た目も恐ろしく厳つい姿に、早々に退散していった。
僕はこの状況で何も出来ない自分が歯がゆかった。
古代種の竜族であるスレイグスタ老には大恩がある。そして竜族に近しい存在の竜人族には親近感を持っていたんだ。
なにせミストラルは竜人族なんだし。彼女以外の竜人族には会ったことがなかったけど、ミストラルのようにいい人たちだと思っていた。
でも、この
竜人族は本来、竜峰に住んでいる。だけどアームアード王国国内に全く居ないわけではないんだ。交易で定期的に竜峰から降りてくる人もいるし、冒険者として暮らしている人もいるらしい。
竜人族全てがこんな横柄で人族を馬鹿にしたような人たちばかりではないことはわかっている。
でも、これじゃあ竜人族全体の評判を落としてしまうよ。
なんとかしたい。そうは思うけど、僕には何も出来ることがなかった。
出来るとしたら、やっぱりミストラルだけだと思うんだけど。
僕はもう一度ミストラルを見た。
「今は大人しくしていなさい」
「でも、あまりにも酷いよ」
「何をするにしても、時と場所は選ばないといけないものよ」
ミストラルは微笑み、僕を落ち着かせてくれる。
僕の
「ルイセイネもエルネアも、今は我慢して」
きっと一番我慢しているのは、同じ竜人族のミストラルなのかもね。
僕は素直に頷いて、食堂の嵐が過ぎ去るのを待った。
赤銅色の肌の竜人族二人に食堂内は支配されてしまって、僕たちに定食が運ばれてくることはなかった。
巨漢は次から次に周りの席から食べ物を奪い取り、酒を追加する。
看板娘も完全に怯えて言いなりだ。
終いには偉丈夫が看板娘に手を出す。
堪りかねた凄腕風の冒険者が言いよったけど、偉丈夫に呆気なく返り討ちにあってしまっていた。
一撃蹴られただけで、鍛え上げられた冒険者の足が折れる。そして顔面を殴り飛ばされ、冒険者は食堂の壁まで吹き飛んで意識を失っていた。
竜人族の圧倒的な戦闘力に、改めて僕たちは戦慄しする。
赤銅色の肌の竜人族二人は、怯える食堂内の人たちを
そうしてようやく満足したのか、二人は食事を終わらせ、立ち上がる。
そして代金も払わずに外に出てしまった。
誰かがほっと溜息を吐いた。
嵐がやっと過ぎ去ったんだ、食堂内は安堵の雰囲気に包まれた。
誰も、今の出来事も代金のことも口にしない。食堂を切り盛りしている人でさえ、代金の支払いで竜人族の二人を追いかけて行くことはなかった。
ただ無言で、散らかった場所を清掃し始めていた。
そして。
ミストラルが立ち上がる。
「ちょっと行ってきます」
「あ、僕も行くよ」
「ええっと、どちらにでしょうか」
「んんっと。プリシアはにゃんことご飯食べたい」
「はいはい。それじゃあプリシアはここで大人しくご飯を食べているのよ」
ミストラルに言われ、素直に頷くプリシアちゃん。
「貴方は残っていなさい」
ミストラルにはそう言われたけど、いてもたってもいられなくて、僕は同行を願い出る。
そして、ルイセイネは何か剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、自分も行くと言い出した。
「まったく。あなたたち二人が付いてきたら、プリシアの面倒は誰が見るの」
「んんっと、プリシアはひとりでご飯食べられるよ」
「にゃん」
状況を完全にわかっていないプリシアちゃんが、暢気に答えた。
僕も行って何か出来るわけじゃないんだけど、どうしても行きたい。
ルイセイネもなぜか頑なに同行を迫った。
「やれやれ、あなたたちは……」
ミストラルは諦めたように溜息をついた。
「プリシア、ちょっとお留守番していてね。ニーミア、何かあったらプリシアをちゃんと護るのよ?」
「はぁい」
「にゃあ」
元気に返事をするプリシアちゃんとニーミアを残し、僕たちは食堂を出る。
出る際に、看板娘の人にプリシアちゃんの定食を運んでもらうように頼んでおいた。
そして外へ出ると、近くにはまだ竜人族の二人がいた。
どうやら行き交う人々に因縁をつけて回っているようだ。
どこまでも迷惑な人たちだな。僕は怒りを覚える。
でも、芯から怒っていたのはミストラルだった。
隣を歩くミストラルから、恐ろしい気配を感じる。
「あらあらまあまあ」
ミストラルの只ならぬ雰囲気と、僕たちが目指している目的が今しがた騒ぎを起こしていた竜人族の二人だと知って、ルイセイネは驚いていた。
「エルネア君、どうしましょう」
「ええっと、ここはミストラルに任せたほうが良いんじゃないかな。ついては来たけど、僕たちは見てるだけの方が良いと思うよ」
ついて来て何かが出来るわけじゃないんだよね。ただ自分のこのやるせ無い気持ちをどうにかしたくて、とにかくミストラルに同行しただけなんだ。
「そうなのですか」
これから何が起きるのか、不安そうに僕とミストラルを見つめるルイセイネ。
「わたくしは残っていた方が良かったみたいですね」
「いいえ、問題ないわ。貴女にはわたしの事をもっと知っておいてもらおうと思っていたし、見ていなさい」
ミストラルはそう言って、因縁をつけて回っている二人の竜人族の男に近づいていった。
ミストラルの只ならぬ気配に、二人の男はすぐに気づく。
「おいおい、姉ちゃん何だ」
「随分と良い気配じゃねえか。何だ、俺たちと遊んでくれるのか」
竜人族の男たちはミストラルを舐めるように上から下へと見て、下卑た笑いを浮かべる。
だけどミストラルは気にした様子もなく近づいて。
「貴方がたは、わたしを知っていますか」
ミストラルは赤銅色の肌の竜人族二人を見上げて、そう言った。
ミストラルは女性にしては高身長だけど、巨漢と偉丈夫の二人には及びもしない。
顎を上げ真っ直ぐ見上げるミストラルに、二人は顔を見合わせる。
「はあっ?」
「ああ、知っているとも。お前は俺たち専用の娼婦だろ」
巨漢は意味がわかないと顔を歪ませ、偉丈夫は勝手にミストラルを自分たちのものと言い放った。
「知らないのですね」
ミストラルはため息を大きく吐く。
「知ってる知っているって」
「よし、今から良いところで詳しくお前のことを話してやるよ」
言って偉丈夫がミストラルに手を出そうとした。
あっ、とルイセイネが小さく悲鳴をあげる。
何事かと遠巻きに見ていた多くの通行人が息を呑んだ。
きっと、あの小娘は何をしでかしているんだ、とみんなが思ったに違いない。
ミストラルへと伸ばされる丸太のように太い赤銅色の腕。
誰もが息を呑んだ瞬間。
ミストラルは伸ばされた腕を掴み取り、そのまま片手で偉丈夫を振り持ち上げ、地面に叩きつけた。
地面が爆砕する破裂音と振動が辺り一帯に響く。
空かさずミストラルは巨漢に迫り、そして張り倒した。
巨漢は小枝のように地面を何回転もして転がっていき、脇に生えた木に激突する。
しかし勢いは止まらず、木を折り倒して巨漢は更に遠くへと飛んでいった。
腰の片手棍を抜くまでもなかったよ。
ミストラルは一瞬のうちに、竜人族の二人を叩きのめしていた。
圧倒的すぎですよ。
お、おそろしい。
僕だけが状況を理解していた。ミストラルならこれくらいやっちゃうよね。
でも他の人たち、ルイセイネを含む多くの通行人たちは何が起きたのか理解できずに呆けていた。
「やれやれ。こんな小娘に呆気なく倒される人たちが竜人族なわけがないでしょう。みなさん見た目に騙されていますね」
ミストラルは演技くさい口調で、それでも周りに響くように言った。
そのミストラルの足もとには、陥没した地面に無残に上半身を突き刺した偉丈夫が。
巨漢はどこか遠くに飛ばされすぎて、姿を確認することさえできない。
いやいやいや。これは小娘のやらかすような破壊力ではないでしょう。
やりすぎじゃない? とミストラルを見たら、鬱憤を晴らした清々しい笑顔をしていたよ。
憂さ晴らしにやりすぎたんですね。そうですか。
ミストラルは笑顔で僕たちのところへと戻ってくる。
ようやく状況を飲み込めた通行人たちが、やんややんやと騒ぎ出していた。
そしてルイセイネは、引きつった笑みで固まったままだった。
「さあ、戻りますか。プリシアも待っていますし、お腹が空きました」
言ってミストラルは、固まったままのルイセイネを引きずって食堂へと戻る。
この状況、この後どうするんだろうね。僕も思考をあえて停止して、ミストラルに続いた。
食堂にいた人たちはさっきの地響きで、また外で二人が暴れていると思ったのかな。入り口から何人かが顔を出してこっちを見ていた。
彼らは事後しか見てないからね。何が起きたのだろうと僕たちに疑問の視線を向けていたけど、無視無視。
そう、今はお昼ご飯を食べよう。
何も考えない何も考えない。
考えたら今後の事で不安になっちゃうよ。
そうして僕たちは、無事に昼食にありつくことができた。
この後、騒ぎを聞きつけた巡回兵に説明を求められて逃げ回る午後が待っていることを、この時はまだ誰も知らなかった。
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