少女よ、君は大物です

 僕は悟った。竜族は口が軽い。

 叡智を湛えた頭脳なんて、絶対に嘘だ。彼らの口からは、災いしか生まれません。


「かかかっ、人族如きに我らを推し計れるものか」

「おじいちゃん、貴方のせいで僕はたんこぶが二つも出来たんだよ」

「愛のむちであろう」

「いやいやいや。これのどこが愛の鞭なのさ。たんなる暴力ですよ」


 発狂したミストラルとルイセイネに、僕は特大の拳骨をもらってしまった。


 そして、僕を叩いて鬱憤うっぷんを晴らした二人は、名無しの少女を連れて古木の森へと入っていった。もちろん、プリシアちゃんとニーミアも付いて行く。

 近くの沢で身体を清め、例のあれで全身の傷を消すらしい。


「秘伝だから、中身の正体は教えられないわ」


 水壺に入ったあれを不思議そうに見つめる少女に、ミストラルが説明していた。

 うん、正体は知らない方がいいよね。


 鈍く痛む頭をさすりながら待つと、程なくして全員が苔の広場に戻ってきた。


 さらに美しく変わった少女。

 蜂蜜色の髪は潤いに輝き、生気の戻り始めた乳白色の肌はつるつるすべすべだ。


「おっぱいが大きかったよ」


 両手をいっぱいに広げて報告してくるプリシアちゃん。


「ルイセイネの倍以上あるにゃん」

「ミストとは比べられないね」


 暴走する小さな悪魔に、ミストラルとルイセイネと少女は顔を真っ赤にする。


「プリシアっ」

「きゃっきゃ」


 ミストラルさえも手玉にとるプリシアちゃん。恐るべし。

 怒ったミストラルが、プリシアちゃんを捕まえようとする。しかし間一髪、プリシアちゃんは空間跳躍で逃げた。


「んんっと、鬼ごっこね」


 プリシアちゃん、それは命をかけた鬼ごっこになるよ。


 ミストラルは恐ろしい剣幕でプリシアちゃんを追う。


「わたくしも参戦させていただきます。待ちなさいっ、プリシアちゃん」


 珍しくルイセイネも顔を引きつらせてプリシアちゃんを追いかけ始めた。

 恐ろしい鬼に追いかけられているというのに、プリシアちゃんはすごく楽しそう。

 きゃっきゃと可愛い奇声をあげながら、二人から逃げ回る。


「恐ろしい鬼だにゃん。エルネアお兄ちゃんに同意にゃん」

「こらっ、心を読んでそのまま口に出すな」


 慌ててニーミアの口を塞いだけど、後の祭り。耳聡く聞いていたミストラルが、僕に目標を変えてきた。


「うわあっ!」


 慌てて逃げる僕。


 そして苔の広場は、今までにない身の危険を伴った鬼ごっこの場に変わった。


 僕も空間跳躍と身体能力強化を極限まで駆使して、ミストラルから必死に逃げる。

 しかし相手は竜姫。あっという間に捕まって、関節技を極められてしまう。

 そしてプリシアちゃんは、もうおやつを焼いてあげません、というルイセイネの宣告に撃ち抜かれ、足もとに泣いてすがっていた。


「こ、これはいったい……」


 事の全てを目撃していた少女は、人知を超えた壮絶な鬼ごっこに呆気にとられていた。


「いつものことである」


 スレイグスタ老は静かに零す。


「エルネア、ごめんなさいは?」

「ぐう、僕は何も悪いことなんてしていないじゃないか」


 悪いのは僕の心を読んで口に出しちゃうニーミアです。


「だけど、思ったのは確かにゃん」


 ふわふわと長い尻尾を振るニーミアは、楽しそうに「にゃあ」と鳴く。


 なんということでしょう。


 出逢った時の素直で可愛いニーミアはどこに行ってしまったのか。すっかりプリシアちゃんの毒に染まってしまっているじゃないか。

 ミストラルから関節を決められているせいなのか、不良になっていくニーミアに対してなのかわからない涙を、僕はひっそりと流した。


「エルネア様やおちびちゃんが使っていたのは、空間跳躍と呼ばれるものでしょうか」


 時間が経ち、恥ずかしさの消えた少女が、瞳をきらきらと輝かせて聞いてきた。


「んんっと、そうだよ」


 今までの涙はどこへ。プリシアちゃんは自慢するように、ルイセイネの足もとから少女の下へと飛んで見せる。


「すごいですわ」


 突然目の前に現れたプリシアちゃんを抱きとめ、少女は感嘆の声を漏らす。


「んんっと、試してみる?」

「「「あっ」」」


 僕とミストラルとルイセイネの悲鳴が重なった。


 しかし時すでに遅し。


 プリシアちゃんと少女は、制止しようとした僕たちの前から消えた。


 そして、スレイグスタ老の頭の上に現れる。


「ここは見晴らしがいいんだよ」

「おえええぇぇぇっっ」


 自慢げに微笑むプリシアちゃんの横で、少女は吐いた。


「「「あああああぁぁぁっっっ!!」」」


 僕たちは揃って絶叫した。


 なんてことだっ。よりにもよってスレイグスタ老の頭に飛ぶなんて。そして吐いちゃうなんて!


 竜の森の伝説の守護竜。古代種の巨竜であるスレイグスタ老の頭に吐いちゃうなんて、前代未聞ですよ!


 少女も、自分がしでかした失態に徐々に気づいていき、顔を青ざめさせていく。

 これはもう終わりだ。さすがのスレイグスタ老でも怒るだろうね。

 少女どころか、プリシアちゃんや僕たちの命さえ危うい。

 見れば、ミストラルも顔面蒼白で、目が泳いでいた。


「はうっ」


 ルイセイネは耐えきれなかったね。意識を失って昏倒した。


 スレイグスタ老は頭上に鋭い目を向け。


 そして咆哮をあげた。


「がはははっ、我の頭で吐くとは、ヨルテニトスの小僧以来だ」


 咆哮じゃありませんでした!


 スレイグスタ老は愉快そうに大笑いをしていた。

 古木の森がわさわさと揺れる。


「お、翁。どうかお許しを」


 おろおろと挙動不審なミストラルが取り繕うように謝罪を口にする。僕も、ミストラルと一緒に慈悲を懇願した。


「気にするでない。我は愉快なり」


 スレイグスタ老の大笑いに気を良くしたのか、プリシアちゃんも頭の上で小躍りをしていた。


 プリシアちゃん、君のせいで大事になるところだったんだよ?


 僕はがっくりと肩を落とす。


「プリシア、後でお仕置きね」

「うっ」


 ミストラルの低い声に、プリシアちゃんはようやく顔を引きつらせて固まる。


「翁、待っていてください。沢で水を汲んできて洗い流しますので」


 エルネアはあのたちをお願い。と言って、ミストラルは空の水壺を持って、再び古木の森へと消えていった。


 僕は仕方なく、スレイグスタ老に断りを入れてから頭上に空間跳躍をする。そして少女とプリシアちゃんを抱きかかえ、普通の跳躍で飛び降りた。


 スレイグスタ老の頭の上の惨状は、見なかったことにしよう!


 着地した後に、少女に口をすすぐように促し、プリシアちゃんを逃さないように抱き留める。


「プリシアは怒られる?」

「多分ね」

「いやいやん」


 ぷうっと頬を膨らませて抗議するけど、諦めなさい。


「お兄ちゃんも一緒に謝ってね?」


 抱き留めた腕の中に顔を埋めるプリシアちゃんに、僕は苦笑してしまう。


「ああ、ここはどこ。わたくしはだあれ?」


 意識を取り戻したルイセイネが、ふらふらと立ち上がる。

 まだ混乱しているんですね、よくわかります。

 僕も現実逃避がしたいよ。


 少女が何者であるか、この後に追求しようと相談し合っていたんだけど、そういう雰囲気じゃなくなったね。

 全てをニーミアとプリシアちゃんに引っ搔き回された気がするよ。


 その後、水を汲んできたミストラルと、僕とルイセイネと少女で、スレイグスタ老の頭を念入りに洗った。

 もちろんプリシアちゃんはその間、罰として正座をさせられていた。


 そして、スレイグスタ老の頭を洗い終え、お茶の時間になる。

 プリシアちゃんは相変わらず正座のままで、みんながおやつを食べている間、ずっと瞳を潤ませていた。でもその後、ニーミアにこっそりおやつを分けてもらっていたのは全員が知っている。


「それでは、汝の事を聞こう」


 僕たちが一服ついて落ち着くのを待って、スレイグスタ老は切り出した。


 スレイグスタ老の黄金の瞳に見据えられ、少女は緊張で身体を強張らせる。


「あの、その。」


 しかし口籠る少女。


「エルネアは汝の恩人なのであろう。恩人に語る事は何もないのか」


 スレイグスタ老の言葉に、少女は俯く。


 余程、話したくない事情があるのかな。僕は言いたくないことを無理に聞き出そうとは思わないんだけど。でもおそらく、一時は僕たちが面倒をみることになると思うけど、正体不明のままの少女が近くに居る、というのも不安ではあるよね。


「私は、死んだ女なのですわ。なので過去を持たないのですわ」


 悲しく呟いた少女。


「お化けさん?」


 正座の解かれたプリシアちゃんが、少女の頬を優しく撫でる。


「はい。そうですわ」


 少女はプリシアちゃんの優しさに、微かに笑みを零す。


 僕とミストラルは、巫女のルイセイネを見る。


「まさか。ちゃんと生きていらっしゃいますよ。それは決闘をしたミストさんもよくわかっているでしょう」


 勿論、少女がお化けだなんて信じていないよ。だけど、ついね。

 巫女様の確約もあるし、少女は死んでなんかいない。なのに、少女は自分を死んだと言う。ここに少女の抱える問題があるような気がした。


「それじゃあ、なんで竜人族と竜族に戦いを挑んだのかも教えてくれない?」

「私事だと言ったわね。どんな理由があるのかしら」


 僕とミストラルの質問に、やはり口籠る少女。

 僕たちは少女が口を開くのを待ったけど、俯く少女からは謝罪を繰り返す言葉しか漏れなかった。


 本当に本当に。彼女にとって余程のことがあるんだ。そして過去の事と戦いを挑んだ事は繋がっているような気がした。


「誰にだって、言えない事はあると思うんだ。だからもう追求は止めよう」


 僕の提案に、ミストラルとルイセイネは頷いてくれる。


「申し訳ございません」


 消え入りそうな声で謝罪を繰り返すばかりの少女を、プリシアちゃんが抱きしめた。


「お菓子をあげるからね。元気になってね」


 プリシアちゃんなりの励ましに、少女は涙を流しながら微笑んだ。そして少女も、ぎゅっとプリシアちゃんを抱きしめる。


「いつか必ず、お話ししますわ。ですのでどうか今は、ご勘弁を」


 少女を元気付けようと、僕は微笑む。ミストラルとルイセイネも同意し、それ以上の追求は無くなった。


「ふむ」


 僕たちのやり取りを黙って聞いていたスレイグスタ老が、何かを納得したように喉を鳴らす。


「にゃああ」


 ニーミアが少女の頭に乗り、悲しそうな表情を見せた。


 スレイグスタ老とニーミアは、少女の思考を読んだんだろうね。ニーミアの様子を見る感じだと、明らかに素敵な思考じゃなかった事はわかる。


 誰だって、言いたくなかったり思い出したくもない過去はあるよね。それを無理に聞き出そうとしても、聞かない事よりも関係が壊れる事もあると思うんだ。

 今は、少女の事を根掘り葉掘り聞くべきじゃない。

 だけど、いつか心の苦悩も話してくれるような関係になればいいな。


 あ。それはお嫁さんとしてじゃなくて、人と人との関係としてだよ! と思考を読んでいるだろうスレイグスタ老とニーミアに弁明しておいた。


 追求が終わり、少しづつ笑顔が戻り始めた少女に、スレイグスタ老が言葉をかける。


「汝のことは、今は何も言うまい。しかし名前だけは名乗ってはどうだ。名無しではこれから不便であろう」


 スレイグスタ老をじっと見つめる少女。


 やっぱり名前も言いたくないのかな。


 僕たちは静かに、少女が名乗るのを待った。


「ラ……ライラですわ」


 少女の目が泳いでいた。


 偽名なんだね、と誰もが気づいた。でもみんな優しいね。「ライラ、よろしくね」と笑顔で名前を呼んであげていた。


 自身のこと全てを話そうとしない少女の心の闇は深そうだ。

 僕は、この闇をいつか晴らしてあげることはできるんだろうか。そう思いつつ、和やかな女性陣を見つめていた。

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