煩悩と決断
ルイセイネが息を呑んだ。
竜人族の親は子供に目隠しをし、気の弱いおばちゃんは視線を逸らした。
激しい音が、広場に響き渡った。
「ミストラル」
僕は静かに、でも強い眼差しでミストラルを見る。
手元からゆっくりと視線を外し、僕を見るミストラル。
ミストラルの一撃は、僕の霊樹の木刀によって受け止められていた。
漆黒の片手棍は、間一髪、少女の眉間の前で止まっている。
「こんなのは、駄目だよ」
力を抜かないミストラルの片手棍を、全力で止める僕。
「エルネア。この娘は死を望んでいるわ」
「だから何? 死にたがってるから殺すの? そんなこと、僕は認めないよ」
「慈悲は必要ありませんわ。無能な私など、死んでも誰も悲しみませんですわ。誉れ高い竜姫の手で死ねるのなら、私に悔いはありませんですわ」
少女の言葉が、僕には痛かった。なぜこの少女はここまで心が
「誰も悲しまないとか、悔いはないなんていっちゃ駄目だよ。少なくとも、僕は悲しむよ」
「わたくしも悲しみます」
ルイセイネが僕に同調してくれる。
「でも今この少女を助けても、いずれまた死地に向かうわ。竜人族がこれ以上は相手をしなくても、竜族に挑むでしょう」
ミストラルの言葉に、少女はきっとそうします、と頷いた。
「ならば、いっそここで。竜族に酷たらしく殺されるよりも、竜姫の手で誇り高い死を、か」
ザンがやって来て、ミストラルの肩に手をかける。
「お前の考えは間違っちゃいない。だがな」
ザンは僕を見た。
「お前の夫が止めろと言っているんだ。嫁は大人しく旦那に従え」
ザンの言葉に、ミストラルは剣呑な表情になる。そしてすぐに僕を見て、困った表情になった。
「僕はミストラルが好きだよ。だから、嫌いになるような事はしないで」
ぽっと顔を赤らめるミストラル。
「くくくっ。よくもまあ、この状況で恥ずかしい事が言えるもんだ」
ザンは口の片方を上げてにやつく。
「……まったく、仕方ないわね。今回は貴方を立てて引くわ」
そしてようやく、ミストラルは片手棍から力を抜いて、腰に戻した。
そして、そそくさと立ち去る。
「なんだ。意外と照れ屋だな」
ザンは、やれやれ、と肩をすくめて僕を見た。
僕はザンにお礼を言って、少女を見る。
「君も。無闇に命をかけちゃ駄目だよ。どんな理由があるか知らないけど、命より大切な事なんてないと思うんだ」
「ですが……」
俯く少女に、僕は笑いかける。
「こう思えばいいよ。君の命は僕が助けたんだ。だから君の命は僕のもの。そして僕の許可なしに命を粗末にしちゃいけません」
「あの、えっと……」
「とんでもないこじ付けだな」
少女は戸惑い、ザンは鼻で笑っていた。
「あらあらまあまあ。エルネア君はそんなに傍若無人だったでしょうか」
ルイセイネの困った表情に、僕は苦笑した。
「と・に・か・く」
僕は人差し指をぴん、と立て。
「君は、これからは僕の命令に従わないといけないんだよ? 決闘は禁止です!」
やっつけだった。咄嗟の僕には、これ以外の方法が思いつかなかった。
悲痛な意志で無謀に戦いを求め、死を求める少女を留めておく方法はこれしかない、と今は思ったんだ。
複雑な表情を見せる少女。しかし意を決したのか、力のない動きだったけど僕に
「かしこまりました。貴方は我が主人。貴方に従い、貴方の為に生きますわ」
「あ、えっと」
「んんっと、お兄ちゃんは家来を手に入れたの?」
「違うよっ。家来だなんてそんなっ」
「誓います。私も貴方の嫁となり、生涯をともにしますわ」
「ええええっっ」
ルイセイネが悲鳴をあげた。
僕は絶句して、頭が真っ白。
「五人目の嫁にゃん」
「ちょっとニーミア! なんで五人なのさ。僕の知らない人が増えていない!?」
「お前。ミストラルが居ながら、他にも手を出すのか」
ザンの顔が引きつってます。
「誤解です! 何かの間違いです! 僕は知りませんっ」
逃げようとした僕の足を、少女が抱き掴む。
「ああ、私の人生で初めて、生きる意味を授けてくださった人。このご恩は我が身を持って」
「ななな、何を
ルイセイネが顔を赤くしたり青くしたりしている。
「およめさんおよめさん」
いつの間にか現れたアレスちゃんが、なぜか楽しそうにプリシアちゃんと小躍りをしていた。
「やれやれ」
広場に集まっていた竜人族の人たちは、苦笑しながら散っていく。
どうしてこうなった!
さっきまで、心が痛くなるような決闘が繰り広げられていたはずなのに、今はもうそんな雰囲気なんて、欠片もありません。
「わたくし、ミストさんに言ってきますっ」
ルイセイネは「エルネア君の馬鹿ぁっ」と叫びながら走り去っていった。
「自業自得というやつだな。まあ、頑張れ」
ザンは僕の肩を強めに叩き、立ち去る。
そして広場の中央には、足を取られた僕と、しがみ付く少女だけが取り残された。
ミストラルにその後、ひどく怒られました。
「決闘を貴方の意志で止めたのは尊重するわ。でも後が雑過ぎます」
「ごめんなさい」
「エルネア君、五人目の嫁ってどういうことですか」
なぜかルイセイネまで腰に手を当てて、正座をする僕を見下ろしています。
「それに関しては、僕には心当たりなんてないよ?」
ニーミア。君の口の軽さのせいで大変な誤解が生まれてるよ。とニーミアを見たけど、彼女はプリシアちゃんとお昼寝中。
名無しの少女はあの後、緊張の糸が切れたように意識を失ったんだ。
僕が少女を元の部屋に寝かせ直すと、プリシアちゃんとニーミアも一緒に寝ちゃったんだよね。
「名前不明の娘が起きるまで、エルネアはこのまま正座ね」
「そ、そんなぁ」
僕の悲鳴が虚しく部屋に響いた。
「反省しなさい」
「罰ですよ」
「はい」
ザンは、ミストラルに亭主関白のようなことを言っていたけど、全くその気配はないよね。
むしろ僕の方が既に尻に敷かれているような気がする。
でも、今回は素直に反省しよう。
名無しの少女が変な方向に走ったのは、僕のせいだからね。
目が覚めたら、もう一度きちんと話をしようと思う。
それにしても。
僕とミストラルとルイセイネは、寝台で静かに寝息を立てている少女を見た。
思っていることは同じだと思う。
この少女は、人族なのになぜ竜力を持っているのだろう。しかもその竜力は、竜宝玉をジルドさんから受け継ぐ前の僕なんかよりも遥かに強い。
竜人族の戦士も驚愕していたところを見ると、もしかすると彼らよりも強いのかもしれない。
身元どころか名前まで不明の少女。
目的は、竜族か竜人族を倒し、自分の存在を示すことらしい。
よくわからないね。
竜峰に住む者に恨みがある、というわけではなさそう。むしろ、少女は相対したミストラルや野次馬の竜人族に敬意を示していたように思えるもの。
謎だらけの少女に、僕は首を傾げた。
「竜力を持った人族は、実は結構居るのでしょうか」
「まさか。呪力を持った竜人族が居ないように、普通は人族だけでなく他の種族だって竜力は持たないのよ。エルネアは翁の下で修行したから特別なの」
「では、この少女はいったい?」
ミストラルとルイセイネも、互いにうむむと唸りあっていた。
「翁なら何かわかるかもしれないわね」
「苔の広場に連れて行くんですか?」
「そうねえ」
ミストラルは暫し黙考するように瞳を閉じる。
「気になるから、翁が連れて来いと言ってるわ」
おお、遠く離れてても意思疎通ができる、伝心術ですね。
ミストラルは、今まさに翁に相談したんだろうね。
「でもそれで、危険人物だってなったらどうするんだろうね?」
「その時は、諦めなさい」
ミストラルに諭すように言われて、僕はうな垂れた。
少女は結局、その日は目を覚ますことはなかった。
僕はお昼に正座を解除になったけど、午後は苔の広場に行かず、寝ている少女に付き添った。
そして翌日。目覚めた少女に理由も告げず、僕たちは村から連れ出す。
疑問符を浮かべつつも、素直に僕に従う少女。
ミストラルと決闘した時は鬼気迫る気配だったけど、普段は従順で大人しく、素直な性格な少女に、僕だけじゃなくてみんなも気を使い始めていた。
竜廟に入り、みんなが纏まったところで立体術式に包まれる。
少女は水竜に驚き、立体術式に目を見開いていた。
そして苔の広場に転送され。
小山のような巨竜のスレイグスタ老を目の当たりにして、腰が砕けた。
「ここ、これはいったい……」
スレイグスタ老に見据えられ、がくがくと震えて僕に助けを求めるようにしがみ付く少女。
「大丈夫だよ」
僕の言葉も虚しく、少女は心底怯えて震える。
やっぱり、スレイグスタ老は計り知れない存在なんだね。僕たちは慣れてしまっているけど、普通は少女みたいに、見据えられるだけで絶望を感じてしまうんだ。
そういえば、僕も初めてこの苔の広場に迷い込んだ時は、スレイグスタ老の存在に絶望を覚えたよ。
「ふむ」
じっと少女を観察していたスレイグスタ老は、満足したように瞳の威圧を消した。
「エルネアよ」
「はい」
スレイグスタ老の真剣な眼差しに、僕は姿勢を正す。
少女も、今から言い渡されることが自分の運命を左右するのだと気づいたのか、恐る恐るではあるけどスレイグスタ老を見つめた。
ミストラルとルイセイネも、固唾を飲んで見守っている。
そしてスレイグスタ老は、静かに判決を下した。
「おめでとう。汝の夢であるおっぱい嫁であるな」
「は!?」
「んなっ」
「えええっ」
にやり、と笑うスレイグスタ老。
「お、おじいちゃん、何を言ってるんですかああぁぁっ」
僕は悲鳴をあげ、ミストラルとルイセイネは鋭い視線で僕を睨む。そして少女は顔を真っ赤にして、胸元を押さえて恥ずかしがった。
「やっぱりにゃん」
「おわおっ。お兄ちゃん、おめでとう!」
空気を読まないプリシアちゃんとニーミアが、僕の手を取って喜びあう。
いやいやいや。楽しい状況じゃないからね?
これは俗に言う、修羅場というやつだよ!
「エ、エルネア様は、胸が好みなのですわね」
「違うよっ、そうじゃないよ」
慌てふためく僕に、追撃をしないでください。
「エェルゥネェアァァァッ」
「エルネア君!」
「ぎゃあぁぁっ」
苔の広場に、僕の悲鳴が木霊した。
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