新たな危機
「手足を一瞬で極めよ」
僕は伸ばした手の指先、上げた片足をぴたりと一瞬だけ静止させると、また流れる動きで舞う。
アームアード王国やヨルテニトス王国の王都で観た舞姫の舞踊は緩急のついた、見る者を惹きこむ美しいものだった。
当初、それは流れる動きが自然に次の動作に繋がり、細心の注意が払われた全身が完璧に舞踊者の心を表現しているからだと思っていた。
ううん、舞踊者の心を表現していることには違いない。ただし、細かなところで動きには間違いがあった。
竜剣舞は、流れる動きで連続した
そして、流れる動きは舞姫の舞踊と通じるものがある。そう思い込んできて、動きの連続性、自然な流れをこれまで意識して練習してきていた。
だけど、違ったんだ。
見る者、そして相対者さえ魅了する舞のなかには、静と動が混在する。激しい動き。緩やかな動き。そして、一瞬の
まさか、舞の途中で全身をぴたりと固定し、
霊樹の精霊の女性に指摘されるまでは、思いもしなかった。
竜剣舞は、あくまでも戦いの舞。竜気と剣術、そして体術を駆使した剣舞。
手数こそが全て。隙を見せれば反撃される。動きが止まれば逃げられる。その考えは間違いではない。
だけど、その先を目指すなら。
剣聖ファルナ様のような全ての者を魅了する剣舞を目指すのなら、僕は舞踊としての竜剣舞も極めなきゃいけない。
そうそう。忘れちゃいけない。
もちろん、女神様や霊樹に
あれもこれも、思いつくもの全てを取り込み、僕だけの竜剣舞、僕だけの舞を完成させたい。
強欲?
違うよ。
こうして幾つもの目標を
これはできない、あれは取り入れてみよう、では完璧なものなんて完成しない。気づいたこと全てを極めてこそ、唯一無二のものができあがるんだ。
「ごうよくごうよく」
霊樹の女性の膝の上で、アレスちゃんが楽しそうに微笑んでいる。
アレスちゃん以外の霊樹の精霊が、なぜ僕の試練に協力してくれているのかは知らない。
精霊はときとして気分のままに動くから、僕にたまたま興味を示してくれただけかも。
アレスちゃんを膝の上に乗せて、霊樹の太い根に腰を下ろして僕を指導してくれている女性は、明らかに高位の霊樹の精霊さんだった。
ふっふっふっ、アレスちゃん。僕のなんでもかんでもに、君も最後まで付き合ってもらうんだからね!
「貪欲とは、ときに悪いことばかりではない。自分への探究心は忘れぬことだ。停滞すれば、
結局、ひとりで試練のはずが、こうして霊樹の女性やアレスちゃん、多くの精霊さんたちに支えられての修行になっちゃった。
きりっ、と最後の型を締めて、竜剣舞を舞い終える。
精神を研ぎ澄ませ続けたせいか、指先がぴりぴりと痺れている。今までにない動きが加わり、背中の筋肉や
流れる動きのなかで一瞬だけ意識的に身体を止めるという動作が肉体的にも精神的にもいかに難しいのか、ここ数日で嫌というほど思い知らされていた。
てとてとと短足な足を不器用に動かして、へんてこな子供の精霊さんがお水を持ってきてくれた。ありがとう、とお礼を言って水を飲む。
ひんやりとした冷たい水が、喉に気持ちの良い刺激を与えてくれた。
ふう、と深呼吸をしながら息を整える。そうして、空を見上げた。
霊樹の深い枝葉の先は、真っ暗闇。
僕の周囲は光の精霊さんたちが照らして明るいけど、もう真夜中だ。
結局、年越しには間に合わなかった。
違うか。正確には、まだ年越しの時間じゃない。だけど、今から戻っても、さすがにもう間に合わないよね。
みんなには悪いことをしてしまったかな。
家族全員が集まっての、初めての年越しになるはずだったんだけどね。
自分に課した課題を納めるためには、時間がかかることは承知していた。でも、思いついちゃったからね。
時間制約を言い訳にして逃げるわけにはいかない。スレイグスタ老の期待を裏切るなんて、僕にはできないよ。
「とは言うても、本当に極めようと思えばあと数年、下手をすると一生を費やすぞ」
「ううう、おじいちゃんになって戻っても、誰も喜ばないよ」
「まいそうまいそう」
「いやいや、アレスちゃん。僕はここで老衰死なんてしないからね!」
さらりと恐ろしいことを言う。
アレスちゃん的には、僕がここで死んじゃって、埋葬されれば独り占めできるとでも思っているのかな。
お、おそろしい……
「エルネアを死ぬまで拘束するわけにもいかん。触りは教えた。注意すべきこと、その他の基本は教えて、エルネアはそれをしっかりと身につけた。今はそれで良いのではないか?」
「はい。おじいちゃんに試練の内容が足らないと言われたら、また戻ってきます。そのときはまたよろしくお願いします」
「なんだ。それ以外では戻ってこぬと言うのか?」
「えええっ。だって、ここにはおじいちゃんの許しがないと入れないんですよ」
「ならば、私からの試練だ。いつでもここへと来られるように許可をもらえ。エルネアが来なくなったら……。そうだね、人族の国を森で侵食してやろうか。エルネアへの霊樹の加護も無くしてしまおう」
「そ、そんなあっ!」
霊樹の精霊の女性から出た新たな試練に、僕は悲鳴をあげた。
「かえろうかえろう」
僕の困惑なんて関係ないとばかりに、アレスちゃんは幼い足取りで僕のもとへと歩いてきて、手を取って古木の森の奥へと向かおうとする。
「ちょっと待ってね」
そのアレスちゃんを止めて、僕は霊樹へと向き直る。
「最後にもう一度、舞わせてください」
これまで、何日間も僕の修行に付き合ってくれた霊樹の女性と精霊さんたち。それと、根もとで不器用に舞い続けた僕を暖かい眼差しで見守ってくれていたように感じる霊樹。
みんなに感謝を込めて、練習じゃない竜剣舞を舞いたい。
もしかすると、また明日からも通うことになるかもしれないけど、今日までのお礼は大切だからね。
深い感謝と祈りを込めて、今年最後の竜剣舞を舞う。
一心不乱に舞い、最後の極めをすると、周囲から拍手が溢れた。人型の精霊さんたちがいっぱい拍手をしてくれたり、動物や昆虫の精霊さんが飛び跳ねて喜んでくれていた。光の粒の精霊さんたちは乱舞して嬉しさを表現してくれている。
霊樹が枝を震わせ、さわさわと葉を鳴らす。喜んでもらえたのかな?
「ふむ、まだまだね」
がくっ、と霊樹の女性の容赦ない評価に膝を落としつつ、僕はもう一度みんなにお礼を言う。
そして暗い古木の森の奥へと、アレスちゃんと手を繋いで戻る。
僕の今年最後の試練は、こうして後に続くかたちでいち段落を迎えた。
来年からは、竜剣舞の試練ともうひとつ思いついた試練を継続させて、極めることが目標だね。
少しだけの満足感とこれからへの奮起を胸に、僕は苔の広場を目指した。
「おじいちゃん、アシェルさん、ただいま!」
「ほほう、ようやっと戻ってきたか」
「遅い帰りだね。もう日付は変わってしまったわよ」
「えええっ、やっぱり間に合わなかったか」
『夜中にうるさい奴だ』
「あれ。レヴァリアも居たんだ? 竜族は年越しなんて意識しないって前に言ってなかったっけ?」
『リームとフィオが貴様のせいでお泊まりだ』
「ああ、そういうことか。と言うか、それって絶対に僕のせいじゃないよね?」
苔の広場には、竜の森の守護者であるスレイグスタ老とは別に、家出中のアシェルさんと取り残されたレヴァリアが居た。
「家出中とはなんだっ!」
ぐわっと巨大な口を開けて
お土産ですよ。
「ほほう、この時期に霊樹の果実を持っておるのか」
「あっ、しまった。これはおじいちゃんには内緒だったんだ!」
「くくく。どうせ霊樹の
「あの人って、おじいちゃんよりも年上?」
「さあて、どうであろうな」
「なぜそこではぐらかせるんです!?」
それって、絶対にわざとだよね。意味深な感じを匂わせながら、実は深く考えていないよね。
見つかってしまっては、仕方がない。
「これはお年玉ですよ」
なんて言いながら、スレイグスタ老とレヴァリアの口の中にも霊樹の果実を放り込んであげた。
もごもごと、口のなかで味わう竜族の皆さん。巨体の竜族からしたら、霊樹の果実なんて小さくて食べ応えは全くないんだろうけど、美味しさは舌に十分伝わるからね。
満足そうな三体の竜の様子に、僕も大満足です。
お年玉のお返しを三倍返しくらいで期待しよう。
戻ってきたことだし、試練の内容でも報告したほうがいいのかな、とスレイグスタ老の様子を伺いながら、話す機会を探す。
だけど、スレイグスタ老は僕に違うことを伝えてきた。
「
「?」
「ユーリィから伝心が飛んできておる。どうもミストラルが大変なことになっておるらしい。救援要請が入っておる」
「えええっ!」
どうして、ミストラルが自分の村ではなくて耳長族の村に居るのか。なぜ竜の森のなかで、竜姫である最強の彼女に危機が迫っているのか。
いつもであれば、僕の危機にミストラルが飛んできてくれることばかりだけど、今回は逆だ。
僕はスレイグスタ老の言葉を聞くと、一目散に耳長族の村へ向けて走り出す。
そして、慌てて引き戻る!
「おじいちゃん、白剣と霊樹の木刀を返してくだい」
「うむ、そこの毛の下にある。焦る気持ちはわからぬではないが、落ち着くこともときには必要であるぞ」
「はいっ! 用心して行ってきますっ」
スレイグスタ老の前足の先の漆黒の体毛のなかから白剣と霊樹の木刀を取り出し、竜気全開でもう一度駆け出す。
『騒がしい奴だ』
レヴァリアのため息を背中で感じながら、古木の森へと入った。
耳長族の村へは、手順を追わなければたどり着かない。まずは古木の森を抜け、竜の森へ。
空間跳躍を駆使し、加速していく。
アレスちゃんは一旦姿を消してくれていた。
真っ暗な森を
竜気の宿った瞳が真夜中の暗闇を見通す。
目印の古木を見つけ、素早く周囲を回る。南下し、泉の周りを回り、出現した道を進む。
空間跳躍をするごとに変化する景色を横目に、耳長族の村を目指す。
ミストラル、無事でいて!
焦る気持ちが空回りをし、思うように空間跳躍の飛距離が伸びない。だけど、地面を
「ミストラルっ!」
叫ぶ僕の視線の先に、倒れ伏したミストラルの姿が映った。
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