ルイセイネの大晦日

「スレイグスタ様、おはようございます」

「うむ。なんじはいつも礼儀正しいな」

「んんっと、大おじいちゃん。登ってもいい?」

「それにひきかえ、汝はいつも自由であるな」


 苔の広場に来て早々、スレイグスタ様の頭の上に登ろうとするプリシアちゃんを抱きとめて、朝の挨拶を交わすわたくしたち。


 朝の清らかな空気が苔の広場全体を満たしていて、心が洗われます。竜峰も空気は澄んでいますが、竜の森や苔の広場は特別です。

 やはり、霊樹があるからでしょうか。


 わたくしたちの視線は、自然と霊樹が生える古木の森の奥へと向けられていました。


 エルネア君が今年最後の試練のために霊樹のもとへと修行に向かって、すでに何日も経ちました。

 そして今日。

 年末最後の日。

 はたして、エルネア君は戻ってくるのでしょうか。


「ルイセイネ様。つぼを準備しましたわ」

「二人とも、気をつけて行ってらっしゃい」

「プリシアも行くっ!」

『私もーっ』

『リームもぉ』

「にゃーん」


 そうでした。のんびりとエルネア君の帰りを待っているわけにもいきません。今日は忙しいのです。

 わたくしたちは、年越しのお祭りで振る舞われる霊樹のしずくを集めなければいけないのです。


 ニーミアちゃんが大きくなってくれて、そこにプリシアちゃんが飛び乗ります。ライラさんは、リームちゃんの背中へ。

 では、わたくしはフィオリーナちゃんでしょうか?

 竜族とはいえ、子供の竜の背中に乗るのは躊躇ためらわれます。大丈夫ですか、と心配しましたが、翼を広げて『任せてっ』と元気よく言われました。


 わたくしやライラさんが背中に乗ると、フィオリーナちゃんとリームちゃんは力強く空中に上がりました。

 ニーミアちゃんが後に続きます。

 ライラさん。貴女はリームちゃんの背中の上でも立つのですか……。若干じゃっかん、リームちゃんが飛び辛そうですよ。


 飛び立ったわたくしたちは、頭上に広がる霊樹の枝葉へと近づいていきます。


 霊樹の雫とは、霊樹の葉っぱなどに集まった朝露あさつゆを集めたものです。

 ミストラルさんの変身した姿を知るまでは、どうやって遥か頭上の霊樹から朝露を集めているのでしょう、という疑問を持っていましたが、今ではわかります。

 飛んで集めていたのですね。

 それは確かに、わたくしたちには見せられない秘密の方法ですよね。

 霊樹の果実も、そうやってんでいたのでしょう。


 ですが、ミストラルさんのもうひとつの姿を知ったことで、彼女がになっていたお役目の一部を受け持たせてもらえるようになりました。

 そのひとつが、こうして霊樹の雫を集めるお仕事です。

 本日は、耳長族へお渡しする分も含めてい、つもより多く集めなければいけません。しかも、午後からはミストラルさんの村に戻ってお祭りの準備をしなければいけませんので、忙しいのです。


 なので、エルネア君。

 早く帰ってこないと知りませんよ?


 わたくしとフィオリーナちゃん、ライラさんとリームちゃん、そしてプリシアちゃんとニーミアちゃんの組に分かれて、霊樹の雫を集めます。


 一枚の葉っぱに着く朝露は微々たるもので、それを大勢の人に振る舞えるほど集めるのは大変です。

 ミストラルさんがひとりで集めていたときは大変だったことでしょう。


 一生懸命にフィオリーナちゃんは翼を羽ばたかせて、霊樹に限界まで近づいてくれます。わたくしは腕を伸ばして、壺を葉っぱの下へ。ちょん、と壺を持たない方の指先で葉っぱをつつくと、一滴か二滴ほどの雫が集まります。


 ライラさんとリームちゃんの組は、右に流れたり左に流れたり。上下に揺れたり。

 やはり、ライラさん。子竜のリームちゃんの背中の上に立つのは問題がありませんか?


 プリシアちゃんとニーミアちゃんの組は、とても楽しそうです。プリシアちゃんはきゃっきゃとニーミアちゃんの背中で飛び回って遊んでいます。主に、と言いますか、ほぼひとりで霊樹の雫を集めているのはニーミアちゃんですが、にゃんにゃんと上機嫌です。

 本当に仲の良いふたりですね。


 この二組には負けていられません。

 頑張って集めましょう。


 地上では、ミストラルさんがスレイグスタ様の毛を解いたりしてお世話をしている様子が見て取れます。見よう見まねで双子様がアシェル様の毛繕けづくろいをしていますが、遊びにしかなっていません。アシェル様は困ったようにため息を吐きました。


 アシェル様は結局、こちらで年越しをするそうです。


「竜族は年越しというものに特別な感情はないね。生きている間に何百回と迎えるのだよ? いい加減飽きもくるわ」


 と言ってらっしゃいましたが、今回の夫婦喧嘩はいつも以上に激しかったのではないか、とニーミアちゃんが心配していました。

 わたくしとエルネア君も、こんな風に喧嘩をするときが来るのでしょうか?

 想像がつきません。いつも冗談半分で騒いだり、エルネア君のうっかりで怒ったりすることはありますが、喧嘩だけは無さそうです。だって、彼はいつも優しくて、わたくしたちに気を使ってくれますから。


 戻ってこないエルネア君のことを想いながら霊樹の雫を集めていると、あっという間にお昼になってしまいました。


『いっぱい集まった?』

「はい。フィオちゃんが頑張ってくれましたので」


 地上でミストラルさんが手を振っていますので、降下します。そして地上で、ライラさんとニーミアちゃんから壺を受け取って、合わせました。


「まあまあの集まりですわ」

「ライラさん、貴女が一番少ないとはどういうことでしょうか?」

『飛ぶのが大変だったよぉー』


 ぐったりと疲れた様子のリームちゃんを労いながら、ライラさんを全員でとがめます。


「ええっと、あのう……。その……」


 しゅん、と小さくなって反省をするライラさん。あまりいじめると可哀想ですし、リームちゃんも疲れた以上に楽しかったと喜んでいるので、この辺で許してあげましょう。


 そして、壺二つ分がいっぱいになるほど集まりましたので、ひとつは耳長族の村にお渡ししましょう。


「さあ、この後は帰って宴会だわ」

「さあ、この後は帰って酒盛りだわ」


 地上で遊んでいるようにしか見えなかった双子様が元気に発言をして、今度は彼女たちがミストラルさんに怒られ始めました。


「二人の帰る場所は王都じゃないかしら?」

「ミストラルは酷いわ」

「ミストラルは鬼だわ」

「貴女たちは王族なのでしょう。王族には年越しの行事があると、去年エルネアに聞いたのだけれど?」

「自慢じゃないけど、参加したことはないわ」

「自慢じゃないけど、行事なんて知らないわ」


 王族として、それはどうなのでしょう……

 巨大で暴力的な胸を張って偉そうに言われると、こちらとしても、つい納得してしまいそうになります。ですが、王女様ならもう少し自覚を持たれた方が……


 エルネア君を含め、わたくしたちアームアード王国の国民が王子様や王女様の顔をあまり知らないのは、こうした自由奔放な性格の方々のせいなのでしょう。


「プリシアも今日はお泊り!」

『私もお泊りっ』

『リームもぉ』

「にゃーん」


 元気に手をげた幼少組に、ですが厳しい声が降ってきました。


「プリシアは、今年は自分の村で年越しよ。去年はわがままを聞いたのだから、今年は大人しくしていなさい」

「ニーミアは私とここで年越しね。竜が人と年を越してなにをするのです」

『年越しなどくだらぬ。リームとフィオは我と共にいつも通り帰るぞ』


 ミストラルさんとアシェル様と、迎えに来たレヴァリア様の発言に、絶望の表情を浮かべる幼少組の皆さん。


「いやいやんっ」


 断固拒否の姿勢を見せるプリシアちゃんを、問答無用でミストラルさんが捕まえます。同じように、ニーミアちゃんはアシェル様に。フィオリーナちゃんとリームちゃんは、レヴァリア様に捕まってしまいました。


『みんなと年越ししたいよっ』

『年越ししてみたいよぉー』

「エルネアお兄ちゃん、たすけてにゃーん」


 ニーミアちゃんが古木の森の奥へ向かって助けを求めました。まさか、エルネア君が戻ってきたのでしょうか。

 全員の視線が霊樹の生える古木の森の奥へと向けられました。


 さらさらと、冷たく澄んだ風が古木の木々の間を通り抜けていきました。

 年越し前の、いつもとは少し違った雰囲気の空気。それは、過ぎ行く古い年と迎え来る新たな年をまたぐという、一年に一度の行事を前にした、わたくしたちの浮かれた気持ちが反映させているのかもしれません。

 わたくしも、物心ついてから初めて、神殿の行事以外での年越しになります。しかも、人族の中ではなくて、竜峰の奥深い居場所で、竜人族の方々との年越しです。

 色々なことが初めてであり、特別なこの日この夜をエルネア君と一緒に過ごすことができれば、とても素敵なことですよね。


 きっと、わたくしと同じような感情を抱きながら、全員で森の奥を見つめました。


「……」


 じっと見つめるわたくしたちの視線の先で、古木の森に影が生まれました。


「……鹿ね」


 ミストラルさんの言葉に、がっくりと肩を落とすわたくしたち。


「ふむ。どうも間に合わぬようだな」


 そして、スレイグスタ様の容赦ない断言に、絶望が広がりました。


おきな……」


 ミストさんが珍しく、スレイグスタ様を睨んでいます。


 言いたいことはわかります!

 スレイグスタ様がこの時期にエルネア君に試練を出さなければ、きっとみんなで楽しい年越しになっていたはずですよね。

 エルネア君なら、プリシアちゃんやニーミアちゃんたちのわがままも聞いていたに違いありません。


 たのみのつなだったエルネア君が帰還しないと知って、幼少組は年長組よりもどん底の絶望に落ちてしまいました。

 プリシアちゃんなんて、ミストラルさんの腕のなかでわんわんと泣いてしまっています。


 エルネア君。貴方は自分がいない場所でも大騒動を起こすのですね。

 この大騒動が年明けまで続いても知りませんよ?

 だから、早く帰ってきてくださいね。


 いつもとは違った空気の色に見える古木の森の奥。霊樹を見上げながら、わたくしはそう心のなかで呟きました。






「あのね。プリシアは今日はずっと起きておくの。そしてお山のてっぺんで朝日を見るんだよ」

『おじいちゃんのいない年越しなんて初めてっ』

『リームはなにもかも初めてだよぉー』

「勝利にゃん」


 お肉を頬張ほおばる幼少組の皆さん。


 なんと、ミストラルさんがプリシアちゃんのわがままに負けてしまうとは……

 結局、泣き止まないプリシアちゃんに根負けしたミストラルさんが年越しの許可を出したことで、それでは仲間外れにできないと幼少組全員のお泊まりが決定しました。


 ミストラルさんは、二年連続でプリシアちゃんを預かってしまうことのおびと、今朝集めたばかりの霊樹の雫を届けに耳長族の村へ。

 そして残りのわたくしたちは、みんな揃ってミストラルさんの村に戻りました。

 すると、まだお昼過ぎだというのに、すでに宴会が始まっていました。


 年越しのお祭りは、夕方の太陽が沈む前からではなかったのでしようか?


 良い具合に酔っ払った男性がわたくしのお尻を触ろうとしてきましたので、呪縛の法術で拘束して納屋に投げ込みました。


 普段は旅に出ている村人がお土産みやげをたっぷりと抱えて戻り、滞在していた旅人は自分の村へと帰っています。

 そうして、ミストラルさんの村では珍しく、客人のほとんど居ない身内だけの楽しいお祭りが夜通し行われるこの日。


 普段はもっぱら女性たちが食事の準備をしますが、男性陣も腕を競うように、この日だけは料理をします。

 そして、珍妙ちんみょうなものから女性顔負けの絶品まで出揃った食べ物と、平地で手に入れたというお酒や竜峰で作られた酒精しゅせいの強いお酒を片手に、賑やかなお祭りが始まりました。


 いいえ、既に始まっていました。


「さあ、貴女たちも私たちの立派な身内なのだから、思う存分に楽しんで」


 コーネリアさんに迎え入れられて、まだ帰宅していないミストラルさんを除いたわたくしたちも、宴会の席へ。

 お泊まりが決定したプリシアちゃんたちは上機嫌で飛び回り、双子様は大人の方々と強いお酒をみ交わします。

 ライラさんにとって、こうした騒がしい年越しは何年ぶりになるのでしょうか。

 どう振る舞えば良いのか困った様子の彼女の隣に座り、わたくしたちは二人で苦笑しました。


 実は、わたくしもどう騒げば良いのかわかりません。

 せっかくのお祭りですので楽しみたいのですが、楽しみ方を知らないのです。巫女として正しく生活を送ってきたことに後悔はありませんが、こういったときに困りますね。


「さあさ、若いお嬢さん方。遠慮はするな」

「竜人族はこうやって馬鹿騒ぎをして年を越すのよ。冬はあまり出歩けなくなるから、こういったときに楽しまなきゃね」


 気を使ってくれる方々に微笑み、ライラさんと一緒に宴会の輪の中へ。


 とても大変な一年でしたが、エルネア君の側に居ることができて幸せでした。

 来年もまた、いいえ、これからもずっと、こうして幸せでいたいです。


 素敵な運命を授けてくださった女神様と、わたくしを導いてくれるエルネア君に感謝の祈りを捧げて、日が暮れ始めた竜峰の奥深くで一年の終わりを迎えるのでした。


 ですが、わたくしたちはまだこの時、知りようもありませんでした。


 まさか、この場に居なかったミストラルさんに、あのようなことが起こっているとは……

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