竜騎士エルネア・イース

 式典当日。

 どこまでも澄んだ高い空には雲ひとつなく、穏やかに風が舞う絶好の天気になった。

 ようやく花びらを散らし始めた花が、蜜の匂いで王城跡地を満たす。


 式典に合わせて立ち入りが解放された王城跡地に、次々と貴族や招待された多くの人々が馬車や徒歩で入ってくる。

 そして式典会場を見て、息を呑む。


 優しく流れる風が、王城跡地の一画を囲むようにして設置された無数の王国の国旗をたなびかせていた。

 そしてその周囲に、竜騎士団の地竜たちが手綱なしで配置されていた。


 竜騎士団の竜は、強い縛りのもとで使役されているので安心。という心理は、ヨルテニトス王国国民の誰もが持つ。だけど、竜騎士や世話役の人が側に居なく、手綱の付いていない自由な竜族は、やはり恐ろしい。


 式典会場の周囲に配置された地竜とは別に、上空では飛竜たちが旋回していた。


 息を呑み、足を止めた人々を、式典に携わる文官や騎士たちが誘導していく。


 貴族や招待された人たちは、戸惑いつつも案内に従い、式典会場に入る。そしてもう一度、息を呑む。


「こ、ここで式典や慰霊祭を執り行うのか」


 誰もが同じような言葉をこぼす。


 無理もない。戸惑いながらも案内された式典会場。そこには、建物どころか、壁も床もなにもなかった。唯一設置されているのは、今は空の玉座だけ。

 散り始めた万色の花畑。その一画を竜と旗だけで囲った式典会場に、不安そうな表情を見せる人たち。


 これは、王様の希望だった。


 式典会場の案は、離宮を使うか、王城跡地に式典用の建物を急造する。もしくは、別の大きな都市で執り行うという三案があった。

 だけど、王様が言った。


「これほどに美しい花の景色があるというのに、建物にこもって外の風を感じることなく行うのはもったいない」


 王様の鶴の一声で、この会場の形式が決まった。

 王様としては、長いあいだ寝室にこもっていたので、外の空気に触れていたいんだと思う。


 王様は、順調に生気を取り戻している。とはいっても、半身不随が治るようなことはないんだけど。気力を取り戻した王様は介添えを受けながらだけど、できる限り国政に復帰しようとしていた。


 全ては魔族のゴルドバトの陰謀と、竜の呪いが原因だったみたい。魔手から解放された王様は、周りが驚くほど元気になった。


 そもそも、血気に満ちた王様だったんだよね。なら、事故で半身不随になったくらいで寝たきりにはならないんじゃないか。と全ての騒動が終わった今なら、そう思える。


 それはともかく。会場に集まった人々は、指定された場所で式の開始を待つ。


 跪伏礼きふくれいひざまずく行為は、この式典では禁止されている。立礼りつれいのみ。それは、足もとが土と花で、煌びやかな衣装を身にまとった人たちが汚れてしまうことに配慮したから。


 異例尽くめの式典に、集まった人たちは不安そう。だけど、太鼓や笛の音が鳴り響き、式典が始まると緊張した気配が一気に広まり、唯一設置されていた玉座に全員の視線が集まる。


 さて、なにもないこの王城跡地のどこから、王様は現れるのだろう。と見守る人々の視線は、敷地の外から響いた竜の咆哮に吸い寄せられた。


 人々の視線の先で、漆黒の地龍が首を上げる。そして、地響きをあげて式典会場に向かい進む。


 ヨルテニトス王国民なら、誰もが知っている。どの竜よりも巨体であり、漆黒色が美しい地竜はグスフェルス。王様が使役する地竜であり、王様が病床にせって以降、竜厩舎から出ることのなかった、王様を象徴する竜だ。


 おおお、と会場から歓声が湧く。


 そして、人々の熱い視線と歓声を受けながら、王様はグスフェルスの背中に乗って式典会場に登場した。


 式典は、騒動の終幕を伝え、その功労者を讃えるもの。だけどそれとは別に、王様の復活を告げる重要な意味合いもあった。


 長い年月、寝室にこもり、国政から離れていた王様。だけど、その人気は衰えることなく、高い忠誠心と賛美の声で迎えられる。なかには、禁止されているのに平伏し、涙する人たちまで現れるほどに。


 グレイヴ様、キャスター様、そしてフィレルに手を借りながらではあるけど、グスフェルスから降りた王様は玉座に着く。

 そして、新たに宰相へと任命されたお爺さんのもとで、式典は開始された。


 ところで僕たちはというと。地上の行事を、遥か上空で見守っていた。


 上空を旋回する飛竜騎士団の飛竜たち。でも、その背中には竜騎士の姿はない。そして、飛竜たちに紛れて、暴君とユグラ様も空を飛んでいた。


 僕は、ユグラ様の背中の上。ユグラ様はフィレルが騎乗する翼竜なんだけど、他とはあまりにも格が違いすぎる。

 三百年前に、初代のヨルテニトス王が騎乗した伝説の竜であり、暴君よりも大きな身体をしている。今回の式典では、見栄え上、僕が騎乗することになった。

 そして暴君には、他のみんなが騎乗している。


 暴君は人の行事に関心はなく、不満を口にしていたけど、僕とライラが一生懸命説得したんだ。

 けっして、ライラの能力は使っていない。


 上空で式典を見守っていると、地上から合図が登った。


 僕はみんなに目配らせをして、飛竜騎士団の飛竜とともに降下を開始する。


 まずは飛竜たちが、式典会場を取り囲むようにして配置された地竜の側に着地する。

 舞い上がる風と花びらに、多くの人が歓声をあげる。


 次に、暴君が会場の中心へと荒々しく着地する。

 飛竜よりもひと回り以上大きな巨体。美しい紅蓮色の鱗。そして四つの瞳と大小四枚の翼。異様な容姿とその迫力に、人々が驚愕の声をあげて、視線を釘付けにする。


 着地した暴君からは、美しい衣装を見に纏ったみんなが降り立つ。

 最初に地上へと降りたのは、巫女装束のルイセイネ。巫女様が飛竜に騎乗していることに、同じ聖職者から羨ましそうな声が出る。

 次に、プリシアちゃんとアレスちゃんの手を引いたミストラル。ミストラルの美しさに感嘆かんたんのため息が漏れ、幼女の愛らしさに笑みが満ちる。

 三人に続いて降り立ったのは、双子王女様。豪奢ごうしゃな衣装がよく似合う。たまたまヨルテニトス王国に来ていて招待された、アームアード王国の貴族や役人から歓声があがる。


 そして最後に、深紅の衣装に身を包んだライラが地面に足をつけた。


「ライラ様!」

「ああ、なんてお美しい!」


 他の誰よりも。もしかすると王様が登場したときと同じくらいの歓声があがる。だけど、もう誰も「オルティナ王女」とは口にしなかった。彼女はライラであり、王女ではない。そう王国が正式に発表した今、不敬に繋がるようなことは、誰も口にはしない。

 だけど、王城に勤めていた人たちはみんな知っている。


 僕のことと一緒で、ライラのことも知っている人だけが知っていればいい事実。と思っていたけど、会場の湧き具合を見ると、これは公然の秘密として全ての人が知っていたことじゃないのかな、と感じてしまった。


 暴君はみんなを降ろし終えると、荒々しく羽ばたき、竜たちが作る輪のなかに入った。そしてみんなも一旦退き、場所を作る。

 そこへ、ユグラ様が優雅な羽ばたきで着地した。


 柔らかな風が会場全体に広がる。暴君とは違って、ほとんど風を巻き起こさないユグラ様。太陽の光を反射し、黄金色に輝く鱗。暴君よりもさらに大きな身体。そして、他とは違う翼竜よくりゅうの容姿。


 ユグラ様の存在は、騒動の件と併せて発表されている。

 これが伝説の竜か、と視線を集めるなか、その背中から降りた僕は、さらなる興味を持って見つめられた。


 ユグラ様は僕を下ろすと、玉座の背後、グスフェルスが待機しているその後ろに、羽ばたいて移動した。


 ユグラ様が離れると、みんなは僕の周りへと集まる。そして、みんなを従えて、王様の前へと進む。


 登場時の喧騒は一旦引き、式場全ての人が言葉をつつしみ、王様と僕たちを見ていた。


「これより、今回の騒乱で活躍をみせ、国を救った者たちの論功行賞ろんこうこうしょうを執り行う!」


 お爺さん宰相様の言葉で、王様がグレイヴ様の手を借りて玉座から立ち上がった。


 僕が先頭に立ち、みんなはその背後に並んで王様の前に出る。


此度こたびの騒動。其方そなたたちが居なければ、下手をすると王都消失、もしくは国が滅ぶような事態になっていたやもしれぬ。よって、其方たちには竜翼章りゅうよくしょうを授与する」


 お爺さん宰相様の言葉に、会場からどよめきが起きる。


 竜翼章とは、最高位の勲章らしい。王族以外では、国の根幹を左右するような大きな功績を挙げた者のみに授与される勲章。それを竜峰からの来訪者である僕たちに授ける、ということで、国としてこの騒動がどれほど危なかったのか、僕たちがどれだけ活躍したのか、そして国が騒動の顛末てんまつを重要視していることを表していた。


 フィレルから勲章を受け取った王様は、僕とみんなの左胸元に勲章を付けていく。


 掌くらいの大きな勲章。ずっしりと重く、豪奢で美しい。


 胸元に付けられ、勲章の重みを感じて、僕は凄いことを成し遂げたんだなぁ、と今更ながらに感じる。


 お見舞いがてら、王様にライラのことを報告するだけ。その際に、フィレルのお手伝いができたら良いな。くらいの気持ちでヨルテニトス王国へ来た。それが、こんな大事おおごとになるなんてね。


 全員が王様に勲章を付けてもらい、深く一礼をする。


 わっと、会場全体から歓声があがり、僕たちは振り返って人々の歓喜に応えて手を振る。


 恥ずかしい!


 本当はこんな派手な振る舞いはしたくなかったんだけど、段取りの段階で是非やってほしいと要望されてしまったんだよね。


 王城を失った今、国民のなかには不安を抱える者がどうしても現れる。それを鼓舞こぶするためには、派手な式典と振る舞いが必要なんだとか。

 豪勢に立ち振る舞い、何の心配もいらない、この程度では国は微動だにしない、ということを知らしめないといけない。そのための演出が、竜に乗っての登場や、僕たちの立ち振る舞いだった。


 歓声に応え、笑顔を振りまく僕たち。どうも、ミストラルもこういった華やいだ場は苦手なようで、その中心に自分が居ることに違和感しか覚えないらしい。近くで見ると、ミストラルの笑顔は引きつっていた。僕はそれを見れたおかげで、にこやかに笑うことができた。


「エルネア、あとで覚えておきなさいよ」

「うひっ」


 引きつった笑顔のままのミストラルに言われて、飛び上がる僕。

 衣装の件も含めて、僕にはきっとこのあと、ミストラルの折檻せっかんが待っているのかな。


 いち段落、歓声が収まるのを待ち、お爺さん宰相様が式を進める。


「では、エルネアを残し他の者は下がりなさい」


 おや?


 段取りとは違う進行に、僕は小首を傾げる。みんなも「何だろう?」と不思議そうに見つめ合いながら、それでも言われた通りに、数歩下がってことの成り行きを見守る。


「此度、最も活躍したエルネアには、もうひとつ褒美を与える」


 王様の前でかしこる僕は、内心動揺する。

 金銀財宝なんかの褒美は、事前に辞退していた。暴君の背中に乗ってやってきた僕たちは多くの荷物を持つことはできないし、そういった物を貰っても、扱いに困るから。


 なのに、こっそりとご褒美が準備されていた?

 こんなおおやけの場で断るわけにもいかないし、どうしよう。という僕の内心をよそに、王様はフィレルから、美しい細工が施された短剣を受け取る。


 あれは……


 王様は短剣を抜き、空に掲げた。


「竜峰より来訪した英雄。竜を従え、自在に操る其方に、竜騎士の称号を授与する!」


 王様の言葉に、もう一度会場全体が湧き上がった。


 竜騎士。ヨルテニトス王国民だけではなく、アームアード王国に住む人々もあこがれる称号。

 人族のなかで最高の力を示し、もっとも誉れ高い称号のひとつ。


 飛竜に乗って来訪し、竜を従えて騒動を沈めた。その僕に、竜騎士の称号を与える、と王様は言い、会場の人たちが祝福の声をあげていた。


「陛下……」


 僕は、短剣を掲げた王様を見上げる。


 短剣は、竜騎士の証。王様が掲げた短剣を受け取ることで、竜騎士という称号を得ることになる。


 僕はじっと王様と短剣を見つめる。


 そして、一歩退いて一度深く礼をして、頭を上げた。


「陛下。僕はその称号を受け取ることはできません」


 そして、はっきりと断りを入れた。


 僕の言葉に、会場は騒然とする。なかには、罵声ばせいをあげる人もいた。


 彼らの言葉は甘んじて受けようと思う。名誉ある称号を、王様から直々に受ける。それを拒否したんだ。

 だけど、これは受け取れないんだよね。


「ほほう、理由を聞いても良いか?」


 僕のはっきりと拒絶する瞳を見据え、王様が問う。

 僕は深く頷き、会場に届くように言った。


「僕は、竜王エルネア・イース! 今に至って騎士にはなれません。僕は竜人族に讃えられる八大竜王のひとり。竜人族の誉れをおとしめることはできません!」


 僕の言葉に、会場の人々はじっと僕を見つめる。


「そうか。王が騎士へと降格はできぬな。種族は違えど、その称号の意味をけがす訳にはいかぬ」


 王様は深く頷いた。


「其方の意思を尊重しよう」


 王様は短剣を収め、傍に控えるフィレルに返す。そして、今度は拳を上げて叫んだ。


「竜峰の友人。竜王エルネア・イースを讃えよう。竜峰の英雄に万歳! ヨルテニトス王国に竜の加護を!」


 王様の雄叫びに、この日一番の歓声が上がった。


「竜王万歳!」

「国王陛下万歳!」

「ヨルテニトス王国に竜の加護を!」

「ヨルテニトス王国に繁栄を!!」


 人々の声に呼応するように、周囲の竜族が空が割れるような咆哮をあげた。


 僕と王様。そしてみんなは、大歓声に応えて手を振った。


 だけど、僕とミストラル。そしてライラとフィレルは苦笑していた。


『ええい、暇だ!』

『さっさと終わらせろ!』

『腹が減ったぞっ』

『肉が食べたい』

『夜勤明けで眠いんだけど?』

『我はそろそろ契約の期限が切れる。竜峰に帰って、エルネアと遊びたいものだ』

『それは面白そうだ!』

『我らも遊びに連れて行け!』


 式典なんて関係ない竜族は、言葉がわからないことを良いことに、咆哮に紛れて言いたいことを口々に言っていた。

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