お使い最後の夜

 少しの間、スレイグスタ老の頭の上から苔の広場の景色と周りの古木の森の風景を堪能した後、僕たちは夕ご飯の準備に取り掛かる。

 まだ夕方前だけど、せっかく貴重なお肉が手に入ったのだからと、きちんと仕込んで料理を作るみたい。


 ミストラルは、事前にスレイグスタ老から飛竜の肉のことを聞いていたみたいで、幾つかの調理器具と副食材などを準備して戻ってきていた。


「アシェル様とどこかに出かけたのでしょう。夕食の時に詳しく聞かせてね」


 とミストラルに言われて、僕は腐龍のことをまだみんなに報告していないことに気づく。

 それなら夕食の準備をしながらでも、と思ったら、僕は準備から追い出された。


「わたくしたちが精魂込めて作りますので、エルネア君は楽しみに待っていてくださいね」


 ルイセイネがにこやかに言う。

 そしてミストラルと二人で古木の森の中に消えていった。


 あれれ、僕って邪魔なのかな。

 やる気満々だったので、悲しい気持ちになる。


「嫁が愛する夫の為に手料理を作るというのだ。踏ん反り返って待っておれば良い」

「な、なるほど。前向きに捉えれば良いんですね」


 そうだよね。ミストラルとルイセイネの手料理なんだ。出来上がりを楽しみに待っていよう。


「お気楽だな」


 アシェルさんが呆れたように僕を見下ろしていた。


「あれれ。アシェルさんは帰らないんですか」

「ふんっ。人族風情が私を此処から追い出そうというのか」

「いえいえいえ、そうじゃなくて。ニーミアはここに残っても良いんですよね? それならアシェルさんの用事は済んだんじゃないかなぁと」

「そうね。竜姫もいるわけだし、ここに預けても良いと思っている。だが今夜くらいは一緒にいても良いではないか。母は愛娘と離れるのが悲しいのだ」


 しくしくと前足を目元に持っていき、泣く素振りをするアシェルさん。


 ふふふ、騙されませんよ。本心は別にあるんだ。

 アシェルさんも飛竜のお肉が食べたいんですね。


 ぎろり、とアシェルさんに睨まれた。


 図星ですね。

 僕は勝ち誇ったように腰に手を当てて笑った。


 竜心万歳。

 竜気を練って、竜の心を読もうと集中すると、どうやら僕は竜の心がわかるみたい。

 いつもはスレイグスタ老やニーミアやアシェルさんに心を読まれているけど、その逆だね。


 さすがに心の中で思っていることまでは読めないけど、表面的な感情は簡単に見破ることができた。


「ほほう、竜心か」


 スレイグスタ老は興味深そうに僕を見た。


「そうなんです。どうやら僕は竜の心がわかるみたい。これで腐龍とも会話できたんですよ」

「なんと。腐龍と会話とな」

「そうなんです。僕も驚きました」


 そして僕は、腐龍のことや竜人族の村でのことをスレイグスタ老に先に話した。


「なるほど」


 スレイグスタ老は目を閉じ、僕の話をじっと聞いていた。


「竜峰の自然は厳しい。昔は竜族も竜人族も互いに助け合って生きてきた。しかし竜人族は魔族との争いから縄張り意識を持つようになり、今では同胞であるはずの竜族とも揉めることがある。悲しいことだ」


 言ってスレイグスタ老はため息を吐く。


 スレイグスタ老は竜族と竜人族との関係を憂いているんだね。

 僕も、竜人族と竜族は仲良くあってほしいと思う。

 だってニーミアは可愛いし、スレイグスタ老にはすごく感謝しているもの。


 竜族ともきちんと分かり合えれば、友達になれると思うんだ。人族の僕が竜と心を通わせることが出来るんだから、竜人族ならもっと容易いはずだよ。


「ふふん、其方は本当に変わっている」


 アシェルさんが僕を鼻先でつつく。


「其方は竜人族の嫁を貰い、古の竜から多くのことを学び、次代の竜と仲良くなった。いったいどこを目指すのだ」


 アシェルさんの深い質問に、僕は腕を組んで悩む。

 僕の目指すものって、何だろうね。


 最初は勇者のリステアに憧れて、スレイグスタ老にいろんな事を教えてもらったんだよね。

 だけど、憧れてばかりでは成長しないんだ。

 僕自身もちゃんとした目標を持たないとね。


 僕の目指すべきものとは何だろう。

 僕は何がしたいんだろう。


 これはきっと、今後の僕の人生を決めることのような気がする。


 むむむ、と悩んでいると、ミストラルとルイセイネが古木の森から帰ってきた。

 両手いっぱいに色んなものを持っているよ。


 僕は考えるのを一時中断し、ミストラルたちの手伝いに向かう。

 そういえばプリシアちゃんとニーミアはどうしたのかな、と思ったら、アシェルさんの長く美しい尻尾に埋もれて寝ていた。

 でも食べ物の匂いに反応して、むっくりと起き上がる。


「さあ、プリシアも準備してちょうだい。手伝わなかったらお肉抜きよ」


 ミストラルに脅されて、プリシアちゃんとニーミアは慌てて手伝いに飛んで行った。


 そして並べられる多様な料理に、僕は唾を飲み込んだ。


 煮込まれて柔らかそうなお肉。骨つきのこんがり焼き上げられたお肉。薄く切られ、野菜を巻いたお肉。パンに肉厚に挟まれたお肉。


 その他諸々、肉肉肉のお肉尽くし!


 こんな短時間で、どうやって準備したのさ。と思えるような豪華で多様な肉料理に、僕だけじゃなくてプリシアちゃんも目を輝かせていた。


「んんっと、お肉いっぱい」


 苔の絨毯の上に敷き布を広げ、そこに所狭しと並べられた肉料理の数々。

 これを全てミストラルとルイセイネの二人だけで作ったなんて凄いね。と言おうとして、僕は口籠る。


「ぐぬぬ」


 ルイセイネが珍しく悔しそうな表情を浮かべていた。


「まさか、ミストさんがこれ程までの料理の腕前でしたとは」

「ルイセイネ、まだまだね」


 勝ち誇ったようなミストラル。


 なんか、変な感じに女の戦いになってますよ、二人とも。


「第一回嫁対決は、ミストお姉ちゃんの勝ちにゃん」

「きぃぃ、待ちなさい、ニーミアちゃん」

「にゃあ」


 茶化すように飛んでいたニーミアを、ルイセイネが捕まえようとする。

 ニーミアは慌ててプリシアちゃんのところへ逃げていった。


 僕たちはそれを見て大笑い。


「さあ、冷めないうちに食べましょう」


 ミストラルに促されて、ルイセイネもニーミアを捕まえるのを諦めて座る。

 全員が思い思いのところに座り。


「いただきます」


 みんな揃って食べ始めた。


「こらっ、プリシア。頬張らないでゆっくり食べなさい。どうせ食べきれない分あるんだから」

「んんっと、もぐもぐ」


 プリシアちゃんは口元を汚しながら手当たり次第に肉に手をつけていく。

 そばに座ってしまったミストラルは、プリシアちゃんの世話で自分が食べるどころではなくなっていた。


「はい、エルネア君。あぁんしてください」

「ちょっ、ルイセイネ、何してるのっ」


 僕の横に来たルイセイネは、柔らかそうな肉の煮込みを僕に食べさせてくれる。

 僕も断りきれずに、あぁんと食べた。


「エルネアの裏切り者っ」

「ふふふ、ミストさん。プリシアちゃんのお世話はお願いしますね」


 勝ち誇った笑みを浮かべるルイセイネ。

 ミストラルは悔しそうに、なぜか僕を睨む。でもプリシアちゃんの面倒をみないといけないから、動けない。


 貴女たちは何をしているんですか。

 僕は苦笑しつつも、ルイセイネがよそってくれる色んなお肉に舌鼓したずつみをうつ。


「にぁあ。これが美味しいにゃ」

「ひゃあ。ニーミアちゃん、そこにお肉を置いたら服が汚れますっ」


 ルイセイネの膝に肉をくわえたニーミアが飛び乗り、巫女装束に汚れをつける。

 ルイセイネは顔を真っ青にして、布で染みを取ろうと奮闘しだした。


「ニーミア、そのお肉ちょうだい」

「にゃん」


 ニーミアは悪びれた様子もなく、プリシアちゃんに呼ばれて飛んでいく。

 そしてミストラルの膝に着地。


「あっ、ニーミア、なんて事をするの」


 今度はミストラルの服を汚すニーミア。


「やれやれ、騒がしい食事だこと」


 離れた場所で僕たちの食事風景を眺めていたアシェルさんが苦笑していた。


「賑やかで良い」


 スレイグスタ老も、騒ぐ僕たちを優しく見守っていた。


 スレイグスタ老とアシェルさんは食べないのかな。何か持って行こうかな。


「案ずることはない。汝らで食べてしまえ。我らは汝らの楽しそうな姿を見るだけで満腹だ」

「肉はもう食べた」


 あ、強がってるよ、アシェルさん。本当は食べたいくせにさ。


「にゃあ、尻尾で拭くのは駄目にゃん」

「んんっと、お兄ちゃんも食べるの」


 ニーミアはミストラルに捕まり、長い尻尾で服の汚れを拭かれて困っている。

 そしてプリシアちゃんは僕のところに来て、あぁんをしてくれた。


「ありがとう、美味しいね」

「こんなに美味しいの初めて」


 頬を栗鼠りすのように膨らませて微笑むプリシアちゃんが計り知れなく可愛い。

 僕はプリシアちゃんを膝の上に乗せて、その後も満腹で倒れるまで食べた。


 ミストラルとルイセイネが居たのに、この夜はとても賑やかな食事だった。

 食べても食べても無くならないお肉料理。

 まだ食べたい、と舌が要求するんだけど、さすがにお腹に入りきらなくなって、僕たちは食事を終えた。


 プリシアちゃんが、最後にスレイグスタ老とアシェルさんにお肉のおすそ分けをしていたのが可愛かった。


 僕は満腹で横になる。


「こら。食べてすぐに横になったら、太るわよ」


 ミストラルに怒られて、しぶしぶ起き上がる僕。


「片付けは……明日でいいですよね」


 ルイセイネは白湯を飲みながら、食べ散らかされた風景に苦笑していた。

 巫女装束の汚れは諦めたみたい。


「そうね。私も動けないわ。明日の朝、帰る前に片付けるわ」

「お手伝いします」

「あ、僕も後片付けは手伝うね」

「頼りにしてるわ」

「んんっと、ニーミアも手伝う」


 プリシアちゃん、なんで自分の名前じゃなくてニーミアなんですか。

 プリシアちゃんのどさくさに紛れたニーミアは手伝うけど自分は手伝わない宣言に、全員が笑顔になる。


「お腹いっぱいになったら、眠くなったの」


 食う寝る遊ぶのプリシアちゃんらしい言葉に、さらに笑いが起きる。


「寝るのはいいけど、ちゃんと歯を磨いてからね」


 言ってミストラルはプリシアちゃんを抱きかかえ、近場の沢に連れて行く。

 僕たちもついでだと一緒に行き、スレイグスタ老とアシェルさんのふたりを除いた全員参加で、歯磨きになった。


 そして苔の広場に戻って来る頃には、日も暮れて暗くなってきていた。


 ルイセイネが法術で明かりを灯す。

 ミストラルがお水を全員に配る。

 このお水は霊樹の雫だから、これだけで十分な飲み物になるんだ。

 果実を絞ったようなものよりも、こっちの方が美味しい。


「さあ、それではわたしが居ない間のことを聞きましょうか」


 ミストラルに促されて、僕は腐龍のこと、竜人族の村での出来事、そして僕の新たに判明した竜心のことを話した。


 ルイセイネは真剣に僕の話を聞いてくれたし、ミストラルは質問を交えながらしっかりと聞いてくれた。


「あらあらまあまあ、羨ましい体験です。わたくしも早く竜人族の方たちと交流を持ちたいです」

「なるほど、腐龍の問題は貴方が解決してくれたのね。ありがとう」


 ミストラルとルイセイネは、僕の話を聞き終わって感慨深そうに僕を見た。


「初体験のことが多くて、疲れちゃった」


 僕は欠伸あくびをかみ殺す。

 満腹になって、急激に眠気が襲ってきたよ。


「腐龍のことは、村に戻ったら報告するわ。問題がひとつ解決したのは喜ばしいことね」

「それって、エルネア君の名前を出すんですか。わたしの未来の夫が解決しましたって」


 ルイセイネの揶揄からかうような口調に、ミストラルは顔を赤くする。


「そ、それは後で考えるわ」

「言ってしまった方が、後日エルネア君を紹介するときに簡単になりますよ」


 ふふふ、と微笑むルイセイネに、ミストラルは視線を逸らす。


「さ、さあ。今夜はもう寝ましょう。プリシアももう寝ていることだし」


 ルイセイネの追求に耐えきれなかったのか、ミストラルはそそくさと立ち上がる。

 プリシアちゃんは、ニーミアと一緒にアシェルさんのお腹のところで寝ているよ。

 ミストラルはプリシアちゃんのところに行き、自分も横になった。


 僕といるときは冷静沈着でいかにも年上なお姉さんという雰囲気のミストラルが、ルイセイネと一緒にいるときには近い年代の女の子に見えるよ。

 すごく不思議だ。

 そしてそれがルイセイネとミストラルの仲の良さを物語っているように感じる。


 あれれ。それじゃあ、僕に対して女の子っぽい態度を出してくれないって事は、僕はまだまだなのか……


 何だか急に悲しくなってきたよ。


「さあ、わたくしたちも寝ましょうか。古代種の竜族のお腹で寝れるなんて、リステア君でさえ絶対体験したことがないですよ」

「うん、そうだね。ちなみにニーミアも古代種の竜だから、昨夜すでにその貴重な体験は味わっているんだよ」

「ふふ、言われてみるとそうでした」


 苦笑するルイセイネ。

 そして僕とルイセイネは並んでアシェルさんのお腹へ。


 はっ、ミストラルが睨んでます。

 お、おそろしい。


「アシェルさん、お邪魔します」


 顔の横を通る時に、僕はアシェルさんに声をかけた。

 アシェルさんは僕たちをちらりと見ただけで、瞳を閉じる。


 僕たちは前足を通り過ぎ、お腹のふわふわの毛に埋もれる。

 僕の右側はミストラル。左側にはルイセイネが横になった。


「おやすみなさい」


 僕が声をかけると、二人が同時に僕の方を見る。


「おやすみ」

「はい、おやすみなさい」


 もしかして、頬にちゅうをされるのか!?

 という淡い期待は裏切られ、ルイセイネが明かりを消すと、苔の広場は真っ暗になった。


 がっかりだよ。何でちゅうしてくれないんだ。と心の中で叫びながら、僕は眠りにつく。


 そして夢の中。ああいう時は自分の方から行動するのが男らしいんじゃなかったのか、と反省するのだった。

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