がんばれルイセイネ

 アシェルさんは苔の広場の上まで来ると、ゆっくりと降下していく。

 苔の広場では、スレイグスタ老が横たわったまま目線だけで僕たちを迎え、ルイセイネとプリシアちゃんが元気よく手を振っていた。


 とくにプリシアちゃんはとても素敵な笑顔で僕たちを見上げていた。


 僕とニーミアは、純真無垢な視線から、つい視線を逸らしてしまう。


「んんっと、んんっと!」

「うわっ」


 待ちきれなかったのか、プリシアちゃんは空間跳躍でアシェルさんの背中に飛んできた。

 突然目の前に現れたプリシアちゃんを、僕は慌てて抱きとめる。


「んんっと、お土産!」


 やっぱりか!


 期待を込めたプリシアちゃんの眩しい笑顔に、僕とニーミアは汗を流しながら視線を泳がせる。


「?」


 状況を理解できていないプリシアちゃんが、可愛く小首を傾げた。

 僕たちとプリシアちゃんの修羅場を知ってか知らずか、アシェルさんは無事に苔の広場に着地する。


「ええっとね」


 言い淀む僕。


「にゃあ」


 困ったように鳴くニーミア。


「ほれ、小娘。こっちだよ」


 アシェルさんが困っている僕たちに苦笑しながら、プリシアちゃんを手招きした。


「なになに?」


 プリシアちゃんは元気にアシェルさんの手元に飛んでいく。

 プリシアちゃんが近づいたアシェルさんの手には、何かが握られていた。

 僕とニーミアは互いに顔を見合わせて、急いで移動する。

 ルイセイネも、恐る恐るアシェルさんに近づいてきた。


「ただいま」

「はい、お帰りなさい。無事で何よりです」


 ルイセイネと挨拶を交わし、合流してアシェルさんの手もとに行く。

 プリシアちゃんはきゃっきゃと喜んで、アシェルさんの手をぺしぺしと叩いていた。


「やれやれ、まったく」


 アシェルさんは僕たちを見て呆れたようにため息を吐き、握っていた手を開いた。


「うわっ、なんですかそれは!?」

「んんっと、お肉?」

「にゃん」


 アシェルさんの大きな掌には、一抱えするほどのお肉が握られていた。


「飛竜の肉だ」

「な、な、なんだってぇぇっ」


 僕たちは驚いて後退る。

 プリシアちゃんは瞳をきらきらと輝かせて、肉の塊を見つめていた。


「お肉っお肉っ」


 プリシアちゃんが嬉しそうなのは良いんだけど……


 飛竜の肉って、渓谷に僕たちが居ない間に現れたっていう飛竜のやつですか。

 威嚇しただけじゃなかったのか。

 というか竜族が竜の肉を取るなんて、許されるんですか。

 良いんですか。


「どうせお前らのことだ。お土産なんて忘れていると思ってね。私に感謝するんだね」

「あ、ありがとうございます」


 ちゃんと僕たちのことを考えていてくれていたことには素直に感謝します。

 でも、お肉……


「なに、鳥が別の鳥を襲うこともあるだろう。それと変わらない」

「な、なるほど」


 僕は苦笑しつつも納得する。

 隣では、状況がよくわかっていない風のルイセイネが、小首を傾げて僕とアシェルさんを見ていた。


「ええっと、後で説明するね」

「はい、お願いしますね」


 微笑むルイセイネ。


「お肉っお肉」


 小躍りをするプリシアちゃんの頭の上に、ニーミアが飛び乗る。


「ふむ、肉を調理するのならミストラルが必要であろう」


 スレイグスタ老は僕たちを優しく見守っている。


「あらあらまあまあ。お肉くらいでしたら、わたくしでも調理できますよ」

「調理しようにも、器具も調味料もなかろう」

「あ、そうですね」


 苦笑するルイセイネ。


「呼び寄せる。待っておれ」


 言ってスレイグスタ老は目を閉じた。

 何かしらの方法で、ミストラルと交信しているのかな。離れた相手と意思疎通できるなんて、やっぱりスレイグスタ老は凄いね。


「ところで」


 僕はアシェルさんに振り返る。


「飛竜はどうしたんですか。あそこには何もなかったように思えるんですけど」


 上空から見た白い灰の世界になった渓谷には、アシェルさんと竜人族の人たちしか居なかったように思えるんだけど。


「私の一撃で灰になったから、風景に紛れて見逃したのだろうね。必要な肉を取った残りを竜人族どもに取られるのも癪だったから、全部灰に変えたのよ」


 なるほど、そういうことですね。

 僕は頷く。


「ふむ、ミストラルは夕方に戻ってくる。それまでは遊んで腹でも空かせておけ」


 目を開けたスレイグスタ老の言葉に、プリシアちゃんは喜ぶ。


「んんっと、遊んでお腹空かせて、いっぱい食べるの」


 どんだけ食いしん坊さんですか。

 僕たちはプリシアちゃんの元気さに笑いあう。


 それじゃあ、何をしようか。という僕の悩みに、プリシアちゃんが鬼ごっこを提案する。


 鬼ごっこか。プリシアちゃんは鬼ごっこが好きだよね。

 僕は鬼ごっこで構わないんだけど、ルイセイネはどうだろう。なにせ、プリシアちゃんとの鬼ごっこは、一般の人が思い浮かべる鬼ごっこの想像を遥かに超えているからね。

 プリシアちゃんは空間跳躍するし、精霊もいざとなったら消えるし。

 僕も、連続は無理だけど空間跳躍ができる。

 ニーミアなんて、危険を感じたら誰も届かない上空に逃げるんだよね。

 逃げる手段も追いかける手段もないルイセイネも参加すると、厳しいかも。


 という僕の心配を他所に、ルイセイネもやる気満々だ。


「ルイセイネ、大丈夫?」

「エルネア君、何を心配なさっているのですか」


 自信に満ちたルイセイネ。

 ルイセイネは朝の鬼ごっこを見ているはずで、プリシアちゃんたちの異常さは知っているはずだよね。

 なのに、自信がありそうだ。


「ふふふ、これは戦巫女として、興味があります」


 どうやら空間を飛ぶ相手を想定するような練習と捉えているみたい。

 ルイセイネがやる気なら、僕もやぶさかではないよ。

 全員のやる気にプリシアちゃんは喜び、風と土の精霊を呼び出した。


 そして最初は風の精霊が鬼役で、僕たちの遊びは始まった。






「ぜぇぜぇ」


 僕は荒い息を吐き、苔の絨毯に倒れこんだ。


 結果から見れば、僕が鬼をしている時間が一番長かったんじゃないかな。


 何でこうなった!?


 僕は呼吸を整えながら、振り返る。


 誤算だったのは、ルイセイネの戦術だよ。

 ルイセイネには、空間跳躍に対応できるような技は確かになかった。

 だけど、それを補うものがあったんだ。


 法術だよ。

 ルイセイネは巧みに法術を使い、逃げたり妨害したりしてきた。

 逃げる時には「星渡り」という水平方向に高速移動する法術を使う。偽勇者の時に使っていた術だね。

 そして空間跳躍で間合いに入ってこられても、鍛えられた身体さばきで巧みに避ける。

 そして一番困ったのは、呪縛の法術だよ。

 ルイセイネは自分がなるべく狙われないように、鬼以外の相手に呪縛法術を飛ばしてきたんだ。

 鬼は、もちろん動きの止まった相手を狙うよね。

 僕たちは、鬼以外にもルイセイネの法術に警戒しなければいけなかった。


 結果、空間跳躍を連発出来ず、ルイセイネの戦術に対応できなかった僕が一番多く鬼役をやらされたわけだ。


「嫁にもてあそばれるとは、まだまだであるな」


 くくく、とスレイグスタ老が笑っている。


「なんと情けない」


 アシェルさんはため息を吐いた。


「ううう、みんなして僕を狙うんだもの」

「あらあらまあまあ、それは愛されているってことですよ」


 ルイセイネが側にやって来て、お水をくれた。


「じゃあ、僕を狙い撃ちしてたルイセイネは、僕を愛しているんだね」


 とつい言ってしまい、僕が赤面してしまう。


「そこで自分が照れてしまっては、何にもならないと思うのです」


 笑うルイセイネに、僕は余計に顔を真っ赤にしてしまう。


「んんっと、お兄ちゃんの負けね」

「ぐうう、悔しい」

「負けたからお肉抜き」

「えええっ、そんな約束なんてしてないよっ!?」


 プリシアちゃんの発言に、僕は慌てる。

 飛竜の肉ですよ。超高級品です。絶対食べたいよ。

 幼女に、お肉を食べさせてと懇願する僕の姿に、広場にいた全員が大笑いをしていた。


「それにしても、空間跳躍とは凄いですね」


 ルイセイネは、プリシアちゃんの頭を撫でながら褒める。

 プリシアちゃんは褒められて嬉しそうだよ。


「んんっと、ルイセイネも覚えるの」

「えっ!?」


 プリシアちゃんはルイセイネに抱きつき。

 そして消えた。


 どこに行った、と僕は慌てて周りを見回し、二人を探す。


「うう、うぅぅっ」


 居た!


 プリシアちゃんとルイセイネは、あろうことかスレイグスタ老の頭の上に飛んでいた。


「あわわっ」


 僕は慌てふためく。

 寄りにもよって、スレイグスタ老の頭の上だなんて。


 何時もは親しくて優しいスレイグスタ老だけど、本当は竜の森を守護する伝説の竜なんだよ。

 幾ら何でもやり過ぎればどうなることか、恐ろしい。

 その伝説の老竜の頭に飛び乗ったプリシアちゃんとルイセイネ。


「ル、ルイセイネ、大丈夫っ?」


 僕は叫んで声をかける。


 吐いちゃ駄目だ。


 ルイセイネは口元を押さえ、押し寄せる吐き気に耐えていた。


 そう、そうなんだよね。

 空間跳躍は、慣れない人に行うと物凄い吐き気や目眩がするんだよ。

 僕なんて、慣れるまでに三回も吐いてしまったんだ。


 スレイグスタ老の頭の上で吐いちゃったら、大変なことになる。


「こらっ、プリシア。慣れていない人にいきなり空間跳躍をしては駄目だと言ったでしょう」


 厳しい叱責に、僕たち全員は古木の森の入り口を見た。


「んんっと、おかえりっ」


 怒られても気にしない。プリシアちゃんは元気に、帰って来たミストラルに手を振った。


「お肉があるの」


 プリシアちゃんは目の前で必死に吐き気に耐えているルイセイネを放って、ミストラルの胸元に跳躍した。

 それを冷静に捕まえるミストラル。


 そして一発。


 ミストラルはプリシアちゃんの頭に軽く拳骨をする。


「ううう」

「まったくもう。貴女は……」


 プリシアちゃんの自由さに、ミストラルは苦笑していた。


「ええっと」


 僕はスレイグスタ老のところに行く。


「構わぬ。助けに行くと良い」


 スレイグスタ老の許可を得て、僕は空間跳躍でルイセイネの側に飛ぶ。


「大丈夫?」


 ルイセイネの背中をさすってあげる僕。


「は、はい。なんとか」


 ルイセイネは額に脂汗を浮かべながらも、僕に微笑み返す。


「プリシアは罰として、お肉抜きね」

「ええぇぇっ! いやいやんっ」


 僕とルイセイネの遥か下では、ミストラルに肉抜き宣言されてやっと反省しているプリシアちゃんが見えた。


 じつは僕もスレイグスタ老の上に乗ったのは初めてなんだ。

 横たわった頭の上だからアシェルさんの背中ほどは高くないけど、それでも上から見下ろす苔の広場は違った世界に見えた。


「我の上に乗るなど、アームアードとヨルテニトスの双子以来なり」


 言ってスレイグスタ老は首をあげる。


 一気に高さを増す僕の視界。


「ああ、ずるい」


 プリシアちゃんはミストラルに捕まったまま、僕たちのところへと飛んできた。


「まったく、貴女は」


 やっぱり反省していないプリシアちゃんに、ミストラルは困り顔だ。


「おかえり」

「ええ、ただいま。とは言っても明日の朝にはまたすぐに帰らなきゃいけないのだけれど」

「忙しいのですね」

「そうね。色々とやらなきゃいけないことがあってね」


 僕とミストラルとルイセイネは、きゃっきゃと楽しむプリシアちゃんに苦笑しつつ、スレイグスタ老の頭の上から眺める風景を楽しんだ。


 ちなみにニーミアは、アシェルさんの頭の上で僕たちを眺めていた。

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