ルイセイネが待っている

 生気に満ち溢れ、見違えるようになったアネモネさんは、寝台のふちに足を出す。

 そして、ゆっくりと立ち上がった。


 僕は焦って一瞬介護しそうになったけど、今のアネモネさんには必要ないみたい。


 アネモネさんは細い足でしっかりと立ち上がった。


「不思議。身体の内から元気が沸き起こってくるの」

「にゃん。竜宝玉で元気になったにゃん」


 ニーミアは立ち上がったアネモネさんの周りを嬉しそうに飛び回った。


「兄さんに報告しなきゃ」


 言ってアネモネさんは元気良く歩き出し、部屋から出る。

 僕はニーミアを頭の上に乗せると、アネモネさんの後を追った。


 アネモネさんは居間を抜け、入り口の扉を開けて外に出る。

 家の外はすぐ村の広場になっていて、そこではアネモネさんのお兄さんのラニセームさんが、村人たちに囲まれて説明をしていた。


「兄さんっ」


 元気良く叫ぶアネモネさんの言葉に、広場にいた全員が振り返る。


「お、おまえ。どうしたんだ!?」


 ラニセームさんは振り返り、慌ててアネモネさんに駆け寄る。


「竜の彼の方が」


 アネモネさんはラニセームさんに手を取られながら、嬉しそうに微笑む。


「竜の彼の方が私に元気をくれたの」


 満開の笑みを見せるアネモネさんの瞳には、大粒の涙が溜まっていた。


「いったいぜんたい……」


 男性は困ったような表情で僕を見る。

 僕は部屋での出来事を男性や集まってきた村人に説明した。


「そんなことが……信じられない」


 みんなは口々に驚きの言葉を発し、信じられないとアネモネさんの身体を触る。

 だけど、アネモネさんはみんなに触られてもふらつくことなくしっかりと立っていて、それでみんなは訝しがりながらも納得していた。


「竜宝玉は、竜族が大切な者へと最期に送る貴重なものだと聞いていたが、まさかこんな不思議な力があるとは」


 竜人族でも、竜族のことで知らないことはあるんだね。

 近くて遠い種族とはよく言ったものだよ。


 それと、今回気づいたことは、竜人族と竜族は互いに竜峰に住んでいるけど、決して仲良く生活しているわけじゃないんだね。

 竜族が竜人族を襲うこともあるし、その逆もあるんだ。


「にゃん。人も神族や魔族や人族に分かれて喧嘩するにゃん。それと同じにゃん」

「あれは向こうが僕たち人族を一方的にしいたげているんだよ」

「にゃんにはよくわからないにゃん」


 ニーミアの故郷の近くには、人は居ないのかな?

 古の都を護っているって言っていたから、きっと秘境の様な所で人とはあまり接していなかったんじゃないだろうか。


「古の都には人が住んでるにゃん」

「えっ、住んでる人がいるの?」

「女の人ばっかりにゃん。にゃんたちは男の人が入ってこないように護っているにゃん」


 なんですかその楽園は!

 女性ばかりの古の都、是非行ってみたいです。


「ミストお姉ちゃんに伝えておくにゃん」

「あ、こらこら。それは駄目だよ。僕とニーミアの秘密だよ」

「甘い食べ物が食べたいにゃん」


 なんて恐ろしい子。きっとプリシアちゃんの悪影響ですね。


 ニーミアと会話をしていると、いつの間にか村人が僕たちを驚いたように見ていた。


「ラニセームの言う通りだ。竜が喋った」


 ひとりの女性が手に口を当てて目を丸くしていた。


「すごい。可愛い!」


 小さな子供が数人、僕に詰め寄ってきて、頭の上のニーミアを捕まえようとする。

 ニーミアは慌てて飛んで逃げ出した。


「あ、逃げた。待って!」


 子供たちは逃げるニーミアを追いかけて広場を走り回る。

 頑張れニーミア。捕まったらきっと揉みくちゃにされるよ。


「にゃあぁっ」


 ニーミアの悲鳴が遠くから聞こえてきた。


「君は一体、何者なんだ」


 ラニセームさんは僕を不思議そうに見る。

 何者って言われても、ただの人族の少年ですよ。

 僕はなんて答えたらいいのかわからなくて、曖昧な笑顔だけを浮かべる。


「竜神様の御遣みつかいでしょうか」


 老婆が恐る恐る尋ねてくる。


「御遣いって何でしょうか。僕はただの人族ですよ」


 スレイグスタ老も、アシェルさんに向かって僕たちのことを竜神様の御遣いだとかどうとか言っていたけど、何のことかわからなかったね。

 少なくとも、僕は御遣いなんかじゃありません。


 まあ、強いて言えば、竜の森のスレイグスタ老に師事しじし、ミストラルの未来の旦那さんになる予定の男の子です。と言いたいけど、これは言っちゃいけない気がする。

 言ったら、この小さな村が大変なことになりそうな気がするもんね。


「どうかお名前だけでも」


 と請われ、村の人たちに挨拶をしていないことに、僕は気づく。

 慌てて僕が名乗ると、そこからは自己紹介の場になってしまった。


 本当に小さな村落だった。

 若く動ける男性は人員で八人で、その全てが先ほどまで居た渓谷で腐龍を監視していたみたい。

 村に残ったのは女性と子供とお年寄りだけで、それでも全員で四十人弱しかいない。

 聞けば、竜人族は一族ごとに集まって生活をしているらしく、村落の多くはこれくらいの規模らしかった。


 思っていたよりも小さいね、と改めて思う。

 ミストラルの住んでいる村もこんな感じなのかな。

 だとすると、僕たちがミストラルから受け取っている印象とは大分かけ離れた実生活なんだろうね。


 僕はミストラルのことを思い出し、寂しくなった。

 今朝方別れたばかりなのに。今日は未体験のことが多く起きすぎて、色々と疲れちゃったのかな。


 竜宝玉は無事にアネモネさんに届けられたし、そろそろ帰ろうか、と思っていると、ニーミアがにゃあにゃあ鳴きながら逃げてきた。


「急いで帰るにゃん。お母さんが待っているにゃん」


 嘘だね。追いかけ回されるのが嫌で、早く逃げ出したいんでしょ。


 きゅうう、と弱気に鳴くニーミアを僕は抱きとめる。

 あんまりいじめても可哀想だし、僕も帰りたくなってきたし、帰りますか。

 僕が帰途につくこと伝えると、村人に止められた。


「ぜひお礼をさせてください」


 アネモネさんが僕の服の裾を握って、上目遣いで言ってくる。

 ううう。女性のこういう仕草に僕は弱いです。

 しかし、ふらつく意思をニーミアが止めてくれた。


「ミストお姉ちゃんに言うにゃん」

「ううう、それだけはご勘弁を」


 ニーミアめ。僕の急所を掴んでいるよ。


 僕は村人の誘いを丁重に断り、広場の中央へと向かう。

 そこでニーミアを放してあげて、みんなにニーミアから離れるようにお願いした。


 ニーミアはひと鳴きすると、元の大きさに戻る。

 村の人たちは全員が驚いていたよ。お年寄りの人なんて、拝んでいるし。


 僕はみんなに別れの挨拶をして、ニーミアの背中に移動する。

 僕が命綱の毛を体に巻きつけたのを確認すると、ニーミアは大空へ舞い上がった。


 上空で僕が手を振ると、村の人たちは全員で手を振って返してくれた。

 アネモネさんも元気良く手を振っていた。

 竜宝玉のおかげで、病弱な身体が治ったんだね。

 今回の事件で唯一報われたことのように思える。


 僕は村が見えなくなるまで手を振って別れを惜しんだ。

 いつかまた来よう。

 今度は、ミストラルとルイセイネと、プリシアちゃんと一緒にね。


 ニーミアは、村が見えなくなると一気に速度を上げて、アシェルさんが待つ渓谷へと向かう。

 高速で過ぎ去っていく景色を眺めている時、僕はひとつ思い出した。


「あっ! ラニセームさんを忘れてきたよ」


 しまった。ラニセームさんが居ないと、渓谷に戻った時にまた一悶着ありそうだよ。ラニセームさんが居れば、彼から村のことを説明してもらって、一件落着なんだろうけどね。


 どうやって、現場に残っている男の人たちに説明しよう。


「どうにかなるにゃん」


 ニーミアのお気楽な言葉に、僕は笑ってしまう。


「そうだね。なんとかなるよね」


 僕もニーミアの気楽さを見習って、流れていく山岳の風景を楽しむことにした。


 竜峰は厳しい自然環境だというのが、ニーミアの背中に乗って眺める景色でよくわかる。

 切り立った崖。岩肌むき出しの急斜面。深い渓谷。

 風が強いのか、疎らに生える木は斜めに傾きながら伸びている。

 そして、竜峰の奥はすでに白い世界へと変わりつつあった。

 アームアード王国では、まだ収穫の時期だというのに。竜峰の奥では、既に冬が到来しているんだね。

 王都ではほとんど雪も降らないのに、遠くに連なる山の頂がすでに白く染まっている風景を見て、僕はなんて厳しい世界なんだろうとしみじみと感じてしまう。


 僕が竜峰を眺めていると、雪とは違う白い世界が眼下に広がってきた。

 アシェルさんの造った白い灰の世界だね。

 改めて見れば、灰に覆われてしまった渓谷は思っていたよりも随分と広範囲だった。


 アシェルさん、破壊力ありすぎです。

 こんな竜が守護している古の都とは、どんな処なんだろうね。

 女性しかいない都か。なんで男の人は入れないんだろうね。

 いつかニーミアに詳しく聞こう。教えてくれるかな? と思っていると、ニーミアはアシェルさんが佇む場所にゆっくりと降下しだした。


 アシェルさんは地表で僕たちを優しく見守っている。

 近くには竜人族の取り残された人たちが居るね。

 でもなんだろう。少し様子が変だ。


 ニーミアが着地し、僕は急いで背中から降りる。

 そして状況を確認した。


「あああ、アシェルさん、何をしたんですか!?」


 竜人族の人たちは全員が気を失っていた。


「なんだい、私のせいにするんじゃないよ」

「いやいや、状況から見て、アシェルさんが原因でしょう」

「にゃあ」


 小さくなったニーミアがふるふると震えていますよ。


「私はただ、愚かな飛竜が一頭飛んできたから、ちょっと威嚇してやっただけだよ」

「はい、それが原因ですね!」


 僕は苦笑する。


 きっと、空に現れた飛竜に威嚇を込めて咆哮を放ったんだと思う。

 それを間近で聞いた竜人族のひとたちは、アシェルさんの威圧で気を失ったんだろうね。


「にゃんもそう思うにゃん」


 やれやれ、困った。意識を失った人たちをこのまま放置して行くことなんて出来ないよ。


 さて、どうしよう。と思ったら、アシェルさんが前足で大地を叩いた。


 低い地響きが渓谷を震わせる。


「な、何をしているんですか!?」


 僕は驚いて尻餅をついてしまう。


「気を失っているのなら、起こせば良い」


 アシェルさんの素っ気ない言葉通り、気を失っていた男の人たちは驚いて意識を取り戻した。

 挙動不審に辺りを見回し、アシェルさんと僕たちを見つけて動揺する。


「ええっと……」


 僕は一番まともそうな人を探して、村での事を説明する。

 村のことを細かく話した僕の話を信じてくれたのか、はたまたアシェルさんに怯えているのか、男の人は素直に僕の話を聞いてくれた。


「というわけで、僕たちは帰りますね」


 にこやかに宣言する僕。

 そして相手の返事を確認もせずに、アシェルさんの背中に飛び乗る。

 ニーミアはすでにアシェルさんの背中で寛いでいた。


 僕を乗せたアシェルさんは、優雅に上昇を始める。

 そして一気に加速して、白く染まった渓谷を後にした。


 雲を突き抜け、遥か上空から竜の森を目指す。


「ところで、帰りはどうやっておじいちゃんの所まで戻るのかな?」


 竜の森の迷いの結界は、上空には及んでいないのだろうか。


「ふふん、竜の森は私にとって庭も同然。問題ないわ」


 そうだね。アシェルさんは苔の広場に来る時も迷いなく来たもんね。

 昔からよく出入りしているから、熟知しているんだね。


 眼下は瞬く間に緑の絨毯へと変わり、アシェルさんは高度を下げる。


 ふわりと眩暈を覚えそうな感覚が過ぎったと思ったら、いつの間にか僕たちは霊樹の枝木の下を飛行していた。


 アシェルさんは速度を下げ、さらに降下していく。

 霊樹の幹を大きく迂回しながら目指す先に、見覚えのある黒い小山を僕とニーミアは見つけた。


 無事に帰ってきたんだ。

 僕とニーミアは微笑みあった。


「ところで、耳長族の小娘の土産は持って帰ってきたのかい?」

「あああっ、しまった」


 アシェルさんの言葉に、僕とニーミアは一気に顔を歪ませる。


 忘れてました。

 竜人族の村で何か珍しそうなものをもらってくれば良かった。

 ああ、どうしよう。

 プリシアちゃん、怒るかな。


 僕とニーミアは、アシェルさんの背中で今更遅いけど慌てていた。

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