竜人族の涙

 事の成り行きを固唾をのんで見守っていた竜人族の人たちは、僕とニーミアが近づいてきて、慌てていた。


「貴方たちは、あの腐龍を追っていたのですね?」


 僕には確信があった。


 腐龍の語りに出てきた竜人族の男性たちとは、いま僕の目の前にいる人たちのことだろう。

 彼らは逃した竜を追って渓谷に来たに違いない。だけど、竜は呪われて腐龍になってしまい、手出しができなくなって監視だけをしていたんじゃないのかな。


「き、君たちは何者だ」


 僕の背後のニーミアに怯えた表情を見せながらだけど、ひとりの男性が一歩前に出て僕たちに対応してきた。


「僕はエルネア・イースと言います。腐龍に竜宝玉を託されたので、彼と花園で一緒に過ごしていた女性に会わせてください」

「な、なぜ花園のことを知っている!?」

「腐龍に直接聞きました」

「そんな馬鹿な!」


 竜人族は互いに顔を見合わせ、ごそごそと身内の会話をしだす。

 僕はそれを静かに見守った。


 彼らにとって、今の状況は予想外のことなんだと思う。


 突然、空に巨竜が現れて腐龍と戦い出したと思ったら、巨竜が地上に降りてきて。その背中から人族の子供が降りてきたと思ったら、一緒に降りてきた子猫のような竜が巨大化をして。

 そして、しまいには腐龍と相対して竜宝玉を受け取り、腐龍を退治してしまったのだから。


 僕は両手で竜宝玉を大事に抱えている。

 竜人族の人たちはそれに視線をちらりちらりと飛ばしながら、何かを相談していた。

 そして纏まったのか、最初に対応した男の人がまた僕の前に出る。


「わたしはラニセームという。花園での事を腐龍からどのように聞いたかはわからぬが、あれは我々が追い詰めていたものだ」


 男の人は眉間にしわを寄せ、厳しい表情だ。


「君たちが現れなければ、あれは我らが討伐していた。君たちは我々から獲物を横取りしたのだ。よって、その竜宝玉は我々の物。渡していただこう」

「んなっ!」


 竜人族の余りの言い分に、僕は驚く。


「横取りだなんて、酷い言い分ですよ。貴方たちは遠くから腐龍を監視していただけじゃないですか」

「これから狩ろうとしていたところに君たちが現れたのだ」


 ラニセームさんは僕を睨み据える。


 へへんっだ。怖くなんてないよ。虚勢を張った睨みなんて、魔獣の視線よりも怖くない。

 それに、彼らはニーミアやアシェルさんには視線を向けようとしない。

 竜は怖いけど、ひ弱そうな人族の僕なら脅せると思っているに違いない。

 まったく、この人たちがミストラルと同じ種族だなんて思えないよ。


「ええっと、貴方たちでは話にならないようですし、村落を教えていただけますか。僕たちは直接、女性と話がしたいんです」

「馬鹿な。人族風情が我ら竜人族の村に行くだとっ!」


 後方にいるひとりの厳つい髭をした男性が叫ぶ。


「駄目でしたら、女性を何処かに連れてきてください。そこで会って話しをしますから」

「駄目だ、君と会わせることはできない。話は我々が伝えるから、君はその竜宝玉を渡せ」


 むむむ、やけに竜宝玉に拘るね。それだけ竜宝玉は貴重な物なのかな。


「竜宝玉は渡せません。これは腐龍に託された大切なものなんです。女性には僕が直接手渡します」

「なんだとっ!」


 いきり立った若い竜人族が、腰の武器に手を当てた。

 お、この人も片手棍だ。


 僕は一瞬だけミストラルの名前を出そうと思ったけど、勝手に彼女の名前を出して迷惑をかけるわけにはいかないので、止めておく。


「女性の居る場所を教えてください。僕は貴方たちと争う気はないんですよ」

「教えられない。争う気がないと言うのなら、その竜宝玉を素直に渡せ」


 僕と最初に話したラニセームさんは落ち着いた雰囲気だけど、その後方に控える人たちはやたらと好戦的だ。

 話のわかりそうなラニセームさんと僕は話がしたいんだけど、外野がうるさいね。


 どうしようか、と思案していると、僕の背後で今まで静かに佇んでいたニーミアが、ぐるると喉を鳴らした。

 するとたったそれだけで、竜人族の全員が顔を青ざめさせて黙り込んだ。


「私らは相談も交渉もしていない。ただ其方らに命令するだけだ。その人族の子を、竜人族の女のところへ連れて行け」


 静かに、少し離れたところからアシェルさんが言う。


「ひいいぃぃっ」


 僕にはアシェルさんがただ喋っただけにしか感じなかったけど、竜人族は怖れおののいて腰を抜かす。


「代表の男を捕まえなさい。エルネアはさっさと背中に乗って」


 ニーミアの背中にって事だろうね。

 僕はアシェルさんに言われた通り、ニーミアの背中に乗り、長い体毛を腰に巻き結ぶ。


 ニーミアは恐怖で固まったラニセームさんを手で掴むと、翼を羽ばたかせた。


 強い浮遊感とともに、僕とニーミア、それに捕まったラニセームさんは上空へと上がる。

 ラニセームさんは顔を引きつらせていたけど、悲鳴をあげることはなかった。


「あのお、すみません。それでは村を教えて頂けますか」


 僕はニーミアに両手でがっしりと捕まえられたラニセームさんに言う。

 ラニセームさんは振り返り、無言で竜峰の先を指し示した。

 ニーミアは指差された方角へと移動を開始する。


「……すまない」


 ぼそりとラニセームさんが謝罪の言葉を漏らした。


「いえ、僕たちの方こそ強引ですみません」


 実際、アシェルさんやニーミアの威圧で強引に話を進めたのは僕たちなんだから、謝るのはこっちのような気がするよ。


「いや、先ほどのこともなんだが。腐龍のことを謝らせて欲しい。竜人族の者として、竜族をあのような姿に追い込んでしまったことを恥じる。それと……」


 ラニセームさんは一度言い淀み、何かを決心したような表情で僕を見た。


「君たちの言う女性とは、わたしの妹なのだ。妹に会って、話をしてほしい。あれが話すことが、真実だ」


 言い終えると、ラニセームさんは僕から視線を外した。

 それ以降は、ラニセームさんはニーミアに方角の細かな修正を入れるだけで何かを話そうとはしなかった。


 そしてしばらく飛ぶと、山岳地帯の山肌に小さな集落が見えてきた。

 少し広めの広場と、何軒かの粗末な石造りの家。そして岩肌に掘られた幾つかの横穴。

 あれが男性の、竜人族の村なのだろうか。

 思っていた以上に質素な佇まいに、僕は驚愕する。


 村では、飛来する巨竜に騒ぎが起きていた。

 子供は横穴に逃げ、広場では女性たちが右往左往している。

 もしかして、若い男性は全員がさっきの場所に居たんじゃないのかな。と思うくらい小さな村落だよ。


 ニーミアは村中で右往左往している人たちが逃げ切った後に、ゆっくりと広場に降下した。

 そして、ラニセームさんを放す。

 僕は腰に巻いたニーミアの毛を解き、村に降り立った。


 ニーミアは、僕を下ろすといつもの小さい姿に戻る。

 それをみたラニセームさんは驚きで目を丸くしていた。

 よく見ると、物陰から様子を伺っている村人も驚いているよ。

 やっぱり変化できる竜は物珍しいのかな。


「こっちだ、ついて来てくれ」


 気を取り直したラニセームさんに案内されて、僕は村にある一軒の家へと足を踏み入れた。

 ニーミアは僕の頭の上に乗るとへろんと伸びている。


「奥に妹がいる。わたしは村の者に状況を説明してくるので、失礼させてもらうよ」


 言って、ラニセームさんは案内してくれた家から出て行く。

 一瞬、騙されて閉じ込められるんじゃないかな、と思ったけど、家の中から「兄さん?」というか細い女性の声が聞こえてきて、騙されていないことを確信した。


「お邪魔します」


 誰にともなく僕は言って、家の奥へと進む。


 外見同様に、質素な家だった。

 床は地面むき出し。数点しかない家具は使い古され、今にも朽ちそう。

 装飾品なんてないし、窓は蔀戸しとみどだ。

 入ってすぐが居間兼台所。その奥に隙間だらけの板で合わされた扉がひとつ。


 僕が扉を叩くと、奥から弱く不安そうな女性の返事がした。


「失礼します」


 僕は中の女性をなるべく驚かさないように、静かに扉を開いて部屋に入る。


 部屋は、最初の居間兼台所とさして変わらないような粗末なものだった。

 むき出しの地面の上に、申し訳程度の薄い布が敷かれているのが違うくらい。

 それ以外には古びた箪笥たんすがひとつと、寝台が二つだけ。

 そしてその寝台のひとつに、女性が横たわっていた。


 黒く長い髪が、病的な白さの肌と対照的だよ。

 頬は少しこけ、唇には艶がなかった。

 手足は薄い布団で隠れて見えないけど、凄く細そう。

 歳は二十代半ばに見えるけど、長命な竜人族の年齢は見た目ではわからないね。


 見るからに病弱そうな女性は、髪と同じ黒い瞳で不安そうに、寝台に横になったまま僕を見ていた。


「あ、初めまして。僕は人族のエルネア・イースと言います」


 これ以上不安にさせるわけにはいかないよね。

 僕は部屋の入り口に立って、自己紹介をする。


「は、はじめまして」


 やっぱり不安そうに返事をする女性。


 無理もないよね。だっていきなり知らない人族の男の人が自分の寝ている寝室に来たら、どんな女性でも不安で警戒すると思うんだ。

 ミストラルだったら、問答無用で鈍器を振り下ろしているに違いない。


「にゃんはニーミアにゃん」


 言ってニーミアは、僕の頭から飛翔すると、女性の胸元に飛んでいく。


 子猫だと思っていたに違いない僕の頭の上に乗っていた動物が突然喋って、しかも飛んで自分の胸に来たんだ。女性は驚いた表情を見せていた。

 だけど、ニーミアの愛らしい姿を見てすぐに笑顔を見せ、優しく撫でてあげる。


「にぁあ」


 よし、ニーミア良くやった。女性から少し警戒と不安の色が取れたように感じる。


「ええっと、ここに来た理由なんですが」


 僕は女性の様子を伺いながら、先程の腐龍とのやり取りを女性に伝えた。


 最初は半信半疑で聞いていたんだと思うけど、僕が花園での竜とのことを話すと、真実なんだとわかってくれたみたい。

 僕の話を黙って聞く女性。

 そして徐々に瞳に涙をため、溢れさせた。


 顔を両手で覆い、ああぁぁと泣く女性。

 僕はなんて声をかけて良いのかわからず、ただ黙って立ち尽くすしかなかった。


 女性は僕のことも忘れて泣き続けていたけど、ニーミアが心配そうに顔を覆う手の甲を舐めてあげたり寄り添っているうちに、次第に落ち着いてきた。


「ごめんなさい、取り乱してしまって」

「いいえ、僕の方こそこんな結末になってしまって、ごめんなさい」


 僕も女性の涙にもらい泣きだよ。


 女性の涙。悲しみの感情に、僕は腐龍と女性との間には確かに通じ合う想いがあったんだと感じ取っていた。


「わたしはなんて愚かなのでしょう」


 そして女性は、少しずつ僕に真相を話し出してくれた。


 女性の名前はアネモネ。


 アネモネさんは生まれながらに病弱で、両親と兄の介護がなければまともに生活を送れないほどだった。

 だけど兄は優しく、そんなアネモネさんにも楽しみを与えたいと、よく近くの花園に連れて行ってくれたらしい。

 そしてそこである日、飛竜と出逢う。

 最初は恐ろしかったけど、竜には敵意がなく、徐々にふたりは仲良くなっていった。

 アネモネさんが花園に来る度に現れる竜。

 花園で何をするわけでもなくただ一緒にいるだけだったけど、徐々にふたりの心は通い合っていった。

 しかし、それに気づいた兄は恐れた。

 大切な妹が竜に狙われている。

 アネモネさんは必死に兄に訴えた。

 竜がその気なら、会ったその瞬間に殺されている。

 あの竜は大切な友達なのだと。

 しかし、兄はアネモネさんの訴えに聞く耳を持たず、村の若者たちを引き連れて竜討伐に出た。

 そして起きた、花園の悲劇。

 アネモネさんはなす術もなく、ただ見ることだけしかできなかった。

 アネモネさんの目にも、竜が瀕死の傷を負っているのはわかった。

 あまりの衝撃に、ここ数日は寝込んでしまっていたらしい。


 僕はアネモネさんの話を聞き、恥ずかしながら泣いてしまったよ。

 なんて悲しい話なんだろう。

 飛竜がニーミアのように話せたら。アネモネさんが元気であれば。そして僕たちを案内してくれたアネモネさんのお兄さん、ラニセームさんが、もっと聞く耳を持っていれば。いろんな不幸が重なった悲劇に、僕だけじゃなくニーミアまで泣いていた。


「ありがとう、あなたも泣いてくれるのね」

「にぁあ、悲しいにゃん」


 ほろほろと涙の粒を落とすニーミアを優しく撫でてあげるアネモネさん。


「貴方も、こんなわたしの話を聞いてくれてありがとう」


 か細く微笑むアネモネさんに、僕は首を横に振る。


「悲しいお話でしたけど、でも僕は思うんです。おふたりは確かに心を通わせ合っていて、想いあっていたんだって」


 だからこそ悲しいんだけどね。


「僕は竜からこれを託されて来ました」


 言って僕は、両手で大事に抱えていた竜宝玉をアネモネさんに示す。


 近寄っても大丈夫かな、とたじろぐけど、アネモネさんが手を伸ばしたので届けるために近づいた。


 僕はアネモネさんに竜宝玉を手渡す。


「それは竜宝玉と言って、竜の魂と想いの結晶なんだそうです」


 アネモネさんは竜宝玉を受け取ると、瞳を閉じてそっと胸元に抱き寄せた。


「ああ、の方の想いが伝わる。彼の方はここにいる」


 閉じた瞳から涙を溢れさせるアネモネさん。


 溢れた涙は竜宝玉に降る。


 するとどうだろう。


 もともと七色に輝いていた竜宝玉が、より一層輝きを増した。


 そして、竜宝玉はアネモネさんの胸元に吸い込まれていく。


 アネモネさんも抵抗を見せず、竜宝玉を受けいれているように見えて、僕は驚いた。

 ニーミアは眩しそうに竜宝玉とアネモネさんを見つめていた。


 ゆっくりと竜宝玉はアネモネさんに吸い込まれ、そして消えた。


「彼の方の力強い生命力を感じます」


 アネモネさんは、ゆっくりとまぶたを開けた。


 僕はさらに驚く。


 先程まで病弱でか弱そうだったアネモネさんの瞳には、強い生命力が宿っていた。

 それだけではなく、病弱な色だった肌は艶やかで張りを持ち、唇は桃色に染まっていた。


「竜の生命力が宿ったにゃん」


 ニーミアは眩しそうにアネモネさんを見上げていた。

 アネモネさんも自身の変化に驚いて、手を見たり布団を剥いで足を見たりしていた。


 こんなことが起きるんだ。僕は竜宝玉の真の価値に気づき、何度目になるのかわからない驚きを感じていた。

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