腐龍の涙
白桃色の巨竜が舞い降りてきて、渓谷上の竜人族は驚いていた。
そして、その背中から人族の子供が降りてきて驚愕し、続けて降りてきた子猫のような竜が巨大化して腰を抜かす。
それでも様子を伺おうと近づこうとした竜人族に、アシェルさんが殺気の籠った睨みを利かせた。
こちらに近づけば容赦はしない、という警告だ。
腐龍と戦っているときに、よほど竜人族が邪魔だったんだね。
僕は苦笑しつつ、腐龍と相対した。
ぐるる、と警戒心むき出しで唸る腐龍。
というか火の玉飛ばしてきました!
だけど、火の玉はニーミアが張ってくれた風の結界により、僕たちに届くことなく爆散して消える。
ニーミアの結界でも防げるんだね。
子竜に攻撃が通らない竜族。ええっと、古代種の竜族って桁違いなんだね。
「ええっと、僕は貴方と話がしたいんだ」
理性を失った腐龍に言葉なんて通じるのかな。なんて基本的な疑問はあるけど、言葉に出さないと会話は出来ないからね。
僕は両手を広げ、敵意がないことを示す。
だけど、腐龍は咆哮をあげ、僕たちを警戒する。
警戒するのはわかるよ。だって、さっきまで戦っていたんだし、巨竜が二頭に増えたわけだし。
「お願いです、話をしましょう」
僕は、目の前の不気味で気持ち悪い姿をした腐龍に必死で笑顔を作り、話しかける。
それでも、腐龍は僕たちを警戒して後退る。
そして容赦なく火の玉を飛ばしてきた。
ニーミアには全く効いていないんだけど、威嚇を込めて放っているのかな。
僕たちが近づけば腐龍が後退するので、仕方なく距離を詰めるのをやめた。
ところで、腐龍と会話だなんてどうやってするんだろう、と今更ながらに頭を抱える僕。
ニーミアやスレイグスタ老、アシェルさんは古代種の竜族だから僕の心が読めるし、人の言葉も話せる。
だけど、飛竜なんかが人の言葉を喋るなんて聞いたことがないよ。
「そんな時こそ竜心にゃん」
「竜心てなにさ?」
「にゃん。竜気を意識に回す意識をするにゃん」
ニーミアの言ってることがわかりません。意識に回す意識をするって何さ。
悩む僕だけど、とにかく竜気を練る。そして腐龍の心を理解しようと、意識を集中させた。
『何者だ』
そうしたら急に、聞いたことのない野太い声が聞こえてきたような気がして、僕は驚く。
『恐ろしい竜を従えるお前は何者だ』
よくよく意識してみると、腐龍の方から声のような意識が飛んできていた。
腐龍は窪み落ちた瞳の奥から赤い光を放ち、僕を睨んでいる。
ニーミアたちにも聞こえているのかな。僕は振り返ってニーミアを見上げる。
「竜の心にゃん。エルネアお兄ちゃんは腐龍の心の声が聞こえているにゃん」
「なるほど」
腐龍は喉が腐り、だらしなく落ちた顎で言葉は発せられないけど、意思疎通は出来るみたいだ。
「僕は人族のエルネア・イースといいます。何だか貴方がとても悲しそうに見えて」
僕は感じたままを伝えた。
『おおぉぉ。我の心が聞こえるのか』
「はい、聞こえますよ。僕たちは貴方と話がしたいんです。攻撃を止めてください」
『おぉぉ、憎い。なぜ其方には我の心が届き、あの者には届かない』
何のことだろう。首を傾げる僕とニーミア。
『ああぁぁ、我のこの心があの者に届いていれば、我は呪われずに逝けた』
憎い、憎いと言って、腐龍は僕たちに火の玉を飛ばしてくる。
しかしその全てはニーミアの結界に阻まれて爆散した。
「落ち着いてください。あの者って誰ですか」
僕は火の玉が爆散する物凄い音の中、腐龍に向かって叫ぶ。
『愛しき者。あの者にもう一度会えれば……』
奥さんだろうか、子供だろうか。心を通じ合わせることが出来なかった愛しい相手にもう一度会いたくて、死に切れずに呪われて腐龍になってしまったのかな。
おぉぉ、おぉぉ、と悲しそうに吠える腐龍。
なんだか胸が締め付けられる感じがして辛いよ。
「あのお、僕に何か協力できることはありませんか」
僕に出来ること。
腐龍の気持ちを、大切な相手に届けてあげることかな。
想いが届けば、腐龍は思い残すことがなくなって息を引き取ることが出来るんじゃないかな。
『不思議な人族の子。このような醜い姿になった我に同情するのか』
「同情、なのかな。ただ僕は出来ることをしたいと思っただけです」
『あああ、あの者ともこのように心を通わすことができれば』
腐龍の窪み沈んだ瞳の奥から、涙のような液体が流れ落ちた。
「あの者って誰ですか」
僕は悲しく吠える腐龍に一歩近づく。
腐龍は後退りしなかった。
火の玉も飛んでこない。
『竜人族の娘、愛おしいあの者』
むむむ。もしかしてこの腐龍は、竜であった頃に竜人族の女の人に恋をしてしまったのかな?
「竜人族の女の人を好きになってしまったんですね?」
『我は愚かだ。なぜあの者を好いてしまったのか。竜と人、相容れぬ存在であるのに』
竜族と竜人族は近くて遠い存在なのかもしれない。
竜人族は竜と深い縁で結ばれている種族らしいけど、それでも姿が違うからね。
同じ竜峰に住む種族であっても、越えられない大きな壁があるんだろうね。
「失礼ですが、その方は何処にいらっしゃるんですか」
もしも近くに集落があるのなら、ニーミアにひとっ飛びしてもらって連れて来ることができるかもしれない。
『あの者に会うことはできない。このような姿になってしまっては』
腐り醜い姿になった自身を見つめ、腐龍は悲しそうに鳴く。
「どうすれば……どうすれば貴方の気持ちがその人に伝わるんでしょうか」
『あの者は我の想いを理解することはできぬ。とても弱き者であった』
そして腐龍は語り出した。
腐龍が未だ竜であった頃。
竜峰の一角。陽だまりの花園で、彼は竜人族の娘に出逢ったそうだ。
線の細い病弱的な娘。
彼女は飛来した竜に驚きつつも、逃げることができなかった。
竜はか弱そうな娘に興味を覚え、近づく。
敵意の無い竜に、竜人族の娘は笑顔を向けた。
満開の花よりも輝く美しい笑顔だったらしい。
それから竜と娘はよく花園で会うようになった。
しかし、竜族と竜人族。近いようで遠い二つの種族の壁は恐ろしく高く、竜の想いは娘に届くことはなかった。
あるとき、花園に赴いた竜に、竜人族の男どもが襲いかかった。
娘を守るのだ、と口々に叫び、竜を追い払う。
娘は顔を強張らせ、飛竜を見ていた。
仲が良かったと思っていた。愛おしいとさえ想っていた。しかしそれは無残に打ち砕かれた。
竜人族の攻撃で瀕死の傷を負った竜は逃げた。
そして死が間近に迫った時、悔しさ、憎しみから呪われて、腐龍になってしまったのだという。
腐龍の話を聞いて、僕はじんと胸にこみ上げてくるものがあり、涙を瞳に溜めていた。
『つまらぬ話だ。所詮、我は竜、あの者は人。我の接近を許したのは、我の油断を誘い、倒すがため』
竜の鱗や骨、皮膚は高性能な武具になる。そして肉は最高級品。竜人族にとってもそれは同じだ。
でも、と僕は思う。
か弱い竜人族の女の人を餌に、竜族をおびき寄せるような事をするだろうか。
一族の女性を餌にするなんて、竜人族がそんな事をするようには思えない。
一歩間違えれば、その女性は無残に竜に殺されてしまうんだよ。相手が飛竜なら、近づくこともなく上空から攻撃されて終わってしまう。
きっと、竜人族の男たちが現れたのには、理由があるんだよ。
そう僕が説き伏せると、腐龍は天を仰ぎ咆哮を上げた。
『憎い。憎い。我とあの者を引き離した者たちが憎い』
しまった、違う方向へと憎しみが向いちゃった。
どうしよう。
「悪い人はにゃんが懲らしめてあげるにゃん」
ニーミアが同情するように鳴く。
『おおお、其方が我の想いを継いでくれるか』
「にゃんはおじちゃんの気持ちがよくわかるにゃん。にゃんにも人の友達がいるにゃん。人と竜は心を通じ合わせることが出来るにゃん」
そうか、ニーミアはプリシアちゃんととても仲が良いもんね。
だから、腐龍と竜人族の話は他人事には聞こえなかったのかも。
『我と同じ想いを持つ者が居たとは』
腐龍からは、すでに敵対心や攻撃の意思は消え去っていた。
『そうか、其方らになら、我は想いを継いでもらえる。人と竜との絆を結ぶ者たちよ、どうか我の想いをあの者に届けてくれ』
言って腐龍は、胸に自ら腕を突き刺した。
突然のことで驚く僕とニーミア。
ごふり、と灰色の血を大量に吹く腐龍。
そしてゆっくりと引き抜いた手には、七色に輝く玉が握られていた。
『どうか、これをあの者へと』
腐龍は玉を僕たちに差し出す。
「竜の魂の結晶、
ニーミアに背中を押され、僕は腐龍に近づく。
「腐龍には触れたらいけないにゃん。腐龍は全てを腐らせちゃうにゃん」
うわっ、そんなことを今更言わないでよ。
僕は尻込みする。
腐龍は再生力を失い、だらだらと皮膚や鱗が溶け落ち始めていた。
僕は恐る恐る腐龍の伸ばした手に近づく。
四肢も既に腐敗が進みだしていて、どろりと腕の肉が削げ落ちた。
腐った匂いが鼻につくけど、僕は我慢して平然な振りを装う。
嫌な顔を見せたりしたら、この腐龍に悪いもんね。
僕は時折跳ねる灰色の血を避け、剥がれ落ちた皮膚やむき出しになった肉から湯気立つ紫色の煙を回避しながら、竜宝玉を受け取った。
竜宝玉は、拳を二つ合わせたくらいの大きさだった。
「必ずこれを竜人族の女の人に届けます」
僕は強く頷く。
『不思議な人族の少年。其方に我の想いを託す』
言って腐龍は、ゆっくりと地に沈んだ。
腐龍の窪んだ瞳の奥の赤い光が、静かに消えていく。
そして、わずかに残っていた鱗が剥がれ、皮膚が溶け落ち、肉が腐り溶けていく。
僕たちが見守る中、腐龍は白い灰の大地に溶けていった。
最後には骨さえも朽ち、渓谷の風に煽られて霧散してしまう。
僕は腐龍から大切なものを預かってしまった。これを約束通り、竜人族の女の人に渡さなきゃね。
「竜宝玉は凄いものにゃん。竜の命と想いがいっぱい詰まってるのにゃん」
ニーミアも感慨深そうに竜玉石を見つめる。
僕の手の上で虹色に輝く竜宝玉からは、竜脈のような力強いようで優しい波動が伝わってきていた。
「さて、それじゃあこれを届けに行きますか」
言って僕は、遠くで様子を伺う竜人族の人たちに向かって歩き出した。
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