アシェルさんやりすぎです

 渓谷から上空を見上げる腐龍。

 アシェルさんは大空に滞空し、眼下を睨み下ろす。


 いよいよ怪獣大決戦だ。


「誰が怪獣だ!」


 ぐるる、とアシェルさんに怒られた。

 アシェルさんは緊張してないのかな。


「あの程度、緊張なんぞするものか」


 ……弱い人が見たらそれだけで死んでしまうような腐龍が、あの程度ですか。

 アシェルさんの強さの規格がわかりません。


「相性が悪いだけで、所詮は竜族の成れの果て。古代種の私らの敵ではない」


 そうか。こっちの攻撃に耐性があるだけで、向こうの攻撃もアシェルさんには効かないのか。さっきも、火の玉を簡単に避けていたしね。


「にゃん、近くに人がいるにゃん」


 ニーミアの指摘に、僕は目を凝らす。

 すると、腐龍のいる渓谷の上に数名の人の姿があり、腐龍と僕たちを見て何やら騒いでいる様子が確認できた。


「おそらく竜人族であろう。腐龍の存在に気付き、監視していたんだろうね」

「なるほど、竜峰は彼らの住処ですからね。危険な存在を見つけたら監視しなきゃってことですね」


 朝方、ミストラルが色んな事を報告しに帰って行ったけど、竜人族の一部の部族はすでに腐龍のことを気づいていたんだね。


「所詮、竜人族。巻き込んでも問題なかろうさ」

「いやいやいや、大問題ですよ。巻き込まないように戦ってください」

「面倒だわね」

「駄目ですよっ」


 アシェルさん、人は本当に塵扱いだね。あ、普通の竜族も雑魚扱いか。どんだけ凄いんですか。


「竜人族の人たちを巻き込んだら、ミストお姉ちゃんが怒るにゃん。怖いにゃん」

「そうだよ。ミストラルはスレイグスタ老にでさえ鈍器を振り回すんだよ。ニーミアが危険になっちゃうよ」

「ちっ」


 露骨に舌打ちをするアシェルさん。

 それでも僕たちの願いを聞き入れてくれたのか、地上で様子を伺っている竜人族の人たちを巻き込まないような位置へと腐龍を誘導するように飛ぶ。


 しかし、腐龍はこちらの思惑など関係ない。

 動き出したアシェルさん目掛けて、巨大な火の玉を飛ばしてきた。

 アシェルさんは緩急をつけた飛行で難なく避ける。

 そして、お返しとばかりに腐龍に向かって咆哮をあげた。


 竜峰に激震が走る。

 直後。竜峰の所々にかかっていた雲が吹き飛び、一瞬で腐龍の周りの渓谷が真っ白な世界へと変わる。


 雪景色、と思ったけど違った。


「お母さんの攻撃は、全てを白い灰に変えちゃうにゃん」


 灰と化した竜峰の大地は、渓谷の強い風に煽られてはらはらと宙に舞う。

 それは言われなければ、粉雪が舞い踊る風景にしか見えなかった。


 腐龍はそんな白い灰が舞う渓谷の中央で、苦しみもだえていた。

 表面を覆う鱗や皮膚の多くが、周囲の景色と同じように白い灰に変わっている。

 しかし、変色した皮膚はどろりと身体から溶け落ち、傷口が再生されていく。

 じゅうじゅうと紫色の煙を上げ、灰色の血を噴き出しながら、腐龍は再生していた。


「うわっ、気持ち悪い」


 不気味な再生に、僕は顔をしかめる。


「あの再生が厄介だ。攻撃に耐性がある上に再生する。面倒だね」


 腐龍の上空を旋回しながら様子を伺うアシェルさん。


 再生が追いつかないくらいの連続攻撃はどうなんだろう。いくら攻撃がなかなか効かないといっても、再生する前に絶えず今の攻撃を与えれば、いつかは消し炭になりそうだけど。


「ああ、人にしては良い考えね。それが一番手っ取り早いわ」


 おお、僕は良い提案をしたんじゃないのかな。


「まあ、それだと近くの竜人族どころか、竜峰の一部が無くなって、二つ目の湖ができるだろうけどね」

「あ、今の提案は却下でお願いします」


 どんだけの威力なんですか! 地形まで変えてしまうなんて。

 アシェルさんの桁違いの攻撃力に、僕は愕然としてしまう。


「ぐがぁぁっ」


 腐龍が吼える。


 衝撃波がアシェルさんを襲い、竜峰を震わせた。

 一部で崖崩れが起きる。

 だけど、上空のアシェルさんは気にした様子もなく、旋回を続ける。


 続いて何発もの火の玉が飛んでくるけど、一発もアシェルさんには当たらない。

 空を高速で飛ぶアシェルさんには、腐龍の攻撃は遅すぎて当たらないようだ。


 火の玉を避け切ったアシェルさんが、今度は吼える。

 さらなる激震とともに、白い世界へと変わる竜峰の渓谷。

 崩れていく山に危険を感じたのか、様子を伺っていた竜人族が逃げ惑っていた。


 身体の殆どを灰に変えた姿の腐龍はしかし、不気味な色の液体と煙を出しながら見る間に再生していく。

 真っ白な世界で、腐龍の周りだけがどす黒い色をしていた。


 おぉぉ、おぉぉ、と苦しみの声を漏らす腐龍。

 なんだか悲しそう、と一瞬だけ思ってしまったよ。不気味な姿ですぐに意識の外に行ったけどね。


 腐龍は喉を伸ばして口を大きく開き、アシェルさんを睨む。

 目の窪みの奥の、真っ赤な光が輝いた。すると腐龍の周りに大小様々な火球が出現し、不規則な動きで、しかも高速でアシェルさんに向かって飛んできた。


 空を縦横無尽に飛び回り回避するアシェルさん。火球は、アシェルさんを追尾する。

 地上からは腐龍が何発もの火の玉を飛ばしてきた。


「ええい、面倒だわね」


 アシェルさんは急上昇したのち、翼を目一杯広げて咆哮をあげた。


 真っ白になる世界。


 それは無限の数の灰の雪だった。


 灰の雪はあり得ない速度で落下する。


 そして灰の雪は火球に触れると爆発を起こし、火の玉さえも灰に変える。

 ちかちかと炎の点滅を起こしながら、灰の雪は竜峰の渓谷に降り積もった。


 見た目以上に恐ろしい破壊力があったのか、竜峰は深くえぐれ吹き飛び、腐龍は腐った血肉を撒き散らしながら渓谷に沈む。


 だけど、それでも息絶えることなく、腐龍は苦しそうに呻いていた。


「苦しそうにゃん」


 ニーミアが辛そうな顔で僕を見る。

 相手が苦しんでいる姿さえ見たくない、という優しいニーミアには、今の腐龍の姿は見るに耐えないんだろうね。


「それでも見届けなさい。戦いたくない、苦しませたくないと思うのなら、圧倒的な力を示して相手を平伏させるしかないのだから」


 アシェルさんは厳しい口調で言う。


「腐龍に同情するのなら、苦しませず一瞬で葬り去る力を身につけなさい」

「にぁあ」


 ニーミアは辛そうに鳴く。

 やっぱり小さい子供には、こういう教育方針は酷だよね。

 でも、この戦いを見届けて力を付けないと、アシェルさんと強制的に帰ることになっちゃうんだよね。

 頑張れ、ニーミア。


「にぁあ」


 あらまあ、本当に戦いが嫌なんだね。ニーミアが元気なく鳴くので、僕はニーミアを抱きかかえてあげた。

 ニーミアは小さな手で僕をきゅっと掴む。


 自分のため、プリシアちゃんのために頑張ろう。


「プリシアと一緒に居たいにゃん」

「うん、プリシアちゃんもきっと同じ想いだよ」


 僕はニーミアに微笑みかけ、腐龍に視線を戻した。


 腐龍は真っ白な世界で再生しつつある。

 アシェルさんは連続的に攻撃して止めを刺したいんだろうけど、明らかに竜人族が邪魔になっていた。


 ……竜人族が邪魔者って、どんな恐ろしい世界ですか。


 アシェルさんの一撃で起きた落石から竜人族の人たちは必死に逃げていた。


 おぉぉ、おぉぉ、と今も苦しそうに、悲しそうに鳴く腐龍。

 苦しむ腐龍の姿を見て、僕の胸はなぜか締め付けられる。


 何でこんなに悲しく鳴くんだろう。

 不気味な姿には似合わない鳴き声に、僕は不安を覚える。


「この声が悲しいとは、本当に不思議な人族だね」

「アシェルさんには悲しそうに聞こえない?」

「まったくもって」

「にゃんも辛そうには見えるけど、悲しそうには聞こえないにゃん」


 むむむ。これは人と竜族の感性の違いかな。


 腐龍をよく見てみれば、悲しそうなのは声だけじゃなくて表情もだよ。


「あれに表情があるものか」


 たしかにアシェルさんの言う通り。瞳はなくなり皮膚は腐り、半分が骨になった腐龍の顔に、表情なんてあるわけがない。

 でも何故だろう。それでも腐龍の表情を僕は読み取っていた。


 そう言えば、僕はスレイグスタ老の表情や感情もよく読み取っていたよ。

 僕は出会った当初からスレイグスタ老の僅かな口の動き、視線の動かし方、口調なんかで何故か感情を読み取ることがてきていた。


「ふむ、竜心か」


 何かを納得したようなアシェルさん。


 ほら、今も何故か心がわかった。


 竜心が何なのかは気になるけど、今は腐龍だね。


 僕は腐龍を再び見つめる。


 腐龍は相変わらず苦しそうな、悲しそうな呻き声を上げながら再生していた。

 もうすでに、最初に相対した時の姿に戻りつつある。

 すごい再生力だ。


 腐龍は上空のアシェルさんを見上げる。

 だけど、その瞳の窪みにある赤い光からは、悲しみしか僕は読み取ることができなかった。


 敵視ではなく、悲しみ。


 もの凄い違和感に、僕の勘が何かを告げる。


「アシェルさん、あの腐龍を退治するのは止めませんか」

「はっ、何を言っているんだい。あれを放っておくと、どんな被害が出るかわからないわよ。それに、私に一度でも敵意を向けた者を見逃すわけにはいかないわね」

「でもほら。今回の目的はニーミアに戦いを見せることで、腐龍退治はついででしょう?」

「急にどうしたんだい。なぜ腐龍を擁護する?」

「なんとなく。なんとなくなんですが」


 僕は言葉に詰まる。

 だって、本当に「なんとなく」なんだもん。


 でも、今の腐龍からは悲しみだけが伝わってくる。

 ここで見逃すと、他で被害が出るかもしれないということは、百も承知している。だけど、それでも何だか、倒してはいけないような気がした。


「やれやれ、本当に不思議な人族だこと。それじゃあ、どうするんだい。見逃して帰るかい?」


 見逃すことはきっと容易い。腐龍は高速で飛行するアシェルさんを追うことはできないんだし。

 倒すのは難しい。いくらアシェルさんの攻撃に破壊力があっても、腐龍には竜族からの攻撃に耐性があって、しかも再生力もすごいから、なかなか死なない。

 とどめを刺せるくらいの攻撃をすれば、竜峰にも大きな影響が出ることは確実だよ。


 では、どうするのか。


 僕は考え。


「あのう、腐龍と話がしてみたいです」


 引きつった僕の作り笑いに、アシェルさんは呆れた表情を返した。


「腐龍と会話だって? いくら竜心があるとはいえ、気でも狂ったかのかい」

「いいえ、狂ってはいません。だけど、何故かあの腐龍と話をしてみたいと思ったんです」

「その根拠は?」

「……勘です」


 なんて説得力のない言葉なんだろうね。

 でも、本当に勘なんだよね。

 僕の勘はたまに当たるんだよ。遺跡でのことや偽竜人族の事件、スレイグスタ老の悪戯。どれも勘でなんとなくわかったんだ。

 勘頼りに生きるのは危険だけど、それでも今は自分の勘を信じたい。


「やれやれ、私はとんでもない人族に愛娘を預けようとしているのかしらね」


 アシェルさんは僕を見て困った表情を見せる。

 それでも僕の願いを聞き入れてくれたのか、アシェルさんは旋回しながら降下を始めた。


 腐龍は降りてくるアシェルさん目掛けて火の玉を飛ばしてきた。

 悲しそう、苦しそうなんて事とは別で、腐龍は目の前の敵には容赦なく攻撃をしてくる。

 しかし、アシェルさんの翼の羽ばたきで軌道が逸れた火の玉は明後日の方角へと飛んでいく。

 そして、アシェルさんは深く積もった白い灰を撒き散らしながら、渓谷に降り立った。


 着地したアシェルさんに、また火の玉が飛んでくる。

 直撃する、と思ったけど、アシェルさんに当たる直前で火の玉は爆散した。

 熱波が僕たちを襲うけど、少し熱いくらいにしか感じられない。


「お母さんの風の結界は強力にゃん」


 なるほど、結界か。腐龍の攻撃は避ける必要もなく効かないんだね。


「さあ、私とニーミアが護ってやるから、さっさと話をしてくるんだね」


 アシェルさんは鋭い眼光で腐龍を睨んだまま、僕を促す。

 僕は腰に巻きつけていたアシェルさんの体毛を解いて、真っ白な灰の大地に降りた。

 ニーミアも降りて来て、元の大きさになり、僕と共に腐龍へと歩いていく。


 腐龍は威嚇するように吼えたけど、ニーミアの返す咆哮で後退あとじさった。

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