帰って来ました
翌朝、事件が起きた。
僕たちが起きると、昨日の夕食で余っていたはずの沢山の肉料理が、忽然と消えていたんだ。
「んんっと、お肉?」
プリシアちゃんが瞳をうるうるさせて僕を見上げる。
「アシェルさん……」
犯人なんて、探すまでもなくわかっているよね。
僕たちが寝た後に、アシェルさんとスレイグスタ老がこっそり食べたに違いない。
僕たちはアシェルさんのお腹のところで寝ていたけど、全く気づかなかった。それもそのはず。アシェルさんもスレイグスタ老も、移動しなくても首を伸ばせば、僕たちの食べ散らかしてそのままの場所に届くんだもの。
「プリシアはもっと食べたかったの」
僕に抱きついて悲しそうに呟くプリシアちゃん。
「アシェルさん、おじいちゃん。小さい子供を悲しませてどうするんですか」
「あらあらまあまあ、困りましたね」
ルイセイネはプリシアちゃんを抱きかかえてあやしてあげる。
「ぐぅ、これはだな」
「爺さんが全部食べてしまうからです。私は残してあげてましたよ」
「むむむ、若造のくせに我に難癖をつけるのか」
「難癖じゃなくて、事実よ」
「翁、そこに直れ」
「まてまてまて、ミストラルよ。早まるな」
ミストラルは左手でこめかみを押さえつつ、右手で片手棍を抜き放つ。
「やってしまえぇ」
プリシアちゃんが叫ぶ。
「あぎゃああぁぁぁっ」
早朝からスレイグスタ老の悲鳴が古木の森に響き渡った。
「恐ろしい小娘だこと」
アシェルさんが顔を引きつらせているよ。
「まったく。帰る前に問題を増やさないでほしいです」
ミストラルはため息を吐き、プリシアちゃんの頭を撫でてあげる。
ルイセイネに抱っこされ、ミストラルに頭を撫でられて、プリシアちゃんはようやく元気になった。
「んんっと、また今度取ってきてもらうの」
「そうね。アシェル様なら余裕でしょうから、また取ってきてもらいましょうね」
「わたくしも楽しみです」
勝手に話を進める女子三人にアシェルさんは困った表情だけど、自分たちが悪いので言い返すことができないでい。
あ、もしかして。今のミストラルの一撃を見て逆らわない方が良いと判断したんだろうか。
「さあ、プリシアも元気になったことだし、わたしは村に帰らなきゃ」
「えええっ、もう帰っちゃうの。まだ朝ごはんを食べてないよ」
「残念。わたしは忙しいのよ」
ミストラルは、今度は僕の頭を撫でてくれる。
「あなた達は、夕方に王都に帰るのでしょう」
「うん、その予定」
「それじゃあ、次に会えるのはまた今度ね。明日の朝はまたここに来ると思うけど、すぐに帰らなきゃいけないし」
僕は明日以降も午後は苔の広場に来るけど、ミストラルは午後に来ても居ないんだね。
もしかして、すれ違い生活ってやつですか。
「ミストさん、また次回会える日を楽しみにしています」
「ええ、また会いましょう」
「んんっと、来るときはお土産ね」
「はいはい。何かおやつを持ってきてあげるからね」
ミストラルとルイセイネ、それとプリシアちゃんはそれぞれにお別れの挨拶をする。
「それじゃあ、エルネア。また会いましょう」
「うん、また今度ね」
僕とミストラルは微笑みあって別れの挨拶とする。
「ふむ、挨拶は済んだか。ならば送ろう」
僕たちが一通り挨拶を交わすのを待っていたスレイグスタ老が、竜術を展開する。
ミストラルの周りに、黄金色の立体術式が浮き上がる。
「さよなら、また今度ね」
ミストラルは手を振りながら、光の中に消えていった。
「にぁあ、間に合わなかったにゃん」
実はこの場にいなかったニーミアが、首から大きな袋を下げて慌てて古木の森から戻ってきた。
そのニーミアは首から下げた袋には、沢山の果実が詰まっていた。
子猫くらいの大きさなのに、よくもまあ首に大きな袋を下げて飛べるものだよ。と感心する僕。
とはいえ、ニーミアも実は必死だったみたいで、ふらふらと揺れながら僕たちのところまで飛んできた。
そして力尽きて地面に落ちる。
「はい、ご苦労さん」
アシェルさんがそっけなく言う。
「にゃあ」
頑張ったのに褒めてもらえないニーミアは悲しく鳴いて、荷物を捨ててプリシアちゃんの頭の上に飛び乗った。
「おかえり」
プリシアちゃんはニーミアを撫でてあげる。
「朝ごはんを取ってきてくれたんだね。ありがとう」
そうなのだ。ニーミアは、お肉がなくなって、朝に食べる物がなくなったので、アシェルさんの命令で今まで古木の森に果物を取りに行っていたんだよ。
「すごいですね」
ルイセイネもニーミアを褒めてあげる。
「頑張ったのにゃん」
ニーミアの努力のおかげで、僕たちは朝食抜きという悲劇を回避することができた。
ニーミアが持って帰ってきた果物をルイセイネが剥き、それをプリシアちゃんとニーミアが食べる。
僕は自分の分は自分で剥いて食べた。
ミストラルがいないと、ルイセイネが全ての面倒をみることになっちゃってるね。
申し訳ない。
手伝おうと思ったけど、ルイセイネは楽しんで世話をしているみたいで、僕の申し出を笑顔で断った。
うん、これはきっと将来、いいお母さんになるよ。
そして食事も終わり、何をしようか、ということになる。
僕たちが帰るのは夕方を予定しているからね。それまではここで過ごさなきゃいけないんだ。
「んんっと、鬼ごっこするの」
やっぱりそうきたか。予想通り、プリシアちゃんが提案してきた。
今日こそはうまく逃げるぞ、と僕が意気込んでいたら、僕だけがスレイグスタ老に止められた。
「汝は修行をせよ」
「ううう、そうですね」
鬼ごっこもいろんな能力を駆使するから修行といえば修行なんだけど、僕には他にももっとやらなきゃいけない事が有るんだよね。
僕はルイセイネにプリシアちゃんのことをお任せすると、いつものように瞑想修行から入る。
騒がしく楽しそうな周りの気配に心を乱さないように、深く瞑想していく。
竜脈を感じ、竜気を練り、竜力を貯める。
深い瞑想は、次第に僕だけの世界を創っていく。雑音は遠のき、自然と一体となるような感覚を意識する。
無心に黙想をしていると、いつの間にか時間が過ぎていった。
瞑想が終わると、次は竜剣舞の練習だ。
僕は左手に霊樹の木刀を持ち、右手には相変わらず手頃な木の枝を拾って持つ。
僕はいつまで右手に木の枝を持ち続けるんだろう。
新しい剣を買う余裕なんて家にはないし、どうすれば良いのかな。
僕は最近、右手の寂しさを感じる。
そして手を止めた時、ふとルイセイネたちが視界に入った。
ルイセイネたちは、すでに鬼ごっこを終えていた。いつの間に終わったんだろうね。真剣に瞑想と竜剣舞の修行をしていたから気づかなかったよ。
鬼ごっこが終わったルイセイネは、なんとプリシアちゃんに掴まって空間跳躍を体験していた。
プリシアちゃんが一度飛ぶ。
少し離れた場所に空間跳躍して現れるプリシアちゃんと、掴まったルイセイネ。
ルイセイネは胸元を押さえて
あああ、きっとものすごい吐き気に耐えているんだろうね。
がんばれ、ルイセイネ。
慣れちゃうと、吐き気や目眩は無くなるんだけどね。
ルイセイネたちを視界の隅に捉えながら、僕は竜剣舞の型を舞う。
何百回、何千回と繰り返してきた竜剣舞の型は、すでに僕の身に沁みていた。
まずは型をなぞりながら、剣の角度や足のあげ方など、細かい指摘をスレイグスタ老にしてもらう。
次に、竜気を全身に流しなから、舞う。
ただ型を舞うだけとは違って、これはとても難しい。
まだ十分な実力が伴っていない僕では、竜剣舞を舞う間、最初から最後まで竜気を練り続けるだけの竜力がない。
だから竜脈から必要な分を汲み取りながら錬成して全身に纏うんだけど、少しでも集中が途切れると失敗してしまうんだ。
何度も何度も繰り返して練習する僕。
気づけば、プリシアちゃん、ルイセイネ、ニーミア、それにアシェルさんが僕の舞を眺めていた。
僕が舞い終わると、拍手が起きる。
思わぬことに、僕は恥ずかしくなって赤面してしまった。
「すごいです、エルネア君。わたくし、これ程の舞を見たのは初めてですよ」
「お兄ちゃんすごい」
「毎日上手くなるにゃん」
褒められて更に恥ずかしくなる僕。
そんなに凄いものなのかな。僕自身、至らないところばかりが気になって、上手く舞えてるという自覚がないんだ。
「良きものを見せてもらった。ニーミアを預けるに足る者だ」
珍しくアシェルさんが僕を認めてくれたよ。
「汝はもう少し自信を持て」
「持っても良いんですか」
「構わぬ。それくらいの出来はある」
スレイグスタ老にも褒められて、僕は恥ずかしさから喜びに変わる。
やっぱり、毎日僕を指導してくれているスレイグスタ老に認められるのが、一番嬉しいよね。
えへえへ、と頭を掻いていると、アシェルさんが起き上がった。
「さて、私もこれで安心して帰れる」
「にゃん」
アシェルさんの突然の帰り支度に、ニーミアが寂しそうにする。
家出したり怖がったりしていても、やっぱり母親は恋しいんだね。
アシェルさんもニーミアとの別れが悲しそうだ。
「いっぱい遊んだら、ちゃんと帰って来なさい」
「にゃあ、お母さんもたまに来てにゃん」
うるうると瞳を潤ませるニーミア。
そして、なぜかアシェルさんに寄り添って泣いているのはプリシアちゃん。
「ふわふわの毛が気持ちよかったの。また来てね」
ちょっと不思議で意味不明なプリシアちゃんの別れの挨拶に、僕たちは苦笑した。
「爺さん、もちろん送ってくれるのでしょうね」
「やれやれ、汝もまだまだ子供であるな」
ため息を吐くスレイグスタ老。だけど頼られて満更でもない様子だよ。
スレイグスタ老の黄金の双眼が輝く。
「ところで爺さん」
光に包まれていくアシェルさんが、唐突に質問する。
「竜剣舞の際の右手が寂しそうだったのだけれど」
僕の右手の木の枝を見つめるアシェルさん。
「ふむ、それは既に考えてある」
「なら良いのだけれど」
言ってアシェルさんは、今度はスレイグスタ老の顔を意味深な表情で見た。
なんだろう、意味ありげな感じだったけど、僕にはよくわからなかったよ。
でも、スレイグスタ老が右手の武器のことを考えてくれているということがわかって、嬉しかった。
やりとりは終わったのか、アシェルさんは今度こそ黄金の光に包まれる。
「またお会いしましょう」
僕たちは少し離れたところから手を振って見送る。
そして、眩い光の柱が立った後には、アシェルさんの姿はなかった。
巨体のアシェルさんが居なくなると、苔の広場が随分と広くなったように感じる。
「少し寂しいですね」
最初はもの凄く怯えていたのに、ルイセイネはアシェルさんを惜しんでいた。
「そうだね。存在感が凄かったから、居なくなると寂しいね」
「またいつか、会えるでしょうか」
「ニーミアを溺愛していたみたいだし、きっとすぐに耐えきれなくて、またやって来ると思うよ」
「にゃあ、それは怖いにゃあ」
今しがた瞳を潤ませて別れを悲しんでいたはずなのに、ニーミアは薄情だなぁ。
「みんながいたから優しかっただけで、本当は怖いにゃん」
「怖いのはいやいやん」
ふるふると震えるニーミアとプリシアちゃん。
可愛い仕草のふたりをみていて、僕はあることに気づく。
あれれ、そういえばプリシアちゃんはどうするんだろう。
僕たちは夕方には王都に帰るんだけど、プリシアちゃんも耳長族の村に帰らなきゃいけないんじゃないかな。
だけど、普段はミストラルが送り迎えしているんだよね。
そうすると、ミストラルがいない今の状況だと、僕が村まで送り届けるしかないのかな。
「小娘は今夜まで我のところでお泊まりだ」
「わああ、おじいちゃんとお泊まりっ」
スレイグスタ老の提案に、小躍りして喜ぶプリシアちゃん。
「良いんですか」
「構わぬ。明朝ミストラルに送らせる」
「僕が送っていっても良いですよ」
「汝にはもうひとりの嫁がおるであろう。ひとりにするのはどうであろうか」
「一緒に行くのは?」
「耳長族の村に許可なく入れるわけにはいくまい」
「なるほど」
いくら僕のお嫁さん候補だからといっても、面識のない人を勝手に連れて行くわけにはいかないよね。
「あらあらまあまあ、それでは、わたくしは耳長族の方の村には行けないのでしょうか」
悲しそうな表情になるルイセイネ。
「汝のことは、耳長族の小娘に頼めばよかろう。次期族長の紹介であれば、問題ない」
一度プリシアちゃんが村に帰って、プリシアちゃんの口から紹介されれば良いわけか。
「プリシアちゃん、わたくしを招いてくださいね」
「んんっと、わかったよ」
ルイセイネに抱きしめられて、元気よく返事をするプリシアちゃん。
村に招待してもらうためだろうか。その後のルイセイネは、プリシアちゃんに甘甘だった。
甘やかし過ぎると、ミストラルに怒られるよ。と言いたかったけど、ルイセイネの飴とミストラルの鞭でいい塩梅になるのかもしれないね。
そうして残りの時間を僕たちは楽しく過ごし、いよいよ夕方近くになる。
僕とルイセイネは、スレイグスタ老の空間転移で竜の森の入り口近くまで飛ばしてもらう予定だ。
僕は、いつもだと家の裏の庭なんだけど、今回はルイセイネが居るから違う場所じゃなきゃ困るもんね。
「またね、プリシアちゃん」
「ルイセイネ、またねっ」
「にゃん。またねにゃん」
抱き合って別れを交わすルイセイネたち。
ルイセイネも毎日苔の広場に来られると良いんだけど、彼女は普段は神殿の聖務があるからなかなか来れそうにないんだよね。
だから、次はいつ会えるかわからないので、別れを惜しんでいた。
特にルイセイネは心残りがありそうだ。
また今度、都合の合う時にルイセイネを誘おう。
「さぁ、それでは良いか」
言って僕たちを立体術式で包むスレイグスタ老。
「お願いします。それと、ありがとうございました」
ルイセイネは巫女らしく礼儀正しいお辞儀をする。
僕もスレイグスタ老とプリシアちゃん、ニーミアに手を振る。
そして、目も開けていられないほど眩しい光に包まれた。
ふうう。いろいろと体験して大騒動だった六日間のお使いが終わるね。
僕の安堵のため息とともに、ルイセイネと二人で竜の森の入り口に出た。
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