混沌

 飛竜の狩場に出現した、光る大樹。その根もとで祝宴しゅくえんをあげる者たちを、憎々しげに睨む者の存在があった。

 祝宴の場からは遠く、古代種の竜族たちでさえ意識しなければ感知できないような場所。少し小高くなった丘の上に、それは存在していた。


「ヨモヤ、アノヨウナ者ドモ二、御子ミコノ奪取ヲハバマレルトハ」


 あまりにも離れた場所なために、天を突き破るかのように成長した光る大樹でさえ、小さく見える。だが、その「存在」の瞳には、根もとで賑わう者たちの姿が、はっきりと映っていた。


 それは、世界の存在をゆがませ、けがす者だった。

 人の姿をしてはいても、人ではない。

 全身が漆黒色。肌も、髪も、衣服も、何もかも。

 唯一、瞳だけが赤に輝く。


「我ガ、キミ


 すると、そこへもうひとつの存在が出現した。

 こちらも、全身が漆黒色。瞳だけを赤く輝かせた、屈強くっきょうな大男の姿をしていた。

 しかし、丘の上に佇んでいた「存在」とは、少しだけ様相ようそうが違う。

 今しがた出現した大男は右腕を失っており、全身に無数の傷を負っていた。


「ファルナ……ドモガ、オッテマイリマス……。ワレガ、ジカンヲカセギマスノデ、ドウカソノアイダニ、ミヲオカクシクダサイ」

「奴ラメ、ドウアッテモ、コノ俺ヲ逃サヌツモリカ」


 光る大樹の根もとを睨んでいた漆黒の「存在」が、殺気も露わに舌打ちをする。

 たったそれだけで、報告をもたらした屈強な大男は、全身を震わせて怯え込んだ。


「シカシ、コノママオメオメト逃ゲ隠レスルノモシャクニサワル。アソコデ浮レテイル者ドモニ、一泡吹カセテヤリタイモノダガ」

「デハ、ワレガキョウシュウヲシカケ、バヲカキミダシマショウ。ファルナ……ドモヲムカエウツ、ゼッコウノバショカト」


 にたり、と屈強な大男が笑みを浮かべた。

 だが、すぐに笑みが消える。

 自分の腹から生えた、鋭い刃を発見して。


「いやいや、それは困ったね。エルネア君たちに、これ以上の負担はかけたくないんだよね」


 屈強な大男。その背後に、ひとりの紳士然とした青年が立っていた。握った剣の刃を、大男の背中に突き立てて。


「ナ、ナニ、モノ……」


 愕然がくぜんとした表情で、背後を振り返る漆黒色の屈強な大男。そして、苦痛と殺意を込めて、青年を睨む。

 だが、睨まれた青年は飄々ひょうひょうとした笑顔で、呪い同然の視線を受け流す。


「陛下も、酷いですよね。こんな役回りを僕に押し付けるなんて。ああ、でも、ほら。おかげで、こんなに珍しい剣を譲ってもらえたのだから、良いのかな?」


 にこり、と今度は青年が笑みを浮かべた。


「猫公爵様が創り出した武器で、対邪族用の呪いが付与されているらしいよ? そんな魔剣の存在なんて僕は知らなかったから、半信半疑だったんだけど。いやあ、思いのほか効いているみたいだね?」

「オ、オノレ……!」


 青年の言葉を聞いた大男の表情が、苦悶に変わる。

 たった一撃。腹部に剣を突き立てられただけだというのに、大男は反撃する余裕さえ奪われていた。

 全身に負っていた傷のせいではない。腹部に突き立てられた剣から、大男の全身をむしばむように、呪いが侵食していく。

 それでも、背後の青年に反撃しようと、大男は残っていた左腕を振り上げた。

 しかし、大男の瞳には、青年を殴り蹴散らす場面は映し出されなかった。代わりに、なぜか自分の首から下の身体が映る。


 大男の頭部が、丘の上に転がっていた。


「ナ、ニガ……?」


 それでも絶命しなかった大男が、困惑に視線を泳がせる。

 そして、見た。


「ふふ、ふふふ」


 不適に微笑ほほえむ、金色こんじきの化け物。


「いやあ、言い忘れていたんだけど。僕って、親が始祖族なんだよね? でも、魔法とかは好きじゃないんだ。だから、空間転移なんて使えないわけで。それじゃあ、どうやってここに瞬間移動してきたのかって話になっちゃうよね?」


 剣を振って鮮血を払いながら、あはは、と愉快そうに笑う青年。


 そこで、大男の視線は途切れた。


 ぐしゃりと、まるで腐った果実でも踏み潰すかのように、金色の化け物が大男の頭部を踏み砕く。


「おやまあ。こちらに来る前に、既に剣聖けんせい様に深傷を負わされていたのでしょうか。人型の割りには、手応えがありませんでしたね」


 ふふふ、と糸目をさらに細めて微笑む金色の化け物。

 だが、視線は油断なくもうひとつの漆黒の「存在」に向けられていた。


「困りましたねえ。千年ほど、お生まれが早すぎたのではないでしょうか。七人の邪族の王、その第六位様、でよろしかったでしょうか?」

「俺ヲ邪族ノ王ト知ッテノ狼藉ロウゼキカ。始祖族如シソゾクゴトキガ、メタモノダ」


 邪族の王と呼ばれた漆黒の「存在」が、殺気を放つ。それだけで、丘の草花は消滅し、大地が呪われていく。


「本当に、困りましたねえ。あまり騒ぎを大きくすると、エルネア君たちに感づかれてしまう可能性があります。ですので、ちょっとお邪魔いたしますね?」


 言って、金色の化け物は薄らと瞳を開く。

 黄金色の瞳が光り、化け物の背後で尻尾が揺らめいた。

 それでも、邪族の王は怯むことなく対峙する。


「貴様ラ如キニ、遅レヲ取ル俺デハナイ」

「はい、そうでございましようね。ですが、追われている身でございましょう? であれば、わたくしどもでも十分に時間稼ぎはできますので。ふふ、ふふふふ」

「チッ!」


 この時初めて、邪族の王の表情が歪んだ。


「どうせ、ここで討ち死にされても、また千年後あたりに復活なされるのでしょう? でしたら、この時代では素直に死んでくださいましね?」


 放つ殺気だけで世界をけがす、邪族の王。

 対峙するのは、金色の化け物と配下の青年。


 金色の化け物の尻尾が、穢れた世界を切り取るように、三者を黄金色の世界の内側に包み込んだ。


「やれやれだなあ。僕は、いつも損な役回りばかりだよ」


 黄金色の輝きに包まれる直前。

 青年が苦笑と共に愚痴ぐちこぼした。

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