もうひとつの吉日

 禁領にも、春が訪れていた。


 冬、北の海から吹き下ろす湿った強風が竜峰の切り立った山々にぶつかり、雪雲を生む。厚く重なり合った雪雲は、吹きすさぶ北風に押されるようにして竜峰の奥地へと流れていき、厳しい寒気と雪を各地にもたらす。

 一方、竜峰の尾根を越えられなかった一部の雪雲は、行き場を探すように麓に降りて、そこで役目を果たす。

 禁領は、海からの湿った風と、竜峰からの雪雲を受けて、いつも長い冬になるのだった。


 それでも、春は訪れる。


 風向きは変わり、大陸の奥地から春らしい暖かい風が吹き始める。そうすると、禁領に深く降り積もった雪は徐々に溶け始め、雪解け水が小川になり、千もの湖に流れ込んでいく。


 冬眠していた動物たちが目を覚まして活発に活動し、越冬で南へ去っていた鳥たちが戻ってくる。

 禁領の冬は長く厳しいが、一度ひとたび春の風が吹き抜ければ、瞬く間に生命が芽吹めぶき、色鮮やかで賑やかな世界へと生まれ変わる。






「うわあっ、気持ちのいい風だね!」


 霊山の裾野すそのを駆け上がってきた風が、頂上にぽかんと空いた窪地くぼちに流れ込む。

 窪地の底に薄く張った湖面がさざ波に揺れて、僕たちに届いた。


 僕たちは今、禁領においてもよく目立つ、霊山れいざんの山頂に来ていた。

 霊山は、昔は火山だったみたい。それで、頂上の火口跡はえぐれて窪地になっている。そして、その窪地の底には、深くてもくるぶし位までの水が薄く張り、広い湖になっていた。

 また、浅く広い湖の中心には、少しだけ水面から顔を覗かせる丘があり、僕たちはそこで、のんびりと寛いでいた。


「それにしても、七日七晩続いた大宴会は凄かったね!」

「さすがに、最後の方は疲れて、早く終わらないものかしらとため息ばかり出ていたわ」


 僕は最初から最後まで楽しかったんだけど、どうやらミストラルは疲れたらしい。

 まあ、無理もないよね。僕は招ばれるままにみんなと楽しく騒いでいただけだけど、ミストラルたちは裏方の仕事を受け持ってくれていたからね。


「みんな、お疲れ様でした。ありがとうね」


 妖魔の王を倒すことができたのも、その後の大宴会が無事に終わったのも、みんなのおかげです。


「お礼は、エルネア君の身体で支払ってもらうわ」

「お礼は、エルネア君の身体で示してもらうわ」

「ユフィさん、ニーナさん、昼間からそういう話は禁止ですよ?」


 霊山の山頂に吹き抜ける風が、妻たちの髪を踊らせる。

 ルイセイネは、乱れる髪を少し困ったように、手で押さえていた。


「ルイセイネ、随分と髪が伸びたわね」

「そう仰るミストさんも、長くなりましたね」


 そういえば、僕の家族はみんな髪が長いよね。

 もちろん、僕の好みは長髪なんだけど。もしかして、みんなが僕の好みに合わせてくれているのかな?

 まあ、巫女のルイセイネやマドリーヌ様は、立場的に髪が長くないといけないみたいだけどね。


 そうそう、巫女様といえば。


「結局、スー様は最後まで泣いていてたよね」


 思い出して、みんなで笑う。

 妖魔の王を倒したことに感極まって泣き、女の子を護り通すことができたと嬉し泣きをする。そして、大宴会の賑やかさに感動して泣き、別れの寂しさに泣いていた。


「あそこまで全てのことに泣かれると、スー様の泣き顔が普通に思えてくるわね」

「だから、いにしえみやこから来た巫女様たちは、スー様の涙に反応が薄かったんだね!」

「んにゃん。泣いていない方が、珍しいにゃん」

「あのね、プリシアより泣きん坊さんだったよ?」


 レティ様やスー様。それに古の都から応援に駆けつけてくれた巫女様たちは、大宴会の幕が降りると、古代種の竜族たちと一緒に帰っていった。

 ただし、数体だけ居残った者がいた。


 その一体が、ニーミアだ。

 ニーミアは、プリシアちゃんの頭の上でいつものように寛ぎながら、春の風を感じていた。

 そして、プリシアちゃんと一緒に残ったのが、母親のアシェルさんだ。

 アシェルさんは現在、モモちゃんを天上山脈に送り届けに行ってくれている。

 モモちゃんも禁領に誘ったんだけど、さすがに疲れちゃったみたいだね。

 天上山脈が恋しくなったのか、それとも桃の木に早く会いに行きたかったのか。モモちゃんは、少し名残惜しそうにしながらも、自分が守護する土地へと帰っていった。


「ところで、ニーミア。影竜かげりゅうのアルギルダル様は大丈夫かな?」


 僕が口を滑らせたのがいけなかった。

 ついうっかり、竜峰に影竜の幼体が居ることを口にしちゃったんだよね。そうしたら、アルギルダル様が興味を示しちゃって、古の都に帰らずに、竜峰に向かっちゃったんだ。


「にゃあ。わからないにゃん。アルギルダル様はお役目を放り出す、悪い竜にゃん。もしかしたら、問題を起こすかもしれないにゃん」

「はわわっ。その時は、わたくしとエルネア様とレヴァリア様で対処しなきゃいけないですわっ」

「あら、それじゃあ問題が起きたときは、あなた達にお願いするわね?」

「はわっ、はわわ?」


 ライラよ、抜け駆けを口にしたつもりだろうけど、そんな騒動に首を突っ込みたいだなんて、僕も思わないよ!


「そういえば、ウルス様は悲しそうだったわね」


 セフィーナさんが、苦笑していた。


 仕方がないよね。だって、ウルスさんは自分も残ろうとしたのに、アシェルさんから追い払われちゃったんだから。

 スー様の瞳から流れる涙よりも、ウルスさんの心に染みる涙が悲しかったです!


 まあ、それはともかくとして。

 何はともあれ、七日七晚続いた大宴会は無事に終わりを迎え、飛竜の狩場に集った者たちも、各自の活動拠点へと戻っていった。

 そして、天空から仙を伴って降臨した女の子もまた、旅立っていった。


「女の子は、今はどこを旅しているんだろうね?」


 来た時と同じように、眩く輝く空へと帰っていった女の子と仙たち。

 女の子はずっと眠っていたけれど、不思議と僕たちのことをしっかり見てくれていたような気がしていた。


「旅立ったといえばさ。マドリーヌ様、耳長族のみんなは大丈夫かな?」


 禁領には、イステリシアの部族の耳長族たちが暮らしていた。だけど、今回の騒動を通して、より一層、神殿宗教に興味を示した耳長族の多くが、禁領を離れたんだよね。

 そして、イステリシアと一緒に、ヨルテニトス王国の東部にある竜と精霊の楽園で修行する道を選んだ。


「大丈夫ですよ。敬虔けいけんな方々です。それに、ルビアやイステリシアもいますから、きっと立派な巫女や神官になって、こちらへ戻ってくると思います」


 霊山の山頂からは、ずっと遠くの景色まで見渡すことができる。

 だけど、どれだけ目を凝らしても、竜峰の奥までは見えない。ましてや、アームアード王国やヨルテニトス王国なんて、僅かさえ目にすることはできない。


「とっても遠い地に、覚悟を持って旅立ったんだね。それなら、僕たちも信じて待とう」


 いつか、耳長族の巫女様や神官様たちが禁領に戻ってくる日を、僕たちはずっと待っていよう、と言葉を交わす。


「それで、エルネア。わたしたちがここへ来た目的だけれど?」


 話し込めば、いつまでも話題の尽きない僕の家族。

 だけど、今日はそんなにのんびりとはしていられないんだ。

 なぜなら、と僕は右腰に帯びた霊樹の木刀に触れた。


「ええっとね、もう少しだけ待ってね。まだ、来ていないお客さんたちがいるからさ」


 春風が、どこまでも気持ちよく吹き抜けていく。

 今日は、女の子が舞い降りた日と同じくらいに、絶好の吉日きちじつだ。


 その後も、みんなで思い出話にふけっていると、不意に何者かの気配を感じた。振り返ると、青い豪奢ごうしゃな衣装の、巨人の魔王が佇んでいた。


「いらっしゃいませ」


 挨拶がわりに、霊樹の雫のお酒を手渡す僕。

 巨人の魔王は機嫌よく杯を受け取ると、唇をうるおわせた。


「シャルロットとルイララは、大丈夫なんですか?」


 空になった杯にお酒を注ぎながら、僕はまず最初に、気になったことを確認する。

 すると、魔王は適当な場所に腰を下ろしながら、二人の近況を教えてくれた。


「なに、問題ない。シャルロットは、魔力の使いすぎによる衰弱だ。傷らしい傷は負っていないゆえ、時間が経てば回復する。ルイララには、暇を出した。あれも、少し養生すれば、元気になるだろう」

「ルイララ……。重症なんですよね? 大丈夫かな、気になるな」

「気になるのなら、会いに行けば良い。領地に行けば、会うことはできるだろう」


 まさか、あのルイララが重傷を負うだなんて。

 話を聞いた時、僕たちは本当に驚いた。

 ルイララは、現在は療養のために、自分の領地に戻っているらしい。


「シャルロットでさえ、衰弱に陥るまで魔力をしぼり尽くすような相手だったんですよね……?」


 何者と対峙したのか、僕は詳しいことを聞かされてはいない。だけど、想像はつく。気配を感じもした。

 でも、あの時。僕は、まさかこれほどまでの状況になるとは思っていなかったんだ。


「其方が案ずる必要はない。それとも、羽衣はごろもと宝玉をたずさえて、シャルロットの見舞いに行くか? くくくっ、あれが揃えば、シャルロットの衰弱もすぐに回復するだろう」

「そういえば、力が封印されている状態でしたね! それでも、シャルロットとルイララが二人掛かりで苦戦するような相手かぁ」


 シャルロットの正体は、金色こんじききみと呼ばれる、伝説の存在だ。

 かつては、巨人の魔王を含む魔族の大軍勢を相手に大暴れをしたとも聞くよね。そして、力が封印されている現在でもなお、魔王連合軍を束ねる大魔元帥だいまげんすいを任されるような力を持っている。


 ルイララも、北の海を支配するという始祖族を親に持つ、恐ろしい魔族なんだよね。

 まあ、ルイララは剣術馬鹿と言われるくらい、魔法を使わずに剣を振り回す奴なんだけどさ。


「ああっ、そうだ。シャルロットが衰弱しているなら、心配じゃないですかっ。衰弱中を狙って、悪い魔族が襲ってくるんじゃ?」


 そうそう。シャルロットは力を持っているからこそ、地位や名声を狙う魔族たちに狙われるのでは?

 巨人の魔王の最側近であるシャルロットを討つことができれば、この上ない名誉になる。場合によっては、未だに空位の魔王になれるかもしれない。


「くくくっ、そう思ってシャルロットに挑む者が現れれば良いのだがな。しかし、あれの療養場所に踏み込む度胸のある者が、今の魔族の中にいるかどうか」

「ええっと、シャルロットはどこで休んでいるのかな?」

朱山宮しゅざんぐうだな」

「はは、はははは……」


 僕も、知っていますよ。

 朱山宮。魔族を真に支配する存在が住む場所。そこで、シャルロットは休んでいるらしい。

 つまり、衰弱中のシャルロットを狙おうと思っても、近づけないわけだね。

 もしも朱山宮に侵入したら、シャルロットを相手にする前に、真紅の支配者や、側近の幼女と対峙することになっちゃうから!


「僕も、シャルロットの見舞いだけは行かないようにしよう。残念だね。弱っているシャルロットを見たいと思ったんだけどなぁ」

「伝えておいてやる」

「いやいやんっ、ごめんなさいっ」


 告げ口なんてされたら、後の仕返しが怖いです!


 巨人の魔王に色々とお話を聞いていると、視界の隅に金色の何かが映った。

 話の内容が内容だっただけに、もしやシャルロット? と思ったんだけど。……違いました。


 金色の、二股尻尾のきつねの置き物でした。


「……違う、違う。オズでした」


 すっかり忘れがちだけど、オズも霊山の山頂に来ていた。

 ただし、巨人の魔王を前にして、緊張で硬直してしまっています。


「そうだ、オズ。シャルロットのお見舞いに行ったら?」

「な、ななな、なぜ儂が行かねばならんのだっ」

「だって、ねぇ?」


 みんなで顔を見合わせて、笑い合う。

 まだ、オズは気づいていない。

 オズの夢の中に出てきてお告げを下した金色の君の正体が、シャルロットであるということを。


「そ、そそ、それよりもだなっ。儂が来てやったのだ。早く儀式をり行えっ」

「いやいや、オズがいなくても、これからの儀式はみんなが揃ったら執り行うからね?」

「えっ、ええいっ、なんという言いようだ。儂がいなくてもとは、どういう了見だ? むしろ、儂がいなければ話は進まないだろうっ」


 緊張で硬直しているくせに、態度だけはいつものように大きいよね、オズ。


「ううーん、なんでオズがいないと話が進まないのかな?」

「ふ、ふふんっ。良いか小僧、よく聞け。この儂が、この地の守護役を務めてやろうと言っているのだ。有り難く思えっ」

「ああ、そういうことか!」


 守護役は、とっても大切だからね。

 オズは、気を利かせて自ら名乗り出てくれたんだね。

 でも、良いのかなぁ……


 この後、どうなっても知らないよ?


「ほほう、我ら古代種の竜族を差し置いて、守護役に名乗りを上げようとは、見上げた根性だ」


 その時、空に黄金色の立体術式が広がった。

 そして、小山のように巨大な竜が、ゆっくりと翼を羽ばたかせながら、黄金色の光の中から姿を現わす。


「おわおっ、おじいちゃんっ」


 巨人の魔王の膝の上で、プリシアちゃんが喜んでいた。

 逆に、オズは空を見上げて口を大きく開け、痙攣けいれんしていた。


「オズ、言っていなかったんだけどね……。おじいちゃんも招んでいたんだよ?」

「びぎゃーっ」


 オズは、スレイグスタ老の黄金の瞳に見下ろされて、今度こそ白目を向いて失神してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る