優しさと厳しさ
「どうして、僕を……?」
動揺に言葉が詰まりそうになる。
取り押さえた痩せた男性を見下ろし、疑問を口にした。
彼が僕に対して妙な視線を送っていたことは、最初からわかっていた。
だけどまさか、命を狙われるなんて……
「な、なぜ、あんたは……」
痩せた男性は苦しそうに声を漏らし、背後の僕を見る。
今もまた、複雑な表情を宿した瞳だ。
純粋な殺意ではなく。かといって
いったい、この人はなぜ僕を襲ったのか。
痩せた男性がなにかを口にしようとしたとき。
「よもや、このような騒ぎを引き起こすとは」
僕の周りに集まった魔族たちの輪をかき分けて現れたのは、ガンジャリオ爺さんだった。
ガンジャリオ爺さんは、自分の奴隷が騒ぎを起こしたというのに、次の展開が楽しみだ、という様子で他人事のような感じだ。
僕を襲った痩せた男性よりも、ガンジャリオ爺さんのように奴隷や僕たちを見世物かなにかのように面白おかしく観察する態度の方に、嫌気がさしてくる。
きっと、主人としての責任なんて気にはしていないんだろうね。
奴隷がやらかしたことは、奴隷が責任を取って始末すればいい。なんなら、殺して処理しよう、くらいにしか思っていないんだ。
痩せた男性も主人の非情な性格を把握していて、憎らしそうな視線を返していた。
だけど、野次馬の魔族たちが「殺してしまえ」と
「僕を襲ったのは、貴方の意思なんだよね?」
僕の再度の質問に、痩せた男性はこちらに視線を移す。
「どうして……あんただけ。同じ人族なのに、なんであんただけが幸せそうにしているんだ」
痩せた男性が
覚悟していたことだ。魔族の国で活動していれば、いずれこうした問題に突き当たるということは自覚していた。
自覚はしていたけど、なるべく避けたかったことではあるけどね。
「俺たちは、日が昇る前から魔族にこき使われ、深夜までの重労働。ろくな飯も与えられず、寝床も家畜と同じ扱い。それなのに、あんたは魔族と仲良く会話し、一緒に食事し、輪になって寝ている。なぜ、なぜなんだ……」
痩せた男性の呟きに、だけど僕の心はもう動揺しなかった。
「あはは、馬鹿な思考だね」
痩せた男性の言葉に、ルイララが心底可笑しそうに笑う。
なにが可笑しいんだ、という痩せた男性の視線に、ルイララはなにを今更、といった感じで口を開く。
「弱肉強食。弱い者は強い者に従う。それがこの世界だよ。簡単な話さ。この場の誰よりも、エルネア君の方が強い。だから魔族の僕たちに認められている。食料を一番多く確保したのも彼だ。たらふく食べる権利を持っていて当然じゃないか。それにひきかえ。さて、君はどうだろう。ごみ虫のように弱い君。弱いから認められない。奴隷だから雑に扱われているんじゃないよ。居ても居なくても周りになんの影響もないくらい雑魚だから、いつ処分してもいいくらいに雑に扱われているんだ。君はいったいどんな生産的なことをしたんだい?」
「ルイララ!」
「おおっと、あまり口悪く言うとエルネア君に怒られちゃう。彼を怒らせると怖いんだよ。それこそ、この場の全員……ああ、僕以外を皆殺しにしちゃうかもね」
あっけらかんと言うルイララに、痩せた男性だけじゃなくて周りの魔族もぽかんと呆けていた。
でも、僕は違う。
ルイララは言い過ぎだ。たしかに、ルイララの言う通りだ。人族だって、自立できるほどの力があれば奴隷の立場から抜け出せるかもしれない。でも、全ての奴隷にそんな機会や能力があるわけがない。種族としての能力も違いすぎる。痩せた男性もそうだ。まともに食事をもらえない環境で重労働を強いられ、痩せ細った身体は見るに堪えない。
誰かに剣術や護身術を習ったり、自由に修行や勉強をする環境をこの人たちは持っていない。
それなのに、力がないから、と言ってしまうのは酷すぎだよ。
僕の睨みに、ルイララはやれやれ、と肩を
「それで、どうするのかな? 事情はどうであれ君の命を狙ったんだ。殺しちゃうのが手っ取り早いと思うんだけど。それとも、僅かな慈悲を見せて置き去りにしていく?」
さあ、どういう選択を取るんだい。とルイララの瞳が輝いた。
見れば、ガンジャリオ爺さんも僕の選ぶ選択肢に興味津々といった表情で、様子を伺っている。
まったくもう。これだから魔族は……
僕は、無言で痩せた男性を見下ろす。
痩せた男性は、ルイララの言葉があまりにも衝撃的すぎたのか、呆然としていた。
「あのね。魔族の
なにを言っているのか、と全員が僕を見つめていた。
「ルイララが言うような、力があれば対等になれる、という話は正しくない。力があっても、逆に妬まれることもあるから。僕なんて、そのおかげで別の国からここまで来ちゃっているわけだし。大切なのは、力じゃないと思うんだよね。お互いが仲良くなろうとする努力だと思うんだ。まあ、普通の魔族は人族となんて仲良くなろうとは思っていないみたいだけど。相手に気がないからといって、こちらまで無関心になる必要はないし、諦める必要もないとも思うんだ」
僕は痩せた男性の背中から片膝を除けて、後ろ手に極めていた腕を解放する。
「そんなわけで、僕は貴方ともきっと仲良くなれる、分かり合えると思っているんだ。だから、今回のことは
「それで、また狙われたらどうするんだい、エルネア君?」
「その時はその時だよ。ルイララ自身が言ったじゃないか。僕はこの場で君以外に遅れを取るつもりはないよ」
「ふふふっ。言うようになったね」
にやり、と笑みを見せたルイララに、僕は苦笑で返した。
僕は、解放されたということに戸惑っている痩せた男性に手を差し伸べる。痩せた男性は僕の手と顔を交互に見て、
「エルネア君の言葉が理解できなかったのかな。君を許す許さない、という話自体が存在しない。エルネア君は君と仲良くなりたいと言っているんだよ」
「先に言っておくよ。僕は魔族の国の奴隷制度を解決できるような人物じゃない。でも、貴方たちと仲良くはなれると思うんだ」
言って僕は、自分から痩せた男性の手を取って立ち上がらせた。
「ほ、本当に……?」
「うん。みんな、慣れない旅で疲れているんだ。今夜の騒動は夢に違いない。そうだよね、ルイララ?」
「あはは。そういうことにしておくよ」
全ては夢でした。
みんなが同じような夢を見るなんて不思議だね。でも、夢の出来事を現実で咎めるなんてできないよね、と有無を言わさぬ瞳を周りに向けた。
ルイララの次に、無言で見守っていたメドゥリアさんが頷いた。次に家臣の人たちが仕方ない、と認めてくれた。それで、野次馬でしかない他の魔族も納得してくれた。
「面白い結末を導く。なるほど、ルイララ様のご友人だ」
「僕とエルネア君は大親友だからね」
ガンジャリオ爺さんの言葉に、ルイララが嬉しそうに笑う。
「咎めなし、それは貴方様にも適用されます。よろしいですね?」
そして、メドゥリアさんがガンジャリオ爺さんを見た。
主人や他の奴隷の人たちの責任は問わない、だから貴方も勝手に奴隷を処罰するな、と言っているんだ。
ガンジャリオ爺さんは、
「久々に面白い夢であった。貴様もこの少年のように儂の興味を引くほどの
ガンジャリオ爺さんはそう言って、痩せた男性を連れて戻っていった。
魔族は笑顔で嘘を言う種族だけど、信じてもいいのかな?
念のために、彼らの動向には今後も注意を払っておこう。
それと、今回の騒動で奴隷の人たちに不穏な気配が湧かないかが心配だね。
どうすれば、波風立てないように物事は進むんだろう。
真夜中の騒動は、一抹の不安を残しつつも、収まりを見せた。
僕が狙われた夜以降は、同じような問題は起きることがなかった。
だけど、別の問題が再度浮上した。
最初からの問題でもあった、飲み水の確保だ。
食料は、僕の狩猟で最低限以上くらいには
飲み水に使える沢があったのは、都市周辺を移動していた最初だけ。東への逃避行を続けて五日目。新たな水源を見つけることができずに、いよいよ水の問題が深刻になり始めていた。
「本日中に水を確保できなかったら、死人が出るかもね」
と言うルイララの言葉に焦りを覚える。
ここまで来て、死者や脱落者を出すのは嫌だよ。
騒動以降、痩せた男性や他の奴隷の人たちとも、少しずつ仲良くなり始めている。情が移っていないと言ったら嘘になっちゃう。
「ちょっと、集中させて欲しい」
「竜剣舞で広範囲を探るのかい? それなら、剣を交える相手になるよ!」
「いいえ、結構です! というか、残念ながらアレスちゃんが帰ってきてないから、無理なんだ……」
でも、今の僕には竜剣舞以外の手段で広範囲を探ることができる。
「お邪魔します」
そして僕は、歩けなくなった人たちが牛詰めになっている馬車へと乗り込んだ。
なぜ僕が馬車に、と
深く意識を落とし、どこまでも続く世界を感じとる。
動物の群、鳥の集団。風の流れに合わせ、意識を広げていく。
最近はあまり雨が降っていないのか、乾いた大地が僕たちと同じように水を欲していた。草木が「お水ちょうだい!」と合唱している。
だけど、空に雨雲は見当たらない。
川じゃなくていい。どこかに沢か池でもあれば、と探していると、遠くに人々の集まりを捉えた。
「全員、あっちだー!」
僕は瞑想を止めて、馬車から身を乗り出して北東を指差した。
「村があるから、そこで水を補給させてもらおう!」
村は水源の近くに存在する。
水がなきゃ、生活できないからね。
僕の号令に、奴隷の人たちだけではなくて魔族までもが歓喜の雄叫びをあげ、潤いを求めて進路を修正した。
喉の渇きに耐え、全員が一丸となって進む。
魔族たちも、歩みの遅い人族を手伝い、少しでも早く水場に向かおうとした。
抜け駆けして先に行く魔族は、どうやらいなかったみたい。そりゃあそうか。このご時世。少数で村に押しかけたら、野盗かなにかと勘違いされて無駄な争いになっちゃうかもしれない。それよりも、地方都市の領主だったメドゥリアさんの顔の広さを利用した方が無難だとでも計算したんだろうね。
そういうわけで、これまで以上の速度で行進した僕たちは、干からびる前にお目当ての村へと到着した。
「どうか、水を分けてください」
村人との交渉に当たったのは、期待通りのメドゥリアさん。
遠くから集団が近づいてきていると警戒していた村人の魔族たちは、メドゥリアさんの申し出を受け入れてくれた。
「どうぞ、自由に使ってください」
「水なんて、今はそれどころじゃねえぜ!」
「あの都市が落ちたとなると、いずれここにも……」
僕たちは、水を分けてもらいたくて寄っただけだったけど。
村人は、メドゥリアさんから地方都市の惨状を聞くと、慌てたように各自の家へと引き返していった。そして、奴隷の人たちに命令して荷物をまとめだす。
「どうか、我らも共に……」
「もう、お終いだぁっ!」
「俺、この騒動が収まったら隣村のあいつに告白するんだ……」
近隣の都市の騒乱は、他人事じゃないみたい。
持てる荷物を纏めた村人が合わさり、僕たちはさらに大所帯となる。
「あはは。膨れあがりすぎると、いま以上に行進が遅くなっちゃうね。下手をすると、奴隷狩りに追いつかれる可能性もあるけど、どうする?」
二百人を超えた避難民を見てそう笑ったのは、言うまでもなくルイララだ。
どうするもなにも、僕の下す決定なんてとうにお見通しなくせに。ルイララは友達だとしても、悪友だよ。間違いありません。
「もしも追いつかれたら、お・ね・が・い・ね。ルイララ様!」
片目を閉じてお願いしたら、おえっ、と顔をしかめられた。
だけど、陽気なやり取りとは裏腹に、ルイララの指摘は的中した。
地平線の先から、高く土煙をあげる集団が背後より迫ってきたのは、死霊都市まであと半日ほどの距離まで到達したときだった。
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