危険が潜む旅

「死霊使いゴルドバは、この辺りでは随一の魔族でした」


 そう話してくれたのは、地方都市の元領主であるメドゥリアさんだった。

 そういえば、ゴルドバの支配していた死霊都市は竜峰の麓近くの、まさに辺境にあったよね。

 亡霊や亡者、死霊を支配し、それらを生きている住民のように自分の支配都市で生活させていた死霊使いゴルドバ。

 昨年の魔族との騒乱でゴルドバを打ち倒したということを話すと、メドゥリアさんだけではなくて家臣の魔族たちも一様に驚いていた。

 彼らも、僕の名前や容姿は知らなくても、魔王クシャリラが竜峰を越えて東側へと進軍し、敗退したということは身にしみて知っている。


 人族ごときが、という声を一部の魔族は喉の奥で押し殺していた。

 たしかに、魔族から見れば僕も人族のひとり。だけど、周囲の奴隷たちとは一線を画すのだ、ということを誰もが気づいていた。

 まず、僕の傍には絶えずルイララが居る。

 誰がどう見ても上級魔族のルイララと仲良くする僕。さらには、メドゥリアさんが親しく話しかけてくるし、彼女の家臣の人たちも僕に対しては丁寧な態度をとっていた。

 なにせ、領主の館を脱出する際に、彼らを竜術で護ったのは僕だからね。メドゥリアさんと家臣さんたちは、僕の実力も知っていた。


 そんなわけで、都市を抜け出す際に合流してきた他の魔族たちとも、これといった問題を起こすことなく、一路東へと進んでいるわけだけど。


 問題がないと言ったら、嘘になっちゃう。


 一番の問題は、魔族の数倍以上の人数である奴隷の人たちだ。

 魔族は、メドゥリアさんと家臣の人たちを除くと、残りは二十人ほど。百人以上の大所帯になっている集団のほとんどは、その僅かな魔族に飼われている奴隷の人たちだった。


 奴隷の人たちは、毎日のように過酷な労働を強いられている。だけど、その日常の辛い労働と、一日中歩き続けるという過酷さは別物だ。

 なかには奴隷の人の身内である小さな子供やお年寄りもいて、そういった人たちが行進の遅れを呼び起こしていた。


「ちっ。もう歩けねえのかっ」

「ひっ。お、お許しくださいませ」


 くじいてしまったのか、足首をらしてうずくまってしまった女性に、主人の魔族が露骨に嫌な顔をした。


「まあまあ。歩けないのなら仕方ありません。この者を馬車へ」

「し、しかし、メドゥリア様。これ以上馬車には……」

「奴隷たちに選ばせなさい。狭い場所に牛詰めにされるか、この場で見捨てられるか、と」


 歩けなくなった者は、メドゥリアさんの親切心で荷車に乗せてもらっていた。だけど、もう満員状態。それでも歩けなくなった者が出れば、乗せるしかない。

 満員でろくに身動きも出来ない荷車が嫌なら、この場においていくしかない。

 そして、置いていくなら歩けなくなった者全員だ。

 待遇に不満を持つ者だけを置いていき、後ろから迫ってくるであろう奴隷狩りの者たちに餌を与え続けるくらいなら、潔く足手まといは全員切り捨てて、身軽になって進む。それが魔族たちの考えみたい。


 そもそも、奴隷を見捨てないという親切心はメドゥリアさんの好意によるもので、奴隷の人たちもそれは重々承知している。見捨てられたあとに待っている運命も理解している。だから、どんな待遇でも誰も文句も言わずに従っていた。


 まあ、早く逃げ出したい一部の魔族からは不満に思われていたけど。彼らもこの集団から抜け出して逃げられる自信と度胸がないのか、メドゥリアさんの方針に従っていた。


 こうして、二日ほど東へ進んだ。

 すると、次に問題になってきたのは食料だ。


 メドゥリアさんを含め、ほとんどの者が突然の襲撃に着の身着のままで逃げ出したため、十分な食料や水を確保していなかった。

 水は、節約するしかない。移動中に沢などがあればそこで補給し、次の水源まで大切に消費する。


 食料はというと。


 なんということでしょう。

 僕とルイララまで、食糧難に陥っていました。

 だって、僕たちの荷物はアレスちゃんが収納しているんだよ。そのアレスちゃんが、ここ数日は帰ってきていない。

 つまり、せっかく禁領で大量に確保したはずの保存食が、手元にないってことです!


 アレスちゃん、早く帰ってきて!


 食料が乏しくなり始めたので、仕方なく旅路の途中で狩りをすることになった。


「こやつらを連れて行け。少しは役に立つだろう」


 と気を利かせたつもりで進言してきたのは、宿屋でお世話になったガンジャリオ爺さんだった。

 ガンジャリオ爺さんも、さすがは元上級魔族。あの程度の騒ぎは子供があげる雑音程度のものだったらしい。とはいえ、今後のことを考えて、都市をあとにしていた。

 僕たちが匿われていることを知らない状態で、領主が逃げ出しているところに便乗したらしい。

 ガンジャリオ爺さんが連れてきたのは、見覚えのある痩せた男性だった。あと二人、同じように痩せた少年が二人いたけど、この二人も微かに覚えている。騒動の時に痩せた女性が納屋なやへと走って行ったあと、そこから慌てて飛び出してきた奴隷の人のなかにいたような気がする。


「はは、足手まといだね」

「こらっ、ルイララ!」


 ガンジャリオ爺さんの親切心に、心ない言葉を口にしたルイララをとがめる。

 痩せた男性と二人の少年は、複雑そうな表情をしていたけど、不満を口にすることはなかった。

 もし反論でもしようなら、主人かルイララ、もしくは彼らが見過ごしても他の魔族からひどい仕打ちを受けるかもしれない。それがわかっているから、なにを言われても、なにをされても反抗できない。それが魔族に仕える奴隷の人たちだ。


 ちょっぴり雰囲気の悪くなった気配を吹き飛ばすように、僕が笑顔でお願いします、と手を出したら、躊躇ためらいがちに握り返してくれた。


「それじゃあ、狩りに行ってくるよ」

「僕は牛肉が食べたいな」

「竜族じゃあるまいし……。頑張って探してみるよ」


 僕はもう、ルイララに敬語なんて使っていない。

 ルイララと親しく話してる姿は、都市から逃げ出す際に、周りにいた魔族には目撃されてしまっている。それなら、気楽にいつも通りが一番いい。


 僕はガンジャリオ爺さんの三人の奴隷を連れて、近くの林に足を向けた。


 そして、すぐさま引き返してきた。


「ねえ、解体用の短剣を貸して!」


 なな、なんということでしょう!

 僕の装備、つまり白剣と霊樹の木刀もアレスちゃんに渡していたために、手持ちの武器がありません。

 素手、というか竜術で獲物を狩ることはできるけど、解体ができないからね。

 やれやれ、とルイララはため息を吐きながら、懐の短剣を貸してくれた。

 さすがは剣術万歳少年。

 アユラさんが貸してくれた鉱石の短剣ほどではなかったけど、業物わざもので切れ味が良さそうです。

 お礼を言って、先で待っている三人に合流し、今度こそ林のなかへと入っていった。






「いやあ、さすがはエルネア君だね。これで二、三日は食料の心配をしなくて済むね」

「でも、あとどれくらいで死霊都市にたどり着けるんだろう?」

「現状の速さで進んで、あと十日ほどでしょうか」


 僕の質問に答えてくれたのは、メドゥリアさんだ。

 収穫してきた大量の肉を見て、少し驚いている。


「重くはなかったですか?」

「ええっと、体力はあるので」


 はにかむ僕。

 というのも、本日僕が収穫してきた肉は、羊が二頭、猪が一頭という、到底ひとりでは持ちきれない量の肉だったから。


 狩場で不要な部位は処理し、事前に準備していた袋にお肉を入れて持ち帰ってきたんだけど。連れて行った三人は、荷物持ちとしてはあまり役に立たなかった。

 どうも、移動だけで体力を消費しちゃったみたい。そのあと、僕が狩った獲物の解体は手伝ってくれたけど、肉詰めの袋を持てるほどの力は残っていなかった。

 聞けば、逃げ出して二日ほど。食糧難からほとんどなにも食べていなかったらしい。

 現地でこっそり、お肉を少し食べたのは内緒です。


 ちなみに、三人で行動しているときは空間跳躍を使わなかった。

 獲物を仕留めるときにだけ使ったけど、三人は林の途中で待機してもらっていたからね。

 ひとりで獲物を狩り、三人が待つ場所に持ってきて解体。三人が解体している間に、また僕が狩りに出る、と手分けして働いたおかげで、短時間にこれだけのお肉を確保することができた。


 僕たちだけでなく、他の魔族も奴隷の人たちに食料確保を言いつけていた。

 だけど、一番の収穫は僕たちだ。


 ふっふっふっ。

 竜人族の人たち相手に、竜峰で狩りを競ってきた僕ですよ。

 負けるはずがありません。


 そして、集めた食料は逃避行中の全員で分けることになった。

 僕たちの収穫物だけじゃなく。他の人たちが集めた山菜や果実を一旦集めて、魔族に均等に分配していく。魔族が抱えている奴隷の人たちの分も含めての、均等割りだ。

 分配の作業は、メドゥリアさんの配下が仕切っていた。そのおかけで、争いもなく食料は行き渡る。


 まあ、メドゥリアさんに匿われている僕が最も大量に食料を確保したわけで、それをもらう人たちが不満を言うわけがない。

 不満を言うようなら、次回からは分けませんからね!


 配給を受け取った魔族が、きちんと奴隷たちに分配するのか、それはそれぞれの魔族の領分だ。僕が口出しできる範疇はんちゅうを超えている。

 念のために、長旅の体力が取れるように奴隷の人たちにも十分な食料を与えるように、と配給役の魔族に言ってもらうようにお願いしたんだけど。

 どうか、魔族にも良心がありますように、と願うことしかできなかった。


 僕は、メドゥリアさんたちの輪に混じって夕食を食べた。

 そして、早めに就寝する。

 夜の見張りは、他の人たちがしてくれるらしい。


 ルイララの側で、横になる。近くでは、メドゥリアさんや他の魔族も横になっていた。

 毛布もなにもない。

 春過ぎで良かったね。これが冬だったら、寒さで脱落者が大勢出ていたかもしれない。


 横になった状態で、歩いてきた荒野を見つめる。

 もう、真っ赤に染まる夜空は見えない。どこまでも綺麗な星空が続いているだけ。

 魔族の国でも、星空は綺麗なんだね。

 だけど、綺麗な空の下では、今でも残虐なことが行われているんだ。

 地方都市を占領した野盗たちは、今ごろ傍若無人な振る舞いをしているだろうね。逃げ遅れた人たちがどうなっているのか、と考えただけで嫌な気分になる。


 ぼんやりと西に広がる星空を眺めていると、次第に睡魔が襲ってきた。

 僕は静かに目を閉じ、眠りについた。






 じゃり、と何者かの忍ばせた足音に気づき目が覚めたのは、夜中過ぎ。


 誰だろう。

 見張りの人かな?

 眠れない人が歩いているのかな?


 目を閉じたまま、なんとなく気配を探る。

 足音は、静かにこちらへと近づいてきた。


 それだけなら良かったんだけど……


 近づいてくる何者かに潜む、微かな殺気。

 向けられているのは、もしかして僕?


 僕の周りにいる人はルイララを含め、みんな寝ている。

 寝ている人の間をって、殺気を身の内に秘めた何者かが迫る。


 近くには、避難民をまとめているメドゥリアさんも寝ている。

 周りに迷惑にならないうちに取り押さえちゃった方がいいよね、ということで動こうとした。

 でも、どうやら暗殺者は素人で、張り詰めた自分の心に耐え切れなかったらしい。


「うわあああぁっっっ!」


 なぜか暗殺者の方が悲鳴に似た叫びをあげながら、僕に向かって一気に走り寄ってきた。


「ぐうっ!」


 そして、あっさりと取り押さえられる暗殺者。

 横になった姿勢から、僕は空間跳躍で暗殺者の背後に回り込む。そして、刃物を持った腕を後ろ手に極めて、地面に押し倒した。

 片膝かたひざを背中に押し付け、身動きできないように地面に縛り付けて暗殺者の顔を確認し、僕は絶句した。


「やあ、これは困ったね。まさか、同族に命を狙われるなんてね」


 ルイララがむくり、と起き上がる。同じように、周りで寝ていた魔族たちも起き上がり、僕が取り押さえた暗殺者を怒気を含んだ瞳で睨んだ。

 どうやら、全員が狸寝入たぬきねいりだったみたい。


「それで、どうするんだい、エルネア君。君に殺意を向けたんだ。殺しちゃう?」


 ルイララの、のほほんとした言葉に、僕は顔をしかめることしかできない。そして、取り押さえた人物を複雑な瞳で見つめる。


「どうして、僕を……」


 僕の膝の下でうめく男。それは、ガンジャリオ爺さんの奴隷の、痩せた男性だった。

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