支配者の采配

「みんな、走って!」


 と、言われるまでもなく、奴隷の人たちは悲鳴をあげて逃げ出していた。

 地方都市から逃げ出してきた者、または、これまでの道中で合流したほとんどの魔族たち、その誰もが、戦う気など最初から持ってなどいない。自身の奴隷たちさえ見捨てて、我先にと死霊都市がある方角へに向かって逃げ出す魔族と、それを必死に追いかける奴隷の人たち。

 それでも数人の魔族と、メドゥリアさんの配下だけは、みんな、というかご主人様を守るように武器を構えていた。だけど、表情を見れば全員が不安そうな顔をしていて、士気は極めて低い。


 それもそのはず。

 地響きをあげて地平線の先から迫ってきている集団は、数百人規模の大部隊だった。


「あれは、騎犬部隊きけんぶたいだね」


 逃げる人たちの殿しんがりで走るルイララは後ろを振り返り、能天気に言った。


「なにそれ?」

「馬の代わりに大型犬に騎乗した部隊さ。魔族も空を飛べない者は馬を基本的には利用するんだけど。こういった辺境では、起伏の激しい荒野でも駆け回れる、ああしたけものの部隊が好まれて編成されるんだ」


 僕も振り返り、距離を詰めてくる騎犬部隊とやらを見る。


「嘘だ! あんな犬なんて見たことありません!」


 てっきり、獅子ししひょうくらいの大きさの犬にまたがった部隊なんだろうな、と思いきや。

 騎馬よりもひとまわり大きな胴体。太い四肢。凶暴な顔に悪魔のような口と牙をした超大型犬の背中に、三人ずつくらいが騎乗していた。

 ひとりが手綱を持ち、他の二人が武器を構えている。

 三人ひと組で騎乗した騎犬部隊が数百人規模で雄叫びをあげ、迫っていた。


 そりゃあ、魔族でも逃げますとも!


 一目散に逃げ出した魔族の一部は、すでに遥か先に行ってしまっている。

 僕たちは、悲鳴をあげて逃げる奴隷の人たちの最後尾で走っていたけど、絶対に振り切れない。

 このままでは、もうまもなく追いつかれて蹂躙じゅうりんされてしまうだろう。


「どうしよう?」

「それは、エルネア君次第だね。奴隷を見捨てるも良し。かばうのも良し。ただし、君がここで暴れ過ぎると、これまでの成果が台無しになるとは思うよ?」


 ルイララは、自分から好んで迎撃する気は毛頭ないみたい。

 まあ、彼も剣を振るえる状況じゃないからね。剣が振れない戦いには興味がないらしい。


「ど、どうしよう……」


 と悩んでいる間に、いよいよ騎犬部隊に追いつかれた。

 先ずは、矢の雨。

 ただし、こちらを直接は狙ってこない。

 逃げ惑う奴隷の人たちの周りの地面に、無数の矢が突き刺さる。

 警告だ。

 追って来た者たちの目的は、奴隷狩りで間違いない。商品はなるべく多く、傷つけずに確保したいのだろう。


「止まりやがれ!」

「少しでも反抗すれば、容赦なく殺す」

「ぎゃはははっ。いたぶってやるぜ?」


 背後からの恐ろしい言葉に、奴隷の人たちはより一層悲鳴をあげて、恐慌状態に陥っていく。

 このままでは、取り返しがつかない結果になっちゃう。


「ルイララ!」


 僕の切羽詰まった声に、にやりとルイララが笑みを浮かべる。

 くうぅ。ルイララはこの状況を楽しんでいるんだね。

 このまま見過ごせば、どういう惨状になるのかわかっている。そして、どんなに悩もうと僕が導き出す答えも知っている。

 全てを把握したうえで、僕の口から決断を吐き出させようとしているんだ。


「みんな、一箇所に集まって!」


 そう叫んでも、誰も聞いちゃいない。

 仕方なく、僕は竜術を発動させた。


 竜気の結界が周囲に展開され、逃げ惑う奴隷の人たちやメドゥリアさんの家臣の魔族たちをも覆う。

 間一髪、肉薄してきていた騎犬部隊の先頭が結界のふちにぶつかり、跳ね返された。

 すると、他にも突進してきた騎犬部隊の先行が次々と見えない壁にぶつかり、進路を阻まれた。


 見えない謎の障壁に、騎犬部隊の者たちから怒号があがる。

 逃げ惑っていた人たちも、結界の内壁にさえぎられて行く手を阻まれ、混乱する。

 僕は近場の人たち全員を結界に取り込んだことを確認すると、もう一度ルイララを見た。


「ルイララ、お願いします。今回も手伝って!」

「お安い御用さ。そのかわり、ご褒美を期待しておくよ」

「ぐぬぬ、考えておきます」


 ルイララは、僕の言葉を待ってましたとばかりに悪魔的な笑みを見せて、指定した場所から結界を抜け出る。

 ルイララが結界を出た直後。

 大地が溶岩のように真っ赤に染まった。






「外壁だ……」

「信じられない……」

「俺たち、たどり着けたんだ」


 太陽が西の空に随分と傾き始めたころ。

 東の先にようやく見え始めた都市を囲む壁に、誰もが信じられないと声を漏らす。


「本当に……。エルネア君は、あの魔族と互角の実力を持っているのかい?」


 多少の行き違いはあったものの、同じ人族として少しずつ親交を深め始めていた痩せた男性が、恐る恐る聞いてきた。


「ううぅん。ルイララは普段、あんな戦い方はしないからなぁ。純粋な剣術勝負なら遅れはとらないけど、あれは僕でも手を焼きそう……」


 半日ほど前のことを振り返り、僕は苦笑した。

 いま思い出しても、恐ろしさに腰がひける。


 一騎当千、とはまさにルイララのような者を云うんだと思う。

 一方的な蹂躙だった。

 相手も魔族。しかも、地方領主の軍隊が正体だ。

 激しい魔法合戦にでもなると思っていたけど、結果は単純だった。

 ルイララの魔法は絶大で、数百騎の騎犬部隊は一瞬にして地上から消失した。

 溶鉱炉ようこうろと化した大地から炎が吹き出し、瞬く間に騎犬部隊を飲み込んだんだ。


 ルイララは、始祖族を親に持つ子爵位ししゃくいの貴族。

 産まれた時点で爵位を授かるという意味を、ようやく知った。

 始祖族は、その圧倒的な力を自由気ままに使われないように、公爵位こうしゃくいを授けて抑え込む。同じように、始祖たる魔族の片鱗へんりんを受け継ぐ子供も、子爵位に封じられる。

 なるほど、危険すぎる。と半日前に深く思い知らされた。


 ルイララは今、家臣や奴隷の人たちを見捨てなかったメドゥリアさんと談笑しながらついてきていた。

 結局、奴隷狩りが襲ってきたときに居残った魔族は、メドゥリアさんとその家臣たち。あとは、ガンジャリオ爺さんといった自分くらいなら生き残れるといった魔族だけで、残りの大多数の魔族は、騎犬部隊をルイララが全滅させた後も戻って来なかった。


 そして、その戻って来なかった魔族たちはというと。


「おおいっ、開けやがれ!」

「中に入れろ!」


 と、死霊都市の外門前で暴れていた。

 だけど外門はぴったりと閉じられていて、魔族たちの応答に答える様子はない。

 気配を探ると、外壁の上や裏側に複数の魔族が集まっていることが伺えたけど、外の魔族たちに反応する気はないみたい。


 死霊都市を囲む壁の外で騒ぐ、僕たちを見捨てた魔族たち。

 僕のお願いを聞いてくれるルイララや、身内を守ろうとするメドゥリアさんと同じ魔族とは到底思えません。

 というか、この自分本位な性格こそが魔族の正体なのかもしれないけど。

 やっぱり、自分の奴隷さえも見捨てたことは許せない。


 僕たちが外壁まで到着すると、無事だったのか、と驚きの表情で逃げ出した魔族に迎えられた。


「おい、お前がこの都市の領主なんだろう? さっさと俺たちを中へ入れろ!」


 ひとりの魔族が僕に食いかかってきた。

 本当に、この人たちは……


 ちょっと睨みつつ対応しようとしたら、食いかかってきた魔族の胸に突然、大穴が空いた。

 血を吹き、地面に倒れて絶命する魔族。

 予想外の惨劇に、奴隷の人たちが悲鳴をあげて騒ぎ出す。


「やれやれ。小童こわっぱが」


 魔族の胸に大穴を開けたのは、ガンジャリオ爺さんだった。

 ガンジャリオ爺さんは冷たい瞳で、先に逃げ出した魔族たちを見据える。

 元上級魔族の睨みに、魔族たちが凍りついた。


 どうやら、ガンジャリオ爺さんも我先にと逃げ出した魔族を不愉快に思っているみたい。

 見ると、メドゥリアさんや家臣の魔族たちも、怒気を含んだ瞳で外門前の魔族たちを睨んでいた。

 そりゃあ、そうか。下手をすれば、みんな奴隷狩りにあっていたんだ。保身優先で逃げ出した者が恨まれても仕方がない。


「エルネア君、彼らも殺しちゃう? 彼らは居なくても問題ない者たちだよね」

「ルイララ、駄目だよ」


 物騒な物言いのルイララをたしなめる。

 たしかに、逃げ出した魔族は役に立たないし、うらぶしのひとつでも言いたい。取り残された僕たちには、苦情を言う権利くらいはあると思うんだ。

 でも、ここまで来て新たな血は見たくない。


「まず、はっきりさせておこうと思う」


 考えをまとめ、周囲に集まった全員に聞こえるように、声を張りあげる。


「さっきの奴隷狩りから全員無事に逃げ延びられたのは、ルイララのおかげだよ」

「いやあ、エルネア君に直接そう言われると、背中がかゆくなるね」

「うん。でも、事実だし」

「だけどさ。僕はたしかに騎犬部隊を全滅させたけど、みんなを守り抜いたのは君だよ? 僕はエルネア君の命以外は頓着とんちゃくがないからね。エルネア君が結界を張っていなかったら、君以外は全員が死んでいたと思うんだ」


 ルイララの軽い口調に、みんながぎょっと目を見開いた。


「それは、まぁ、そうかもしれないけど。でもやっぱり、一番の功績はルイララだよ。奴隷狩りを返り討ちにできてなかったら、今も危機的状況だったかもしれないしね。そして、全く貢献こうけんしなかったのは、貴方たちだ!」


 僕は、あのとき我先にと逃げ出した魔族を指差した。


「自分の命が大事、という気持ちはわからなくはないよ。でも、他の人たちを見捨てて逃げるのはどうだろう?」

「ま、待て。たしかに逃げ出したが、あのときはああするしか……」

「そうだ。居残っても殺されるだけだ。逃げることしかできなかったんだ、俺たちは」

「奴隷や他の連中も役には立たなかったんだろう! それは、逃げて役に立たなかった俺たちと同じじゃないか!」


 僕の言葉に反論する魔族たち。


「そうだね。逃げ切った君たちと、逃げ切れずに僕やエルネア君に保護された人たちは、結果だけを見ればどちらも役に立たなかったと言えるかな」

「ううん。違うよ、ルイララ。結果は同じじゃない」


 ルイララの言葉を否定する。そして、僕は裁定さいていを下す。


「あのとき逃げ出さずに自分の奴隷や家臣を見捨てなかった人たちは、つまり財産を守ったということだと思う。それにひきかえ、一目散に逃げた貴方たちは、財産を手放してでも自分の命を優先した、と判断するよ。そういうわけで、貴方たちの全財産を没収しようと思う。一度捨てたんだから、今更所有権は主張しないでね!」


 なにを言っているんだ、といらついた言葉を発した魔族を無視し、話を進める。


「一番の功労者は、やっぱりルイララだと思うんだ。だから、逃げ出した人の財産は全て、ルイララへ。それを護ってくれた彼に対する報酬にします」

「……エルネア君、ちょっといいかな」

「なにかな?」

「全財産とはつまりさ、金品や家財。それと、所有していた奴隷たちを指すのかな?」

「そうだよ。魔族の国では、奴隷の人たちも所有物扱いなんだよね」


 もの扱いされている奴隷の人たちにはちょっと言葉が痛いだろうけど、少し我慢してもらおう。

 僕の言葉に、ルイララは苦笑した。


「たしかにご褒美を要求はしたけどさ……。こんな辺境で、奴隷やすずめの涙程度の財宝を貰っても、逆に困るんだけど」

「まあ、そうだよね。じゃあ、どうしよう?」


 僕の瞳に、ルイララはやれやれ、とため息吐いた。

 僕の思惑を理解したらしい。

 ルイララの思惑に振り回されることが多い最近だけど、たまにはやり返したいからね。

 にやりと笑うと、魔族より極悪だよ、と笑われた。


 気のせいです!


「僕はもともと領地持ちの貴族だからね。異邦の地で、しかも陛下以外から報酬を貰うわけにはいかない。持って帰れないし。だからさ、僕への報酬は全て、親友のエルネア君に譲るよ。エルネア君がもうひとりの功労者だし、資格はあるよね」


 ルイララの申し出で、今回の騒動に関しての報酬が僕の手に渡った。


「ええっとね。それを言うなら、僕も貰えないよ。だって、僕はこの国の者じゃないしね」

「目の前の死霊都市は、エルネア君のものだよ」

「うん。そうらしいね……」


 ルイララは陽気に言うけど、正直に言って魔族の国で領地や家臣や奴隷は欲しくない。

 そこで、僕はメドゥリアさんを見た。

 メドゥリアさんは、なんでしょう、と疑問の視線を返してくる。

 周りの人たちも、次に僕がなにを言い出すのだろうと固唾かたずを飲んで見守っている。

 ガンジャリオ爺さんなんて、面白い見世物だと瞳を輝かせていた。


「ルイララが言うには、この死霊都市の領主は僕らしい。だけど、さっきも言ったように、僕はもともとこの国の者じゃない。だから、都市の管理なんてとてもじゃないけどできないと思うんだ。そこで、死霊都市の運営はメドゥリアさんにお願いしようと思う」

「はい?」


 僕の言葉が理解できなかったのか、メドゥリアさんは艶かしく小首を傾げた。


「メドゥリアさんは地方都市の領主をしていたわけだし、管理運営くらいできますよね。本当は全てを譲り渡したいところなんですけど、それじゃあ、今まで僕のためにここを守ってきた黒翼の魔族の部隊に申し訳がないから。だから、僕の代わりにメドゥリアさんが死霊都市の管理と運営をしてください。そしてそのメドゥリアさんに、今回僕がルイララから譲られた報酬の全てを譲渡します。都市を管理してもらう手数料と思ってもらえればいいかな?」

「あはは。エルネア君、普通は都市の運営をさせてやるから、上納を命令するところだと思うんだけど?」

「違うよ。お願いしているのはこちらだから、僕の方が手数料を払うんだよ」

「まったく、人族は変な思考だね」

「それを言うなら、僕から見れば魔族も変な思考だよ」

「エルネア殿、ルイララ様……」


 メドゥリアさんが困った表情をしていた。

 もしかすると、一番振り回されているのはこの人かもしれない。


「そんなわけで、メドゥリアさんに代理の領主へ就任してもらう。逃げた人たちの全財産はメドゥリアさんへ。これで良いかな?」


 僕は周りの魔族や、逃げ延びた奴隷の人たちに確認を取る。そして、もうひとつの勢力。外壁の上や外門の内側で様子を伺っている黒翼の魔族の人たちに確かめるように言った。


 ごごご、と低い音を立てて、扉が開く。

 内側から、見知った黒翼の魔族が現れた。


「エルネア殿、お待ちしていました。こちらとしては、問題ありません。そのメドゥリアという者がエルネア殿の代わりとしてこの死霊都市の領主に就くことを了承しましょう」


 大きな声で会話をした理由は、この場の全員に話が聞こえるようにするため。そして、この場の全員とは、壁の向こうで息を潜めて様子を伺っていた黒翼の魔族の部隊も含まれていた。

 僕の声。ルイララの声。気配は消していても、見知っているひとなら声で僕たちの正体はわかるはず。

 思惑通り、僕とルイララの声に反応して外門を開けてくれた黒翼の魔族に導かれて、僕たちはとうとう死霊都市に足を踏み入れた。


 僕はほっと胸を撫で下ろす。

 全員を無事に死霊都市まで導くことができた。

 それともうひとつ。

 不遇な扱いを受けていた奴隷の人たちの主人を入れ替えることができた。

 メドゥリアさんは、危機が迫っていた領主の館でも奴隷の人たちに対してひどい扱いをしていなかった。奴隷狩りが迫ったときも、メドゥリアさんが居残ってくれたおかげで、家臣の魔族も応戦の姿勢を見せてくれていたんだ。

 彼女も魔族だけど、他の魔族よりかは遥かに優しい。そのメドゥリアさんに多くの奴隷の人たちを委譲いじょうできたことで、少しだけ僕の気は晴れた。


 現在の僕が、奴隷の人たちにしてあげられることはこれくらいだ。

 これ以上の待遇改善は、自分たちで努力をしてもらいたいところです。


 都市の外と内を区切る扉を潜ると、いつか見た光景が広がっていた。

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