休息と旅立ち

 死者の都。

 誰もが恐ろしい想像を抱く都市はしかし、訪れた者たちを驚かせた。


「本当に、ここがあの悪名高い死霊都市なのか……?」


 えええっ!

 悪名高いんですか?

 初耳ですよ!


 誰かの呟きに、そこの支配者は僕らしいんです、と悲しくなってくる。

 だけど、眼前に広がる景色はおどろおどろしさも不気味さもない、ごく普通に整備された街並みだった。


「お帰りなさい、エルネア殿」

「ただいま。……って、ちょっと待って。いかにもここが僕の帰る場所みたいに言わないでね」

「ですが、陛下の命で、エルネア殿が戻るまで死守するように言付ことづかっていますので」

「やっぱり、あの人は僕を……」

「魔王まっしぐらだね」

「ええい、それを言うな!」


 にやけるルイララの口を封じ、黒翼の魔族の指揮官に挨拶をする。

 指揮官は見知った人で、いつの間にかルイセイネと仲良くなっていた人だ。

 これまでの苦労をねぎらい、これからもよろしくお願いしますと頭を下げる。そして、メドゥリアさんの紹介とこれまでの経緯を説明した。

 僕たちが取り込みの間、ここまで一緒に避難してきた人たちは物珍しそうに都市を見回っていた。

 都市構造は他の魔族の都市と同じだと思うんだけど。やはり、死霊が暮らしていたということで興味があるみたい。

 だけど、やはり死霊が怖いのか、物珍しそうに見回る人たちは僕の視界が届かない場所までは行かない。

 どうやら、僕の近くにいれば安全だとでも思っているらしい。


「……それでですね。この人たちをしばらく、ここで保護してほしいんです」

「事情は理解しました。しかし、関係者以外はこの都市へ入れるなとも命じられていまして……」

「魔王に?」

「まさに」

「でも、僕がこの都市の支配権を持っているんですよね? 支配者のお願いと魔王のお願いはどっちが上なのかな?」

「エルネア君は人を困らせるのが上手いなぁ」

「いやいや、ルイララ。これは、はっきりさせておいた方が良いんだ。じゃないと、先々に問題が生じちゃうよ」

「と言うと?」

「つまりさ。黒翼の魔族の人たちは、これまでは巨人の魔王の命令でこの都市を守ってきた。でも、僕がここへ来たことで、命令を完遂かんすいできたんだよね。それじゃあ、これから先はどうなるのかな?」

「エルネア君が来たとはいっても、ずっと滞在するわけじゃないから、彼らはこれからもこの都市を守る任務が続くだろうね。陛下の撤退命令が出るまでは」

「やっぱり、そうだよね。だけどね。そうすると、複雑にならないかな?」

「なにがかな?」

「これから先、呼び込んだ人たちとの間で問題が起きた場合に、僕の立場を優先させるのか、魔王の命令を優先させるのかってことだよ」

「死霊都市の支配者の命令か、魔王の命令か、か。でも黒翼の魔族の部隊は陛下直属の親衛隊だから、天秤てんびんにかけるまでもなく陛下の命令をとると思うよ?」

「じゃあさ、支配者らしい僕が黒翼の魔族の人たちに出て行け、と言ったらどうなるの?」

「それは……。支配者は出て行けと言う。だけど彼らは陛下の命令でここを守らなきゃいけない。ううーん……」

「それって、僕のためにここを守り続けてくれていたのに、魔王の命令を遂行するために僕と対立しなきゃいけなくなるよね?」

「陛下の命令を継続させるためには、理不尽な要求をするエルネア君を排除しないといけなくなる、という矛盾むじゅんだね」

「そう、それ!」

「たしかに、そうなると困ったことになるかな?」

「もちろん、僕はそんな要求はしないんだけど。でも、根本的な問題は見えたよね」


 これまでは、純粋に巨人の魔王の命令に従っていればよかった黒翼の魔族の人たち。でも、僕が来た。

 僕が持つ死霊都市に関する権限を委譲されたメドゥリアさんが滞在する。さらに、難民も受け入れてもらっている。そうなると、いま話したようなお互いの立場の問題が発生したときに、どう対処すれば良いのかがわからなくなる。

 だから真っ先に、都市で保護する人と黒翼の魔族の人たちの立場を明確にしておかなきゃいけない。


「僕はね。これからも黒翼の魔族の人たちにこの都市を守ってもらいたいんだ。もちろん、巨人の魔王が撤退命令を出すまでで良いんだけど。それで、ついでで良いので、僕が許可したこの人たちも、都市にかくまってほしい。メドゥリアさんたちには、自分たちで生活してもらう。メドゥリアさんたちは、黒翼の魔族の人たちに迷惑をかけない。黒翼の魔族は、都市内部で生活する人たちも都市の一部として守ってもらう。ただし、黒翼の魔族の人たちに迷惑がかかるようなら、排除してもらっても構わない。メドゥリアさんたちは追い出されたくなかったら、秩序をもって生活してもらう。これでどうかな?」

「黒翼の守備隊は領主代行の彼女よりも陛下の命令を優先させて良い、ということだね?」

「そういうこと。メドゥリアさんたちは、守備隊の活動には干渉しない。黒翼の魔族は魔王の命令通りに、これからも死霊都市を守ってもらう。ただし、命令遂行に差しさわりが出た場合は、僕に権限を委託されているメドゥリアさんたちでも排除される。最優先は黒翼の魔族の人たちの命令で、メドゥリアさんたちの活動はその庇護ひごもとで、ということだね」

「救ってもらった私どもは、それで異存ありません」


 僕の提案に、メドゥリアさんは即答で頷いてくれた。黒翼の魔族も、僕の提案で問題ない、と納得してくれた。

 これで、お互いの立場が明確になったね。

 もしも不満を言うような人がいれば、問答無用で死霊都市から出て行ってもらう。わがままを言う人まで匿うほど、僕もメドゥリアさんも黒翼の魔族も優しくはないのです。


「食料の備蓄はこちらが十分に持っている。メドゥリア殿たちが自立できるまでは食料くらいなら提供しましょう」

「ありがとうございます」


 ということで、今夜のご飯も黒翼の魔族の人たちに分けてもらった。

 ささやかながら、僕が来たことのお祝いの場を設けてくれて、魔族たちは盛り上がった。

 これで身の安全が確保されたという安心感と、長旅が終わったという疲労感から、誰の顔も緩んでいた。

 僕のお願いで、奴隷の人たちへも十分な食料が配られていた。同じ席で労いあうことはできなかったけど、違う場所から喜びの声が響いていた。


 黒翼の魔族の代表を交えた夕食会では、メドゥリアさんたちがどこに住むかも話し合われた。

 死霊都市はまさに「都市」で、村や街とは規模が違う。死霊たちが浄化され、現在は誰も住んでいない無人の住居が、広い土地に数え切れないくらい建っているんだ。

 その広い都市に、てんでばらばらに住まわれちゃうと、守護する黒翼の魔族の人たちも困っちゃう。


 話し合いの結果、領主代行のメドゥリアさんは都市の中心部にある豪邸がてがわれた。そこに、家臣や大勢の奴隷の人たちと住んでもらう。

 他の魔族たちも、その周辺だけに住んでもらうことにした。

 食料の自立のためには、農地をたがやして家畜を飼育しなきゃいけない。

 その辺の用地は、メドゥリアさんと黒翼の魔族の人たちにお任せした。


「よかった。一時はどうなるかと心配したけど、丸く収まりそうだね」

「エルネア君が魔王に収まると、全てが完結すると思うんだけどねぇ」

「それは、ルイララや魔王の思惑が完結するだけだよね!」

「はっはっはっ、気のせいだよ」

「絶対に気のせいじゃなーいっ!」


 夕食を終え、僕だけ自由に選んだ建物に入って休もうとしたら。

 当たり前のようにルイララがついてきた。


 そういえば、ルイララの休む場所を決めてなかったね。

 というか、君も巨人の魔王の配下なら、黒翼の魔族の人たちが寝泊まりに使っている兵舎に行ってほいしです。

 僕の久々の安息を邪魔しないでほしいです。


 お休みなさい、とルイララを追い出そうとしたけど、出て行ってくれなかった。


「いいじゃないか、今夜は一緒に寝ようよ? お互いに苦労したし、今夜は労い会おうよ」

「嫌だっ。絶対に嫌だーっ」

「嫌よ嫌よもなんとやら、と言うし」

「その嫌とは違うー。ルイララとは絶対、一緒に寝ないんだからねっ」


 しかし、僕の拒絶はルイララには通用しなかった。

 ぴったりと僕にくっついて離れないルイララは、寝床にまでついてくる。

 そして「あっちに行け」「いいじゃないか」と乳繰ちちくり合っているうちに、僕とルイララは揃って眠りに落ちた。






 翌朝。

 まどろむ意識で寝返りを打つ。

 久々の寝台。暖かい布団。

 そして、むにゅりと素敵な感触。

 ああ、なんて幸せだろう。

 僕は甘い香りの柔らかい物体に顔を埋めて、惰眠だみんむさぼる。

 とろん、と人を惑わせる甘さ。そのなかにも自然の瑞々みずみずしいさわやかさを秘めた香り。

 そう。それはまるで……


 まるで?


 はっ、と覚醒かくせいする。

 顔を埋める柔らかな物体を手にふくみ、むにゅむにゅと確かめる。そして、がばりと起き上がった。


「おはよう」

「お、おはよう、ございます……。アレスさん」


 素敵な物体は、アレスさんのお胸様だった!


 おお、なんということでしょう。

 昨夜はルイララと嫌々ながらも一緒に寝たはずなのに、朝眼が覚めると、アレスさんに変わっていました。

 いったい、ルイララはどこに?

 見渡したけど、ルイララの姿は部屋のどこにもなかった。


「アレスさん、お久しぶり」

「うむ。久しいわね。息災そくさいだったかしら?」

「なんとか。でも、アレスさんがいなくて色々と困ったんだよ」


 ルイララ?

 姿は見えないけど、きっと大丈夫じゃないかな?

 心配するだけ無駄です。

 僕はアレスさんと久々の会話を交わしながら、建物を出た。すると、庭の木に逆さに吊るされたルイララが……

 いや、僕はなにも見ていません!


「ひどいよねぇ、エルネア君は」


 いやいや、僕のせいじゃないからね、と心のなかで、どこからともなく聞こえてきた謎の声に返答し、そのままアレスさんと過ぎ去る。


 早朝の街をアレスさんと散歩する。

 久々の再会だったので、お互いに近況を報告し合う。

 ううう……。向こうは恐ろしいことになっているみたい。早く戻らないと、痺れを切らす人が出てきそうです。というか、暴走女子をミストラルとルイセイネが必死に抑えているらしい。

 ごめんなさい……


 アレスさんと散歩をしながら、風景を見渡す。

 死霊が暮らしていたとは到底思えない、綺麗な街並みだ。

 死霊都市にはほんの数日しか滞在しなかったけど、覚えていた懐かしい景色に嬉しくなる。

 僕はえているのかな?

 普通の街並みや平穏な日々に。


 散歩をしていると、メドゥリアさんのお屋敷前に来た。

 到着した翌日のしかも早朝だというのに、早くもお屋敷の掃除をしている人たちが見える。

 昨日までの長旅で疲れが取れ切っていないはずなのに、彼らの表情はどことなく明るい。

 僕は、掃除をしている人たちに挨拶を交わしながら、お屋敷に入る。

 魔族は久々の安寧あんねいで、今もぐっすり眠っているのかな? 忙しく動き回る人は、全員が奴隷の人たちだ。

 建物は死霊が暮らしていたときのままで損傷はないけど、使われていなかったせいかほこりっぽい。だから、急いで掃除をしているんだね。


 邪魔しちゃ悪いかな、と思っていたら用事のある人の方から現れてくれた。

 二階の階段から降りてきたのは、メドゥリアさんだ。


「おはようございます。こんな早朝にどうなさいましたか? あら? ルイララ様が女体化されてます?」

「あ、メドゥリアさん。おはようございます。こちらはアレスさんです」

「昨日までは見なかったお方ですね。困りました、エルネア殿にはすでに親しい女性がいらっしゃったとは」

「ふふふ、其方の居場所はないわよ?」

「ええっと、こんなところで女の戦いを始めないでね」


 妖艶な二人が早朝から火花を散らしています。

 アレスさんは遠慮なく僕の腕に絡みついてきて、勝ち誇ったように笑みを浮かべている。

 メドゥリアさんは艶かしい視線と仕草で、僕を誘惑しようとしてきた。

 慌てて二人をなだめる僕。


「あははっ。これは他のお嫁さんたちに報告だね」

「くっ、ルイララめ。もうあそこから脱出してきたんだね」

「いやあ、エルネア君は本当にひどいよね」

「いやいや、君を縛り上げたのは、アレスさんだからね!」

「でも、助けてくれなかったよね」

「……気のせいです」


 どうやら無事に抜け出たルイララの登場で、さらなる修羅場か、と思ったけど。

 朝のたわむれは終わったらしい。

 メドゥリアさんは僕への色目を止めて「それで、ご用件は?」と本題に入ってきた。

 この人は本来、優秀な領主なんだろうね。遊びと仕事をきっちりと分けていて、必要な態度をすぐに取れる。

 今も、朝早くから僕がお屋敷を訪ねてきたことで大切な用事があると気づいたんだろうね。


「はい、実はですね。僕は出発しようと思って」

「昨日に到着したばかりですに、もう旅立たれるのですか?」


 メドゥリアさんは、僕から権限委譲された時点で、僕がここには長居しないということに気づいていたみたい。だけど、すぐに出て行くとは思っていなかったようで、少し驚いた表情をしていた。


「はい。僕には大切な用事がありますから」

「そうなのですね。エルネア殿とルイララ様が居なくなるのは寂しいですが、ここの管理はお任せください」

「お願いします。落ち着いたら、また遊びに来ますので」

「いつまでもお待ちしております」


 僕たちは別れの挨拶を交わす。

 名残惜しいけど、僕は悠長ゆうちょうに休んでいる暇はないからね。ゆっくりしたいなら、それは問題を解決してからだ。

 アレスさんが戻ってきてくれたし、これからまた、お忍びの旅へと戻る。そして、一日でも早くギルラードをやっつけて、平穏な日々を取り返すんだ。


「あ、そうだ」


 僕はあることを思いつき、アレスさんに謎の空間から一本の糸を取り出してもらった。

 取り出した糸を、メドゥリアさんに渡す。


「糸、ですか?」


 メドゥリアさんは糸の価値がわからなかったのか、自身の髪の毛くらいの長さの糸を不思議そうに見つめる。


「それは、千手の蜘蛛の糸です」

「はいっ!?」


 僕の突飛とっぴな発言に驚き、糸を落としそうになるメドゥリアさん。


「その糸を、メドゥリアさんにあげます。魔王でも滅多に手に入れられない糸らしいですよ」

「そ、そのようなものを頂いてもよろしいのですか?」

「はい。もしもお金に困ったら、それを売ってくださいね」

「いいえ、このような貴重なものを売るだなんて、そんなことはできません」


 しげしげと、僕から渡された糸を見つめるメドゥリアさん。

 千手の蜘蛛の糸は、短い一本でも高額で取引されるような最高級の糸らしい。でもまさか、アレスさんがそれを謎の空間に大量に保有しているとは言えません。

 結局、お友達になった千手の蜘蛛のテルルから、僕は大量に糸を貰っていた。


「メドゥリアさん、あとのことはよろしくお願いします。それと、出来れば奴隷の人たちに優しくお願いします」

たまわりました。エルネア殿の意志を、このメドゥリアが引き継がせていただきます」


 こうして、僕は足早に死霊都市をあとにすることになった。

 振り出しに戻った感じのする忍び旅。

 でも、ここから一発逆転。必ずギルラードを倒してみせる。そして、巨人の魔王やルイララの陰謀も阻止してみせるんだ!

 僕とルイララは、黒翼の魔族の人たちにも挨拶を済ませると、そのまま死霊都市をあとにした。

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