乙女たちの春

 きゃっきゃとはしゃぐプリシアちゃんの声がお庭から聞こえてきました。

 いつものように、ニーミアちゃんと遊んでいるのでしょうか。

 プリシアちゃんは、いつも元気に遊んでいます。たまに悪戯をしたり羽目を外しすぎたりしてミストラルさんに怒られることもありますが、反省はちょっとだけ。あとは天真爛漫てんしんらんまんにまた遊びまわります。


 今日は朝からどのような遊びをしているのでしょう、とお庭をのぞき、少しだけ驚きました。

 プリシアちゃんは、金髪の妖艶な女性に抱きかかえられて喜んでいました。

 久しぶりに見る、アレスさんです。いつもの幼女体形ではなく、珍しく大人の姿。きっと、エルネア君のもとから急いでプリシアちゃんのところへと来るために、力を解放したのでしょう。


 エルネア君が行方をくらませて、いったい何日が経ったでしょうか。竜の森で上級魔族に襲撃されたと報告を受けたのが、随分と前のように思えます。

 魔族の襲撃を退しりぞけたエルネア君は、レヴァリア様に乗って東の空へ。その情報はなんと、アームアード王国の第一王子ルビオン様からもたらされました。さらに、エルネア君はシューラネル大河でルイララさんに拉致されて、そこからの足取りが不明になったまま、という状況です。


「きっと、エルネアなりの考えがあっての行動だから、わたしたちは待ちましょう」


 というのがミストラルさんの見解で、わたくしも同意しています。

 ただし、本当はエルネア君のそばに居たいんですよ。我慢しているだけです。

 どこでなにをしているか程度は、わたくしたちだけは知っています。アレスさんがこうしてやって来るのも、エルネア君の近況を知らせるためなのです。


 プリシアちゃんはアレスさんの膝の上に座り、どこから取り出したのか湯気の上がる紫色のお芋をほくほく顏で頰張り始めました。ニーミアちゃんもプリシアちゃんの頭の上に陣取って、アレスさんに皮を剥いてもらったお芋を食べています。

 とても美味しそうに見えます。

 ただし、プリシアちゃんの頭がお芋まみれになっているので、きっとあとでミストラルさんに怒られることでしょう。見つかる前にわたくしが払って差し上げられると良いのですが。

 あっ。ちょっと食べてみたいと思ったのは内緒です。


 エルネア君の実家の豪邸。その中庭で、さんにんは幸せそう。

 可愛い様子を微笑みながら見つめていると、しかしそこに不審者が現れました。


「アレス、見つけたわ。今日こそは連れて行ってもらうわ」

「アレス、見つけたわ。今日こそは一緒に行くわ」


 戦意をたぎらせて中庭に現れたのは、銀髪の健康双子姉妹。ユフィーリアさんとニーナさんでした。

 物騒なことに、お二人は竜奉剣りゅうほうけんを構えています。


「んんっと、危ないよ?」

「プリシアちゃんは離れていなさい。これは大人の戦いだわ」

「プリシアちゃんは離れていなさい。これは女の戦いだわ」


 中庭で楽しくお芋を食べていた昼下がりは一転して、危険な臭いに満ち溢れ出しました。


「いかん、双子様が暴れるぞーっ」

「退避ーっ、全員、退避しろー!」

「逃げろ、逃げろーっ」


 なんということでしょう。

 わたくしと同じように様子を伺っていたお屋敷の衛兵さんたちが、一目散に逃げていきます。

 お屋敷に勤めている方々は、もとは王宮詰めの方々なので、二人の危険性を熟知しているのでしょう。


「さあ、勝負だわ。私が勝ったら、エルネア君のところへ連れて行って」

「さあ、勝負だわ。私が勝ったら、エルネア君に会わせて」


 言って油断なく竜奉剣を構えるユフィーリアさんとニーナさん。対するアレスさんは、膝の上にプリシアちゃんを乗せて芝の上に腰を下ろしたまま、妖艶な笑みを浮かべて二人を見上げていました。


 そうなのです。わたくしとミストラルさんはエルネア君を信じて待っていますが、他の人たちは違います。


「冒険の匂いがするわ」

「楽しそうな予感がするわ」


 と恐ろしいことを口にして、事あるごとにエルネア君のもとに合流しようとするのです。

 今日もまた、力尽くでアレスさんに言いよろうと、物騒な物を持ち出したようです。


 あらあらまあまあ。困りました。

 家族で喧嘩はいけませんよ?


 わたくしは慌てて、自分の薙刀なぎなたを取りに部屋へと戻ります。

 えっ?

 わたくしも物騒?

 気のせいでございます。


 先祖代々受け継いできた大切な薙刀を手に中庭に戻ると、いつの間にかミストラルさんが増えていました。


「貴女たち、騒がしいわよ」


 そう言うミストラルさんの手には、漆黒の片手棍が。

 はい。とても物騒です。一番危険かもしれません。

 もっとこう、平和にお話は進まないのでしょうか


「こんにち……は?」


 ちょうど遊びに来たセリースちゃんが、中庭の剣呑けんのんな雰囲気を見て顔を引きつらせてしまいました。


「ルイセイネ、これは……?」


 躊躇ためらいがちに、わたくしへと質問するセリースちゃん。


「ええっとですね。アレスさんが数日ぶりにこちらへと現れたので、歓迎の儀式です」

「儀式……」


 ユフィーリアさんとニーナさんは竜奉剣を。ミストラルさんは片手棍。そしてわたくしは薙刀を持っています。いったい、どんな物騒な儀式が始まるのだと、セリースちゃんは無言で訴えかけてきます。


 とてもとても、セリースちゃんの視線が痛いです。


「プリシアちゃん、危険ですわ。さあ、こちらへ」


 そこへ、遅れて現れたライラさん。

 ライラさんはアレスさんの膝の上からプリシアちゃんを離すと、中庭の隅へと避難させました。

 ライラさんがああした行動を取るなんて、珍しいです。


 なんて思ってはいけません。


「ニーミアちゃん、こっそり私だけエルネア様のもとへと連れて行ってくださいませ。ほら、お菓子もこんなにありますわ。全部差し上げますので」

「ライラさん、抜け駆けしようとしていますね?」

「うひっ」


 わたくしの指摘に、ライラさんは顔を青くして固まってしまいました。

 やはり、プリシアちゃんとニーミアちゃんを味方につけて、自分だけエルネア君に合流しようという魂胆こんたんでした。

 油断も隙もありません。


 エルネア君を信じて待っているのは、あくまでもわたくしとミストラルさんだけ。あとのユフィーリアさんとニーナさん、それとライラさんは、エルネア君の側で冒険がしたいという危険な派閥です。


「ユフィ姉様、敵が増えたわ」

「ニーナ、邪魔者が現れたわ」


 武器を持ったわたくしとミストラルさんの登場に、ユフィーリアさんとニーナさんが警戒の色を濃くします。


「二人とも、いい加減にしなさい」

「そうですよ。暴力でアレスさんを服従させて、彼女のお願いを聞いてしまうプリシアちゃんとニーミアちゃんを間接的に支配しようという狙いですね」


 遠い土地にいるエルネア君。彼のもとへと行くためには、ニーミアちゃんやレヴァリア様のように空を渡れる翼が必要になります。ですが、レヴァリア様はエルネア君の報告をしたあと、絶対に面倒ごとに巻き込まれると直感したのか、それ以降は竜峰から降りてきていません。

 そして、ミストラルさんがプリシアちゃんに、ユフィーリアさんやニーナさんのお願いは聞いたら駄目よ、と釘を刺している状態です。

 プリシアちゃんとニーミアちゃんは、ミストラルさんが怖いので従っています。しかし、アレスちゃんのお願いは別。アレスちゃんがお願いすると、プリシアちゃんとニーミアちゃんは躊躇いなく悪い子にもなります。

 なので、一番影響力のあるアレスちゃんを屈服させよう、というのが今回のユフィーリアさんとニーナさんの企みでしょう。


「ミストとルイセイネはそう言うけど、二人はエルネア君と一緒に冒険をしたくはないのかしら?」

「ミストとルイセイネはそう言うけど、二人はエルネア君と一緒に居たくはないのかしら?」

「そ、それは……ご一緒したいですけど」

「ルイセイネ? 全員、理解しているでしょう。エルネアがわたしたちになにを望んでいるかは」


 ユフィーリアさんとニーナさんの言葉に心が揺れたのは気のせいです。

 ですが、ミストラルさんの言う通り。

 エルネア君がわたくしたちと離れて行動しているのには、深い理由があるのです。

 魔族からいつまた襲撃があるかわからない状況なので、エルネア君はわたくしたちに故郷を護って欲しいと思っているのです。


 今回は上級魔族が相手で、気配を消すことに優れ、とても危険だと聞いています。

 魔族の再襲撃を警戒して、竜族や竜人族、耳長族の方々が現在もお屋敷に滞在してくれていますが、エルネア君が一番信頼を寄せてくれているのは、わたくしたちなのです。ですから、わたくしたちはエルネア君の期待に沿って、自身の家族やエルネア君のご家族、さらに大勢の関係者を護る必要があるのです。


 気づくと、わたくしたちと同じように王都に滞在している竜人族や耳長族の戦士のみなさんが、周りで瞳を輝かせて見守っていました。

 竜族の方々も、遠巻きにこちらを楽しそうに見ています。

 逃げたはずの衛兵さんやお屋敷で働く使用人さんたちも、建物の陰からわくわく顏で様子を伺っています。

 獣人族のみなさんは研修で出払っていますが、もしも居たら同じように変な視線をこちらに向けていたことでしょう。


 困りますね。野次馬のみなさんは、わたくしたちの争いを期待しているようです。

 アレスさんは周囲の状況に辟易へきえきしたのか、やれやれと深いため息を吐いてようやく立ち上がりました。


「さあ、尋常に勝負だわ」

「さあ、覚悟をする時だわ」

「ほほぅ、覚悟をするのはどちらであろうな?」


 あらあらまあまあ。

 いよいよアレスさんの口調が変わり始めました。

 お二人とも、アレスさんを怒らせるとミストラルさん並みに怖いのですよ。わかっているのでしょうか?


「容赦はせぬぞ。覚悟せよ」

「んんっと、プリシアも協力するね」

「あっ。プリシアちゃん、それは駄目だわっ

「あっ。プリシアちゃん、それは禁じ手だわ」


 ユフィーリアさんとニーナさんが慌てましたが、後の祭り。プリシアちゃんから精霊力を受け取ったアレスさんの輪郭が、黄金色に輝き始めました。

 長い金髪がゆらゆらと揺れています。

 そして、アレスさんは不思議な空間から武器を取り出しました。

 それは、エルネア君の武器。白剣と霊樹の木刀でした。


「な、なんでそれを持っているのかしら!?」

「な、なんて物を持っているのかしら!?」


 これには、状況を伺っていた全員が驚きました。

 アレスさんが白剣と霊樹の木刀を持っているということは、現在のエルネア君は武器無しということです。

 大丈夫なのでしょうか。

 というか、エルネア君は武器無しでいったいなにをしているのでしょう?

 魔族を倒しに行ったのですよね?

 武器無しで、どうやって倒すのでしょう?

 もしや、本当は武器が必要ない?

 そういえば、エルネア君の傍を絶対に離れないはずのアレスさんがこうして別行動をしている時点で、普通じゃありません。


 ま、まさか……!

 疑ってはいけませんが、エルネア君はわたくしたちに隠し事を?

 アレスさんは、エルネア君の絶対的な味方です。

 アレスさんにお暇を与える。行方は伝えても、連れて来ないようにアレスさんにお願いしている。そして、武器が必要ない。


 ふつふつと、心の奥から悪魔が目覚め始めました。

 ミストラルさんもわたくしと同じ心理になったのか、顔が引きつっています。


「アレス、色々と聞きたいのだけれど?」

「ふふふ、聞きたければ力尽くで来ればよかろう?」


 ミストラルさんの言葉に、挑発的な笑みを浮かべるアレスさん。

 望むところだ、とミストラルさんが片手棍を構えました。

 気づけば、わたくしも薙刀を構えていました。


「お覚悟っ!」


 ライラさんが遅れて両手棍を構えます。

 ですが、残念です。

 その両手棍は霊樹製です。

 ライラさんは戦う前に霊樹の両手棍に裏切られて、伸びた枝に絡め取られて戦闘不能になりました。


「忘れてはおらぬだろうな? 其方の薙刀にも、霊樹の力が込められておるのだぞ?」

「あっ」


 そしてわたくしも、戦う前に無力化されました。薙刀が急にずしりと重くなり、慌てて手離そうとしましたが、両手は薙刀のつかに吸い付けられていて、そのまま芝の上に手をついてしまいました。

 薙刀が重すぎて持ち上げられませんし、両手の自由も奪われてしまいました。


 恐るべし、霊樹の精霊。

 霊樹や自然現象は、アレスさんの支配下です。


 ですが、わたくしの武器は薙刀だけではありません。

 わずかに動く指先で紋様を描き、祝詞のりと奏上そうじょうします。


 とはいっても、攻撃法術は禁止です。

 武器は勝負がついたときに寸止めできますが、法術は発動してしまうと止めることができません。

 なので、精神に影響を与える法術です。


 素早く呪縛法術を完成させて、ユフィーリアさんとニーナさんに対峙するアレスさんへと放ちました。


 きぃん、と高音が響き。

 しかし、アレスさんには微塵の影響も及びませんでした。


 そんなっ!?

 わたくしはこれでも戦巫女いくさみこ。攻撃面に関しては、薙刀術も法術も得意なのに……


 アレスさんは、わたくしを見て勝ち誇ったように顎を上げて、笑みを浮かべました。

 そして、不敵な笑みを見せるアレスさんの首元に、見慣れない首飾りがかかっていることに気づいたのは、わたくしだけではありません。


「アレス、それはなにかしら。今まで、そうした首飾りはしていなかったわよね?」


 ミストラルさんの指摘通り。

 綺麗な組紐くみひもに美しい宝玉がれ下がっています。


「ふふふ。これはわらわとエルネアの愛の証」

「んんっとね。テルルちゃんに貰った糸をアーダさんが編んだんだって。玉は魔女さんに作ってもらったって自慢していたの」

「「「「「はいっ!?」」」」」


 わたくしとミストラルさん、ユフィーリアさんとニーナさんとライラさんの声が重なりました。


 テルルちゃん?

 アーダさん?

 それに、魔女さん!?

 エルネア君、貴方はいったいなにをしているんですかっ


「アレス、詳しく話してもらいましょうか!」


 ああ、ミストラルさんが豹変しました。

 これまでは、どちらかというと騒動を収めようとする立場でしたのに、今は明らかにアレスさんへ攻撃の意志を見せています。

 ミストラルさんが本気の証拠。

 瞳が青色に輝き始めました。


『ああ、危険だなぁ』

『一応、建物くらいは結界で護っておくか』

『エルネアに貸しを作っておこう』

『そりゃあ、良い考えだ』

『支払いは肉で』


 能天気に見守っている竜族の方々が、物騒なことを言ってます。

 ですが、もう誰もミストラルさんを止めることはできません。


「にゃあ。今日も平和にゃん」


 ニーミアちゃんは、プリシアちゃんの頭の上で紫色のお芋を食べながら、楽しそうにしていました。






 しかし、王都が消失しかねない騒動は、予想外の乱入者によって終息しました。


「アレス、エルネアの近況を報告せよ。さもなくば、人の都は樹海に沈む」

「そ、それは困りますっ。アレス様、どうか王都をお救いくださいっ」


 突然現れた女性の言葉を聞いて、セリースちゃんが悲鳴をあげました。


 一触即発の中庭に何の前触れもなく現れた女性。

 どことなくアレスさんに雰囲気が似ていますが、初めて見る女性でした。


「あれが妾のもとに来なくなって久しい。アレスよ、其方は近況を報告する義務がある」

「そういえば、そんな役目も負っていたかしら」


 突然現れた女性に、珍しくアレスさんが苦笑しました。


 ああ、なるほど。理解しました。

 存在だけはエルネア君に聞いて知っていました。この女性こそが、スレイグスタ様が守護するあの霊樹に憑く精霊のようです。

 アレスさんがこちらに来ると、この霊樹の精霊にもエルネア君の近況を報告する義務があるのだと、最初に聞きました。


 霊樹の精霊の女性は、中庭に現れると問答無用でお屋敷の敷地を樹海へと変えて、ミストラルさんを含む全員をつたで拘束しました。

 きっと、竜人族の戦士や竜族の方々は抵抗すれば蔦を引きちぎることはできるでしょうが、霊樹の精霊の女性に逆らうわけにはいけません。

 だって、抵抗して機嫌を損ねさせてしまい、お屋敷だけではなくて王都中が樹海に沈んだら、元も子もありませんから。


「さあ、とくと話せ。面白おかしく報告しなさい」


 霊樹の精霊の女性は、なぜか当たり前のようにプリシアちゃんを抱っこして、アレスさんからエルネア君の近況を聴き始めました。


 まさか、禁領で不思議な出会いがあったとは。

 千手せんじゅ蜘蛛くものテルルちゃん?

 あのう、それって猩猩しょうじょうに匹敵すると云われる伝説の魔獣でしょうか……

 ルイララさんと乳繰ちちくり合っている!?

 ちょっとお待ちください!

 聞き捨てなりませんっ。


 アレスさんは要求通りに、面白おかしくお話ししました。

 プリシアちゃんもニーミアちゃんも、エルネア君の冒険譚ぼうけんたんに瞳を輝かせていました。

 ですが、わたくしたちは「いったい何をしているんですか……」と脱力したのでした。


「エルネアめ。随分と楽しそうにやっているな」


 ザンさんが深くため息を吐いていました。

 きっと、帰ってきたらザンさんに絞られることでしょう。

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