攫われた二人

「小さい頃から、ユフィ姉様とニーナ姉様にあこがれていた」


 セフィーナをした影が語る。

 セフィーナは、黙って「自分自身の影」の言葉に耳を傾けていた。


「騒がしい姉様たち。いつも問題ばかり起こす姉様たち。だけど、不思議と誰からも嫌われない。むしろ、何をさせても優等生だと褒められる自分などよりも遥かに多くの者たちから可愛がられ、愛されていたわ」


 深い暗闇の中で、セフィーナは腕を組み、反論することなく影を見つめていた。


「だから、わたしは二人の姉様の背中を追い続けた。自分もああなりたい。自由でいながら、人々に愛される者になりたいと」


 ユフィーリアとニーナの、十五歳の旅立ちの日。

 二人の姉は躊躇ためらうことなく、冒険者となって王宮を飛び出した。

 セフィーナも双子の姉を追うようにして、十五歳の春に迷うことなく冒険者となった。


「姉様たちが活躍するたびに、王宮の者たちは迷惑そうに、だけど愛を込めて話題にしていたわ」


 巫女のマドリーヌと組み、アームアード王国とヨルテニトス王国を股に掛けて活躍する姉たちに、セフィーナは大いに刺激を受けた。


「自分も、いつかは皆から褒め称えられるような存在になりたい。だから、努力したわ。数えきれない土地に足を運び、自分の体と心で見聞を広め、力をつけたわ」


 いつしか、セフィーナという名は「王女」としてではなく「冒険者」として広く世間に広まっていた。


「でも、私が一歩進む間に、姉様たちは二歩進んでいたわ。だから、私はいつまで経っても姉様たちに追いつけず、むしろ引き離されていった」


 そんな時だった。

 ユフィーリアとニーナの婚姻こんいんの話が耳に入ってきたのは。


「私はてっきり、ヨルテニトスの王子殿下と婚姻するのだとばかり思っていたわ。でも、ふたを開けてみたら、全く違っていた。勇者に勝るとも劣らない存在として頭角とうかくを表し始めた竜王の少年と、二人の姉様は恋仲に落ちていたわ」


 エルネア・イース。

 十五歳の春に単身で竜峰へと入り、竜王の称号とともに竜人族の美しい姫をとりこにした可愛い少年。


「どこまでいっても、姉様たちは型破りだった。王族でありながら、政略結婚を打ち砕いた。それどころか、当時、破竹はちくの勢いで存在感を増していたエルネア君の心を射止めた」


 誰が予想していただろう。

 アームアード王国の双子の王女が、竜王という称号を持つとはいえ、まさか貴族でもなんでもない平民の少年と結婚するなどと。

 だが、双子の姉の婚姻話は、こじれるどころか、順調に進んでいた。


「だから、興味を持ったのよ。エルネア・イースという少年に」


 双子の姉を魅了みりょうした少年とは、いったいどのような人物なのか。


「そして、思ったわ。姉様たちを魅了した少年を、自分が虜にしたらどうなるのか」


 果てしなく遠いと思えた双子の背中が、目の前に見えたような気がした。


「最初は、どうやってエルネア君を虜にさせようかと思っていたの」


 あの手この手で誘惑をした。

 時には、王女として有るまじきとわかっていながら、身体で誘惑したこともある。


「でも、気付けば私の方が夢中になっていたわね」


 いま思えば、当然の結果だったかもしれない。

 天真爛漫てんしんらんまんで、何者にも縛られることのなかった双子の姉を射止めた人物だ。姉におとる自分が魅了されないはずがなかったのだ。

 だが、後悔はしていない。

 むしろ、今の自分に幸せを感じている。

 双子の姉たちの背中だけをみていた自分に、新しい景色を見せてくれた。人生をして夢中になれる愛を教えてくれた。

 エルネアと、そして双子の姉たちやみんなと一緒であれば、自分は幸せになれる。


「……でも、それは本心かしら?」


 影が、そこで首を傾げた。


「私は、私。だから、知っているわ。私はいつだって孤高ここう。他者に頼ることなく生きていくことができる」


 双子の姉に憧れていた幼少期。その背中を追って冒険者となった日々。そして、今まで。

 たしかに、セフィーナはひとりだった。

 他者を拒絶したわけではない。仲の良い友や、素晴らしい仲間だって大勢いる。

 だが、肝心な時にはいつもひとりだった。

 誰かの行動に左右されることなく、何者の心にも縛られることはなく。ただひたすらに、孤高だった。


「だから、私は私に、あえて言わせてもらう。私には、エルネア君もユフィ姉様もニーナ姉様もいらない。誰かの手を借りなくても、高みへと昇ることができる」

「……高み?」


 影の言葉を黙して聞いていたセフィーナが、ようやく声を出した。


 高みとはなにか。

 影は、何が言いたいのか。


 影は、セフィーナが求める答えを、素直に吐き出した。


「もう、姉様たちの背中を追いかける道に、私は立っていないわ。今の私は、多くの術を操ることができる。そしていつかは、有りとあらゆる術を自在に操り、術のことわりを知ることができる。そう、エルネア君が側に居なくても。孤高を貫いても、私は高みへと昇り詰めることができるわ」


 なるほど、とセフィーナは小さく頷く。

 自分の写身うつしみだという影が、過去を語る。言葉に出して言われると、なるほどそうかと改めて認識することも多かった。

 だが、影はセフィーナに過去の自分を強く認識させることによって、今の在り方を否定しようとしていたのだ。


 双子の姉の背中を追う必要はなくなった。エルネアや他の者たちに縛られる必要も、本当はない。

 影は、セフィーナの心の奥底に沈む本心を暴く。そういうことなのだ。


 答えを待つように沈黙した影を、セフィーナは見つめ返す。

 次に、組んでいた腕を解く。

 一歩、右足を影に向かって進めた。


 そして、言う。


「それで、御託ごたくは終わりかしら?」


 いぶかしそうに首を傾げた影に、セフィーナは微笑みかけた。


「色々と言われたけれど、だから、なに? そんなことはどうでも良いと、私なら思っているはずよ。だって、そうでしょう?」


 セフィーナは、静かに腰を落とし、拳を軽く握る。

 そして、己の本心を影に教えた。


「自分自身と戦えるなんて、滅多にない経験じゃない? なら、御託を並べる前に、拳をぶつけ合った方が有意義じゃない!」


 言ってセフィーナは、偽りだらけの影に向かって力強く跳躍した。






 失敗した、とミストラルは最初に自分の未熟さを痛感した。


 竜峰で野宿をするのだから、魔獣や妖魔、それに竜族に警戒することは当たり前だった。

 もちろん、竜姫であるミストラルがそこで油断をするはずもない。

 だが、警戒すべきは他にもあったのだ。


 未知の危機が潜む、危険極まりない山峰。

 たとえ竜人族の戦士であっても、竜峰を旅することは生半可ではできない。ましてや、今は猩猩しょうじょうという伝説級の魔獣が去った直後だ。空いた縄張りを奪うように、得体の知れない者どもが蠢き始めているはずだ。

 ならば、普段以上に警戒すべきだった。

 自身の動きを制約する樹洞じゅどうには、こもるべきではなかったのだ。


「……それで、この状況というわけね?」


 漆黒の片手棍を右手に、暗闇の中に佇むミストラル。

 ゆっくりと視界を巡らせるが、どこまでも暗闇が支配していた。

 ただし唯一、自分と暗闇以外に存在する者が、最後に視線を止めた先に立つ。


「なぜだ……」


 見覚えのある影だった。

 忘れてはいけない姿だった。

 ただその輪郭りんかくだけで、何者かがわかる。


「……オルタ」


 ミストラルの正面に立つ影は長身で、幼馴染であるザンと比較しても劣らない屈強な肉体をしていた。

 だが、いつか見たようないびつに曲がったつのはなく、邪悪な翼や尻尾も生えていない。

 かつて、共に切磋琢磨せっさたくましていた頃の姿を形取った影が、暗闇の奥でミストラルを待っていた。


「なぜだ」


 もう一度、オルタの影は呟く。

 哀しそうに。辛そうに。憎そうに。


 ミストラルは、混乱しそうになる思考に冷えた竜気を浴びせ、冷静さを保とうとする。

 だが、冷静であろうとすればするほど、思考が回る。


 なぜ、オルタの影が?

 そもそも、この暗闇はどこなのか。

 暗闇の大気中に、僅かな竜気の流れを感じる。ならば、そういう存在に囚われたということだろうか。

 では、竜峰において自分を一瞬のうちに連れ去り、こうして暗闇の中に閉じ込められるような存在とは何者か。

 闇と影、そして竜気。

 答えが見えたような気がした。


 影は、ミストラルの思案を知ってか知らずか、苦悶くもんにも似た言葉をこぼす。


「なぜだ……。なぜ、俺ではなくあの少年を選んだ……?」

「エルネアのこと?」

「そうだ。なぜ、俺では駄目で、あの小僧なのだ?」

「何を言っているの?」

「なぜ、俺を見捨てたくせに、あいつと幸せそうに暮らせるんだ? 俺とあいつ、いったい何が違う? 俺が竜人族と人族との間の子で力を持たず、あいつが純粋な人族でありながら竜王の称号を持つからか?」

「何を馬鹿なことを!」


 オルタの影の言葉に、ミストラルは叫ばずにはいられなかった。


「貴方とエルネアは違うわ!」


 そもそも、比較することが間違いなのだ。

 オルタとは、ザンと共に幼馴染として育った。仲が良かったかと聞かれれば、間違いなく親友だったと言える。だが、オルタは道を踏み外してしまった。


「貴方を助けられなかったことは、今でも悲しく思うわ。でも、後悔はしていない。だって、あの時の私たちは、全てを賭けて貴方に挑んだのだから」


 辛く、苦しい戦いだった。

 多くの者が死に、その後にも部族間に深い禍根かこんを残す結果となってしまった。

 だが、ミストラルは微塵も後悔などしていない。

 自分たちは、出来うる限りのことをやり尽くしたのだ。その結果から目を逸らすことはない。


「それに、エルネアはわたしに相応しい、立派な夫だわ」


 可愛い年下の夫。だが、いざとなれば誰よりも頼りになるし、正しい結果をミストラルや家族、そして仲間たちにもたらしてくれる。

 だから、幼馴染だったオルタや、今でも大親友であるザンなどと、エルネアを比較などしない。


「だって、わたしは心からエルネアを愛しているから」


 迷いのない言葉に、オルタの影が揺れた。


「俺よりも、あいつを愛するのか……」

「違うわ。過去にも先にも、わたしが愛する人はエルネアだけよ」


 だから、オルタの影の言葉は間違いだ。

 ミストラルの断言に、オルタの影がさらに揺れた。


「そうか……」


 影の言葉は、ミストラルの心を揺らすことはできない。そう悟ったのか、徐々に影が闇へと溶けて消えていく。

 だが、消える間際に、影は最後の言葉を残した。


「……あの少年を愛しているのだな? では、他の妻たちのことはどうだ?」

「どういう意味かしら?」


 問い返すミストラルの前で、オルタの影は完全に消え去った。

 代わりに、新たな影が暗闇の奥から現れる。


「……今度は、わたし?」

「そう。わたしはわたし。貴女の影」


 現れたのは、ミストラルと瓜二つの黒い影だった。

 ミストラルの影は言う。


「最初は、覚悟を決めていた。わたしは竜人族。そして、あの人は人族。寿命が大きく違いすぎていた。だから、ルイセイネを迎えることはエルネアの将来にとって大切だと思ったの」


 共に老い、共に逝く者が側にいることが、エルネアにとって幸せなのだと思った。自分は、きっと耐えられる。エルネアやルイセイネが逝った後の長い人生も、思い出さえあれば辛くも悲しくもない。そう思い、覚悟を決めていた。


「だけど、状況が大きく変わってしまったわ。エルネアはライラや双子を迎え入れた。そして、結婚の儀の時。わたしを含め、エルネアと結ばれた者は不老の命を授かったわ」


 思いがけない出来事だった。

 まさか、こういう方法で寿命の問題が消し飛ぶなんて。


「嬉しかった。わたしはみんなを看取みとらなくて良いのだと、素直に喜べた。でも……」


 影が、真っ直ぐにミストラルを見つめる。

 ミストラルも、鋭い瞳で自分の「影」を睨み据えていた。


「でも……。本当に、これで良いのかしら? 今のままで満足かしら?」


 影は、ミストラルの心の闇に囁く。


「もう、わたしとエルネアには寿命がない。なら、エルネアと共に老い、逝く者として側に立つみんなは……」


 必要ない。


「誰よりも先にエルネアと恋に落ち、愛の告白を受けたのはわたし。わたしこそ、誰よりもエルネアのことを知っている。誰よりも愛している。だから……」


 他の妻たちは、もう必要ない。


「むしろ、わたしとエルネアの邪魔でしかない。そう思わない?」


 エルネアと二人きりで、永く添い遂げる。


「今のわたしとエルネアであれば、可能だわ」


 だから、他の者たちはいなくなってしまえばいい。


 影の言葉を受けて、ミストラルの奥底から沸々ふつふつと燃えたぎる感情が沸き起こる。

 竜宝玉が、どくりと激しく脈動した。


「さあ、もう自制することなんてないわ。わたしは、わたしの願望を知っているわ。今こそ、本能のおもむくままに力を解放するときよ」


 抑え切れないほどの竜気がミストラルの内側から溢れ出していく。

 肌には銀に近い金色の鱗が浮かび上がり、背中からは翼が生える。


 漆黒の片手棍を強く握り締めたミストラルの瞳が、あおく輝いていた。

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