影の先

「みんなー! ミストラル! セフィーナさーんっ!」


 暗闇の中で、僕は叫ぶ。だけど、僕の声は深い闇に呑み込まれてかき消され、誰にも届かない。


「やっぱり、駄目か……」


 ニーミアに乗って、影竜の幼体が眠る洞窟どうくつの上空まで来た僕たちだったけど。いきなり、アルギルダルの強襲にあってしまった。

 山地を覆っていた黒い霧が触手のように伸びて、空を飛ぶニーミアや僕たちを巻き取ったんだ。そして、気づけば僕たちは散り散りになり、暗闇の中に閉じ込められていた。

 落ちないようにと、ニーミアの背中に引っ付き竜術でくっ付いていたはずなのに、その背中は僕の足裏とは接していない。


 側にいたみんなや、ニーミアさえも姿が見えない。

 気配を探っても、深い暗闇に阻害されて、伸ばした手足の先までしか読み取れない。


「これがアルギルダルの創り出した闇の中ってことはわかるんだけどね?」


 疑う余地もない。僕たちは間違いなく、アルギルダルの術に呑み込まれてしまったんだ。だから、闇の奥から現れた者の姿にも、僕はそれほど驚きはしなかった。


「みんなはどこに行ったんだろう? ああ、僕の軽率な判断のせいで、みんなを危険に巻き込んでしまった」


 現れたのは、僕をそっくりそのまま似写にうつしたような黒い「影」だった。

 影は、不安そうに暗闇を彷徨さまよい、そして僕の前で立ち止まる。


「もしもこれが恐ろしい攻撃だったなら、僕たちは全滅していたかもしれない」


 影は言う。僕の判断が間違っていたのだと。

 だから、僕は言い返す。


「いいや、違うよ。悪意こそあれ、破壊的な力を感じなかったから、僕だけじゃなくてニーミアもアルギルダルからの攻撃に反応が遅れたんだ。それに、ほら。暗闇に閉じ込められているとはいえ、僕はこうして元気だよ? アルギルダルが最初から殺意を持って襲いかかっていたら、僕は今、こうして君とは相対していないよね?」


 アルギルダルの術中にはまってしまい、みんなを危険にさらしてしまったことは素直に反省しなきゃいけない。だけど、影の言葉は僕の心を正しく映し出しているわけじゃない。それくらいはすぐにわかった。

 これは全て、アルギルダルの罠だ。


 だけど、影は僕の反論なんて聞く耳を持たずに、更なる不安を口にする。


「ああ、どうしよう……。僕は、マドリーヌ様とセフィーナさんを本当に不老に導くことができるのかな? 僕は、間違っているんじゃないのかな? 二人には、僕を諦めてもらって……」

「なんてことを言うんだ!」


 影の失言に、僕はつい叫ぶ。


「それだけは、絶対に口に出してはいけないことなんだよ! マドリーヌ様とセフィーナさんは、必ず僕たちと並んで人生を歩めるんだ! だから、それだけは絶対に口に出しちゃいけないんだ!」


 怒りに任せて竜槍を放ち、誤りを口にした僕の「影」を消し飛ばす。

 影は呆気あっけなく消滅し、暗闇だけが残った。

 だけど、その暗闇からまた、僕の「影」が姿を現す。そして、不安を口にする。


「ミストラルは無事かな? セフィーナさんは本当にここにいるのかな?」


 しかも、今度は一体だけじゃなくて、複数体が同時に現れて、僕の前にやってきた。


「ルイセイネの瞳が心配だ。もしかして、マドリーヌ様とセフィーナさんのことよりも、ルイセイネの魔眼を優先した方が良いんじゃないかな?」

「母さんやリステアたちに、いつ僕たちの秘密を告白しよう。僕たちがずっと歳を取らないって知ったら、怖がられるかな? 僕たちだけなんてずるいと、恨まれるかな? 家族として、親友としてずっと一緒にいてくれるかな?」

「みんなは、本当に無事なのかな? 実は僕だけが助かっていて、みんなはもう、アルギルダルによって……」

「ええい、うるさーいっ!」


 口々に不安を漏らし、僕を煽ってくる影。

 僕はたまらず、竜気の嵐を放って影たちを吹き飛ばす。


 出鱈目でたらめに放たれた暴風が、影だけでなく暗闇をも掻き乱す。

 だけど、一向に暗闇は晴れず、影たちも消え去ることはなかった。


「そんなに、僕の心の影を映し出したいの?」


 い寄ってくる影たちを睨む僕。


 わかっている。

 影たちは、僕の心の隙を読み取って、不安を吐露しているんだ。

 だから、影たちはまったく嘘を言っているわけではない。だけど、心の隙間に挟まった気持ちと、僕が本当に望む心は別物なんだ。

 だから、言う。


「ルイセイネの瞳のことは、たしかに心配している。でも、現状はどうしようもないんだ。手掛かりが少な過ぎるから。だからといって、封印なんてできないよね。ルイセイネの可能性を、僕は潰したくないから」


 レストリア様のいやしの歌で、ルイセイネの瞳は安定している。だから、今のうちに手掛かりをできる限り見つけ出して次の行動に備えておくことが、今の僕たちにとっては最も大切なんだと思う。


「そして、ルイセイネの魔眼の問題を探る一方で、マドリーヌ様とセフィーナさんのことも同時進行しなきゃいけないんだ」


 両方の問題とも、時間は待ってくれない。

 マドリーヌ様とセフィーナさんの場合は、まだまだ時間がある?

 いいや、実はそれほど時間は残されていないと、僕は考えている。

 なにせ、不老になるまでは、マドリーヌ様とセフィーナさんは止まることなく歳を重ねていくんだ。

 もちろん、おばあちゃんになった二人を愛する自信はあるよ?

 だけど、僕が良くても二人が嫌がるかもしれない。だから、僕たちは早い段階で二人の試練を共に克服しなきゃいけないんだ。


「そうすると、やはりルイセイネの瞳の問題を解決する手掛かりを探ると同時に、二人のことも考える必要があるよね」


 みんなは、ルイセイネのために各地に散って情報を手に入れようとしてくれていた。なら、それと一緒にマドリーヌ様とセフィーナさんのに関わる情報を探したって良いよね。

 だから、どちらを優先させるから、どちらかは後回し、なんて単純な話じゃないんだ。


「それと、僕たちの秘密の告白は、影に心配されるようなことじゃないね。母さんたちには、いずれ必ず話すよ。そうしたら、きっと母さんたちは受け入れてくれると思う。僕は家族を信じているからね。リステアたちだって、そうだよ。それに、リステアたちは薄々と気付き始めているんじゃないかな?」


 なにせ、僕たちは見た目からして歳を取っていない。僕だけじゃなく、ルイセイネも少女の面影を僅かに残したまま、外見の成長が止まっている。

 歳を重ねるごとに男らしくたくましい肉体になっていくリステアやスラットン。子供っぽさがなくなり、より女性らしくなっていくセリースちゃんやクリーシオたち。勇者様ご一行と外見の差異が明確に現れ始めている以上、鋭い感性を持った彼らは僕たちの違和感に気付いているはずだ。

 だけど、リステアたちからその違和感を突っ込まれたことはない。

 それはきっと、僕たちの方から告白するのを待っていてくれているのだろうし、秘密の内容についても心構えはできているはずだ。

 だから、心配には及ばない。


「もちろん、みんなの安否もね?」


 にやり、と僕は自分の影たちにではなく、暗闇の奥に向かって不敵な笑みを浮かべた。


「さっきも言ったけど、最初に殺意ある攻撃を仕掛けてこなかった時点で、アルギルダルは僕たちを殺そうとは思っていないんだよね? なぜ僕たちを個別に暗闇の中に閉じ込めたのかは疑問が残るけど。それでも、全員の命に危険は及んでいないと、僕は確信しているよ」


 それに、もしも僕たちの身に何かあったら、というかニーミアの身に何かあったら、アシェルさんが容赦しないと思います!

 あっ。そもそも僕たちを襲った時点で、あとでスレイグスタ老に怒られることは確定的だよね?

 たとえアルギルダルが古の都の守護竜とはいえ、スレイグスタ老には敵わないはずだ。

 だから、早く僕たちを解放しないと、大変なことになるんじゃないかな?


 影を使ってどれほど惑わそうとも、僕や家族みんなには通用しない。それどころか、僕たちをもてあそべば弄ぶほどに、事が終わった後にアルギルダルの身のほうが危険になる。


「さあ、だから早くこんな影なんて消して、僕たちを解放して!」


 闇に向かって叫ぶ僕。

 すると、影たちが僕を憎々しそうに睨んだ。そして、かすみになって暗闇の中に消えていく。

 代わりに、闇の奥から巨大な竜の頭部が現れた。


「小賢しい竜王だ。とはいえ、妖魔の王を撃滅しただけのことはある」

「おめに預かり、光栄です」


 巨大な竜の頭部、すなわちアルギルダルの巨大な顔が、僕を見下ろす。

 だけど、怖くなんてありません。スレイグスタ老の方が威厳があるし、アシェルさんに怒られた時の方が怖いよね。


「我を、あのアシェル以下と愚弄ぐろうするか。……まあ、良かろう。さすがは竜の森の守護竜に鍛えられただけのことはある。我の惑わし程度では、微塵も動じぬか」

「そうだよ。あの程度の揺さぶりなんて、今さらだよ」


 胸を張って、威張るように言い返す。

 すると、アルギルダルは愉快ゆかいそうに喉を鳴らして笑った。


「くっくっくっ。胆力たんりょくひいでている。なるほど、貴様は資格を持つ者か」

「資格?」


 なんのことだろうと思って問い返すけど、アルギルダルは答えてくれなかった。代わりに、話題を変えてくる。


「さすがは竜王。さすがは竜神様の御遣みつかい。我が誉めることを、汝は誇りに思うが良い」

「ありがとうございます!」

「だが……」


 僕を見下ろすアルギルダルの瞳が、影色に光った。


「貴様は優れていても、他の者はどうであろうな?」

「どういう意味かな!?」


 アルギルダルは聞き返す僕を見下ろしながら、闇の奥へと姿を消した。

 そして、暗闇と僕だけが残された。


 いったい、アルギルダルはこれから何をしようとしているのか。

 闇奥に消えたアルギルダルの言動に疑問に思いつつも、周囲の変化を見逃さないように気を張り詰める僕。

 その視界の先に、息を呑む幻影が広がった。


『邪魔者を全て排除し、欲しいものを手に入れろ』

「はわわっ。レヴァリア様!」


 暴走しそうなレヴァリアを、ライラが必死に止めようとしていた。


「ユフィ姉様いなければ!」


 双子の姉に向かって刃を向けるニーナが見えた。


「ニーナさえいなければ!」


 双子の妹に向かって刃を向けるユフィーリアが映った。


「さあ、私と共に、古の都へ」


 飛竜の狩場で出逢った古の巫女様に手を差し伸べられるマドリーヌ様。


「我と共に来い。そうすれば、汝は世界を知る」


 アルギルダルの誘惑に瞳を輝かせるルイセイネ。


 他にも、探していた二人の幻影が映し出された。

 暗闇の奥に、満身創痍まんしんそういで立つセフィーナさん。

 そして、人竜化じんりゅうかしたまま殺気に満ちた、ミストラル。


「ミストラル! セフィーナさん!」


 咄嗟に、僕は叫ぶ。

 だけど、暗闇に呑み込まれて僕の声はどこにも届かない。


「アルギルダル、なんてものを見せるんだ!」


 幻影が見せるみんなの姿は、全て幻だ。

 だけど、これはおそらく、僕とは違う場所で僕と同じようにアルギルダルの術中に嵌っているみんなの姿でもあるんだ。


「さあ、どうする?」


 暗闇の奥から、アルギルダルの声が響く。


「貴様は、己の影には惑わされぬと言う。他の者も似たり寄ったりだ。だが、どうであろうな? 全員が窮地きゅうちの今。貴様はどの順番で誰を助けるのだ? 貴様に助けられた者は、その順列で本物の不安の影を心に生むだろう」


 誰かの前に、誰かを助ける。そうすれば、前者は他の者より優れていると思うし、後から助けられた者は前者よりも軽んじられているのではと疑ってしまう。

 アルギルダルは、僕が誰から助けるかという選択肢で、妻たちの心に影を作ろうとしているんだ。


 僕は、改めてみんなの幻影を見る。

 そして、アルギルダルの声に対して笑い返した。


「はははっ。アルギルダルは、どうやら僕を勘違いしているようだね?」

「なに?」

「それに、どうやら影竜であっても生めない影はあるみたい」


 僕は、竜宝玉の荒れ狂う力を解放しながら叫ぶ。


「誰から助けるだって? それは大きな間違いだよ! 今、全員が窮地に立っているのなら、まとめて全員を助けるのが僕だ!!」


 僕の内側から溢れ出た竜気が、荒々しい風となって暗闇の中に吹き荒れ始めた。


「それに、影竜アルギルダルといえども、霊樹の精霊までは惑わせなかったようだね?」


 どくんっ、と僕の内側で力強い脈動が走る。


「霊樹の精霊アレスちゃんの幻影はどこ? あるはずないよね。だって、アレスちゃんは最初から僕と同化していたんだから! そして、貴方は僕と同化していたアレスちゃんを見抜く事ができず、影を生むために心を読むこともできなかった!」


 アルギルダルも古代種の竜族であり、他者の心を読む力を持つ。

 だから、暗闇に捕らえた僕たちの心を読んで影を生み出し、不安を煽るように相対させたんだ。

 だけど、アレスちゃんの心までは読めなかった。つまり、アルギルダルの力は、霊樹の精霊までは及ばない。


「アレスちゃんを捕らえられなかった。それこそが最大の誤算だったね。それと、もうひとつ。貴方は精霊たちを巻き込むべきではなかったんだ」


 ミストラルをさらう時にも、セフィーナさんを拉致らちする時にも、アルギルダルは周囲の精霊たちを巻き込んでしまった。

 精霊たちに犯行を目撃されないように、影で視界を奪った。

 まあ、いま考えると、アルギルダルは自分の犯行を匂わせるためにわざと手掛かりを残して、僕たちをここへと誘導しようとしたのかもしれないけど。

 でも、やはりその時に精霊を巻き込んだのは間違いだったんだ。


『倍返しだっ』

『千倍返しだ!』

びろ詫びろ詫びろ、詫びろーっ!!』


 嵐を呼び込む竜気と共に、アレスちゃんが振り撒く精霊の力に引き寄せられて、精霊さんたちが集まってきた。そして、僕の巻き起こす嵐に乗りながら、アレスちゃんから力を授かっていく。


「やられたら、やり返す。それが精霊さんたちの流儀だよ!」


 悪意ある攻撃であれ、悪戯いたずらであれ。受けた屈辱くつじょくは絶対に晴らす。顕現した精霊さんたちが、暗闇の中で暴れ出す。

 霊樹の精霊であるアレスちゃんの力を授けられた精霊さんたちを、アルギルダルは止められない。


 闇属性の精霊さんたちが、アルギルダルの暗闇を消していく。

 光の精霊さんたちが、世界に光を取り戻す。風の精霊さんたちが黒い霧をはらい、土の精霊さんたちが大地を通してみんなの位置を教えてくれる。

 水の精霊さんたちが心を浄化し、炎の精霊さんたちが冷えた心に熱を伝えてくれた。


「さあ、アルギルダルの悪行も、これで終わりだっ!」


 無手で、竜剣舞の一節いっせつを舞う。

 振った手の動き、流れる足の軌道に合わせて気流が生まれ、荒れ狂っていた竜気の嵐に規則的な流れが生まれる。

 竜気の嵐は瞬く間に山地を覆っていった。


「順番なんて、関係ない。さあ、みんなまとめて助けるからね!」


 他者を吹き飛ばすのではなく。嵐に巻き込んだみんなを、中心点である僕のもとに引き寄せる。

 邪魔者を排除し、必要なものを引き寄せる。これこそが僕が繰り出す竜剣舞の基礎だ。


「きゃーっ!」


 各所で、乙女の悲鳴が響く。と同時に、薄れた黒い霧の向こうから、みんながうずに乗って飛んできた。


「エルネア君!」

「エルネア様っ」

「「エルネア君だわ」」

「むきぃっ、なんて扱いですかっ」


 僕はまず最初に、満身創痍で意識を失ったまま飛ばされてきたセフィーナさんを抱き止めた。

 後は、みんながそれぞれに僕に抱きついてきた。


「やっぱり、セフィーナさんもアルギルダルに囚われていたんだね」


 僕の腕の中のセフィーナさんをみんなが覗き込む。

 ただひとり。ミストラルを除いて。


 みんなを引き寄せたはずだった。

 だけど、僕の傍にミストラルはいない。


「どうして……」


 竜気の嵐と精霊たちの活躍によって、黒い霧が晴れていく。

 その薄まり始めた黒い霧の奥に、ひとりの人影が浮かび上がってきた。


 銀に近い金色の鱗を浮かべ、人竜化した女性。

 竜姫という、竜人族の最高の誉れをいただいた気高き者。

 そして、僕の妻であり、みんなの家族である、大切な人。


「ミストラル……?」


 僕たちは息を呑んで、暗い霧の奥から姿を現したミストラルを見た。


 ミストラルは、冷えきった殺気を全身に纏い、あおく光る瞳で静かにこちらを見ていた。

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