影竜 アルギルダル

 気付けば、暗闇にとらわれていた。


「はわわっ。ここはどこでございましょう!?」


 いつの間に、地面に降りていたのか。

 ライラの両足は、柔らかな長毛に覆われたニーミアの背中ではなく、硬い地面に張り付いていた。


「そうですわ。引っ付き竜術を解かないといけないですわ」


 なぜか、暗闇であっても手足の先はしっかりと見えた。

 竜術によって地面に強く張り付いていた両足、闇をこうと伸ばした手の指先は、どれほど暗くても見通せる。

 しかし、それ以外の全てが見えなかった。

 伸ばした手先の向こう。地面に着いた足先から広がっているはずの地面。自分の身体は確かに見えるのに、周囲は暗闇に閉ざされていて、何も見えない。


「こ、ここはどこでしょう?」


 ライラは、不安そうに周囲を見渡す。

 だが、夫であるエルネアはおろか、家族全員の気配さえも暗闇に呑まれて探れない。


「はわわっ。困りましたわ」


 唐突とうとつひとりになった不安で、身を縮ませるライラ。

 暗闇は、幼少の頃の辛い体験をライラに思い出させる。

 もう嫌だ。あんなに悲しく辛い孤独な経験は、二度と繰り返したくはない。

 だから、叫ぶ。


「エルネア様!」


 エルネアが側に居てくれれば、どんな暗闇でも怖くはない。

 だから、求める。


「エルネア様……」


 どちらにいらっしゃるのですか?

 早く、わたくしの側に駆け寄ってきてほしいですわ。


 暗闇を見渡すライラ。

 しかし、エルネアは現れなかった。

 代わりに、闇の奥から現れた者の姿に、息を呑む。


「私、怖いですわ……。エルネア様、エルネア様はどこ?」

「そ、そんな……?」


 影だった。

 見覚えのある、暗い影。


 闇の奥から現れたのは、ライラと瓜二つの暗い影の塊だった。そして、ライラの心を代弁するかのように、不安を吐露とろしていた。


「わ、私の影……?」


 ライラの声が聞こえたのか、影が振り向く。


「……そう。私は私の影」

「はわっ。困りましたわっ」


 思いがけない存在の出現に、ライラは困惑する。

 なぜ、自分と瓜二つの影が闇の奥から現れたのか。

 どうして、自分と同じように不安を感じ、怯えているのか。


「敵……ですわ?」


 ライラは、自分を納得させるように呟くが、確信がない。

 本当に、影は自分の敵なのだろうか。

 敵であるのなら、普通であれは襲いかかってくるはずだが、そんな素振りは全くない。

 それどころか、自分と同じように闇を恐れ、震えている。


「こ、困りましたわ」


 どう対処して良いのかわからずに、ライラは右往左往する。

 そんなライラを見た影が、心の奥底にある願望を呟いた。


「エルネア様。そう、エルネア様さえ居てくれれば」

「はわわっ」


 そうだ。どんな暗闇だろうと、どれほどの苦境だろうと、夫のエルネアさえいてくれれば、何も怖くない。


「……でも、エルネア様は私の側に来てくださいませんわ。もしかして、他の方を優先してしまったのでは?」


 ライラと同じように、エルネアを探して闇の奥を必死に見つめる影。


「エルネア様……」


 影が闇を見つめ、不安そうに大切な人の名前を呼ぶ。

 しかし、闇の奥からは誰も現れない。


「やはり私ではなく、他の方のところへ……?」


 影が悲しそうに、不安そうに震えていた。

 まるで、本物のライラのように。


 ライラは、自分の影を困惑しながら見ていた。


「エルネア様、怖いですわ。他の方ではなく、私の側に……」


 エルネアを求め、暗闇を彷徨さまよう影。

 何も見えないはずの闇の中で、闇よりも濃い自分の影だけははっきりと見えていた。


 影は、不安を吐露し、悲しみを零しながらエルネアを求める。

 夫の名前を呼び、救いを求める。

 だが、一向にエルネアは現れない。


「やっぱり……。私などよりも、他の方の方が大切なのですわ」

「はわわっ。エルネア様は、そういうお方ではありませんわ」


 全く同じと思えた影だが、ライラは少しの違和感を覚える。

 自分は、何があってもエルネアを信じている。なのに、影は愛する夫を信じきれずに、より深い不安に囚われようとしていた。


「エルネア様にも、きっと事情があるのですわ。だから、こちらへ来たくても来られないのですわ」


 ライラは、迷いなくそう信じることができた。

 だが、影は違った。ライラを見つめ、首を横に振る。


「いいえ、違いますわ。エルネア様は、他の方の救出を優先されて、こちらへ来てくださらないのですわ」

「ち、違いますわ。それに、誰が優先だとかは関係ないですわ」


 ライラは、影の考えを否定しようとする。

 それでも、影は首を横に振ってライラの思考を否定する。


「それこそ、間違いですわ。私は、私。そう、貴女ですわ。だから、知っていますわ。エルネア様は、そういうお人。だから、いつでも独占したくて、抜け駆けをするのですわ」

「ち、違いますわ……!」


 隙あらば抜け駆けをしてエルネアと二人きりになりたい。それは確かだが、けっして独占したいと思ったわけではない。

 家族のなかにいるエルネアと、たまに二人きりになりたいだけ。そのために抜け駆けしようとするけれど、誰かからエルネアを奪おうとしたわけではない。

 そう反論するライラに、影は何度も首を横に振って否定した。


「それは、本心ではないですわ。抜け駆けする。つまりそれは、独占したいという本能の表れですわ。私は本能をいつわり、言い訳をしているだけですわ。心の奥底では、エルネア様を独り占めにして、二人だけで過ごしたいのですわ」

「違いますわ!」


 ライラは影の言葉を強く否定する。

 そして、ライラも影の言葉を否定しようと口を開く。だが、言葉が出てこない。


 ライラの影。つまり、あの影は自分自身を表し、自分の暗い心の影を見せているのではないか。

 そうだとしたら、影の言葉は間違っていないのではないのではないか。

 ふと、そんな思いが過ぎる。


「……いいえ、違いますわ!」


 ライラは、自分の本心を暴くような影を否定するように、強く叫んだ。


「私は、けっしてそのような考えを持っているわけではありませんわ。いつでもエルネア様を信じて、家族の皆様と仲良くしていたいと願っていることこそが、私の本心ですわ!」


 影は、自分の暗い部分ではない。

 暗い部分を利用しようとした、悪しき存在だ。


「ニーミア様が仰っていましたわ。影は自分自身と。ですが、自分自身ではあっても、所詮しょせんは影でしかなくて、本物ではないですわ。影は光の裏側。だから、貴女の言葉は私の本心の裏側でしかありませんわっ」


 影は、けっして光にはなれない。

 そして、光る側こそがライラの本当の心だ。

 影は本体と瓜二つではあっても、暗いまま。本体を持たず、光の裏側にしか存在できない。

 ならば、影の言葉はライラ自身の本心の裏側でしかなく、本物ではない。


「エルネア様がどなたから救おうとも、それは問題ではないのです。なぜなら、順番など関係なく、必ず助けに来てくれますわ。ですから、貴女の言葉は間違えで、私の本心ではないのですわ!」


 影を強く否定した時だった。

 真っ暗な世界が、真っ赤に燃え上がった。


『くだらぬ。独占欲や仲間への疑心暗鬼など矮小わいしょうな惑わしに過ぎぬ。実にくだらん。欲しいものは奪えばいい。己が一番でありたいのなら、他者よりも優れた者になれば良いだけだ。我が力を貸そう。全ての愚かき者に、地獄の炎を味あわせてやる』

「はわわわっ」


 闇を切り裂き、紅蓮の炎と共に舞い降りたレヴァリアの姿に、ライラは慌てふためいた。






「ニーナさえいなければ、わたしはひとりの女としてエルネア君の側に立てるわ」


 暗闇の奥底にたたずむユフィーリアの前で、影がささやく。


「私は私だわ。ニーナと二人でひとりだなんて、本当は嫌だわ」


 産まれてこれまで、片時かたときも離れず共に人生を送ってきた妹のニーナ。そのニーナを否定するように、影は訴えかけてくる。


「私は私。貴女の影。だから、私の言葉は貴女の心の奥底に眠る、本当の心だわ。ニーナさえいなければ……」


 いつでも、どこでも一緒。

 だが、本当に二人で人生を送り、幸せを分かち合わなければいけないのか。

 もしも、ニーナがいなければ……


 くすり、とユフィーリアは笑った。

 自分の影に向かい、肩を落とす。


「何かと思えば、この程度だわ。私がニーナを否定する? 大きな間違いだわ。あの子と私。二人でひとりだわ。だから、貴女は偽者にせもの。私ではないわ」


 影の言葉と存在そのものを、きっぱりと否定するユフィーリア。

 すると、口惜くちおしそうに影が揺らぐ。闇に溶け、消え始める影。

 だが、影は消え去る前に、見送るユフィーリアに最後の言葉を投げかけた。


「私を否定する私。でも、どうかしら? 私はニーナを信じていても、あの子は……?」


 影は闇と馴染み、消え去る。

 残されたのは、変わらず佇むユフィーリアと深い闇だけ。

 そこに、新たな人物が闇の奥から姿を表した。


「ニーナ……?」


 影ではない。ニーナの姿に、ほっと安堵あんどの息を漏らすユフィーリア。

 しかし、すぐに緊張で身体を強張らせた。


「ユフィ姉様さえいなければ……」

「ニーナ!」






「ユフィ姉様さえいなければ……。エルネア君は、わたしのものだわ」


 影が、ニーナに向かって囁く。


「ユフィ姉様と二人でひとり? 違うわ。私は私だわ」


 だから、今こそユフィ姉様を、と迫る影に向かって、ニーナは肩をすくめた。


「私をした影とはいっても、所詮しょせんはこの程度だわ。何もわかっていないわ。私とユフィ姉様は、二人でひとり。そうして産まれて、そうして生きていくことが幸せだわ」


 だから、影の甘言かんげんはニーナの心に響くことはない。

 さらに言うなら、一心同体と言っても過言ではない姉や、愛する夫、それに大切な家族を探しに行くために、影は邪魔だとさえ感じてしまう。


「ああ……。なんて可哀想な私。私はこんなに想っているのに……」


 何を想っても無駄だわ、と影を追い払うように手を振るニーナ。すると、影は強風にでもあおられたように揺らぎ、そして消えてしまった。


「きっと、この暗闇と影は影竜の仕業だわ。この程度なら、大したことはないわ」


 影が写す偽りの心などに惑わされるような自分ではない。姉とのきずなは、他者が測れるようなものではないのだ。改めて、そう認識した時だった。


「ニーナ」


 暗闇の奥から、ニーナと瓜二つの姿をした、ユフィーリアが現れた。


「ユフィお姉……様?」


 ニーナは息を呑む。

 ユフィーリアの纏った、身を凍らせるような殺気に。






「むきぃっ、これはなんですかっ」

「むきぃっ、真似しないでくださいっ」


 きいきいと、暗闇の奥で地団駄じだんだむマドリーヌと、その影。


「いい加減、消えてください。わざわざ影に心の暗い部分を囁かれる前に、最初から自分で理解していますので!」


 このまま、本当にエルネアについて行っても良いのか。

 無駄に人生を送り、気づけば自分だけが年老いてしまっているのではないか。

 女神の試練を、本当に克服することはできるのか。


 影が囁く。だが、マドリーヌは影を否定はしない。


 その通りだ。影は、なにも間違ったことなど言ってはいない。

 自分がミストラルたちのように不老長命を得られる保証など、どこにもない。

 エルネアの妻たちがいつまでも若い姿で楽しく暮らすなか、自分とセフィーナだけが年老いていき、いずれは二人だけが老衰死するかもしれない。

 エルネアは、年老いて美しさを失った自分やセフィーナに愛を向けなくなるかもしれない。

 それよりも、エルネアの愛を諦め、分相応の相手を見つけ、結婚をして子供をもうけ、孫たちに看取られてく人生の方が幸せなのかもしれない。


 そのもしもを、マドリーヌは否定しない。

 だが、断言できる。


「それで、良いのです。女神様の試練を克服できず、自分だけ老衰してエルネア君に愛想を尽かされるかもしれない。それでも、良いのですよ? 大切なのは、どのような結果になったのかではありません。どのような人生を歩んだのかが大切なのです。そして、迷うことなく今の道を進んだ先には、きっと幸せな結末が待っているのだと思いますよ? たとえ不老になっていなくとも」


 マドリーヌは、自分の影をさとすように優しく語りかけた。

 自分の影を否定しない。むしろ、影の部分を認めることで自分の弱さを知ることができる。だから、どうかそんなに自分を拒否しないで。

 マドリーヌは、影に手を伸ばす。

 影は、伸ばされた手を見つめ、そして闇に溶けるようにして消えていった。


「むきぃっ、感動的な終わり方でしたのに、勝手に消えないでくださいっ」


 影が消え去った暗闇に向かって、地団駄を踏むマドリーヌ。

 するとどこかから、くすくすと可笑しそうに笑う声が聞こえてきた。

 耳を澄まし、声の方角を探るマドリーヌ。


「こちらですね」


 マドリーヌが振り返ると、そこにはひとりの女性が微笑みをたたえて立っていた。


「貴女様は……?」


 見覚えのある顔だった。妖魔の王を討伐するために飛竜の狩場へ集結した古の都の巫女たちの中のひとり。よくマドリーヌの頭を撫でていた女性だ。


「貴女はたしか、ラーヤ様と共にお帰りになられたはずですが?」

「はい。そうしようとしたのですよ? ですが、貴女が気になってしまって、マドリーヌ」

わたくしが?」


 女性は歩み寄ってくると、微笑みながらマドリーヌの頭を撫でた。

 まるで、祖母が孫娘をでるような優しさで。

 マドリーヌも悪い気はしないので、撫でられるままに身を任せる。

 だが、やはり疑問はぬぐえない。


「貴女様は、どうしてこのような場所に?」


 自分が気になったからとはいえ、やはり暗闇の中に居るのは不自然だ。なにせ、この暗闇は間違いなく影竜の生み出した影の中なのだから。

 しかし、女性は微笑みを絶やさずにマドリーヌの疑念を払う。


「アルギルダル様にお願いをして、貴女を迎えにきたのです」

「それは、どういう意味なのでしょう?」

「ふふ。貴女は薄々と気づいているはずですよ? 私たちが何者なのか」

「それは……」


 確信ではないが、女性が言うように、マドリーヌは古の都から来た巫女たちの正体について、思うところがあった。しかし、だからこそおそれ多くて言葉には出せない。それ以上に、ありえない、と否定する思いもあった。


「良いのです。貴女がわたくしたちをどう思っているのかも、疑問に思っているのかも。ですが、私たちは貴女の力になれます、マドリーヌ」

「私の力……?」

「そう。貴女は、あの竜王様とげたいのでしょう? でしたら、古の都にいらっしゃい。そうすれば、貴女は望みのものを手に入れられます」

「私の望み……」


 それは、女神の試練を克服し、不老長命を得ること。

 古の都から来た巫女は、マドリーヌに望みを示す。

 マドリーヌは、自分の頭を撫でる手を握り返し、巫女を正面から見つめた。






「魔眼なんていりません。目が見えなくなってしまうのが怖いです」

「あらあらまあまあ」

「視力を失ったまま何十年、何百年と過ごすなんて、耐えられません。みなさんがエルネア君と楽しく過ごすなか、自分だけが取り残されるなんて嫌です」


 おびえた影が、ルイセイネに必死に訴えかける。

 今すぐにでも魔眼を封印してしまおう。そうすれば、エルネアや家族の者たちとこれからも幸せに暮らしていける。

 ルイセイネの巫女装束みこしょうぞくを掴み、懇願こんがんする影。


 ルイセイネは、自分と全く同じ姿の影を見つめて、そして言う。


「駄目ですよ? 困難から目をらしていたら、楽しい人生なんて送れません。それに、どれほどわたくしに似た姿であっても、無駄だと思います。だって、わたくしの瞳にははっきりと竜気が見えていますから」


 他の者ならいざ知らず。竜眼をもつルイセイネの瞳には「影」というよりも「竜気」の塊として映っていた。


 ここは、影竜の影の中。いや、暗闇色に染まった竜気の中なのだと、ルイセイネにははっきりと視えていた。

 だから、影にどれほど囁かれても、罠だとしか感じない。

 暗闇も影も、全ては影竜が生み出したまぼろしに過ぎないのだ。


「くくく。腐っても竜眼か。どうやら、貴様には小細工は通用せぬようだ」


 すると、影が消えて、闇の奥から巨大な竜の頭部がぬるりと出現した。

 影竜、アルギルダルだ。


「ならば、我が直接、言おう。りゅう巫女みこよ、我のもとへ来い。そうすれば、汝は世界を知るだろう」

「あらあらまあまあ、世界をですか」

「そうだ。竜の森の守護竜様は、霊樹に縛られて自由はない。アシェルの娘も、黒竜の娘も幼すぎる。だが、我であれば汝を背に乗せ、思うがままに世界を巡ることができる。我と世界を巡れば、魔眼を制御するすべも見つかるだろう」


 自分でも、好奇心旺盛こうきしんおうせいだという自覚のあるルイセイネ。

 遥か西にある神殿都市や、さらにずっと遠くに存在するという聖域に、いつか行ってみたいと思う。ニーミアの故郷である古の都にも行きたいし、東の地がどういう場所なのかも見てみたい。

 アルギルダルは、ルイセイネを背に乗せて世界を巡る旅へと誘う。


 ルイセイネの瞳は、好奇心に駆られて、きらきらと輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る