闇と影

 闇と影。


 似ているようで、違う性質の属性。

 僕にだって、二つの属性を正しく言い表すことなんてできない。それくらいに闇と影は似ている。

 だけど、似ていても明確に違うのだということくらいは、はっきりと断言できた。


 夜にだって、わずかな月明かりさえあれば影は生まれる。それどころか、今のように光源がない暗い夜であっても、夜闇を見通す瞳には影が映っている。


 闇さえも染める、影。


 だけど、闇が影に劣っているわけではない。

 影は、光ある場所、影を生む対象がないと存在できないけど、闇はどこにだってある。

 太陽が沈むだけで世界は闇に覆われるし、人の心の奥底にだって暗い闇は存在する。

 だから、明確にどちらが上位でどちらが下位なんて序列はつけられない。

 それでも、確実に違いはあり、存在証明が別れるのが闇と影だ。


 そんな、似ているようで違う二つの属性を一般的な色で言い表すと、両者とも「黒」になる。

 闇だろうと、影だろうと、僕たちが思い浮かべる色は「黒」であり、性質は「悪」だ。

 まあ、光の対極に位置する闇だから悪、明るいものの裏に存在する影だから黒、なんて本当は単純に言えないんだけど。でも、やはり一般的な象徴は、闇も影も「黒」であり「悪」だ。


 そして、ニーミアは言う。


影竜かげりゅうは、悪い竜にゃん!」


 僕の思考を読んだニーミアが、慌てたように翼を羽ばたかせた。


 そう。影竜。

 影の属性を持つ、古代種の竜族。

 スレイグスタ老やニーミアと同じ、普通の竜族を遥かに上回る能力を持った恐ろしい竜であり、闇属性の黒竜リリィのように、黒き力を操る存在。

 さらに言うなら、竜峰には現在、少なくとも一体の影竜が洞窟どうくつの奥深くで眠りについている。


「でも、あの影竜じゃないよね?」

「んにゃんっ!」


 十五歳の旅立ちの年の最後。竜峰から下山するときに、僕はスタイラー一家という人族の冒険者を救出するため、洞窟へと入った。そこで遭遇したのが、古代種の竜族である影竜だった。

 だけど、影竜は長い眠りに入ろうとしていただけだった。

 成竜へと成長するために、何十年もの長い歳月を眠る場所として、洞窟の奥に潜んでいただけだった。

 だから、順調であれば、僕たちが遭遇した影竜は、洞窟の奥深くで眠っているはずだ。

 そうなると、たとえ影竜が悪い竜だとしても、ミストラルやセフィーナさんを連れ去ることなんてできない。

 そもそも、僕と引き分けたくらいの力では、ミストラルを抵抗する暇もなく連れ去るなんて芸当は無理だ。


「だけど、僕たちはもう一体、影竜を知っているよね……」


 はっ、とみんなの顔が強張こわばる。


 少し前。

 飛竜の狩場で、僕たちは妖魔の王を迎え撃った。

 その際に、妖魔や魔物を蹴散らすために、ニーミアがいにしえみやこから応援を招んでくれた。

 七体の、色とりどりの古代種の竜族が、遠路はるばる飛竜の狩場へと飛来してくれたよね。

 そして、そのなかの一体に、影竜がいた。


 影竜、アルギルダル。


 古の都を守護するために、広域に幾重いくえにも張り巡らされた外郭がいかく。その最も外側を守護する古代種の竜族が、影竜だという。

 アルギルダルは、その最外郭を守護する古代種の竜族であり、ニーミアが「悪い竜」という張本者だ。

 古の都どころか、外郭に近づく者にさえ容赦なく襲いかかり、多くの者たちが犠牲になってきたという。


 その、影竜アルギルダルだけど。

 僕は、妖魔の王を討伐した後の宴会でつい口を滑らせてしまい、竜峰に眠る影竜の幼体のことを話してしまった。そうしたら、様子を見てくると言って、帰路に就いたアシェルさんたちとは別行動を取り、竜峰へ向ったんだ。

 あれから、まだそれほど日は経っていない。そうすると、アルギルダルはまだ、竜峰にいる可能性が高い。

 そして、古代種の竜族であり、影を自在に操る影竜のアルギルダルであれば、たとえ竜姫のミストラルといえども、難なく連れ去ることはできるかもしれない。


「ま、まさか……!」


 ルイセイネが瞳を大きく見開き、愕然がくぜんとしていた。


「さっき、うろに入った直後に、ルイセイネの瞳が反応していたよね。あれってもしかして、魔眼の前に竜眼が反応していたんじゃないかな? アルギルダルがミストラルを連れ去った際の竜気の残滓ざんしに反応して」


 今のルイセイネの瞳は、敏感になっている。

 だから、僅かに残っていた竜気に、竜眼が反応したのかもしれない。


「たしかに、瞳が痛くなる直前に、一瞬ですが竜気が見えたような気はしました。……ですが、アルギルダル様の犯行だとして、なぜミストさんやセフィーナさんを連れ去ったのでしょう?」

「それは、僕にもわからないけど……」


 仮に、アルギルダルがミストラルとセフィーナさんを連れ去った者だとして。だけど、残念ながら犯行の動機が見出みいだせない。

 なぜ、二人は狙われたのか。

 もしかしたら、二人だけではなくて僕の家族全員が狙われている可能性だってあるけど。でも、やはり狙われる理由がわからない。


「それでも、現状で最も怪しい犯行者は、影竜のアルギルダルだよね?」


 闇ではなく、影を利用したのだとしたら。

 ミストラルやセフィーナさんがどんなに息を潜めて夜を過ごしていても、影は存在する。その影から密かに忍び寄り、影に引き摺り込んで連れ去ることはできるはずだ。

 黒竜の子供であるリリィでさえ、闇から闇に自在に移動できたんだ。それなら、古の都を守護する古代種の竜族であるアルギルダルであれば、難なく影を移動し、対象者を影の内側へ引きり込めるはずだよね。

 それに、影に引き摺り込むのであれば、樹洞じゅどうの入り口の狭さなんて関係ないし、抵抗の跡も残らない。


「精霊たちの視界を奪った『闇』の正体は、実は『影』の影響だったんじゃないかな? ほら、飛竜の狩場でアルギルダルが戦っていたとき、妖魔や魔物を真っ暗な闇、というか影を霧のように広げて、そこに引き摺り込んでいたよね?」


 全ての光を遮る影の霧を生み出し、範囲に取り込んだ妖魔や魔物を容赦なく滅殺していたのが、アルギルダルだ。

 同じように、精霊たちの視界に影を生み、犯行現場を隠した。


「古代種の竜族様でしたら、顕現していない精霊様にも影響を与えるくらいの力は持っているかもしれないですわ」

「ライラさんの言う通りですね。わたくしたちも、まだまだ古代種の竜族の方々の実力は把握できていませんが。少なくとも、スレイグスタ様にるいする存在であるのなら、たとえ顕現していなくても、精霊のみなさんの視界を奪うことくらいはできるかもしれません」

「影から影への移動なら、空間転移に匹敵するわ。二人が離れた場所で同時に連れ去られた事象の証明になるわ」

「同じ古代種の竜族であれば、スレイグスタ様の目を出し抜けるかもしれないわ。用意周到な犯行なら、尚更なおさらだわ」

「それと、ですが。夜の犯行だったのは、闇と影を私たちに誤認させるためではないでしょうか?」


 影竜アルギルダルの犯行だと仮定すると、幾つもの謎が解ける。


「やっぱり、怪しいよね!」


 うん、と頷くみんな。


「状況証拠ばかりで、物的証拠はない。犯行の動機はわからない。なぜ、ミストラルとセフィーナさんが真っ先に狙われたのかも不明だけど。それでも、やっぱりアルギルダルが最も怪しい!」


 ならば、僕たちが打つ手は決まっている。


「おそらく、アルギルダルは影竜の幼体が眠る洞窟にいるはずだ。そこへ向かおう!」

「にゃん。苔の広場に帰らないにゃん?」


 もう、夜だ。

 夜闇が支配する世界において、影竜の「影」は闇と混じり合って、より一層に影響力を増しているかもしれない。

 でも、だからといって連れ去られたミストラルやセフィーナさんを放置したままで、自分だけ安全な場所に戻るなんてできない。


 それに、アルギルダルが影から影に移動し、抵抗する暇もなく影の中に引き摺り込むのだとしたら、昼も夜も関係なく、どこにいても安全じゃないかもしれないよね。

 向こうだって、犯行が露見した場合は容赦なく襲いかかってくるかもしれない。

 ならば、安全地帯に退くのではなく、こちらの方から乗り込んでいくまでだ!

 そして一刻も早く、ミストラルとセフィーナさんを助け出す!


 僕は決意を示すように、夜闇の先に拳を振り上げる。

 すると、僕の拳に、みんなの手が重なった。


「古代種の竜族であれば、わたくしの竜眼がお役に立てるかもしれませんね」

「エルネア様に賛同いたしますわっ」

「悪い竜には、お仕置きだわ」

「悪い竜には、お説教だわ」

「アシェル様やニーミアちゃんと同じ守護竜とは思えない悪行ですね。ここは巫女頭みこがしらとして、きつくしかりませんと」


 最後に、僕たちの決意の拳の上にニーミアが飛び乗って、にゃーっ、と勇ましく鳴いた。


 アルギルダルは、影を通して僕たちを見ているかもしれない。

 だから、これは宣戦布告だ!


「今から乗り込むから、首を洗って待っているんだね!」


 巨大化したニーミアの背中に、空間跳躍で移動する。

 ニーミアは翼を羽ばたかせると、夜闇が支配する竜峰の空を切り裂くように飛び立った。






 僕たちを乗せたニーミアは、高速で竜峰の空を飛ぶ。

 いつもなら、怖い争いなどには消極的なニーミアだけど。今回ばかりは、怒っているようだ。

 同じ古の都を守護する竜が、違う地域で悪さを働いた。しかも、自分が連れてきた者だ。

 怒って当然だよね。


「にゃんっ。お仕置きして、お母さんに報告にゃん」

「ラーヤ様にも知らせて、厳しく叱ってもらおうね」

「にゃっ」


 影竜アルギルダルには、妖魔の王討伐に関して大きな感謝がある。だけど、それとこれとは別だ。

 どんな理由があったとしても、僕の家族に手を出すようなら容赦なんてしない!

 たとえ古代種の竜族が相手だったとしても、僕は躊躇ためらいなく対峙する。


 今夜は、流れる星空の景色が綺麗には思えなかった。

 それよりも、一刻も早くアルギルダルの潜む洞窟へと向かい、ミストラルとセフィーナさんを助け出したい。


「にゃあ。やっぱりアルギルダル様は竜峰にいたにゃん!」

「エルネア君、強い竜気が視えます!」

「みんな、警戒してね!」


 複雑に入り組んだ山嶺さんれいを越え、目的地に近づく。

 すると、ニーミアが素早くアルギルダルの気配を察知した。そして、誰よりも早くルイセイネが黒く広がる竜気を目視する。


「やはり、僕たちを待ち構えていたね。それこそが、ミストラルとセフィーナさんをさらった証拠だ!」


 すぐに、僕たちにも竜峰の異変が見え始めた。

 深い山奥に、不自然な黒い霧が広がっていた。

 あそこは、間違いなく影竜の幼体が眠る洞窟があった場所だ。


 ニーミアは速度を落とし、黒い霧を警戒するように飛ぶ。


「気をつけるにゃん。影の霧の奥は、影竜の縄張りにゃん。それと、影は自分自身にゃん」

「影は自分自身?」


 どう言う意味だろう、とニーミアへ確認を入れようとした直後。まるで意志でもあるかのように黒い影の霧がうごめき、僕たちに襲いかかってきた!

 そして、僕たちはアルギルダルの影に呑み込まれた。

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