ミストラルの消息と竜峰の夜

 ミストラルが消息を絶った地点は、事前にスレイグスタ老から教えてもらっていた。

 竜峰の、やや南寄り。小さな集落から細長く延びた山道さんどうの途中に差し掛かったところで、ミストラルは夜を迎えたらしい。


「竜峰の南には、あんまり行ったことがないよね」

「そうですね。竜峰の南端に接している神族の国の影響があるかもしれないので、あまり近づかないようにミストさんたちから言われていましたからね」


 南北に長く連なる竜峰のなかで、僕たちが普段から活動しているのは中部から北部にかけてだ。

 だから、南部にはあまり行ったことがない。

 黄金色の鱗を持つ翼竜のフィオリーナやユグラ様の故郷がある竜人族の村や、妻たちと将来を誓いあった竜神の泉に行ったことがあるくらいだ。

 なにせ、ルイセイネが言ったように、南部には神族と交流を持つ竜人族の部族が少数だけど存在している。そうした部族と僕たちが不意に接触して、気づかないうちに神族の影響を受けないようにと、スレイグスタ老やミストラルたちが気を遣ってくれていたんだ。


 でもまあ、僕たちは色々なことがあって、神族のアレクスさん一家や天族のルーヴェント、それに元武神のウェンダーさんと面識を持ってしまったけどね。


 そういえば、ウェンダーさんたちは無事に竜峰を進んでいるだろうか。

 竜人族の案内があるとはいえ、徒歩での移動だから竜峰を横断するにはまだまだ時間がかかるはずだ。

 同じように、故郷へ帰ったアレクスさん弟妹やルーヴェントも、まだ竜峰を旅している途中だろうね。


 いずれ、様子を伺うのも良いかもしれない。ただし、それは行方不明になってしまったミストラルとセフィーナさんを無事に助け出し、ルイセイネの瞳の問題を解決し、そして女神様からの試練を克服してからだ。

 今の僕たちには、残念ながら他の者に気を巡らせる余裕はない。

 ともかく、少しでも早くミストラルとセフィーナさんを助けなきゃいけないんだ。


「あそこにゃん」


 僕たちを乗せたニーミアが、高度を落とす。

 深い樹海にもれそうな山道から、少し分け入った先。

 古木が密集する鬱蒼うっそうとした山林に到着した時には、もう太陽は西の稜線りょうせんの先に沈んでしまっていた。


「大きいままだとニーミアは降りられないから、空間跳躍で降りようか。ニーミアは、小さくなって降りてきてね」

「にゃん」


 古木の先端付近まで降下したニーミアから、僕の空間跳躍で地面へ降りる。

 密集した古木の周りに下草が隙間なく生い茂る、なんとも不気味な場所だ。

 本当に、ミストラルは山道から離れたこんな場所で夜営していたのかな?


「エルネア様、見つけましたわ」


 すると、ライラが早速、ミストラルの夜営跡を発見した。

 樹齢を重ねた樹々の中でも、ひと際太い幹の巨木。その根もとのうろの奥に、人が居た形跡があった。


「スレイグスタ様の仰った通りですわ」

「ミストラルは、古い大樹の樹洞じゅどうで夜営していたって言っていたからね」


 洞は、人ひとりがかがんでようやく潜り込めるような入り口になっていた。

 まず最初に、僕が代表して入ってみる。

 瞳に竜気を宿して、洞の中を見渡す。

 巨木の根もとの洞の奥は、思いのほか広かった。しかも、随分と使い古された形跡が見て取れる。


 古木の幹の内側、つまり洞内部の壁には荷物を掛けられるような突起があったり、木屑きくずの積もった地面には寝床になりそうなくぼみがあったり。


「そうか。この洞は元々、竜峰を旅する竜人族が昔から利用していた場所なんだね」


 竜人族の旅人は、恐ろしい竜族や危険な魔獣たちから身を守る安全な寝床を確保するために、色々と工夫して夜営地を築いてきた。

 僕が十五歳の旅立ちの年に竜峰へ入った時にも、断崖だんがいの高い位置に夜営用の横穴が掘られた場所を見たりしたよね。それと同じで、ここも安全な夜営地として竜人族が利用していたようだ。


「周囲は古木が密集しているから、身体の大きな竜族は近づけないわ」

「周囲は下草が生い茂っているから、魔獣が近づいてきても音で気づけるわ」


 ユフィーリアとニーナが周囲を捜索してくれていた。

 どこかに、手掛かりは残されていないか。ミストラルさえも見落としたような異変は残っていないか。

 ライラとマドリーヌ様も、慎重に古木の周りを探索してくれている。


「エルネア君、何か手掛かりは残されていませんか? ……っ!」


 ルイセイネだけが、僕に続いて洞の中に入ってきた。

 だけど、その時。暗い内部を見渡そうとしたルイセイネが、急に目頭を押さえ込んで座り込む。


「ルイセイネ!?」


 少しだけ、ルイセイネの瞳が光を発していた。


「ごめんなさい。エルネア君のように瞳に力を宿せば、わたくしにも暗闇が見通せると思ったのですが……」

「無理に魔眼を使わなくても良いんだよ?」

「はい、ごめんなさい。……ですが、気のせいでしょうか。瞳に力を宿す前に、痛みが走ったような?」

「ルイセイネ、今の状態で魔眼を不用意に使うのは、やっぱり危険だよ」

「そうですね……」


 どうやら、ルイセイネもミストラル捜索の力になろうと、無理をしちゃったみたい。

 たしかに、今のルイセイネであれば、瞳に力を宿せば見えないものも視えるはずだ。それこそ、竜脈の流れどころか、遁甲とんこうしている魔獣や顕現していない精霊たちでさえも。

 だけど、あまりにも負荷が強すぎる。ミストラルの手掛かりを掴むために、ルイセイネが失明してしまったら、元も子もないからね。


 瞳を痛がるルイセイネを介抱しながら、僕は改めて洞の内部を見渡す。

 だけど、これといった手掛かりは、ここにも残されてはいなかった。


「やっぱり、ミストラルも抵抗する暇もなく連れ去られたのかな?」


 外は、古木が密集して林立しているだけでなく、下草も生い茂っている。

 セフィーナさんが消息を絶った飛竜の狩場よりも、こちらの方が警戒しやすいはずだ。

 それなのに、竜姫のミストラルの警戒網を潜り抜けて、何者かが犯行に及んだということになる。


「外には、なんの異変もないですわ」

「中にも、なにも残されていなかったよ」


 ルイセイネをともなって、外に出る僕。

 すぐにライラが駆け寄ってきて、ルイセイネに寄り添う。


「ルイセイネ、大丈夫?」


 次に、マドリーヌ様が駆け寄ってきた。

 ルイセイネは僕とライラに身体を預けながら、頷き返す。


「はい。ご迷惑をおかけしました。ですが、痛みは一瞬だけでしたので」

「無理は禁物だわ」

「無茶は駄目だわ」


 ユフィーリアとニーナにも釘を刺されたルイセイネは、苦笑しながら改めて頭を下げる。


「さて。やっぱりというか、予想通りというか。残念だけど、ここでも物的な証拠は見つけられなかったね」


 夜営地を訪れる前から、なんとなく予想していたことではあった。

 飛竜の狩場でセフィーナさんを連れ去り、竜峰でミストラルを連れ去った何者かは、やはりここでも物的な証拠や手掛かりを残すことはなかった。


「だけど、目撃者ならいるかもね? アレスちゃん!」

「おまかせおまかせ」


 アレスちゃんが、精霊たちに声を掛ける。

 すると、飛竜の狩場の時と同じように、幾つかの属性の精霊たちが顕現してきた。

 夜のとばりが降りた暗闇に、精霊たちの姿がほのかに光って浮かびあがる。


「みんな、教えて。ここで夜営をしていた女性は、何者にさらわれたのかな?」


 ふわふわと空中を漂う精霊さんたちに、僕は聞く。

 すると、精霊さんたちは古木の周りをくるくると回りながら、当時の状況を教えてくれた。


『夜だったわ』

『真っ暗だったよ』

「それって、夜で真っ暗だったって意味じゃないよね?」

『正解よ』

『あのね。この木の周りだけ、真っ暗になったんだよ』

『そうしたらね、奥で休んでいた女の人が、急に消えたの』

「やっぱり、ここでもか!」


 精霊たちの視界を奪った何者かは、セフィーナさんの時と同じように、闇に紛れてミストラルを連れ去った。


「でも、疑問ですわ。いくら真っ暗になったとしても、この狭い入り口から洞の内部に侵入してミスト様を連れ去るのは、至難の技ですわ」

「ライラの言う通りだね?」


 古木の根もとの洞は、人ひとりが屈んでようやく出入りできるような大きさしかない。さっきも、瞳を痛がるルイセイネを伴って抜け出すのは大変だった。

 なのに、誘拐犯は一瞬のうちに、しかもミストラルに抵抗されることなく、洞の奥から連れ去ったことになる。


「いったい、どうやって……?」


 疑問だらけだ。


 どうやって闇を操り、精霊たちの視界をも奪ったのか。

 ミストラルやセフィーナさんといった実力者が、なぜ抵抗する暇もなく連れ去られたのか。


「……そうだ。ねえ、古木さん。貴方の根元で休んでいた女性は、どんなふうに連れ去られたの?」


 僕たちは、竜族や精霊の言葉が聴けるだけではない。万物の声を聴く能力を持っている。

 僕は、樹洞を抱えた巨木に聞いてみた。

 すると、古木は枝葉を揺らしながら、僕に応えてくれた。


『静かな夜であった。風はなく、獣の遠吠えさえない、静寂せいじゃくの夜であった』


 今も、ほとんど風はない。

 時折、微かに流れる風が枯木の葉を揺らし、下草を鳴らすくらい。

 きっと、ミストラルが連れ去られた夜は、今以上に静寂が広がっていたのかもしれないね。


『精霊たちが静かに舞う、良い夜であった』


 古木さんは語る。


『しかし、闇は唐突であった。儂は闇に囚われた。そして、人の娘は捕われた』


 きしり、とくやしそうに古木の根がきしむ。


『わからぬ。人の娘がどこに消えたのか。闇はどこから現れ、どこに去ったのか』


 ゆさゆさと、枝葉を揺らす古木さん。

 り鳴る葉の音が、どこか寂しそうに聞こえる。


「自分の内側にかくまっていた古木さんでさえも、当時の状況が掴めていないんですね……」


 精霊たちの視界だけではなかった。植物の感覚さえも狂わせてミストラルを連れ去った何者かの存在に、僕たちは肩を寄せ合って緊張する。

 いったい、どれほどの者が相手なのだろう。


「んにゃん。そろそろ戻った方が良いにゃん?」


 小さな姿になっても周囲を警戒してくれていたニーミアが、心配そうに僕の頭の上に飛び乗る。


 夜になり、周囲は真っ暗だ。

 頭上は古木の枝が覆い、星の明かりさえも届かない。

 もしもミストラルとセフィーナさんを連れ去った何者かが僕たちを狙っていたとしたら、闇を広げる必要もなく手中に堕ちてしまうかもしれない。

 今日のところは、早く苔の広場に戻った方が良いかもしれないね。


「夜は危険だね。今の僕たちは、闇を警戒しなきゃいけないようだしね」


 僕たちだって、闇に囚われてしまえば、抵抗できずに連れ去られるかもしれない。

 そして、夜はまさに、闇そのものだ。


「……ん?」


 と、そこで僕の頭に何かが引っ掛かる。


「夜……? 闇……」

「エルネア君、どうなさいました?」


 首を傾げた僕を、ルイセイネやみんなが不思議そうに見つめる。

 僕はみんなの顔を見渡しながら、浮かんだ疑問を整理するように、言葉にしてみる。


「ええっとね。今更なことなんだけどさ。ミストラルもセフィーナさんも、夜に拐われたんだよね?」

「焚き火を使っていたことからも、明白だわ」

「精霊や枯木の証言からも、明白だわ」


 いや、本当に初歩的なことなんだけどさ。

 二人はなぜ、夜に拐われたのかな?

 僕が疑問を口にすると、そこにどんな違和感があるのかと、みんなに不思議がられた。

 なので、僕は思ったことを素直に口に出してみる。


「だってさ。これほど巧みにミストラルとセフィーナさんを連れ去るような相手だよ? ならさ。わざわざ夜なんて待たずに、二人が単独行動をとった直後とかを狙っても良かったんじゃない?」


 もちろん、ミストラルもセフィーナさんも、移動中だからといって警戒をおこたるような素人しろうとではない。

 だけど、抵抗させることなく連れ去る力量を持っているのなら、あえて夜を選ばなくても、いつでも二人を連れ去ることができたはずだ。

 もちろん、犯行がたまたま夜になった、という可能性は否定できないけどさ。でも、やはり僕は違和感を覚えるんだ。


「夜じゃなきゃいけなかった事情。夜の方が、都合が良かった可能性……?」


 考え込んで、視線が下に向く。

 星明かりさえ届かない夜闇のなかでも、自分の影がより黒く見えた。


「あっ!」


 そして、僕は気付く。


「闇……。そこから間違えていたのかもしれない! 闇じゃなくて……影だったとしたら!?」

「んにゃんっ!」


 僕の頭の上で、ニーミアが飛び跳ねた。

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