勇者の苦難は始まったばかり

「貴殿の大切な聖剣を折ってしまうとは。我が命に代えて、つぐなわせていただく」

「アレクス様、思い止まってくださいませ!」

「止めるな、ルーヴェントよ。家宝を失うことの辛さは、我が一族が誰よりも知るところだ」

「し、しかし……」

「勇者殿よ、私の命だけで足らないのであれば、どうかこの神剣を。名の伝わらぬ神剣だが、神力のない人族が手にしてもそれなりの性能を発揮するだろう。不要とあらば、売ってくれて構わない。売れば、末代まつだいまで裕福に暮らせるだけの財が手に入ると思う」

「アレクス様、何をおっしゃられますか。人族に先祖伝来の神剣をお譲りになるなど。ましてや、御命おいのちなどもってのほか。まだお世継ぎどころか、お相手になる女性も探されている段階ですのに!」


 僕たちは、竜人族の村に戻ってきていた。

 ただし、霧の化け物を追って出たときとは全く違う状況で。


「アレクス殿、お止めください」

「勇者殿、しかし、それでは……」


 まだ、早朝。

 太陽も、竜峰の東の尾根からようやく顔を覗かせたくらい。

 だけど、戻ってきた僕たちが騒ぐせいで、多くの竜人族の人たちが家々から出てきて、こちらの様子を伺っている。


 そして野次馬やじうまの中心では、アレクスさんが神剣の刃を自らの首に当てて、今にも自害しようとしていた。それをどうにか止めさせようと、天族のルーヴェントが顔面蒼白で押し留めている。

 リステアもまた、アレクスさんの暴挙を思い留まらせようと必死だ。

 ただし、リステアの瞳は半分ほどうつろになっている気がする。

 気のせいかな……?


「聖剣が折れたことは……その……。正直、とても悲しい。ははは……。ですが、アレクスさんが命を代償にしても、戻るわけではありませんし……」

「しかし、恨みは晴れるだろう?」

「う、恨みなんて!」


 勇者リステアが受け継いだ炎の聖剣は、由来ゆらいを辿れば建国王アームアード一世が手にしていた、人族にとって伝説の武器だ。

 代々の勇者は聖剣を手に、歴史に残るような活躍をしてきた。

 だけど、それもこれまで。

 アレクスさんによって、聖剣は真っ二つに折れてしまった。


「すまねえ、俺が鬱憤うっぷん晴らしの手合わせなんて言い出しちまったから……」

「スラットンも、よせ。お前の意見に同意して聖剣を抜いたのは俺自身だから。はは、はははは……」

「しかしよ……」


 本来であれば、リステアはこれからも大活躍をして、歴代屈指の勇者として後世に名前を残すはずだったに違いない。

 そして、いずれは次代の勇者に聖剣を託し、セリースちゃんたちと充実した余生よせいを送るはずだった。


 それなのに……


「ルーヴェントよ、弟に伝えてくれ。一族の悲願をお前に託す、と」

「いいえ、いいえ、アレクス様。そのような役目は、このルーヴェントには受け持てません」


 折れた聖剣の刃は、いまはさやの中に収められている。

 とはいえ、折れた部分を持ち帰ったからといって、打ち直せるわけもない。


 聖剣は、その辺の武器とは違う。

 聖剣と呼ばれるのに相応しい強力な宝玉がつばに埋め込まれている。そして、刀身も宝玉の出力に耐えられるだけの作りになっていた。


 国一番の鍛治師かじしでも、きっと打ち直せない。

 だって、伝説の武器を打ち直すためには、伝説級の腕前が必要になるだろうからね。


 魔族の軍勢が攻め込んでくる前。アームアード王国の王都の西側には、職人さんが集まる区画があった。

 だけど、その頃ずっと暮らしていて、伝説の鍛治師なんて噂は聞いたことなかったからね。


 リステアだって、聖剣が元に戻るなんて思ってはいない。

 では、なぜ折れた聖剣の刃を持ち帰ってきたのか。

 それは、聖剣の残骸ざんがいを王様に返却しなきゃいけないという、重大な使命が残されているからだ。


 最後の勇者。


 リステアはこれから、聖剣を折ってしまい、人族の希望を砕いた、という汚名を被らなきゃいけないかもしれない。

 希望の未来から一転し、奈落の底に落とされたリステア。


 リステアの今後を思うと、胸が締め付けられる。

 みんなもその事がわかっているし、アレクスさんも理解している。

 だからこそ、アレクスさんはびるために自害しようとしていた。


 とはいえ、リステアの言う通りだよね。

 アレクスさんが自害し、聖剣の代わりに神剣を持ち帰ったって、問題はなにも解決されない。

 大切なのは、この危機をどう乗り越えるかだ。


 とりわけ、リステアの精神崩壊が心配だよ!


「スラットン、俺は大丈夫だ。心配するな。ははは……」


 さっきから、言葉の合間合間に変な乾いた笑いが挟まってますよ、勇者様!


 聖剣が折れた時から、リステアの精神崩壊は始まっていた。


 聖剣が砕け折れた直後。

 真っ二つに折れた聖剣を呆然と見つめて動かなくなったリステア。

 あのときは、折ってしまったアレクスさんの方が動揺して狼狽うろたえていたくらいだ。


 僕たちは、機能を停止させてしまったリステアと、なんとか意識を取り戻したドゥラネルを取り敢えず連れて帰ろうということになり、こうして村に戻ってきたわけだけど。


 移動中、そしてアレクスさんの自害騒動の間に、リステアは徐々に自我を取り戻し始めていた。

 だけど、やはり聖剣が折れたことの衝撃はリステアの精神に強い衝撃を与えてしまったのか、ご覧の通りの有様になってしまっていた。


 一見すると、さっきからまともな意見を言っているように見えるけど……


「おい、リステア。いい加減にしやがれ。俺はこっちだ。そいつは、竜人族のおっさんだよ!」


 どうやら、瞳が半分虚ろになってしまったリステアには、裸の男は全てスラットンに見えるらしい。

 さっきからリステアに語りかけられていた竜人族の戦士は、困ったように禿げた頭をかいて苦笑いを浮かべていた。


 ちなみに、アレクスさんを囲む野次馬のなかには、裸同然の男たちが少なからず存在していた。

 全員が、霧の化け物に服を溶かされた戦士の人たちだ。

 正直言って、男たちの裸祭りは暑苦しいし、好んで見たいようなものじゃないんだけど。この場は仕方がないよね。


 それと、セリースちゃんやネイミーが霧に飛び込むのが出遅れたり、霧の化け物を追った戦士たちのなかに女性が含まれていなかったのは、最初からこうなることがわかっていたからだと、僕は帰る途中で聞かされた。


 っと、呑気のんきに状況を分析している場合じゃない。

 どうにかしてリステアを正気に戻さないと、本当に廃人はいじんになっちゃう!


「リステア……」

「あら、エルネア。それに神族と天族? これはどういう状況なのかしら?」

「あっ、ミストラル!」


 ルーヴェントは、主人であるアレクスさんの自害を必死に止めようとしている。

 リステアは精神崩壊を見せ、スラットンやセリースちゃんたちが懸命に立ち直らせようとしている。

 そこに顔を出したのは、ミストラルだった。


「にゃーん」


 遠くから、ニーミアの鳴き声が聞こえてきた。

 どうやら、北の地に遊びに行っていたニーミアとプリシアちゃんが戻ってきて、ミストラルたちを連れてこちらへ飛んできてくれたんだね。


「ええっとね、じつは……」


 僕は、わらにもすがる思いで、ことの顛末てんまつをミストラルに話す。

 ミストラルなら、客観的にリステアを立ち直らせる手法を知っているかもしれない。


 だけど、僕の僅かな希望は、遅れて登場した双子の姉妹によって、も残さず打ち砕かれた。


「あら、とうとうあの呪力剣が折れたのね」

「あら、とうとうあの呪力剣の寿命が尽きたのね」

「……えっ?」


 ははは、と乾いた笑いが喉かられていたリステアだけど、ユフィーリアとニーナの容赦ないとどめの言葉で、完全に壊れてしまった。


「ははは……。聖剣が呪力剣? 伝説の武器? 聖剣とは……。はは、ははははは……」

「ユフィ、ニーナ、なんてことを言っちゃったんだ!」


 僕は慌ててユフィーリアとニーナの唇を手で塞ぐ。

 だけど、もう遅い。

 リステアだけじゃなく、スラットンたちまでもが機能を停止させて、こちらを見ていた。


 しまった!

 ユフィーリアとニーナの言葉は本当だけど、事実を突きつけられた勇者様ご一行には衝撃的すぎる内容だったよね。


 僕たちは、ずっと昔から知っていた。

 特に、僕はスレイグスタ老と出逢った当初に聞かされていた。

 勇者の持つ聖剣とは、実は強力な呪力剣でしかないということを。

 聖剣の鍔にはまっている宝玉も、女神様からたまわったような至宝しほうではなく、単に強力な呪力が込められている宝玉でしかないということも。


 だけど、リステアたちだけじゃなく、一般的な人族は誰もが無意識に思っていたはずだ。

 聖剣とは、勇者が持つに相応しい女神様からの贈り物だと。

 けっして、強力な呪力剣でしかない、とは思っていなかったはず。


 それなのに、ユフィーリアとニーナは容赦なく現実を叩きつけてしまった。


 まさか、自分たちが大切にしていた剣が、ただの強力な呪力剣でしかないとは思ってもみなかった勇者様ご一行は、全員が白眼を向いて痙攣けいれんしていた。


「こらっ。ユフィ、ニーナ、この状況でなんてことを言うの!」


 僕の抗議に、だけど双子の姉妹は揃って言う。


「エルネア君、こういう時だからだわ。現実を教えてあげることで立ち直れることもあるわ」

「エルネア君、こういう時だからだわ。幻想を正すことによって、早く立ち直れることもあるわ」

「だからって……」


 リステアだけじゃなく、スラットンやセリースちゃんたちまで巻き込む必要はなかったんじゃない? と思ったけど、無差別的なのがユフィーリアとニーナでした!


「リステア、しっかりして! ユフィとニーナが言ったことは事実だよ!」

「はわわっ。エルネア様、それでは追い討ちをかけているだけですわ」

「はっ!?」

「元気を出しなさい。たぐまれな呪力剣ではあったけど、唯一無二ゆいいつむにの物ではないのだから」

「ミスト様、聖剣は人族にとって唯一無二ですわっ」

「そ、そうだよ、ミストラル。聖剣は勇者の代名詞なんだからね?」

「でも、所詮しょせんは人族の造った呪力剣だわ」

「でも、所詮しょせんは人族の造った武器だわ」

「はわわわっ。ユフィ様、ニーナ様!?」


 ライラが涙目で右往左往している。

 ミストラルは、困ったように考え込む。

 ユフィーリアとニーナは、面白そうに状況を引っ掻き回す。

 そして、僕も精神崩壊しそうだよ。


「そ、そうだ。ほら、リステア。これを譲るよ!」


 僕が差し出したのは、漆黒の魔剣「魂霊の座」だった。

 大切な物だけど、聖剣の代わりに……


「い、いや。流石にそれは貰えない。というか、俺が手にしたら呪われるだろう?」

「はっ、そうだった!」


 慌てて魂霊の座を仕舞う僕。


「え、ええっと。じゃあ、魔王に言って他の奴を……」

「いやいや、それだとどれも魔剣だろう!?」

「ああっ、そうだよね。リステアはなんでも知ってるね!」

「なんでもは知らない。ただ、お前が暴走し始めているのはわかる」

「僕が暴走を!?」


 そんな馬鹿な。

 僕はいたって冷静だよ?

 いや、リステアが指摘しているのにそう思うことこそが、もう暴走状態なのかな?

 どうやら、精神崩壊が最も進んでいたのは、僕らしい。


 逆に、双子王女とミストラルの暴言やライラの戸惑う様子に、リステアの方が正常に戻ってきたみたい。


「エルネア。……本当なんだな?」

「ええっと、聖剣が呪力剣という話? それなら、本当だよ。お師匠様であるおじいちゃんから聞いたからね」

「そうか……。聖剣の正体が、実は呪力剣だったとは。だが、過去の経緯や伝承をはぶいて冷静に考えれば、信じられる。歴代の勇者は、先ず強力な呪力を宿していることが必須の条件だった。そして、聖剣は呪力によって力を発揮する剣だったからな」


 もしかして、ユフィーリアとニーナの言った言葉が本当になった?

 聖剣の正体を正確に知ることによって、リステアは精神崩壊から立ち直りつつあるのかもしれない。


「黙っていてごめんね。だけど、騙すつもりはなかったんだよ?」

「なにもお前を責めているわけじゃないさ。むしろ、感謝している。あのままだったら、俺は聖剣を折ってしまったという自責の念で心を壊していたかもしれない。だが、聖剣が呪力剣だと知って、少しだけ希望が湧いてきた」


 正確には、僕じゃなくてユフィーリアとニーナが暴露したんだけどね。

 とはいえ、半分虚ろだったリステアの瞳に、輝きが戻ってきていた。


「正直、今でも聖剣を折ってしまったことには深く傷ついている。だが、くじけている場合じゃないな。聖剣が人族の造り出した武器だというなら、必ずまた人族の手で直せると俺は思う」

「そうだね!」


 たとえアームアード王国内に伝説級の鍛治師がいなくても、もしかしたらヨルテニトス王国にはいるかもしれない。

 ヨルテニトス王国にいなくても、世界のどこかには必ずいるはずだ。

 約三百年前が、人族の鍛治技術の頂点だったとは思えないからね。


 リステアの言葉に、スラットンたちもようやく立ち直り始めた。


「俺はどこまでも付き合うぜ、相棒?」


 にやり、と笑みを浮かべたのはスラットンだ。


「お前はその前に、寝込んでいるクリーシオに元気な顔を見せてやれ。ああ、ちゃんと服を着てな」

「馬鹿野郎め。自分の嫁に会うのに、服の有無は関係ねえよ」

「まったく、下品な奴だ。……こら、待て! 言っておくが、看病しているのは巫女のキーリとイネアなんだからな?」


 お嫁さんに会うのにも、普通は服を着ていた方がいいと思うんだよね。特に、相手がクリーシオなら。

 さらに、清く正しく在ろうとするキーリとイネアの前に裸体をさらしたら、きっと大変なことになっちゃうと思うんです。


 だけど、スラットンはリステアの忠告を聞かずに、大手を振ってキーリが寝込んでいるはずの建物へと入っていった。

 そして聞こえてくる、キーリとイネアの罵声ばせい。それと、スラットンの悲鳴。


「……大馬鹿者だな、あいつは。とはいえ、これでクリーシオも回復するだろう。あとは、俺の問題か」


 リステアは改めて、折れた聖剣へと目を向けた。


「エルネア、色々と協力してくれて感謝する。アレクス殿にも、迷惑をかけてしまった。だが、もう大丈夫だ。あとは、俺自身の問題だからな」

「リステア?」


 どうやら、リステアは強い心を取り戻したみたいだね。

 もう、瞳に陰りはない。

 リステアは太陽が輝く東の空を見つめ、強い決意を込めてこれからの予定を口にする。


「先ずは、陛下へ報告しなければいけない。もしかしたら、罰が下るかもな。だが、俺は必ず聖剣を打ち直してみせる。エルネア、お前とこの折れた聖剣に誓うよ」

「リステア、私たちはどこまでもおともしますからね?」

「今度は、聖剣復活の旅だねっ」


 セリースちゃんとネイミーがリステアの手を握る。

 そこに、申し訳なさそうにアレクスさんが声をかけた。


「勇者殿の聖剣を折ってしまったのは私だ。私も貴殿に同行し、国王に謝罪しよう」

「アレクス様、人族の王などに御身おんみが謝罪することなど……」

「ルーヴェントよ、そのようなげんつつしめ。勇者殿、どうか私の同行を認めてほしい」

「……そうですね。聖剣を失った今、俺たちだけの力では竜峰を下るのも難しい。俺たちからすれば、できればアレクス殿の力を借りたいところです」

「では、護衛を兼ねて、ということで?」

「よろしくお願いします」


 このままアレクスさんを放置すると、目を離したあとに本当に自害しかねない。それなら、同行してもらって王様に謝罪してもらった方が良いのかもね。


 聖剣を折った者と、折られた者。

 だけど、互いに遺恨いこんはないみたい。

 リステアもアレクスさんも、立派な大人だね。


「よし、僕も協力するからね! 聖剣復活の手掛かりを探してみせるよ」

「エルネア。貴方はその前に、やるべきことが残っているでしょう?」


 はて、なにかあったかな、と首を傾げる僕に、ミストラルはため息混じりに言う。


御鏡おんかがみ九尾廟きゅうびびょうに戻さなきゃいけないし、マドリーヌも送り届けないといけないでしょ?」

「はっ、そうだったね!」

「おまえはいつも忙しいな」


 リステアが見せた笑いは、いつもの彼らしいさわやかなものだった。

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