剣を持つ者

「エルネア、お前……それは?」


 困惑した様子のリステア。

 もしかしたら、記憶にあるのかもしれない。

 リステアも過去に、これと同じ漆黒しっこく魔剣まけんを見たことがあるはずだ。アームアード王国が魔族に襲撃されたときに、二人の魔王が所有していたところを。


 だけど、リステアに説明している暇はない。


 右手に魔剣「魂霊の座」を持ち、左手に霊樹の木刀を握る僕。

 初めて握る魂霊の座のつかは、なぜか僕の手にしっくりと馴染んだ。

 まるで、ずっと持ち続けてきた白剣のように。


「竜王殿……」


 僕たちと相対する神族のアレクスさんもまた、驚きに瞳を見開いていた。

 もしかして、アレクスさんも魂霊の座を知っている?

 いや、知っていてもおかしくはないよね。

 彼も神族である以上、魔族に関する情報を何かしら持っていても不思議ではない。

 ましてや、魂霊の座は魔族を代表する魔剣だ。


 だけど、アレクスさんの驚きは、そこではなかった。

 そして僕もまた、別の驚きを持つことになる。


「えっ……?」


 魂霊の座を手にした僕自身が理解できていなかった。

 この魔剣の、本当の恐ろしさを。


『おおおぉぉぉぉぉぉ……』


 どこからともなく、不気味な声が響く。

 それはまるで、断末魔だんまつまのような。


 魂霊の座の歪に曲がった刀身が、世界に薄く張られた霧に触れていた。

 それだけだった。


 たったそれだけで、霧が消滅する。

 それも、刃が触れた場所だけではない。

 霧の消滅は連鎖を生み、周囲へと広がっていく。

 そして、霧はどこまでも止まることなく消滅する。


 離れた場所で人型の霧と戦っていた竜人族の戦士たちが、消えていく霧の先から姿を現わす。

 上空で逃げ惑うルーヴェントと、追いかけ回すレヴァリアが見えるようになる。

 上空には満面の夜空が映り、夜闇に黒い影をつくる竜峰が見えた。


「これは、いったい……?」


 それだけじゃない。

 消滅の連鎖は、ドゥラネルの口や鼻から噴き出していた部分にまで達する。

 そして、ドゥラネルの内側に潜む霧の化け物ごと、あっさりと消滅させてしまった。


 取り憑いていた妖魔の存在が消え、ドゥラネルは力なく地面に沈む。


「まさか!?」

「おい、ドゥラネル!」


 リステアとスラットンが、横たわったドゥラネルに駆け寄った。


「……良かった、気を失っているだけのようだ。それにしても、エルネア。お前、それは?」


 呆然ぼうぜんと、霧の化け物が消滅していく様子を見ていた僕は、リステアの言葉にはっと意識を取り戻す。


 いったい、なにが起きたのか。

 右手に握られた魂霊の座を、僕は繁々しげしげと見つめた。


 漆黒の魔剣は、夜よりも暗くその存在を示していた。


「レイキ……。いや、その模造品もぞうひんか。しかし、なぜ竜王殿がそのような物を?」

「レイキ?」


 僕は、手元の魂霊の座から、意味深に言葉を発したアレクスさんへと視線を移す。


「それを持っておきながら、どのような代物しろものか深くは理解していなかったと見えるが、どうだろう?」

「はい……。実は、その通りです」


 僕が知っているのは、魂霊の座とは魔王が持つに相応しい魔剣であり、魔王の代名詞だということくらい。

 前回の騒動で、僕は嫌々ながら魂霊の座を受け取った。

 だけど、本当の性能なんて、実はなにも知ってはいなかった。

 ただ、白剣の代わりにと、手持ちのなかで最も強力な武器を選んだだけだ。


 でも、その結果がこれだ。

 良かったのか、悪かったのかは別として。


 僕の情けない返事に、だけどアレクスさんは馬鹿にした様子もなく、教えてくれた。


「それは、刃に触れる者全ての命を奪う、恐るべき代物だ。霧の化け物は、霧自体が本体。ゆえに、貴殿がそれを手にした時点で刃に触れてしまった。あとは、その恐ろしい効果通り、魂を消滅させてしまったのだろう」


 うげっ、とスラットンが顔をしかませて、魂霊の座を見ていた。


「貴殿は、竜王だと名乗った。私の知るところでは、それは魔王が持つような物だ。それを何故なにゆえに、貴殿が所有している?」


 ああ、そうか。

 巨人の魔王は、僕は既に答えを持っている、と言っていた。

 それは、この魔剣のことだったんだね。


 触れる者全ての魂を滅ぼす、魔剣の中の魔剣。魔王は、魔剣を使えと示唆しさしていたんだ。

 だから、わざと僕から白剣を奪った。


 だけど、思慮しりょが足りなかった僕は、魔王の気遣いに気づけなかった。

 僕は、思い違いをしていたんだ。

 ドゥラネルと霧の化け物を分離させることばかりが頭を支配していて、霧の化け物だけを倒す方法を考えていなかった。


 魔王の悪巧みにばかり気を取られていたせいで、本質を見誤っていたのは僕だ。

 もしかすると、スレイグスタ老はこうなることがわかっていたから、魔王をとがめたり僕に加勢しなかったりしたのかな、と今更ながらに思い至る。


 ああ、僕はまだまだ配慮が足りない。

 強敵を打ち破ったり、禁術を使ったりしたこともあるけど、僕はまだまだ未熟者だね。なんて考え始めると、思考の海に沈んじゃう。

 そしてこうなると、アレクスさんの言葉は半分も頭に入ってこなかった。

 だけど、それはほんの一瞬で、僕はすぐに現実へと引き戻される。


 もちろん、僕を思考の海から引き戻したのは、アレクスさんだ。

 アレクスさんは、この場の全員が驚くべきことを口にした。


「そのレイキは、私の先祖がゆうしていた宝剣ほうけん。それを、魔族の支配者が奪ったのだ。我が一族は、魔族の支配者からレイキを取り戻し、闘神とうしんとして復活することこそを悲願としている」

「えっ!?」


 あまりにも唐突とうとつな告白に、僕だけじゃなく、リステアやスラットンまで驚愕きょうがくに目を見開く。


「先ずは、模造品から返していただく」

「そんなっ!?」


 先程まで、霧の化け物やドゥラネル、そしてスラットンやリステアに向けられていたアレクスさんの敵意は、突如として僕だけに向けられる。

 神剣の剣先は、ぶれることなく僕に向けられた。


 まさか、魂霊の座とアレクスさんに繋がりがあっただなんて!

 そうか、とまたもや手遅れの段階で気づく。

 魔王がふくみ笑っていた僕とアレクスさんとの繋がりとは、魂霊の座のことだったんだ!


 魔剣「魂霊の座」によって、霧の化け物はあっさりと消滅してしまった。どうやら、ドゥラネルも意識を失っているだけで、無事なようだ。

 だけど、霧の化け物よりも恐ろしい強敵を、僕は引き寄せてしまったのかもしれない。


 困惑と驚きのあまり、アレスちゃんと同化することも忘れていた僕に、アレクスさんは容赦なく敵意を向けてくる。

 だけど、そこに割り込んできたのは、勇者のリステアだった。


「待たれよ、アレクス殿。そちらの事情はうかがい知れないが、勘違いもはなはだしい。エルネアは好意で貴方や俺たちに協力してくれたんだ。そのおんあだで返すと言うのか!」

「リステアの言う通りだぜ。レイキとか魂霊のなんたらなんざ知らねえが、馬鹿も休み休み言いやがれ。だいたいよ、模造品を回収したからって、本物が戻ってくるとでも言うのかよ?」


 スラットンも、ドゥラネルの安否を確認すると、リステアと共に僕とアレクスさんの間に割って入る。


「気に食わねえぜ。自分勝手に未来の犠牲がどうのこうのと言っておきながら、自分のことになると問答無用かよ? エルネアから剣を強奪ごうだつして、そうしたらそこからもっとでけぇ問題が出てくるかもとは考えねえってのか!」


 スラットンの言葉に、アレクスさんは無言で応える。


「エルネア、安心しろ。俺たちはなにがあってもお前の味方だ。言ったよな? 仲間はなにがあっても守ってみせると」


 リステアの頼もしい言葉に、胸が熱くなる。


 霧の化け物が消滅し、周囲が見渡せるようになったことで、竜人族の戦士たちにもこちらの様子が見えていた。


「神族の旦那だんな、悪りぃな。俺たち竜人族も、竜王の味方だ」


 霧の化け物討伐に関して中立の立場だった竜人族の戦士たちが、僕の周りに駆けつける。

 そして、そろってアレクスさんへと武器を向けた。


おっとの敵は、もちろん私たちの敵ですからね?」

「なにがなにやらー? でも、ぼくもエルネアっちの味方だよー」


 霧の外で様子を伺っていたセリースちゃんとネイミーも駆けつけて、リステアに並んで武器を構える。


「アレクス様!」


 上空で、ルーヴェントが叫ぶ。

 だけど、レヴァリアに追われて逃げるのに精一杯だ。そこでもしも、ルーヴェントが地上に介入しようと気を移せば、この状況でレヴァリアが見逃すはずはない。

 今でこそ追いかけ回しているだけだけど、竜峰の空の支配者が本気になれば、天族なんて一瞬で殺されてしまう。


 アレクスさんもそれを理解しているのか、真剣に困った様子で、僕たちの様子を伺っていた。


「……たしかに、貴殿の言う通り。レイキを取り戻すことが一族の悲願ではあるが、恩人に刃を向けるのははんする。しかし」


 それでは、気が収まらない。とでも言うのかな?

 でも、それは仕方のないことなのかもしれない。


 魂霊の座の真贋しんがんは、魔族の支配者が保有している。

 模造品も、魔王が持っている。

 普通であれば、願っても手が届く範囲にはないような物なんだ。

 それなのに、模造品のひと振りを、万を超える軍勢を保有する魔王ではなく、少数の仲間と行動するような人族の僕が所持して、目の前にいるんだ。


「おいおい、くそのような考えはしない方がいいぜ? 普通はよ、大将に挑むなら、先ずは取り巻きから倒すってのが相場だからな?」


 にやり、と悪役の笑みを浮かべるスラットン。

 これじゃあまるで、僕が魔王で、勇者様ご一行や竜人族の戦士たちが悪の四天王してんのうみたいに見えちゃうじゃないか。


「エルネアに挑み、剣を奪いたければ、先ずは俺たちを倒してからにしてもらおう」


 リステアも、聖剣を構えてにやりと笑う。


「そういうこった。大将は下がってなよ」

「八大竜王に挑みたいんなら、竜人族の戦士を倒してからにしてもらいたいね」


 竜人族の戦士たちも、やる気満々だ。


 アレクスさんは、僕の周りに壁を作るリステアたちを見る。そして、奥にいる僕に視線を移した。


「貴殿にとって、その剣を持つ意味は?」

「これは、ある騒動の報酬として貰ったものです。本来はこうして使用する気はないんですけど、だからといって譲渡じょうとする気はありません」


 僕には必要ないから、欲しい人にあげちゃう。

 金品ならそうするし、そうしてきた。

 だけど、こうした大切な物をおいそれと手放すようなことはしない。


 だいたい、勝手に譲渡しちゃったら、魔族の支配者に怒られそうだからね。

 怒ったら、それこそ収拾のつかない騒動になりかねません。


 とはいえ、アレクスさんもこのままじゃ気が収まらないだろうし。

 どうすれば、と思考を巡らせていると、スラットンがお馬鹿らしい提案を出してきた。


「まあ、エルネアの剣は諦めろや。だが、鬱憤晴うっぷんばらしには付き合ってやるぜ? 神族とは一度、一対一で手合わせしてぇと思っていたんだ」

「それって、自分が暴れたいだけなんじゃないの!?」


 スラットンの馬鹿げた提案に、ついつい突っ込みを入れてしまう僕。

 だけど、それでアレクスさんの毒気が抜けたらしい。


 突然、快活かいかつに笑い出したアレクスさんを、僕たちは全員で見る。


「失礼、どうやら私は、まだ貴殿らのことを正しく理解できていないようだ。たしかに、模造品といえども取り戻したいというのが本望ほんもうだ。だが、ここで奪うのは早計なのだろう。もう暫く貴殿らと交友し、その上で考えさせてもらいたい」


 僕が譲る気になるかもしれない。

 僕から奪うという選択肢を選ぶかもしれない。

 でもその前に。僕たちと交流し、お互いを理解し合う必要がある。とアレクスさんは言う。


 そして、こうも付け加えた。


「とはいえ、貴殿の申し出は面白い。私も、人族の勇者や竜人族の戦士と腕試しがしてみたいと思う。いかがかな、竜王殿?」

「ええっと。遺恨いこんを残さず、この場限りの大騒ぎということであれば」


 男って、たまには何も考えずに思いっきり暴れたい時もあるよね。

 アレクスさんも、そういう男なんだと思う。

 そして、血の気の多い竜人族の戦士やスラットンも、鬱憤が溜まっていて暴れたりない。


 セリースちゃんとネイミーだけが、呆れたようにため息を吐いていた。


 こうして、一夜限りの武闘会が開かれることとなった。


 ただし、ここにも落とし穴はあった。

 それも、奈落ならくに続く落とし穴が。


「炎よ、俺に力を!」

炎熱えんねつ滅消めっしょう


 最初に剣を交えたのは、勇者のリステアと神族のアレクスさん。

 リステアは聖剣に炎を纏い、アレクスさんは神剣に神術を乗せる。

 そして、ぶつかり合う刃と刃。


 きぃんっ、と夜空を震わせる金属音が鳴り響いた。


「なっ……!」


 絶句するリステア。

 驚きに硬直するアレクスさん。

 スラットンも呆然とし、僕は驚愕のあまり世界がゆっくりと流れているように感じていた。

 僕の瞳は、空にゆっくりとえがきながら飛んでいく刃を追っていた。


 砕けたのは、聖剣。


 リステアの持つ炎の聖剣が、刃の中程から砕け折れた。

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