太古の導き

「ぐっ……。お前は……!」

「ふははははっ。八大竜王ともあろう者が、随分と情けねぇ姿をさらしているじゃねえか!」


 自らの血で出来た溜まりに崩れ落ちるウォルを、巨大な影が見下ろす。

 ごつごつと荒い輪郭りんかくの腕には、はがねよりも硬い鱗が浮かぶ。僅かな星明かりを反射する瞳には、ぎらりと呪怨じゅおんの色が見て取れた。


「ルガ・ドワン……。まさか、生きていたとは……」

「おうとも。俺はあの地獄から生き延びた。貴様らに復讐するためにな!」


 八大竜王ウォルと、巨躯きょくの影が睨み合う。しかし、ウォルは動けない。

 にたり、と影は残忍な笑みを浮かべ、手にした長大な槍を振り上げる。


「ふあぁぁ……。ルガ殿。そろそろ、わらわの結界も維持できなくなります。もう帰りませんと、お約束の時間に遅れます」

「……ああ、わかってる」


 巨躯の背後。瓦礫がれきに腰を下ろすもうひとつの影が、いかにも暇そうな欠伸あくびをしながら言う。ルガは舌打ちすると、並みの人では到底扱えぬだろう長大な槍を、足もとに崩れ落ちた八大竜王へと振り落とした。






 かつて、魔王クシャリラの施政下しせいか、栄華を極めた宮殿があった。しかし、支配者の失脚から続く幾たびかの混乱の後、秀麗しゅうれいであった宮殿は荒らされ、今では見る影もない。

 煌びやかに飾られた壁は砕かれ、細部にまでほどこされた彫刻が美しかった柱は折られ、感嘆かんたんの息が漏れる天井は消え去った。

 蹂躙じゅうりんし尽くされた宮殿は瓦礫の山と化し、今や目を向ける者もいない。

 そんなさびれた跡地に、幾つかの影が集う。


「ふわぁぁぁ。もう、わらわの魔力もからっからです」

「あんたが『魔力』とか言うのかよ。まじ笑えるぜ」


 巨大な影とともに転移してきた女の影に、元から廃墟で寛いでいた細身の男が愉快そうに笑う。


「やあ、お帰り。少し予定よりも遅い帰還だね?」

「バルトノワール様、お許しを。このルガ殿が無駄に暴れまして」

「ちっ。うるせえぞ、イステリシア」

「まあまあ、二人とも。喧嘩は良くないよ」

「うははっ、まじ面白え。大将に声をかけられて集った者が、よりにもよってこういう面子めんつだとはよ」


 廃墟の床にひっくり返って笑う細身の男は、転げ回りながら改めて奇妙な仲間たちを見た。


 自分に声を掛けてきたのは、横倒れになった太い柱の上に座る漆黒の男。名はバルトノワールと言ったか。

 人族に見えるが、なぜか判然としない。物腰は落ち着き払って柔らかく、ぱっと見程度では悪巧みを企むような者には見えない。

 しかし、と細身の男は眉根を寄せる。

 この男は、見た目同様に実力も伺え知れない不気味さがあった。


 続いて、夜に紛れて転移してきた二人を見た。


 巨躯の影は、ルガとかいう名前らしい。己の身の丈よりも長い槍を所持していること以外、細身の男の興味をそそるような特徴はない。

 なぜこんな奴に声がかかったのか、とさえ思ってしまうほどだ。

 だがまぁ、バルトノワールが集めたということは、何かしらの利用目的があるのだろう。


 それよりも、と巨躯のルガの横で大欠伸をする女に視線を移す。


「いい女だ」

「ふぁい?」


 欠伸をしながら返事をしたからだろうか、妙な返しが戻ってきた。


「いやぁ、あんたみいな女は好きだぜ。どうだい、このあと俺と一緒に……?」

「わらわ、魔族は嫌いです。しっしっ」


 無下むげに断られ、細身の男はこれまた愉快そうに笑う。

 実にいい女だ。見た目こそ若く、気怠けだるげな態度だが、この面子にまったく油断していない。

 そして何よりも男の興味を惹き付けるのは、女が持つおどろおどろしい大杖おおつえだ。


 大罪たいざい大杖おおつえ

 自分が持つ大鬼たいきつめと合わせ、現存する九魔将きゅうましょうの武具のひとつ。

 なぜこの女が九魔将の武具を所有しているのか。どこで手に入れ、この地で何を成そうとしているのか。女自身だけではなく、所有物にも強く興味がそそられる。


「それで、バルトの旦那。もうひとり来るんじゃねえのかよ?」


 どうやら、ルガも油断なく集った面々を観察していたらしい。そして、足りない最後のひとりに言及した。


「ああ、そのはずなんだけどねぇ。ライゼン、どうなってるのかな?」

「ああん、一応声はかけたんだぜ? ってかさ、労ってほしいね。こっちに飛んできた奴を探し出すのは苦労したんだぜ?」


 ライゼン、と呼ばれた細身の男は、起き上がって大げさに肩をすくめてみせた。


「だいたいさぁ。最初は古くせぇ遺跡からこっちに来るって話だったじゃねえか」

「いやあ、それはすまなかったねえ。どうも邪魔が入ったみたいでね」

「ったく。俺っちらの邪魔をするってことは、敵だろう? なのに、なぜあんたはそんなに楽しそうなんだか」


 やはり、バルトノワールという男は窺い知れない。

 現存する九魔将の武具は四つ。ただし、その内ひとつは巨人の魔王が保有しているということで、出回っているものは三つということになる。


 女が持つ大罪の大杖。

 ライゼンが持つ大鬼の爪。

 そして、つい最近、なぜか遥か東で発見されたという神殺かみごろしの長剣と九魔将の全身鎧ぜんしんよろい


 九魔将の武具といえば、魔族の間では伝説的な装備だ。しかしだからこそ、所有者は常に狙われ、長い歳月の中で持ち主を転々と変えてきた。

 そしていつしか、九魔将の武具は保有者と共に秘匿されていき、現代ではそう易々と世間に露見はしない。


 しないはずなのだが……


 見渡せば、ライゼンと同様に他の保有者がこの場に集められている。

 全員を探し出し声を掛けたのは、倒柱に座るバルトノワール。

 やはり、油断ならない男だ、とライゼンは内心で笑う。


「おい、俺は今夜に全員が集まると言われたから来たんだぞ? 揃わねぇなら、この女に急かされて来た意味がねえじゃねえかっ!」


 苛立ちも露わに、ルガがバルトノワールを睨む。


 やれやれ、とライゼンは呆れてルガを見た。

 いったい、本当にこいつはなぜ呼ばれたのか。九魔将の武具も所有しておらず、こうして短気を振りまくばかり。

 もっと、面白可笑しくやっていこうぜ、とさとしてやりたい気分になるライゼン。


 だが、バルトノワールに今にも組み付きそうな勢いのルガの気勢を削いだのは、言質に上がった最後のひとりだった。


「集合場所はここだと聞いたのだが?」


 星々の光を飲み込みそうなほど深い漆黒の全身鎧を身につけ、長剣を腰に帯びた偉丈夫いじょうぶが廃墟に現れ、全員の視線が向く。


「おや? 俺は人族にその一式を与えたつもりなんだがなぁ?」

「ふふん、これの前の所有者か。あのような雑魚は早々に斬った」


 偉丈夫は、兜の奥で残忍に笑う。


「あははっ、斬ったとか格好良く言ってるけどさ。あいつ、飛んできた当初から瀕死ひんしだったじゃん」


 しかし、ライゼンに笑われると笑みを消す。


「貴様、適当な場所を言ったな。おかげで俺は遅れたようだ」

「はあ? 俺っちのせいにするわけ? あんたがその装備を馴染ませるのに手間取ったからじゃん」


 けたけたと愉快に笑うライゼン。全身鎧の男はそんなライゼンを一瞥いちべつすると、バルトノワールに向き合った。


「貴様が首謀者か。大体の話はこの者から聞いている」

「……それで、君はお手伝いしてくれるのかな?」


 抜き身の刃のような鋭い殺気を放つ全身鎧の偉丈夫。しかし、バルトノワールはそよ風でも受けるように軽く受け流す。


「話では、もうひとつ面白いものを準備していると聞いていたが?」


 偉丈夫は、反応の薄いバルトノワールから集った面々に視線を巡らせる。

 聞いていた話では、とっておきが準備されているはず。だが、首謀者のバルトノワール以外は九魔将の武具を保有している者が二人と、いけ好かない巨躯の男がひとりだけ。どう見ても、とっておきと呼べるものはない。


 偉丈夫の疑問に、バルトノワールは肩を竦ませて詫びる。


「いやあ、それについては素直にすまないと謝らせてもらおう。準備は進めているんだが、当てが外れてね。なにせ君らの武具よりも情報が少ない上に、不正確で困っているんだ」


 ライゼンは軽薄だが、バルトノワールも大概に軽い。気楽、と言えばいいのか、それとも、この面子を前に余裕が有り余っていると言えばいいのか。どちらにせよ、詫びを口にするものの、反省の色など微塵もない。

 しかし、このバルトノワールの態度に怒りが頂点に達した者がいた。


「なんだと……?」


 ぞわり、と気配を膨らませたのは、巨躯のルガだ。

 恐ろしい気配と同時に、輪郭が変貌する。肩は膨れ上がり、肌を硬い鱗が覆っていく。


「貴様が、全員が初めて集まる重要な要件だからと言うから、この女に従って来たのだぞ? だというのに、間に合わなかっただと?」


 ルガは長槍を握りしめると、一瞬でバルトノワールに迫った。


「いやあ、怖いね。すごい気迫だ」


 長槍のきっさきをバルトノワールの眼前に突きつけるルガ。

 しかし、拳ひとつ分手前という中途半端な距離で刃を止めたせいか、いささかバルトノワールが言うほどは迫力に欠ける。


 だが、ルガはそれ以上動かなかった。


 いや、動けなかった。


 ルガの全身に嫌な汗が浮かぶ。

 いま動くわけにはいかない。


 いつの間にか。

 いや、最初からか。


 ルガの背後。

 鱗に覆われた背中に、僅かな殺意が触れていた。


「うひゃあっ、こいつは怖い」


 ライゼンが笑う。


 ルガの背後には、今にも背中を貫きそうな爪の先端を見せる巨大な竜の手が浮かび上がっていた。

 目を凝らして見れば、半透明の手はバルトノワールの後ろへと輪郭が続き、見上げるほど巨大な竜へと繋がっていた。


「大将、そいつはいつからそこに隠れていたんだい? ってかさ、そいつがとっておきじゃねえの?」


 巨大な双頭の竜は、バルトノワールに殺気を向けていた愚か者が正しく状況を理解したと判断したのか、ルガの背後から手を退ける。そしてそのまま、すうっと空間に消えていった。

 ルガは背後の殺気が消えると、憎々しそうではあるが、鋒を納める。


「ルガさんよぉ、命拾いしたじゃねえか。運が良いな」


 ライゼンの軽い口調に、ルガの怒りの矛先が移る。

 しかし、そこでルガはライゼンの仕草に気づく。


 ライゼンは、自分の首をつんつんと示していた。

 だが、あれは自分のことではない。ふと、ルガは己の首に手をやる。

 ぬるりとした感触に、苦虫を潰すように顔をしかめるルガ。


「旦那、まさか気づかなかったのかい? あははっ、こりゃあ愉快だ」


 ルガの首に浮かぶ鋼よりも硬い鱗の一枚が、ぱっくりと切れていた。そしてそこから、薄っすらと血が流れている。


 いつの間に?

 ルガは、バルトノワールを護り自分を殺そうとした古代種の竜族の気配に気づき、動きを止めた。

 しかし、それ以前に状況を理解していなかったらしい、とルガは改めて冷や汗をかく。


 バルトノワール。

 ルガの動きに、動く素振りさえ見せなかったはずだ。

 だが、どうだ。

 指摘されるまで相手に気づかせないほど鋭利な斬撃が、自分の首を斬っていた。

 バルトノワールがその気であれば、ルガは頭と胴が別々になっていただろう。

 そして、ルガには気付けなかった斬撃が、ライゼンにはどうやら見えていたらしい。

 いや、ライゼンだけではない。漆黒の鎧を身に纏った偉丈夫もか、とルガは密かに歯を食いしばる。


「ふわぁぁぁ。わらわ、夜は苦手です。早く帰って眠りたいです」

「顔合わせは済んだのだろう? 後は各々自由行動と聞いている。俺はこれで失礼するぞ」

「俺っちも、そろそろ行こうかな。面白い見世物も観れたことだしね」


 バルトノワールとルガ以外の三人は、用事は済んだときびすを返す。


「全員、仲良く頼むよ。活動は別々でも、目指す場所は同じなはずだからね」

「同じだと良いがな」


 バルトノワールの言葉に、警戒心を見せる全身鎧の偉丈夫。

 纏まりのないこの場の者たちを信用していないのは明白だ。


「まあまあ、そう邪険にしないでほしいね。ほら、これを持つ者はみんな友達さ。仲良くいこう」


 バルトノワールは懐から赤い布を取り出すと、ひらひらと振ってみせる。

 見ると、集った全員の体のどこかに、バルトノワールの手にする布と同じものがある。


「大将、考えたねぇ。この布っ切れを持っていれば仲間って考え、俺っちは好きだぜ? で、なんでこんな布なの?」


 ライゼンの質問に、バルトノワールは髭の奥の口角をにやりと上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る