あなたの名前は

 よく考えると、僕自身が実家に戻って、母さんたちに報告をしなきゃいけないような気がする。でも、しっかり者のミストラルがなにも言わなかったよね。

 もしかして、僕はミストラルの罠にかかってしまったんじゃないだろうか。


 最北端の村に到着すると、ミストラルは人竜化して、僕を抱きしめて竜峰の空へ。僕も落ちないように、ぎゅっとミストラルに抱きつく。

 いつもながら、華奢なミストラルの腰は腕を回すと丁度良い細さです。


 僕とミストラルは抱き合ったまま、険しい山岳の合間を縫って南下していった。

 何度かの休憩と、数度の魔獣の襲来のあと。

 日暮れ前に、渓谷沿いにある竜人族の集落にたどり着いた。

 残念ながら、ニーミアのようにあっという間の到着とはいかない。

 今夜は、見知らぬ村で一泊することになった。


 ミストラルはどこへ行っても有名人で、しかも大人気。ついでに僕の顔も竜峰ではけっこう売れてきていて、村の人にこころよく迎え入れてもらえた。


「なんだい。新婚旅行かい?」

「他にも嫁さんがいるんだよな? 愛の逃避行か?」


 なんて軽くいじられながら、旅人をもてなす家庭で夕食をご馳走になる。

 この村はミストラルの村とは違って、各家庭で食事を摂るみたいだね。


 満腹になるまでご馳走をお腹に詰めて、案内された部屋へと行く。

 寝台は大きめのものがひとつで、今夜はここで、ミストラルと二人きり。

 ミストラルとは何度か、こうして二人っきりの夜を過ごしてきたけど、いつも緊張しちゃう。

 ミストラルは緊張しないのかな?


「エルネアは先にお風呂に入ってきなさい」

「はぁい」


 お客さん用のお風呂へと向かう。

 お風呂も大きめで、これならミストラルと二人でも入れるんじゃないのかな、と思ってしまう。だけど、誘ってもミストラルは来ないだろうね。

 いや、ここは勝手に決めつけないで、誘ってみるべきだろうか?

 ミストラルは、僕に裸を見られることに抵抗はないみたい。そして僕の裸を見たこともあるわけだし。


 よし、僕も男だ。

 勇気を出して、誘ってみよう!


「ねえ、ミストラル!」


 お風呂場から、少し大きめの声で呼んでみた。


「……どうした?」


 そして現れたのは。

 家のご主人さんだった。


 なぜ……?


「なんかいま、俺を呼ばなかったかい?」

「いいえ、ミストラルを呼んだんです!」

「おお、そりゃあ、失敬した。俺の名前はオストラウってんだ。てっきり、呼ばれたと思って来ちまったよ」

「ごめんなさい……」


 なんて紛らわしい名前なんですか!

 というか、ご主人さんの名前を今まで知らなかった僕も悪いのか。

 ご主人さんは、がははっ、と笑いながら戻って行った。


 そして、代わりにやって来たのは。


「奇遇だな。背中を流してやろう」

「いえ、結構です……」


 なぜ……

 なぜ、ザンがこんなところに。


 次にお風呂場へと入ってきたのは、たくましい赤銅色の肌を惜しげもなく晒したザンだった。


「なにを言う。遠慮をするな」

「僕はミストラルを呼んだのにな……。いたっ」


 がっくりと肩を落としていると、ザンに背中を思いっきり叩かれた。

 ザンが、阿呆あほうめ、という視線で僕を見下ろしていた。

 僕の下心は、ザンにはお見通しみたい。同じ男同士だからね。仕方ないです。


「相変わらず、仲が良さそうで何よりだな」

「うん。おかげさまで」

「もしミストラルを悲しませるようなことをしたら、俺が許さんぞ」


 ミストラルとザンは幼馴染おさななじみで、僕が嫉妬するほど仲が良い。

 ミストラルは、僕に誰よりも愛情を向けてくれる。でも、ザンへは深い友情を見せるので、それがねたみになっちゃうんだよね。

 いけない、いけない。大きく深い心で男らしくあらなきゃね。


「それで、なんでザンがこの村にいるのかな?」


 夕食の時に聞いた話では、ミストラルの村はここから飛んで、あと半日くらいらしい。

 狩りに出て、日暮れ前に戻れなかったのかな?


「俺は今しがたここに着いたばかりだ。今年も夏期に、戦士たちの試練が執り行われる。それの話し合いに向かう途中だ」


 頼みもしていないのに、僕の背中を流し始めるザン。ごしごしと、手加減なく布を背中に擦るものだから、全然気持ち良くありません。とても痛いです!

 ザンには、アイリーさんの背中の流し方を学んでほしいですね。

 そうだ。次回、アイリーさんのところに行くときには、ザンも連れて行こう。きっと、アイリーさんは喜んでくれるに違いない。


「そうなんだ、今年も試練があるんだね」

「去年、お前らの活躍があったからな。戦士になりたいというひよっこが大勢現れて、こっちは大迷惑だ」

「いやいや、ザンは人のことを言えないと思うんだ。竜王だったガーシャークに勝利したじゃないか。あの一件で、ザンは次期竜王だってもっぱらの噂だよ」

「俺はいいんだよ」


 前は自分で洗え、と布を放って、ザンは自分の身体を洗いだす。

 アイリーさんなら、断っても前まで綺麗にしてくれるんですけどね、なんて思って、アイリーさんの性別を思い出し、ひとりで身震いをした。


「今年は、どんな試練になるの?」

「おう、興味があるか? よし、お前も護衛役として参加しろ」

「しまった、罠だ!」


 ザンは、にやりと笑っていた。


 今年はいつも通り、夏ごろに戦士の試練が執り行われるらしい。各地から護衛役の戦士たちが集まり、どこで、どういった試練内容にするか話し合いがある、とザンは教えてくれた。

 僕も、平地に降りてからのことを楽しくザンに語った。


 そして、長湯になる男二人。


「貴方たち、いい加減にしなさい」


 呆れたようにお風呂場に顔を出したのは、遅すぎた登場のミストラルだった。


 はい。ちゃんと服は着ています。


 問答無用でお風呂場の扉を開けて、脱衣所で仁王立つミストラル。

 不意のことで僕は一瞬、どきりと身体を強張らせた。ザンは、ミストラルの登場にも堂々としている。

 裸を見られて、恥ずかしくないのかな?


「そうだな、そろそろ出るか」


 ザンは前を隠そうともせず、ミストラルが仁王立つ脱衣所へと戻る。僕も慌てて後を追う。

 ミストラルは、僕たちがお風呂から上がったことを確認すると、やれやれ、とため息を吐いて、脱衣所から出て行った。


「ザンはミストラルに裸を見られても恥ずかしくないの?」

「はあ? お前、俺たちは物心ついた頃から見たり見られたりしていたんだぞ。今さら恥ずかしがるものなんてない」

「ええっ、ミストラルの裸を、みんなは知っているの!?」

「お前は馬鹿かっ」


 ザンに手加減なく頭を叩かれた。

 どうやら、ミストラルの裸は公然のものではないらしい。あくまでも、ザンは幼馴染だから見たことがあるというだけ、と説明されて、ほっとする。

 でもやっぱり、誰かに見られたことがあるんだと知ると、嫉妬心が湧いてくるよね。


「ちなみに、ザンはミストラルの裸を見てもなにも思わないの?」

「お前には同情する。あのつるぺたを見て、なにを感じろと?」


 ばぁんっ! と脱衣所の扉が開かれた。

 鬼の表情のミストラルが、瞳を光らせて睨んでいた。


 お、おそろしい。


 悪かった、悪かった、とミストラルをなだめながら追い払うザン。さすがに手慣れた感じだったけど、こういった部分もけてきちゃう。

 僕だったら、こういうときは絶対に正座の刑になるのにな。ザンとの反応の違いに、もやもやとしたものが心に沸き起こってしまうよ。


 お風呂から上がると、ご主人さんがちょっとしたお茶請ちゃうけなどを準備して待っていてくれた。

 ザン用の夕食やお酒なんかも出ていて、まねかれるままご馳走になる。

 僕たちが談笑していると、ミストラルがお風呂に行く姿が見えた。そして、お風呂から上がったミストラルを混ぜての宴会になる。

 ミストラルは僕を抱いて飛び続けたせいか、疲れたと言って早めに部屋へと戻って行った。だけど、僕はザンに捕まってしまう。


「なんだ、お前。酒が飲めないのか?」

「うん。飲んだことないよ」

「お子様だな」

「いやいや、僕がお子様なら、ザンもお子様なんだからね!」


 ミストラルと幼馴染のザンは、僕とも年齢が近いわけだ。お酒が飲めるからって、大人ぶっても通用しないんだからね。

 とは言うものの、ちょっぴりお酒には興味がある。

 ユフィーリアとニーナは、毎晩のようにお酒を飲む。それを見ていると、とても美味しそうに見えるんだよね。

 ライラもたまに巻き込まれて飲まされていたけど、彼女は数口で顔を真っ赤にしちゃう。

 酔ったライラは、普段以上に恥ずかしがり屋さんになって、気配を消して隠れちゃうんだ。探すのが大変なんだよ……


「飲んでみるか?」


 ザンに勧められて、お酒の入ったさかずきを手にした。

 山葡萄やまぶどうから作られたという赤紫色の透き通る液体が入っている。

 香りは酒精と甘い匂いが混ざったもの。


 ごくり、とお酒の前に生唾を飲み込む。

 僕は今夜、大人の階段をひとつ登るのだろうか。


「いっちまえよっ」

「おおっ、竜王さん、おとこを見せちゃいな」


 集まった人たちにはやし立てられて、勇気が湧いてくる。

 ゆっくりと杯を唇に持って行き、思いきってお酒を飲んでみた。


「うえぇぇぇ……」


 渋い! 喉が痛い!!

 これがお酒なんだ……

 思っていた味と大きく違い、僕はべぇっ、と舌を出した。

 爆笑する人たち。

 甘くないよ。むしろからい。こんなものが美味しいの!?


「どうやら、お前にはまだ早かったようだな」


 ザンも笑っていた。笑いながら、僕の頭をぐしゃぐしゃに撫でる。そして杯を奪って、残りを自分で飲み干した。

 どうやら、僕はまだ大人の味は理解できないらしい。

 ユフィーリアとニーナの晩酌に付き合うのは、もっと先だね。

 口直しに甘い果実水を飲んで、その後も楽しくおしゃべりをする。

 楽器を持ち出して演奏する人や、それに合わせて踊る人。なぜか、いつも以上にそれらが楽しく感じちゃう。

 手を叩いて騒ぎ、愉快ゆかいに笑う。

 なんだか、自分が自分じゃないみたい。

 だんだん頭がぼおっとしてきて、視界が回りだした。


 むむむ。

 どうやら、酔っ払ってしまったようです。

 酔うと気持ち良くなるなんてよく聞くし、ユフィーリアとニーナも気分が良くなっている姿を見るけど。

 なんだか、気持ち悪くなってきちゃった。

 酔っているとわかると、徐々に自分が別のなにかに乗っ取られたような気持ち悪さを自覚し始めて、楽しかった気分が沈んでいく。

 胸がむかむかするし、頭にも鈍痛どんつうがしてきだしたよ。


「ザン、僕はもう寝るね」

「酔ったか? ひとりで部屋に戻れるか?」

「うん、大丈夫だよ」


 ザンと集まった人たちにおやすみを言って、客室へと戻る。

 部屋に入って扉を閉めると、明かりもなく真っ暗になった。

 ミストラルはもう寝ちゃっているのかな?

 瞳に竜気を宿し、暗闇のなかで視界を確保する。そしてミストラルを起こさないように、そっと寝台へと近づいた。

 ミストラルはすでに布団にくるまっていた。

 大きな寝具の右側が空いていたので、そこへと入り込む。


「楽しかったかしら?」


 すると、ミストラルがこちらに顔を向けてきた。

 竜気を宿した瞳が、肩口まで布団をかぶったミストラルの顔を捉える。

 今まで眠っていたのかもしれない。少しだけ眠そうな瞳で僕を見るミストラル。


「ごめんね。起こしちゃったかな」


 小さくつぶやくと、ミストラルは微笑んで否定した。


「賑やかさが伝わってきていたから」

「うう、それもごめんね」


 疲労の溜まっているミストラルに、もう少し気を使うべきだったね。

 ミストラルと一緒の布団に入り、暗闇のなかで見つめ合う。


「ねえ、ミストラル」


 眠気を妨げちゃうかな、と思いつつ、声をかけてしまった。ミストラルは目だけで「なに?」と返事をしてきて、僕は思っていたことを口にしてしまう。


「ミストラルは、ザンと仲が良いね」

「それは、幼馴染だからね」


 ふふふ、と微笑むミストラル。

 僕の言いたいことが分かっちゃったのかな?

 ミストラルは布団のなかで腕を伸ばしてきて、僕の手を掴んだ。

 温もりのある手の感触が気持ち良い。僕もミストラルの手を握り返す。


「ザンはザン。貴方は貴方よ」

「むうう」

「貴方は、プリシア並みにわがままね」

「ええっ、そうかな?」

「欲張りさん」

「そうかもしれない」


 ミストラルだけじゃない。ルイセイネや他のみんなが別の男の人と仲良くしていると、僕はきっと嫉妬しちゃう。ううん、これまでにも何度か嫉妬してきたよね。

 彼女たちを信頼していないわけじゃないんだけど。やっぱり、独り占めしたいんだ。


「大丈夫よ。みんな貴方のことだけを見ているわ」

「ほんとう?」

「本当よ」

「ほんとうに本当?」


 冗談気味に聞き返したら、ミストラルは笑って、そして唇を重ねてきた。


「ザンとは仲が良いけど、こんなことはしないわ」

「うん」

「わたしたちだって、貴方が女性に囲まれていると気を揉むのよ」

「そうなの?」

「自覚しなさい。貴方は自分で思っている以上に人気なのよ」

「そ、そうなんだ」

「マドリーヌ」

「うっ」

「セフィーナ」

「ううっ」

「アネモネと、最近では勇者の正妻のセリース」

「ううう……」


 いつの間にか、ミストラルはじと目になっていた。


「自覚できたかしら?」

「ごめんなさい」

「わかればよろしい」


 嫉妬心を抱くのは、僕だけじゃないんだね。僕は自分の心だけしか見えていなかったんだ。

 反省です。


 しゅん、と反省する僕を見て。ふふふ、と微笑むミストラル。そしてもう一度、唇を合わせてきた。

 僕はミストラルの手を離し、彼女の腰に手を回す。ミストラルも僕の身体に寄り添ってきた。

 手だけで感じていたミストラルの温もりを、全身で感じる。


 このままずっと、この夜が続けば良いのに。という僕の願いは、酔いから来る睡魔によって阻まれた。

 ぐぬぬ、もうお酒なんて飲むものか。

 ああ、せっかくの夜がもったいない……

 ミストラルの温もりを感じながら、僕は夢の世界へと落ちていった。

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