行きはよいよい 帰りは……

 澄んだ風が、柔らかく吹き抜ける。

 見上げた光の大樹は、春の陽光を受けて新緑色にまばゆきらめいていた。


 もう、邪悪な気配はどこにも感じない。


「あらまあ、素敵な大樹だわね」


 僕たちが感慨深かんがいぶかく光の大樹を見上げていると、アイリーさんが軽やかな足取りで歩み寄ってきた。

 そのアイリーさんも、光の大樹を見上げるような視線だ。

 他にも、戦いが終わったことを知ったみんなが、賑やかに騒ぎながら、こちらに元気よく駆け寄ってくる様子が見えた。


「あんなに激しい戦いだったのに、みんな元気だこと」


 背後からの騒ぎに振り返ったアイリーさんが、柔らかく微笑む。

 僕たちも笑顔だ。


 苛烈を極めた、長い戦いだった。

 誰もが疲弊している。

 だけど、みんなは戦いが終わったことに歓喜して、元気にこちらへ走ってくる。

 頭上を指差し、わいわいと騒ぎながら走る者。負傷した仲間に肩を貸して、ゆっくりと歩み寄ってくる者。戦友と語らいながら、楽しそうにやってくる者。

 大勢の者たちが、賑やかに近づいてくる。


「さあ、呑気のんきにここであの集団を待ち構えていたら、騒ぎに巻き込まれて自由が効かなくなっちゃうわよ?」


 アイリーさんの指摘に、僕たちは笑顔を消して慌てる。


「わわわっ。大変だっ。急いで逃げなきゃ!」


 いや、本当は逃げるんじゃなくて、別の目的が残っているだけなんだけどね?

 でも、今は「逃げる」という表現がぴったりくる。

 だって、こちらに迫るみんなの勢いが怒涛どとうすぎて、凄いんだもん!

 そして、アイリーさんは僕たち家族のことをおもんぱかってくれて、背中を押してくれた。


「ここは、私に任せておきなさいな。全員が揃ってから、みんなで騒ぎましょう」

「はいっ。ありがとうございます!」


 アイリーさんのお言葉に甘えて、僕たちはレヴァリアを急いで呼び寄せる。そして、みんなが駆け寄ってくる前に、空へと上がった。


「それじゃあ、みんなでルイセイネを迎えに行こう!」


 妖魔の王との戦いは、終わった。

 それなら、ひとり遠くで頑張ってくれていたルイセイネを、早く迎えに行かなきゃね。

 勝利を喜び合おうと、せっかく駆け寄ってくれたみんなを放置するのは申し訳ないけど、やっぱり僕の家族にはルイセイネの存在も必要不可欠だ。


 ということで、僕たちはレヴァリアに乗って西を目指す。

 ルイセイネは、竜峰の麓に広がる、深い樹海の奥にいるはずだ。


 地上でぎゃあぎゃあと騒ぐみんなを尻目に、レヴァリアは大小四枚の翼を荒々しく羽ばたかせる。


「いってらっしゃーい」


 光の大樹が大きく広げた枝葉の下で、テルルちゃんが僕たちを見送ってくれた。

 途中、様子を伺いに来たユグラ様とフィレルに、飛竜の狩場の各所に散会してもらっている他の巫女様たちを迎えに行ってもらうように、お願いする。

 その後、僕たちを乗せたレヴァリアは真っ直ぐに、ルイセイネがじんを張る場所に向かって飛んだ。


「ルイセイネ!」

「エルネア君、終わったのですね?」


 樹海の奥にある僅かな空き地に、器用に着地したレヴァリア。僕たちはお礼を言って背中からから降りると、ルイセイネに駆け寄る。

 ルイセイネは座り込んでいるものの、意外と元気な姿で僕たちを迎えた。


「衰弱しているんじゃないかと思って、心配したんだよ?」


 と言うと、ふふふ、とルイセイネに微笑まれる。


「本当は、先ほどまで指先さえ動かせないほど衰弱していたのですが。なぜか、あの霊樹に似た光の大樹が飛竜の狩場に見えてから、少しだけ力が回復したのです」


 ルイセイネが指差す先。樹海の奥からでも、光の大樹を確認することができた。

 雲よりも高くそびえる太いみきから、枝が広大に伸びている。陽光を浴びて、きらきらと新緑色に葉っぱが輝いていた。


 僕たちは、飛竜の狩場に出現した光の大樹を、よく見知っていた。

 竜の森の奥深く。スレイグスタ老が座す苔の広場よりもずっと奥。そこに泰然たいぜんと存在する霊樹の大樹に、光の大樹はよく似ていた。


「エルネア君、あの光の大樹は、霊樹ちゃん……では、ないのですね?」

「うん、そうだよ」


 僕の右腰には、いつものように霊樹の木刀が挿さっている。

 でも、ルイセイネは大きく答えを間違えたわけじゃない。


「あれは、僕が望んだ姿なんだ。いつか、霊樹ちゃんが立派な大樹に成長した時の姿を想像して、顕界げんかいさせたんだよ」


 凄いでしょ! と、自信満々に教えたら、みんなから大きく溜め息を吐かれてしまう。


 な、なんでさっ!?


あきれた大術だこと。妖魔の王を倒すためとはいっても、あまりにも常軌じょうきいっしているわ」

「えええっ、そうかな!?」


 ミストラルの言葉に、うんうんと何度も頷くみんなに、僕は改めて自分の術をかえりみる。


 僕や霊樹の力だけでなく、世界に満ちるありとあらゆる力を巻き込んで、想いを現実に導いた。


 邪悪な者のついとなる存在といえば、幾重にも重なり合った世界を力強く貫き、全てを支える霊樹だと思ったんだよね。

 霊樹は、根から竜脈を吸い上げて、大きく広げた枝葉から生命の息吹いぶきを優しく世界に溶け込ませる。それと同じように、妖魔の王の根源である瘴気や呪いといった禍々まがまがしい存在を吸収させて、浄化してしまえば良いと思ったんだ。


 術を維持するための力は竜脈から吸い上げているので、術が持続している今でも、僕の負担はない。

 こうして、衰弱もせずにルイセイネを迎えに来られたくらいにね。


 そして、取り込んで浄化した余剰の力は、葉っぱに変化して緑豊かに大樹を彩る。

 熟した葉っぱは枝から落ちて、大地に積もる。生命の息吹ををたっぷりと含んだ葉っぱは、植物たちの栄養になって、春を飾る。


 光の大樹の枝葉の下は、今頃は色とりどりの草花で満開だ。


「あんなに恐ろしかった妖魔の王を、わたくしたちは倒せたのですね」


 ほろり、とルイセイネが涙を流した。

 きっと、大法術は相当な負担だったはずだ。それを、こんな樹海の奥地で頑張ってくれていただなんて。


「ルイセイネ、本当におつかれさま」


 僕は、ルイセイネを抱きしめた。

 すると、いつものように横槍が入る。


「エルネア君、私も頑張ったわ」

「エルネア君、私も活躍したわ」


 ルイセイネを抱きしめる僕に、ユフィーリアとニーナが抱きついてきた。


「ううっぷ!」

「ニーナさん、胸の圧迫で苦しいですっ」


 僕とルイセイネは、二人のお胸様に挟まれて、天国と地獄を味わう。


「はわわっ、大変ですわっ」


 そこへ、ライラが加わる。ただし、僕たちを救出する側ではなく、襲う側だ。

 ユフィーリアとニーナの隙間を見つけて、ライラが腕を回す。


「きゃっ。ライラさん、どこを触っているのですかっ」

「はわわっ、不可抗力ですわ」

「ルイセイネの胸は小さいから、握り甲斐がないわ」

「ルイセイネの胸は小さいから、握り難いわ」

「ユフィさん? ニーナさん?」


 僕を巻き込んで、きゃっきゃと騒ぎ出す妻たち。

 もちろん、こうなったらミストラルだって黙ってはいない。


「ほら、セフィーナとマドリーヌも早く参戦しないと、エルネアを独占できないわよ?」

「はっ、言われてみれば」

「むきぃっ、みなさん、はしたないですよっ」


 ついさっきまで、死闘を繰り広げていたというのに。もう今では、身内でいつものように痴話ちわ騒ぎ。

 状況の変化についていけなかったのか、呆気あっけにとられていたセフィーナさんが、ミストラルに声をかけられて我にかえる。

 マドリーヌ様も、巫女装束のそでを巻くって、嬉々ききとして参戦してきた。


 いつもの面子めんつで、いつものように騒ぐ僕たちを、遠目から魔獣たちが混ざりたそうな瞳で見つめていた。






「さあ、そろそろ戻りましょうか」


 家族の無事な再会を、心から喜びあった僕たち。だけど、勝利を分かち合う仲間たちが他にも大勢いる。だから、いつまでも樹海の奥で騒いでいるわけにはいかない。

 ミストラルの号令で、僕たちは戻る準備を始める。とはいっても、待機してくれているレヴァリアのところに向かうだけなんだけどね。


 ルイセイネは自力で立ち上がると、誰の支えもなく歩き始めた。


「本当に、衰弱していないんだね?」

「そう言うエルネア君こそ、今回は衰弱で寝入らなかったではありませんか」

「そうだね。でも、それはみんなのお陰だよ」


 僕だけの力で戦っていたら、いつものように全ての力を使い果たして、最後には衰弱していただろうね。というか、そもそも僕だけでは、妖魔の王は倒せなかった。

 みんなの力を合わせることによって妖魔の王を倒せたのだし、衰弱することもなかったんだ。


「こほんっ。エルネア君、私も大法術を使ったのですが、心配はしてもらえないのでしょうか?」


 すると、マドリーヌ様がわざとらしく咳払せきばらいをして、僕を問い詰めてきた。

 そうだよね。マドリーヌ様も、大法術を使ってくれたんだ。

 だけど、僕が声をかける前に、ユフィーリアとニーナが突っ込みを入れる。


「ちょっと待って、エルネア君。マドリーヌ、貴女は負傷者の治療に当たらなくて良かったのかしら?」

「ちょっと待って、エルネア君。マドリーヌ、貴女は救護班の代表として働かなくて良かったのかしら?」

「むきぃっ、今だけは良いんです!」


 そ、そういえば!


 当たり前のようにマドリーヌ様もルイセイネの迎えに来ているけど、巫女頭みこがしら様なら負傷者の手当てを優先させた方が良かったんじゃないの!? と思ったけど、違いました。


「ルイセイネと同じです。私も、本当は衰弱するくらい疲弊していたのですが、あの光の大樹の優しい光を受けて、動けるくらいには回復できました。ですが、もう法力もからっからですっ」

「エルネア。貴方の、鶏竜にわとりりゅうの術のような効果が、あの光の大樹には宿っているのじゃないかしら?」

「なるほど!」


 光の大樹がもたらす無意識の効果を指摘されて自分でも驚いたけど、ミストラルの言葉には納得できた。

 邪悪をはらい、世界をいやすと願った大術だ。それなら、疲弊した者たちを癒す効果はあるだろうね。

 まあ、さすがに傷を治療したりする効果はないだろうけどさ。


「レティ様のご好意で、ルイセイネを迎えに来られたのですよ」


 法力を使い果たしたけど、動くくらいには回復したマドリーヌ様。そして、マドリーヌ様も僕たちの家族の一員と言って良い。

 だから、レティ様が気を利かせてくれて、現場を離れさせてくれたんだね。

 帰ったら、お礼を言わなきゃ。それと、僕たちも負傷した人たちの介護のお手伝いをしなきゃいけないね。


「さあ、急いで帰ろうか」


 倒木が生んだ小さな空き地で暇そうにしていたレヴァリアに再び乗せてもらい、空へと上がる僕たち。

 目指すのは、光の大樹と、崩壊してしまった大城塞の中で唯一残った塔が建つ場所。


 レヴァリアは、来た時と同じように荒々しく翼を羽ばたかせて飛ぶ。

 心なしか、レヴァリアも戦いの疲れを光の大樹に癒されたようで、元気に見える。


「レヴァリアも、いっぱい活躍してくれて、ありがとうね」

『ふんっ。たいしたことはしていない』

「レヴァリアが謙遜けんそんしている!?」

『うるさいっ、黙れ!』

「うひっ」


 レヴァリアや、人だけじゃない。獣や竜や精霊たちも、みんな頑張ってくれた。

 妖魔の王との戦いは終結したけど、負傷者の手当てを手伝ったり、お礼に回ったりと、これからも大変だね。と言うと、みんなの視線が僕に集まる。


「あら? 精霊たちへのお礼は、エルネアがすると約束していなかったかしら?」

「プリシアちゃんは、きっとエルネア君と遊びたいと思っていますよ?」

「そこへ、絶対に精霊たちも加わるわ」

「そこへ、間違いなく魔獣たちも加わるわ」

「エルネア様、竜族の方々もねぎらいを期待していますわ」

「私たちには妖精魔王の対応は無理だから、エルネア君、お願いするわね?」

「エルネア君は代表者ですので、レティ様や、遠路はるばると来訪してくださったいにしえみやこの方々に代表してお礼を言うべきですよ?」

「えっ。えっ? えええっ!?」


 指摘されると、その通りなんだけどさ……?

 も、もしかして……

 僕は、妖魔の王と戦っていた時よりも、忙しくなるんじゃないかな!?


「衰弱で寝込んでいれば良かったーっ!」


 頭を抱える僕を見て、みんなが笑う。

 笑いながら、手伝うから、となぐさめられた。

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