名門のお嬢様

 レヴァリアに乗って光る大樹の根本に戻ってくると、既にお祭り騒ぎのようなにぎやかさになっていた。

 レヴァリアは、そこへ配慮はいりょすることなく、荒々しい羽ばたきで降下する。

 地上にいた者たちが、慌てて逃げ散っていく。


「レヴァちゃん、みんなが驚いているよ! もう少し配慮してあげてちょうだいっ」

『ちゃん付けで呼ぶなっ! 降りたら、まず貴様から喰ってやる』

「いやいや、どんなにお腹が空いていても、僕を食べちゃ駄目なんだからね?」


 なんて言っている内に、レヴァリアはあっという間に着地した。

 僕たちはお礼を言うと、レヴァリアの背中から降りる。

 すると、すぐさまこちらに向かって駆け寄ってくる人影が。

 ぐるぐると喉を鳴らすレヴァリアを恐れずに、真っ先にこちらへと駆け寄ってきたのは、意外にも巫女様たちだった。

 そして、これまた意外なことに、最初に囲まれたのはマドリーヌ様だった。


「巫女頭様、どうぞお名前をお教えくださいな?」


 にこやかな笑顔でマドリーヌ様の手を取る、巫女様たち。

 巫女装束が普段見慣れているものとは少し違うし、マドリーヌ様の名前を知らないってことは、古の都から来てくれた巫女様なのかな?

 でも、今さらになってマドリーヌ様の名前を聞くだなんて、変な話だよね? と思ったら、少し様子が違った。


 名前を問われたマドリーヌ様が、なぜか困惑しながら目を泳がす。

 そして、ぽつりと自分の名前を名乗った。


「マ、マドリーヌでございます」


 だけど、マドリーヌ様の返答は、駆け寄ってきた巫女様たちの期待したものではなかったようだ。


「いいえ、いいえ、違います。貴女様の家系を示す苗字みょうじをお聞かせくださいな?」


 にこにこと、マドリーヌ様を笑顔で取り囲む巫女様たち。


 はて?

 なぜ、そんなにもマドリーヌ様の苗字が気になるんだろうね?

 しかも、今すぐ確認したいほどに?


 小首を傾げる僕たち。

 ただひとり、ルイセイネだけが「ああ、なるほど」と納得したように頷いていた。


 どうやら、一般人の僕たちは知らなくて、聖職者の人たちには理解できる性質のお話みたいだね。

 なので、僕たちもマドリーヌ様の反応を伺う。


 でも、そのマドリーヌ様は、多数の巫女様たちに笑顔で囲まれて、少し困り気味。助けを求めるように、マドリーヌ様は僕を見た。

 そして、はっと顔を輝かせる。


 ふむ、何か変なことを思いつきましたね?


 マドリーヌ様は、直前までの困惑した反応を一転させて、胸を張って名前を名乗った。


「マドリーヌ・イースでございます!」

「まあ!?」


 マドリーヌ様の名乗りに、巫女様たちが驚いた表情を見せた。

 だけど、そこへ間を置かずに突っ込みを入れたのは、ルイセイネだった。


「マドリーヌ様。巫女頭様ともあろうお方が、嘘はいけませんよ。マドリーヌ様はまだエルネア君と正式に婚姻こんいんなさっていませんので、イース姓ではありません」

「むきぃっ。結婚はお約束いただいていますから、良いんです!」


 せっかくの妙案を直ぐさまルイセイネに否定されて、マドリーヌさまが地団駄じだんだふむむ。

 やれやれ、と苦笑する僕たち。


「でもさ。マドリーヌ様は、何でそんなに苗字を名乗りたくないの?」


 不思議だよね?

 マドリーヌ様は、苗字を隠さないといけない理由があるのかな?

 というかですね。僕も、マドリーヌ様の苗字を知りません!


「さあさあ。私どもに、貴女様の名字をお聞かせくださいな」


 きらきらと瞳を輝かせて、マドリーヌ様に迫る巫女様たち。

 マドリーヌ様は観念したのか、自分の名前を正しく名乗った。


「マドリーヌ・ラファル・ヴァリティエ……で、ございます」

「まあまあ、やっぱり!」


 マドリーヌ様の名前を聞いた巫女様たちが、とても嬉しそうに顔を輝かせた。

 そして、なぜかマドリーヌ様の頭を良々よしよしと撫で始める巫女様たち。

 まるで、おばあちゃんが孫を可愛がっているように見えるのは、気のせいかな?

 いや、気のせいだよね。

 だって、巫女様たちだって若い。十代後半から三十代くらいの巫女様たちが、マドリーヌ様の頭を撫で撫でしている。

 マドリーヌ様は、入れ替わり立ち替わり古の都の巫女様たちに頭を撫でられて、困り果てていた。


「それで、ルイセイネ。これはどういうことなのかしら?」


 これまで、僕と同じように様子を伺っていたミストラルが、事情を知っているルイセイネに問う。

 すると、ルイセイネが教えてくれた。


「ヴァリティエ家といえば、筆頭ひっとうのルアーダ家、ノルダーヌ家、ユラネトス家と並ぶ、星の聖四家せいよんけなのです。今でも、遥か西方の神殿都市では、その聖四家が中心となって人々を導いているのですよ」

「星の聖四家かぁ、初めて聞いたよ。つまり、マドリーヌ様は凄い血筋ってこと?」

「はい。わたくしたち聖職者の間では、とても有名なお話です」

「マドリーヌ様は、凄い人だったんだね!」

「むきっ、私は凄くありませんっ」


 ルイセイネの説明に驚いていると、当事者であるマドリーヌ様が僕に飛びついてきた。

 どうやら、巫女様たちの撫で撫で大会に耐えられなかったらしい。

 マドリーヌ様は僕の背中に隠れながら、恥ずかしそうに言う。


「私などがヴァリティエ家の血筋など、おそれ多いことです。きっと、ご先祖様が勝手に名乗ったか、たまたま同じ苗字なだけですっ」


 マドリーヌ様に逃げられた巫女様たちが、少し残念そうに、僕とその背後を交互に見つめていた。だけど、他者が嫌がることを強要したりしないのが、聖職者だよね。

 僕はマドリーヌ様と巫女様たちの間を取り持ちながら、感じたことを口にする。


「でも、ですよ? そうしてマドリーヌ様ご自身が畏れ多いと言う家系の苗字を、ご先祖様が勝手に名乗ったりするのかな? それと、誤解が生まれるような高貴な苗字とたまたま同じだなんて、それも変じゃない?」


 マドリーヌ様の反応を見ていればわかる。

 星の聖四家とは、聖職者にとってとても大切で、とうとい家柄なんだよね。


 マドリーヌ様は、代々聖職者の家系だという。それなら、ヴァリティエの姓の意味を知っているはずだよね。

 では、その至高の家系を勝手に名乗ったりするかな?

 それに、たまたま同じ苗字だったとしても、畏れ多くて苗字を変えるんじゃないのかな?


 例えば、僕の苗字がたまたま王族と同じだったとしたら。周りからの「あいつ、王家と同じ苗字だぞ」とか「不遜ふそんな苗字だ」という視線や言葉に耐えきれずに、苗字を変更しちゃうだろうね。

 マドリーヌ様のご先祖様だって、同じだったはずだ。それでも、ヴァリティエの苗字を捨てなかった。それはすなわち、マドリーヌ様の家系がヴァリティエ家の由緒正ゆいしょただしい血筋で間違いないからなんじゃないかな?


分家ぶんけであったとしても、ヴァリティエの姓を名乗れるのは家を継ぐ聖職者だけです」

「それなら、確定ね!」


 ルイセイネの補足に、うんうんと頷く僕たち。


「じゃあ巫女様たちは、マドリーヌ様が高貴な血筋の巫女頭様だから、あんなに嬉しそうに撫で撫でしていたのかな? というかさ。なんで、巫女様たちはマドリーヌ様のことに気づいたんだろう?」


 ルイセイネいわく、マドリーヌ様の苗字は、アームアード王国とヨルテニトス王国の聖職者の間では有名らしい。だけど、遠い異郷の地から来訪した巫女様たちがすぐに気づくきっかけが、どこかにあったはずだ。

 すると、ルイセイネが教えてくれた。


「星の聖四家なのですが。これまで、最も多くの聖女を輩出はいしゅつしてきたのがルアーダ家。ノルダーヌ家は巫女王みこおうを、ユラネトス家は神子みこを最も多く輩出してきたと言われています。そして、ヴァリティエ家は、最も多く優れた法術を生み出してきた家系なのです」


 聖四家にはそれぞれに特徴があり、ヴァリティエ家は歴代に渡って、法術や神殿宗教の歴史に研鑽けんさんを深めてきた家系らしい。


「わたくしは遠くに居ましたのでマドリーヌ様を直接は見ていないのですが。マドリーヌ様は、大法術「月蝕げっしょくじん」を使って、新月の陣を上書きされたのですよね?」

「うん、そだよ」

「ふふふ、それでは答えは明白です。月蝕の陣は、ヴァリティエ家に伝わる秘法術であり、発動させるためには、新月の陣を上書きするための「かさ法術ほうじゆつ」という特殊な技が必要なのです。ですので、両方を併せ持ったマドリーヌ様が、分家筋とはいえ、ヴァリティエ家に連なる者だということは、聖職者であればどなたでもわかるのですよ」


 なるほどぉ、と感心しながらルイセイネの話を聞く僕たち。

 その間にも、巫女様たちは僕の背後に逃げたマドリーヌ様を撫で撫でしたそうに見つめていた。


「そりゃあ、応援に駆けつけた地で由緒正しい血筋の人に出逢えたら、とても嬉しいよね。でも、あまりにも人気すぎじゃない!?」


 ヨルテニトス王国の聖職者であれば、巫女頭のマドリーヌ様と接点を持つ機会はあるかもしれない。だから、ヨルテニトス王国の聖職者は、マドリーヌ様に特別な対応はとっても、取り囲んで喜んだりはしない。

 アームアード王国の聖職者であれば、マドリーヌ様を見ることだけでも珍しい。それでも、会えたからといってこんなに歓喜してマドリーヌ様を取り囲んだり、頭を撫でたりはしないよね?


「もしかして、みなさんもヴァリティエ家に関わりのある人たちなのかな!?」


 僕の鋭い指摘に、だけど巫女様たちはにこにこと笑顔を返すだけで、明確な反応は示してくれなかった。


 巫女様たちとマドリーヌ様がわいわいと騒いでいると、レヴァリアが人の気配を嫌って飛び立っていった。

 すると、遠巻きに様子を伺っていた他の者たちが、僕たちにようやく声をかけられるような距離に近づいてきた。


「おい、エルネア。お前ってやつは!」

「リステア! それに、みんなも」


 今度は、僕がみんなに揉みくちゃにされる番だった。

 みんなからぎゅうぎゅうに迫られて、握手を求められたり、頭を撫でられたり、抱きしめられたり。なかには、涙で勝利を喜ぶ者もいて、僕も瞳に涙を溜めちゃった。


 みんなが、喜んでくれている。

 誰もが、勝利を祝っている。


 だけど、ひとりだけ不満の声をあげた人がいた。


「むきぃっ、皆様、どうかお静まりなさいっ」


 マドリーヌ様だった!


 マドリーヌ様は、みんなが寄り集まってくる直前に、僕の背後から逃げていった。それを追うようにして、巫女様たちも僕から離れていたんだけど。

 どうやら、別の場所でマドリーヌ様はまた包囲されちゃったらしい。そして、遠慮なく頭を撫で撫でされていたみたい。


 このまま、僕とマドリーヌ様を中心として、際限なく騒ぎが大きくなりそうだったけど。

 そこは、聖職者を取り纏める巫女頭のマドリーヌ様だ。

 周りの雰囲気に流されることなく、自分の使命を見失っていなかった。


「皆様、お聞きください。勝利を喜び合うことも大切ですが、まずは負傷者の手当てに向かわせてください。それと、亡くなった方々へのとむらいを」


 そうだ。

 軽傷者はまだしも、この戦いで重傷を負った者たちは大勢いる。死者も、残念ながら出ている。

 僕たちはまず最初に、そうした者たちへ手を差し伸べなきゃいけない。

 マドリーヌ様の言葉に、騒いでいた者たちが冷静さを取り戻す。

 すると、そこへ竜王のイドが声をかけてきた。


「死者の埋葬は終わったぞ」

「ありがとうございます」

「なぁに、気にするな。戦いが終わって、力が有り余っている連中にやらせたんだ」


 竜人族の人たちが率先して、亡くなった者たちを埋葬してくれたんだね。

 僕たちはお礼を言うと、みんなで埋葬地へ向かう。


 墓地は、塔が建つ近くに盛り土をして、簡素に造られていた。


「この塔だけは、今後もこの地に残るんだろう? なら、良い目印になる。まあ、塔の上にいる連中には、墓地の側で寛ぐことになっちまうんで、少し悪いけどな」

「いいえ、問題ございません。御子みこ様も、亡くなられてしまった方々の魂のお側に添うことを望んでおられますでしょうから」

「へえ、そうなのかい」


 塔からも、複数のせんたちが降りてきた。

 他にも、負傷している者たちも含めて、戦友や大切な者を見送るために、少し小高くなった墓地にみんなが続々と来てくれた。


「さあ、祈りましょう。勇敢なる者たちの魂が、どうかのこ地で安らぎを得ますように」


 マドリーヌ様が中心となって、聖職者の人たちが鎮魂ちんこん祝詞のりと奏上そうじょうし始めた。


 種族だけじゃなく、部族のしきたりや個々の習慣などによって、亡くなった者の弔い方は違う。

 沈黙で見送る者。亡くなった者の生前の勇姿を語る者。涙を流し、見送る者。歌で弔う者。色々な送り方はあるけど、全員が心から願っていた。


 共に戦ってくれて、ありがとう。

 そして、さようなら。


 僕たちも、深く黙祷もくとうして、祈りを捧げた。

 戦い抜いた者たちだけじゃない。亡くなった者たちの力も合わせて、僕たちは勝利できた。

 誰かが欠けていてら、きっと妖魔の王には勝てなかった。

 今、こうして僕たちが立っていられるのは、亡くなった者たちが命をかけて最後まで戦ってくれたからだ。

 だから、僕は心からの感謝を捧げる。

 そして、全員が女神様のお膝下に昇れますように、と祈る。


「良い祈りである。心からの想いは、全ての者に届く。其方は、此度こたびの戦いでそれを知った」


 はい。おじいちゃんの言う通りだね。

 僕たちの祈りは、きっと亡くなった者たちに届く。

 だから、今は深く冥福めいふくを祈ろう。


 スレイグスタ老や他の古代種の竜族たちも、墓地の周りにつどって祈り捧げてくれていた。


 小高い丘に、優しい風が吹き抜ける。

 僕たちの想いを乗せて、光る大樹が枝葉を揺らす。


 むずり、と背後のスレイグスタ老が鼻をすすった。

 風にあおられて、お鼻がかゆくなったのかな?

 僕は、そっと家族のみんなを呼び寄せた。


 はい。嫌な予感がします。


 直後。


「ぶえええっっっっっくしょょぉぉおおんっっっ!!」

「ぎゃぁああぁぁぁっ!」


 スレイグスタ老が、特大のくしゃみを放った!

 小高い墓地に、悲鳴が響く。

 大勢の者たちが、スレイグスタ老の鼻水の大洪水に巻き込まれた!


 もちろん、僕の家族は空間跳躍によって退避済みです。


「おじいちゃん!?」


 場の雰囲気ふんいきをぶち壊したスレイグスタ老に、僕だけじゃなくてアシェルさんや巨人の魔王まで冷たい視線を向ける。


「待て待て、早まるでない。ほれ、見てみよ」


 スレイグスタ老の視線の先では、大勢の者たち、というか、小高い墓地に集っていた者たちのほとんどが鼻水塗れになっていた。

 誰もが、古代種の竜族が放った鼻水を受けたのだと知って、顔を引きつらせたり悲鳴をあげたりしている。

 だけど、効能は覿面てきめんだ!


「傷が……?」

「治っている?」


 負傷していた者たちが、自分の傷が綺麗さっぱりとなくなっていることに驚き始めた。


 そうか。スレイグスタ老は、負傷者のために鼻水を!


「いやいや。それにしたって、時と場合があると思うんですよね?」

「かかかっ。時と場合は、今であろう。亡くなった者たちへの弔いも大切だが、其方らは勝利した。ならば、生き残った者たちは勝利のうたげもよおさねばなるまい? 負傷した者も含めてな」


 さっきまでの、死者を弔う沈んだ空気は、もうどこにもない。

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ者たち。

 なるほど。スレイグスタ老は、ちょっと強引だけど、場の雰囲気を一変させるのと同時に、負傷者を癒してくれたんだね。


「ありがとうございます、おじいちゃん」

「なあに、気にするでない」


 かかかっ、と豪快に笑う、スレイグスタ老。

 だけど、笑えない人たちがごく一部に存在していた。


「エ、エルネア……」


 引きつった顔で僕に声をかけてきたのは、鼻水まみれのリステアと、勇者様ご一行です。


「な、何かな?」


 ごくり、と唾を飲み込んでリステアを見る僕。


「も、もしかしてなんだが……。俺たちがこれまで、有り難く使わせてもらっていた秘薬とは……?」

「うん、そうだよ。おじいちゃん謹製きんせいの鼻水でした!」


 どうやら、秘薬の正体がリステアたちに知られてしまったらしい。

 しかたない、と清々すがすがしく返答する僕。

 逆に、リステアやセリースちゃんたちは、白目を向いて硬直していた。

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