示された光の道

 フィレルたちを迎えにいく前に、しばしの休憩。

 傷は癒えたけど、雲竜のネレイラーシャ様と全力でぶつかり合ったので、みんな疲れているからね。

 僕たちを治療してくれたイシス様は、その間に色々なお話を聞かせてくれた。


「難しい話だよね。誰を助けて、誰を見捨てるかなんて、簡単には答えが出ないよ」


 イシス様は、心の底から苦しんだに違いない。

 巫女としての責務を果たしたいのに、全てを救うことはできない。戦争を早期に終わらせるために兵士を癒すべきなのか、いま目の前で苦しんでいる人々を救うべきなのか。

 僕だったら、家族最優先という明確な順位基準があるけど、全ての者に等しく慈悲をほどこす巫女様は、そうはいかない。


 イシス様は、どんな選択をすれば良かったんだろう。

 どうすれば、みんなが幸せになれて、イシス様も思い悩むことがなかったのか。

 今でも、イシス様は当時の葛藤かっとうに心をさいなまれている。だから、ネレイラーシャ様の雲の奥に隠れて、ひっそりと生きてきたんだ。

 誰とも接触しなければ、何を救って何を見捨てるかを選択せずに済むからね。

 だけど、いつまでもこのままではいけない。


 女仙だからではない。巫女様だからでもない。

 だって、生きているなら意味のある運命を送らなきゃ、もったいないからね。

 では、どうすればイシス様は救われたんだろう、と思い悩んでいると、レヴァリアの傷が全て癒やされたことを確認し終えたマドリーヌ様が声をかけてきた。


僭越せんえつながら。大神殿の巫女頭みこがしらとして、言わせていただきます」


 珍しく、少し厳しい声音こわねのマドリーヌ様。僕たちは思わず注目した。


「イシス様。申し難いことではあるのですが……。貴女様は、間違っていたのです。いいえ、貴女様が、というよりも、当時に神職だった者たちが、と言うべきでしょうか」


 何を言う、と怒りに喉を鳴らすネレイラーシャ様を、イシス様がなだめる。そして、何を言われても覚悟しております、とマドリーヌ様へ向き直る。

 マドリーヌ様も身を正すと、巫女頭という立場でイシス様に向き合った。


「エルネア君。私どもはなぜ、国ごとに大神殿を設け、各国の巫女頭を筆頭として人々に奉仕しているのか、おわかりでしょうか?」

「ええっと、それは……?」


 アームアード王国にはアームアード王国内を纏める大神殿があり、巫女頭様がいる。同じように、ヨルテニトス王国であっても魔族の国であっても、国ごとに大神殿が建立されて、巫女頭様がそれぞれにいる。その意味を、マドリーヌ様はイシス様にではなくて僕に問う。

 そうしながら、自ら答えを口にした。


「私たち聖職者は、国に仕えず、支配者に屈したりはいたしません。であるにも関わらず、なぜ私たちは国ごとに大神殿を建立し、明確に所属する神殿を名乗るのか。それは、全ての人々を救うなど、聖女様でも無理だからです」


 ルイセイネも、真摯しんしな表情でマドリーヌ様を見つめていた。


「救えないのです、残念ながら。私どもの手は小さく、すくいあげることのできる者の命の数量はごくわずかなのです。だからこそ、目の前の者を全力で救い、奉仕しなければいけないのです。イシス様、貴女様の苦悩は理解できます。ですが、答えは最初から示されていたのです。巫女は、己が所属する国の者たち、管轄する地域の人々を最優先に考えて奉仕すべきだったのです」


 王都などの大都市であれば、大神殿だけでなく、小神殿や末社まっしゃが数多く建立され、聖職者が配置されている。それはひとえに、活動範囲を細かく区分することで、その地域を大切に想って奉仕してもらうためだ。


 では、イシス様はどうだったのか。

 お話から、イシス様は亡国ぼうこくの大神殿に身を置いていた。ならば、王都の人々を最優先に考えるべきだったとマドリーヌ様は言う。


「奉仕する対象を明確にする。それは言い換えると、場合によっては所属の違う人々を見捨てる場合もある、ということです」


 いつも誠実で、全ての者たちへ平等に慈悲を与えると思っていた清らかな聖職者から、思わぬ言葉を聞く。

 えっ、と目を見開いて、僕たちは驚いた。

 マドリーヌ様は、そんな僕たちに、迷いなく言う。


「私は、ヨルテニトス王国の大神殿の巫女頭です。ですから、もしもアームアード王国と戦争になった場合は、ヨルテニトス王国の聖職者たちに迷いなく、こう言うでしょう。ヨルテニトス王国の国民を救いなさい、と」


 兵士であれ、国の民であれ、ヨルテニトス王国に住む者たちを救うように指示を出す。そして、アームアード王国の者たちは兵士であれ民草であれ、見捨てなさい。と、マドリーヌ様は迷いなく指示を出す、ときっぱりと断言した。


「でも、それって……」

「間違っていないと、私は悩みませんよ? だって、そうでしょう。私がヨルテニトス王国で奉仕するように、アームアード王国にもまた、奉仕する聖職者たちはいるのです。ですから、手に余る人々、戦時中であれば他国の者は、他国の巫女や神官たちが救うべきなのです」

「それでも、助けを求められたらどうするのかしら?」

「ミストさん、だからこそ私たちは日々、考えなければならないのです。助けるべきか、助けざるべきか、ではなく。どうすれば救いを求める者が減り、兵士たちが傷付かずに済むのかを」


 マドリーヌ様は、イシス様に言う。


「貴女様は、誰を助け、何を救うかという以前に、向き合わなければならなかったのです。際限なく戦争を起こす支配者と。そして、傷が癒えると戦場へ戻っていく兵士たちに」


 ああ、とイシス様が辛そうに吐息を漏らす。


「なぜ、王をいさめなかったのです。なぜ、兵士たちを説得しなかったのです。なぜ、全癒の魔眼で癒すばかりだったのです」


 たとえ全癒の魔眼を持ってしても、戦争で傷ついた者たち全員を癒すことはできない。

 目に映る者、神殿を訪れた者だけが恩恵に預かるばかり。それなのに、イシス様は、言われ、われるままだけに特別な力を使うばかりで、広い視野で遠くを見ようとしなかった。

 もしもマドリーヌ様の言った考えを日々の奉仕の中で深く考えていたのなら、もう少し心は穏やかでいられたかもしれない。


 王が戦争のために兵士を癒せと言うのなら、なぜ戦争をするのだと戒めるべきだった。

 戦地に戻ろうとする兵士を、何がなんでも説得すべきだった。

 他国の兵士の傷は、他国の巫女が癒すべきだった。

 遠くの村の病は、遠くの村の神殿に務める者が全力で応対すべきだった。

 だけど、イシス様は全てを自分の内側に抱え込んでしまって、その重みに耐えきれずに壊れてしまったんだ。


「もちろん、当時の聖職者たちも、私が言うまでもなく様々に手を尽くされたのでしょう。ですが、貴女様のお話からは、自分の苦悩しかこぼれませんでした。それはすなわち、貴女様が過去も現在も、救いを求める者たちではなく、自分しか見ていなかったということです」


 あっ、と涙を零すイシス様。

 マドリーヌ様の容赦ない言葉は、イシス様の心を深くえぐる。それでも、マドリーヌ様は指摘した。巫女頭として。


「貴女様は、己の安寧を求めてしまいました。ですが、違います。目指すべきだったのは、世界に生きる者たちの平穏だったのです」

「ああぁぁ……」


 泣き崩れるイシス様。

 マドリーヌ様の言葉は、神職に身を置く者にとって、どこまでも正しいんだろうね。だから、反論できない。

 逃げ続けてきた自分が間違っていたのだと、イシス様は理解しているから。


 だけど、このままではイシス様は救われない。

 それに、過去の過ちは反省すべきだけど、間違っていたと気づけたのなら、きっとやり直せるはずだ。

 なにせ、転生して女仙となり、僕たちと同じように長い寿命を得られたのだから。きっと、これからの未来に救いはあるはずだ。


「あっ、そうか」

「エルネア君?」


 急に声を上げた僕に、みんなが注目する。


「イシス様は女仙様で、御子様のことも気になるんですよね? それなら、イシス様は御子様にご奉仕することこそが、これから目指すべき使命なのかもしれませんね?」


 なぜ、イシス様が女仙へと転生したのか。

 それって、生前に道を間違えたイシス様への、女神様からの新たな試練だったんじゃないのかな?

 イシス様は、祈り続けたんだよね。救いをください。道をお示しくださいって。そうしたら、女仙へ転生した。


 僕の言葉に「ああ……」と、さらなる涙を溢して泣き崩れるイシス様。


「これが……。この転生こそが、女神様のお与えになった啓示であり、私の試練だったのですね……」


 間違いないと思うよ?

 だって、女神様は心からの祈りにはきちんと応えてくださるからね。と、僕が言うと、ルイセイネに苦笑された。


「エルネア君が敬虔けいけんな信者であってくれて、わたくしもマドリーヌ様も嬉しいですよ」

「うっ!」


 今度から、もっと真面目にお祈りしよう。


 子供のように泣き崩れるイシス様に、ネレイラーシャ様が静かに寄り添っていた。


「そうか、わかったよ」


 僕はネレイラーシャ様とイシス様を見て、もうひとつの答えを見つける。


「ネレイラーシャ様は、竜神山脈を出て大切なお役目に就きたいって願っていたみたいだけど。もう、立派に守護竜の務めを果たしているじゃないですか」


 僕の言葉に、今度はネレイラーシャ様へみんなの視線が集まる。

 そして、一様に頷く。


「そうね、エルネアの言う通りだわ。間違いなく、守護竜としての役目を担っているわね」


 悲しみ、途方に暮れていたイシス様。その傍に何百年も優しく寄り添い続けたネレイラーシャ様。

 きっと、ネレイラーシャ様が側に居てくれなかったら、イシス様の心はとうの昔に壊れ果てていたに違いない。それを支え続け、見守り続けてきたネレイラーシャ様は、イシス様の立派な守護竜だ。


「我が……」


 イシス様を見下ろすネレイラーシャ様。

 気高き古代種の竜族であれば、本来なら「人如きを守護することが命題だと!?」と怒りそうだけど。でも、ネレイラーシャ様は僕に指摘されて、嬉しそうに表情をほころばせた。


「そうでしたか。我は、ずっと昔からお役目を果たしていたのですね。イシスを守護する、守護竜。なんと誇り高きお役目でしょう」

「ネレイラーシャ様」


 イシス様も、大粒の涙を溢しながら、傍に寄り添うネレイラーシャ様を見上げた。

 そして、お互いに微笑みあう。


「イシス、これからも我が傍にいます。だから、どうかいつまでも悲しまないで」

「ネレイラーシャ様、ありがとうございます」


 ネレイラーシャ様にはげまされて、ようやくイシス様の瞳から涙が零れ落ちなくなる。

 だけど、イシス様の表情が完全に晴れたわけじゃない。まだ、どことなく陰を見せるイシス様。


 まだ、何か問題があるのかな?

 イシス様は過去の過ちを理解したことで、これからは神職に身を置いた者として真摯に自分と向き合うことができるはずだ。

 ネレイラーシャ様も、掛け替えのないお役目に誇りを見出してくれた。

 僕たちからみれば、イシス様とネレイラーシャ様のこれからは、順風満帆に見える。

 だけど、イシス様は僕たちが思っていた以上に真面目で、しかも自分の過ちに深い自責の念を抱いていたようだ。


「女仙へと転生した意味を、私は教えていただきました。ですが……」

「もしかして、御子様のところへは行けない?」

「はい」


 女仙様たちのお務めといえば、御子様を大切に守護し、成長を見守ることだよね。でも、イシス様は女仙の列には戻れないと悲しく言う。


 もしかして、イシス様はネレイラーシャ様のことを気遣っているのかな?

 イシス様が女仙として復職したら、守護竜のネレイラーシャ様の立場はどうなっちゃうんだろう?

 でも、カルナー様やレストリア様のことだから、ネレイラーシャ様についても配慮してくれると思うんだけどな?

 なんて僕の考えは、まったくの的外れだったみたい。


「違うのです。今の私は、御子様にご奉仕する資格がないのです」

「それは、逸れ女仙だから? それこそ、心配ないと思いますよ? カルナー様は、こころよくイシス様たちを迎え入れてくれると思います」


 なんなら、僕たちが直談判じかだんぱんしてもいいよね。

 イシス様は立派な女仙だと思うし、ネレイラーシャ様は誇り高い守護竜だ。資格は十分にあると思う。

 だけど、イシス様は僕の後押しを聞いても、首を縦に振ってはくれなかった。


 よほど負い目を感じているに違いない。

 女仙へ転生してから、これまでの数百年間。お役目から目を逸らして逃げ続けたイシス様。

 とても真面目な性格だからこそ、自分の過ちが許せないのかもね。


「では、これならどうでしょう?」


 僕は、マドリーヌ様を確認しながら、提案する。


「この国の東部に、聖職者の方々が厳しい修行をするための場所があるんです」


 ああ、なるほど。と僕の意図を理解したみんなが笑う。


「とても深い森と、綺麗な湖があって、楽園なんて呼ばれているんですけどね。でも、本当は大変な場所なんです」


 なにせ、森には竜族が跋扈ばっこしているし、そこら中に精霊たちがいて、悪戯をしたり遊びまわっている。でも、そういう土地だからこそ、聖職者の人たちにとってはしっかりと修行できる場になっているんだよね。


「エルネア君。そこからは私が」


 マドリーヌ様が僕の提案を引き継いで話してくれる。


「そこでは、特殊な立場の者や将来有望な者たちが修行に励んでいます」

「特殊と申しますと?」


 イシス様の問いに、マドリーヌ様は答える。


万物ばんぶつの声を聞ける者や、耳長族の者。他にも、様々な者たちがいます」


 僕たちと面識がないだけで、楽園ではルビアさんやイステリシア以外にも、特殊な立場や力を持った人たちが集まってきているんだろうね。


「そして、貴女様は巫女であり、女仙です。どうでしょうか。女仙の巫女として、若輩者じゃくはいものたちを指導していただけませんか。そうして、女神様にご奉仕する巫女や神官を育てることで、みそぎとしてはいかがでしょうか。そうすれば、いつかは御子様のお世話を担う日も訪れましょう」

「わ、私が……?」


 思わぬ提案を受けて、イシス様は困惑気味にネレイラーシャ様を見上げた。

 ネレイラーシャ様は、そんなイシス様を優しく見下ろす。


「良いではないですか、イシス。間違った道を進み続けてしまった我と其方ですが。これから、この方々の手を借りて正しき道へ戻れるのだとしたら、素敵なことだと思いますよ?」


 そうですよ。僕たちだって、何があれば協力しますから!

 だから、差し当たっては、楽園の指導巫女として徳を積むなんてどうでしょう?

 ヨルテニトス王国の巫女頭であるマドリーヌ様も、イシス様の就任を望んでいた。

 だって、そうすれば楽園の運営という肩の荷が軽くなるからね!


「そ、それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

「我も、其方と共に楽園へ赴きましょう」

「今度は、楽園の守護竜様ですね!」

「ああ、なんと心意気の良いことを言う御使い様でしょう」


 ネレイラーシャ様が、感動の咆哮を放つ。

 イシス様も、新たな道が示されて、ようやく表情から陰をはらう。

 どうやら、イシス様とネレイラーシャ様が抱えていた問題は無くなったようだね。


「これで、万事解決。じゃなかった! フィレルたちを迎えに行かなきゃいけないんだよね」


 それに、と僕はルイセイネを見た。

 全癒の魔眼を持つイシス様は、僕たちが探していた逸れ女仙様だった。

 ルイセイネの魔眼の暴走を止める手掛かりを、得られるかもしれない。

 イシス様たちだけでなく、僕たちが抱えていた問題にも光が差し込みそうだね!

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