視るべきもの

「……と、いうことだったんだよ、フィレル!」

「エルネア君。助けに来てくれたのは嬉しいんですけど、途中、僕たちのことを忘れていませんでしたか!?」

「な、何を言っているのかな? 気のせいだよ。さあ、帰ろう!」


 雲竜ネレイラーシャ様の気が収まると、北部山岳地帯を広く覆っていた雷雲は静寂せいじゃくを取り戻した。そして、僕たちがイシス様からお話を聞いたり、今後のことを話していたら、すっかりと雲は晴れて、天災のようにも思えた状況はなくなった。

 それで、僕たちは雲が晴れると、フィレルたちを迎えに飛び立ったわけだ。

 イシス様とネレイラーシャ様をお供に。


『なるほど、雲竜様であったか。それを見抜けぬとは、我もまだまだであるな』

「そんな、はく! 我らは、伯の機転のおかげで、こうして生き延びられたのです」


 お世話役である三人の竜人族の戦士さんが、ユグラ様をねぎらう。

 聞けば、雷雲はやはり、フィレルたちを呑み込んだ直後から荒れに荒れたらしい。おそらく、その辺りでネレイラーシャ様がアルギルダルに騙されて、侵入者に対して過敏になったんだろうね。

 でも、ユグラ様がすぐさま異変に対応して、こうして洞窟の奥へ避難したわけだ。

 まあ、ネレイラーシャ様はそれをも把握していたみたいだけど、そこは賢明な古代種の竜族だ。余計な被害は出さないでくれたみたい。


 そして、フィレルたちが避難した大きな洞窟の奥には、他の飛竜騎士団の面々も顔を揃えていた。


「アーニャさん、ご無事で何よりでした」

「はい。お助けいただき、フィレル殿下や飛竜騎士団揃って、感謝の至りでございますです」

「そんな、かしこまらないで」


 だって、言ってみればフィレルやアーニャさんたちは、この騒動に巻き込まれてしまった被害者だからね。

 悪いのは、全てアルギルダルです!


「にゃんっ」


 竜騎士さんたちは、外で待機するネレイラーシャ様に驚きつつも、自分たちの飛竜を引っ張って洞窟を出る。

 飛竜たちも、間近で見る古代種の竜族に少しおびえつつも、雷雲が晴れたことでようやく飛べると、避難場所から出てくれた。


「それでは、我々は周辺の村の様子を見てきます」


 そして、元気に飛び立っていった。


「フィレルとアーニャさんには、今回の報告担当であるライラを連れて王都に戻ってほしいな?」

「はわわっ。エルネア様、さみしいですわ」

「大丈夫だよ。僕たちもすぐに王都へ行くから。だから、ライラ、王様への報告は任せたよ!」

「はいですわっ」


 なんて建前を準備したけど、本当はライラを早く王様と会わせたいだけです。それはみんなも承知の事実なので、フィレルたちも快く承諾してくれた。


「それで、エルネア君たちは王都へ向かわずに、これからどちらへ?」

「僕たちは、このまま楽園の方へ行こうと思っているんだ。イシス様を送り届けなきゃいけないからね」


 イシス様の「全癒の魔眼」については、フィレルに報告は入れたけど、一般には他言無用でお願いした。

 噂が広まると、イシス様に負担が行きすぎるし、なにより楽園の安息が脅かされちゃうからね。

 まあ、不用意に楽園へ近づく不届き者がいたとしても、守護竜のネレイラーシャ様に排除されるのは間違いない。

 とはいえ、やはり騒ぎにならないのが一番だ。


 ということで、丁度良く巫女頭のマドリーヌ様もいることだし、イシス様とネレイラーシャ様には楽園へ直行してもらって、現地の者たちには僕やマドリーヌ様が報告を入れる手筈てはずになっていた。

 それに、と僕はルイセイネを見た。






「……そうですか。後天的こうてんてきに魔眼を」

「はい。イシス様の全癒の魔眼も、後天的に授かったとお聞きしました」


 フィレルたちを迎えに行く前のことだった。

 僕たちは、ルイセイネの魔眼の事情をイシス様に話した。


 カルナー様のお話によれば、イシス様の魔眼もまた、後天的なものだという。ならば、魔眼の暴走を止めて、正しく制御する方法をイシス様なら知っているかもしれない。

 だから、カルナー様は逸れ女仙であるイシス様を探しに出てくれたんだよね。

 まあ、結果としては、色々な事情があって僕たちの方が先にイシス様を発見したわけだけど。


 イシス様は、僕たちの話に耳を傾けながら、改めて瞳を覆った帯に手を触れた。


「この帯は、封印帯ふういんたいです。私の魔眼は、無意識であっても視界の全てを癒してしまいます。ですから、普段はこうして魔眼を封じているのです」


 頭部に、何重にも巻かれた封印帯。でも、それだと視界はまったくないことになるよね?

 それでも、イシス様は迷いなく歩くし、僕たちの挙動もしっかりと認識しているように見て取れる。

 僕たちの疑問に「視えてはいませんが、感じ取れています」と答えるイシス様。


「もしかして、イシス様は世界の息吹いぶきを感じているのかな?」


 かつて、僕はアーダさんに教わった。

 他者の気配を探るのではなく、世界の息吹を読み取れば、視えない者、気配を消した者でさえ存在を感じ取れると。

 同じように、イシス様も世界の息吹を読み取ることによって、周囲の全てを、まるで視えているかのように認識しているのかも?

 尋ねると、はい、と頷かれた。


「ネレイラーシャ様に教わったのです。それでも、会得するまでに長い歳月を要しました。それを、エルネア様はそれほどお若い歳で身につけたのですね。素晴らしいことです」

「いやいや、教えてくれたアーダさんの指導が上手かっただけですよ?」


 と、弁明したら、隣でミストラルがわざとらしくせきをした。


「エルネア?」

「違います。誤解です!」


 嫉妬されちゃった。


 でも、アーダさんは絶世の美女だったけど、変な気は起こしていませんからね?

 それに、と思うんだ。

 アーダさんは、色恋沙汰いろこいざたなんてものとは無縁なくらい高貴で、触れることさえ躊躇うような清らかさを持っていた。

 そう。それはまさしく、聖女様のように。

 だから、アーダさんのことは美人だとは思っても、変な気は微塵も起きないんだよ?


 なんてことは置いておいて。

 本題に戻る僕たち。

 イシス様は、封印帯にそっと指を這わせながら、話してくれた。


「私の場合は、幼少の頃にこの魔眼を授かりました」


 何十年も戦争が続く時代に、イシス様は生まれたという。

 代々が巫女の家系だったこともあり、イシス様も物心つく頃には既に、巫女の修行を始めていたという。

 そして、日々運ばれてくる負傷兵や巻き込まれた人々をたりにし、幼心にも平和を祈る想いが芽生えた。

 イシス様は、寝食を忘れるほど、祈り続けた。

 修行の合間。奉仕の合間。少しでも時間があれば、女神様に祈り続けたという。


「どうか、苦しむ人々を癒す力をお授けください」


 それは、奇跡ではなかったけれど。

 ある日、イシス様の瞳が緑色に輝き始めた。そして、視界に映る者の傷を治し、心を癒すようになった。


「私の魔眼は、法力に由来するものでしたので、流れ星様のような気苦労はありませんでした」


 法力由来といっても、イシス様自身の法力は消費しないらしい。だから、イシス様がどれだけ疲れていても、全癒の魔眼は発動し続ける。

 そして、後転的な特殊能力だけど、法力の宿った瞳ということで、力を行使することに神殿側から規制は掛からなかった。


「ですが、正直に申しまして、暴走などの苦労はしませんでした」

「では、イシス様はどうして、封印帯をされているのでしょう?」


 それはけっして、見えるもの全てを癒すから、という理由だけではないような気がした。

 すると、イシス様は少しだけ躊躇いを見せた後に、ぽつりと呟いた。


「……逃げていたのです」


 イシス様が、辛そうにうつむく。


「先だって巫女頭様がご指摘されたように、私は自らに課せられた役目から目を逸らし続けてきたのです。誰かを癒すことが怖く、魔眼を封印することで、責務に背を向け続けてきました」


 ですが、とイシス様は続ける。


「巫女頭様の指摘を受け、皆様に励まされたことで、私はようやく気付くことができました」


 何を、と聞くと、イシス様は伏せていた顔を上げて、微笑みながら答えた。


「全ては、女神様のお与えくださったご慈悲と試練なのです。私の全癒の魔眼も。そして、流れ星様の新たな力も」


 イシス様は、封印帯越しにルイセイネを見つめ、そして言う。


「私が言うのはおこがましいことなのかもしれませんが。流れ星様が授かった新たな力が女神様の試練であるのなら、逃げてはいけないと思うのです。正しく向き合い、克服することこそが、力を授けてくださった女神様へむくいることになるのではないでしょうか」

「そうか!」


 僕たちは、勘違いしていたのかもしれない。


「暴走する力を押さえ込むことばかりを考えていたけどさ。そうじゃなくて、力を解放させるべきなんじゃないかな?」

「エルネア君!?」


 僕の突飛とっぴな発言に、ルイセイネが目を白黒させる。

 きっと、魔眼の力が勝手に暴走するのだから、解放してしまっては駄目なのではないか、と思ったんだろうね。

 でも、違うんだ。


「ルイセイネの竜眼は、常時発動型の魔眼だよね」

「はい。今でもエルネア君やネレイラーシャ様の竜気の流れはしっかりと視えいますよ?」

「うん。それで、さ。新しい魔眼は、どうなのかな?」

「と、仰いますと?」

「ルイセイネは、イシス様の全癒の魔眼のように、常に竜眼が発動しているよね。そこに新たな力が加わったときにさ。それは、ライラの支配の瞳のような、意図的に発動する魔眼なのかな? 僕は、違うような気がする」


 強い力は瞳に宿る、とう。だけど、ひとりの瞳に、あれやこれやといろんな種類の力や発動条件の違う魔眼が混在できるものなのかな?

 そうじゃなくて、もしもある程度の法則や規則性があるのだとしたら。ルイセイネの新たな力も、本来は常時発動型の魔眼なのではないか、と僕は思ったんだ。


「常時発動型だけど、まだ力が不安定だから発動したり収まっていたりする。でも、やっぱり常時発動型だから、ある程度の力が貯まると、勝手に発動しちゃう。そのときに、ルイセイネの瞳が驚いて、暴走状態になっちゃうんじゃないかな?」

「言われてみると、そうかもしれませんね……」


 だからさ、と僕はイシス様のお話に戻す。


「ルイセイネの力は、押さえる努力をするんじゃなくて、いつでも解放状態でいられるように修行すべきなのかも?」

「ちょっと待って、エルネア。そうは言うけれど、ルイセイネの瞳は意図せず暴走するし、暴走が続けば失明の可能性もあるのよ?」


 ミストラルが、怪訝けげんそうに眉根にしわを作った。

 だけど、僕はイシス様を振り返って、確信を持って言う。


「今なら、イシス様の全癒の魔眼があるよね!」


 あっ、とみんなが目を見開いて驚く。そして、全員でイシス様の前に並び、お願いをした。


「イシス様、どうかルイセイネの力になってください!」

「はい。私も、ぜひお手伝いできれば、と思っておりました」


 イシス様も、喜んで僕たちのお願いを受けてくれる。


「我らは、己の運命から目を逸らし続けてきた。其方は、正しく見るべきものを視よ」


 ネレイラーシャ様も、優しく僕たちを見下ろす。






「僕は、イシス様たちとルイセイネを楽園に送り届けなきゃいけないからね」

「エルネア君、よろしくお願いいたしますね」


 フィレルたちに説明していると、ルイセイネが上機嫌で僕に寄り添ってきた。

 魔眼の道が示されて、悩みが軽くなったみたいだね。

 まだ、解放された魔眼がどんな力を宿すのかは、誰にもわからない。だけど、イシス様の手助けがあれば、ルイセイネは間違いなく新たな力を手に入れられるはずだ。


 ユグラ様たちが避難していた洞窟を出ると、空は雲ひとつない晴天になっていた。


飛行日和ひこうびよりであるな』

「迷惑をおかけしました、美しい翼竜よ」


 ユグラ様の隣に、ネレイラーシャ様が並ぶ。

 こうして翼竜同士を比較すると、やっぱり古代種の竜族であるネレイラーシャ様の方が遥かに大きいよね。


『身体の大小で優劣などつかぬわ』

「レヴァリアの言う通り!」

「にゃあ」


 僕の頭の上で寛ぐニーミアが、大きく欠伸あくびをする。

 レヴァリアはその小さな古代種の竜族を鼻面に皺を寄せて睨み下ろし、僕たちはその様子を見て笑いあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る