竜峰の麓

 後頭部から伝わってくる、ミストラルの体温が気持ち良い。膝枕ひざまくらをされた状態で、リリィの背中に揺られながら、衰弱した身体が夢に落ちるように意識を奪っていく。


「まだ寝ることは許さぬ。もう暫く、意識を保て」


 だけど巨人の魔王は、そんな僕を近くから見下ろして、無慈悲に命令する。

 ミストラルが抗議の視線をあげてくれたけど、巨人の魔王には通じなかった。


 僕とミストラルと巨人の魔王がリリィの背中の上。他のみんながレヴァリアの背中に乗って、北の魔王クシャリラが支配する魔王城から飛び立って間もなく。赤い夕日は西の空に沈み、魔族の国にも夜が訪れていた。

 三日月に淡く光る月。満天の星空が、冷たい夜の闇にまたたいていて綺麗だ。

 竜峰で見た、手の届きそうなほどの輝きを見せた星空ほどではないけど、アームアード王国で小さい頃から見続けていた夜空に似ている。

 竜峰を挟んで、西と東。レヴァリアやニーミアに乗って移動すれば、ほんのわずかな距離に感じるけど、実はとても離れた場所。徒歩で移動すれば、何十日とかかりそうなほど、隔たれた距離。

 そして、人族と魔族という全く違う種族が支配する、それぞれの地域。

 なのに、とても似ている空を、僕は今見上げている。


 スレイグスタ老は、若い頃に世界中を旅して回ったという。

 僕には、世界の広さなんて未だに実感できない。だけど、こうして遠く離れた違う場所で、同じような空を見上げていると、世界はやっぱり繋がっているんだろうね、と思える。


 高速で飛行しているはずなのに、ゆっくりと流れる夜空の景色。

 空とは違い、夜のとばりが下りた地上は、目にも留まらぬ速さで流れていく。


 魔王クシャリラの支配する国も、巨人の魔王の国と同じように栄えていた。

 夜になって暗闇が広がり、うかがい知れない場所はもちろん多くなっている。だけど、街道沿いに灯りが点在し、町や村、大きな都市は眩い灯りに照らし出されていた。


 夜に活動する魔族も多くいるのか、闇が広がった魔族の国では、昼間と同じように街中や空に魔族の影が見え隠れしている。


 夜眼が効くのかな。昼間同様に、リリィとレヴァリアを目撃した有翼の魔族が空に上がっては逃げていく。


 魔族の国とは思えない静寂を感じさせる星空。眼下を高速で流れていく、人族の国よりも遥かに繁栄した国土。思い出したかのように空へと上がっては逃げていく有翼の魔族。

 そんな景色を眺めながら、リリィとレヴァリアはみんなを乗せて、北へ北へと飛び続ける。


 僕は、薄まっていく意識を必死に維持しながら、巨人の魔王が示す「禁領きんりょう」なる地域に到着するのを待つ。

 すると、北に進むにつれて、眼下に点在していた光が乏しくなり始めた。そして、次第に闇色に染まる山野の自然が広がり始める。


 竜峰から延びているのかな。幾つかの河川を通過し、低い山や谷を越え、草原を縦断する。


「間も無くだ。リリィ、速度を落とせ」

「はぁい」


 リリィは言われた通りに、飛行速度を落とす。後方でレヴァリアも速度を落とし、興味深そうに周囲を見渡していた。


 地表の景色を見下ろすと、すでに人口の灯りはひとつも存在していなかった。


 ここが禁領?

 というか、禁領ってなんだろう?


 巨人の魔王は僕の思考を読み取ったのか、周囲を見渡した後に、ミストラルに膝枕をされて横たわる僕を見下ろす。


「まだ禁領ではない。禁領とは、魔王が支配していない魔族の領域のことだ」


 つまり、どういうこと?

 よくわかりません。支配地域なのに、支配されていない場所?


「私ら魔族は、それぞれの地域を魔王が支配している。だがその全ては、上位のお方のものだ」


 そうだった。魔族には、魔王よりも上の存在がいるんだよね。


「現在は七人の魔王がそれぞれの国を支配している。しかし魔族が住む領域のなかには、支配者が存在せぬ場所も多くある。なにせ、過去には十一人の魔王が存在していたのだからな」


 魔王の数が減った分、支配者の存在しない地域が多く生まれたってこと?


「魔王を失った国は荒れる。次の魔王に選ばれるためには、とにかく目立つしかないからな」


 目立つ……。その辺はやっぱり、魔族らしく暴れるってことなのかな?


「まぁ、ここ数百年ほど。新たな魔王は選ばれておらぬがな」


 目立つように暴れているのに、次の魔王が選ばれない。魔王を失った国は、相当に荒廃しているんじゃないのかな。


 巨人の魔王と僕の思考をはさんだ会話は続く。だけど、スレイグスタ老の時のような「わたしにわからない会話を二人でしないで」という突っ込みが、ミストラルから飛んでこない。

 多分、この場は僕に任せてくれているのかな。

 気を抜けば意識が飛びそうになる精神状況。声を出すのも億劫おっくうな状態で意識を保っていられるのは、こうして必死に思考を回しているから。

 意識を失うな、という巨人の魔王の命令に従うしかない状況で、ミストラルは僕に気を使ってくれているんだろうね。


「魔王には、幾つかの権限が与えられている」


 ええっと、禁領の説明と、どういうふうに繋がるのでしょうか。話の流れがいまいち掴みきれません。僕の困惑をよそに、魔王は話を続ける。


「ひとつは勿論もちろん、与えられた国を自由に支配する権利だ。次に、他国へと侵略する権利。他国とは、人族や神族など他種族以外にも、他の魔王の国も含まれる」


 つまり、上位の存在のもとで魔王が与えられた国を支配しているけど、お互いに侵略しても良いよ、ということなのかな。

 やっぱり魔族だね。同族の血が流れる争いを承認しているだなんて。


「ふふん。人族とて、同族で国の奪い合いをしている。西ではよく人族の国の勢力図が変わるぞ」


 巨人の魔王にそう言われちゃうと、がありません。


 アームアード王国とヨルテニトス王国は人族の国ではあるけど、周囲に他の人族の国は存在しない。言ってみれば、人族が支配する国の飛び地なんだ。

 人族が多く暮らし、支配している地域は、魔族が支配する国々のもっと西にあるんだよね。

 そしてそこには、巫女王みこおう様が統治する神殿都市しんでんとしもあるんだっけ。


「その辺りはどうでも良い。要は、支配者の存在の有無に関わらず、魔王は自由に戦争をし、領土を広げることができる。だがな……」


 巨人の魔王は、自らの手に視線を落とす。


「人族は知らぬかもしれぬが、魔族には始祖族しそぞくと呼ばれる固有種がいる」


 あ、知ってます。人族の書いた物語なんかでも、強力な魔族として描かれているね。


 始祖族。

 悲惨な戦争や、大規模な疫病えきびょうや災いが起きた土地には、人々の怨念おんねんが溜まる。怨念は長い年月をかけ、徐々に集まって濃い瘴気しょうきを生み出す。そして、その瘴気をかてに生まれる魔族。それが始祖族なんだ。

 親を持たず、家族を持たない、始まりの存在。唯一無二の魔族。

 糧にした瘴気の濃さにより、始祖族は生まれながらにして多くの知識と絶大な力を持つとわれている。


「始祖族は身内やしがらみを持たぬ分、たちが悪い。なかには、生まれた直後から魔族の本能に従い、暴れまわる迷惑な奴もいる」


 そりゃあ大変だ。絶大な力を持った魔族が見境なく暴れると、甚大じんだいな被害が出てしまう。


「さすがに魔族といえども、好き勝手に暴れられると困るな。国を任されている私ら魔王も、上位のお方も」


 たしかに。魔王の居ない地域はすさんでいるかもしれないけど、少なくとも魔王が統治している国は秩序が存在しているんだもんね。そこに暴れる奴が来たら、迷惑でしかないよね。


「そこで、上位のお方は始祖族が生まれると、それを公爵こうしゃく位に封じ、領地を与えて押さえ込む」


 たしか、ルイララの親が始祖族だったっけ。ルイララは親が始祖族だから、子爵ししゃく位なんだよね。


「つまり、始祖族に旨味を与え、都合の良いように支配するのだな。与えた領地で何をしようとも、始祖族の者が支配者になるのだから自由だ」


 領地を滅ぼそうが、繁栄させようが、自分の土地だから自由ってことだね。それは魔王に似ている。


「そう。支配地域が魔王よりもせまいだけで、権限は近い。まぁ、侵略権などは持たぬが。そして上位のお方の命令に従わねば、いくら始祖族といえども殺されるがな」


 なるほど。生まれた始祖族は、なるべく支配下に置く。だけど、言うことを聞かない相手なら、邪魔だから処分する。始祖族も、殺されるくらいなら不自由なく与えられた身分と領地で生活したほうが良いのかもね。

 ……って、始祖族であっても意に沿わないのなら殺すだなんて、上位のお方って何者ですか!?


「だが、困ったことにな」


 巨人の魔王は、もう一度僕を見る。


「全ての地域を魔王が支配していたのでは、始祖族にくれてやる土地がなくなってしまう」


 あ、そうか。領地が空いていなければ、与えようにも与えられない。魔王から接収せっしゅうしてしまうと、せっかく繁栄させた国土を持っていかれることになって、気分が悪いもんね。


「そこで、そもそも魔王でさえも侵略できぬ領地が、あらかじめ幾つか決められている」

「もしかして、それが禁領ですか?」


 そうだ。と巨人の魔王は頷いた。


「まぁ、今から案内する場所は普通の禁領でもないのだがな」

「普通じゃない?」

「そう。魔族、魔王であれ立ち入ることは固く禁じられ、どれほどの力を持つ始祖族であろうとも、選ぶことのできない土地だ。ほれ、見えてきた」


 巨人の魔王に促され、僕たちは周囲へと視線を向ける。


 リリィは、僕と巨人の魔王がやりとりをしている間にも、ゆっくりと空を移動していたみたい。

 星の瞬く美しい空の下。夜の闇に染まってなお、目と心を魅了する絶景が広がっていた。


 いつの間にか、東側に竜峰の峰々が連なっている。そして西には、広く裾野すそのを広げた、ひとつの大きな山が輪郭を見せていた。

 星空を東と西で切り取った大地。北へとどこまでも続く地表には、もうひとつの星空が広がっていた。


 眼下から北へ向かって、大小数え切れない湖が延々と点在していた。夜の闇からでもわかる原生林に囲まれた湖の水面は、上空の星空をそのまま映し出している。


 風で水面が揺れるたびに、映し出されたもうひとつの星空が宝石のように瞬く。


 想像を絶する夜景に、僕だけではなくてミストラルも息を呑んで魅入っていた。


「ミストラルよ、其方にこの土地を譲ろう。西に霊山。平地には北の海まで続く千の湖があるという土地全てを」

「はいいいぃぃいっ!?」


 頓狂とんきょうな声をあげたのは、ミストラルだった。


 僕も意味がわからずに、大混乱に陥る。


 ど、どどど、どういうことですか?


 禁領って、魔王の上の存在が直轄ちょっかつ支配している場所ってことだよね?

 始祖族とかに与えるために、確保しているんだよね?

 それなのに、巨人の魔王の独断で、始祖族でも魔族でもない、竜人族のミストラルに与えるの!?


 も、もしかして……


 ミストラルのあまりの強さに、魔族の公爵位に封じて支配してしまおうってことですか!


 混乱する僕と、目を白黒させるミストラルを見て、巨人の魔王はくすくすと笑う。


「くくく。突飛とっぴな思考をする奴だ。安心するが良い。ミストラルをとり込もうとしているわけではない。理由は気にするな、素直に受け取れ。拒否は許さぬ」


 出た! 傍若無人ぼうじゃくぶじんな命令です。相手が何者であろうとも、拒否権なしの自分勝手な都合を押し付ける、まさに魔王らしい言動。

 だけど、巨人の魔王は恐ろしい気配で脅迫するのではなく、優しい微笑みでミストラルを見つめていた。


「さあ、長旅は終わりだ。リリィ、もう少し先に程よい場所がある。そこへ着地せよ」

「もう疲れてへとへとですよぉ」


 リリィはわざとふらふらに飛びながら、巨人の魔王が示した場所へと向かって最後の羽ばたきをした。

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